アマリリスは気づかない
この屋敷で唯一、香りを纏わせているのは、ドロテアだ。それは、甘い香りだったけど、チューベローズではなかった。
「お義母様。」
「何をそんなに驚いているのですか。」
「いえ、いらっしゃるとは思っていませんでしたので。」
知らせを受けて、引きこもっていた図書室から、慌てて玄関まで迎えに出た。午後のこの時間に来たということは、お茶を飲みながら話をしたいということだ。
今まで2か月以上も、干渉してこなかった義母が、知らせもなくやってきたことにエーディットは少なからず驚いた。
「少し、やせたかしら?」
「え?いえ、そんなことはないと思います。」
「違ったわ。やせたんじゃない。顔色が悪くてやつれて見えるの。」
「……そうでしょうか?昨日、夜遅くまで、本を読んでいたせいですわね。」
自覚があったから、お茶会は庭の日の当たるところにしていた。太陽のもとであれば、顔色の悪さを誤魔化せると思ったが、義母は思いのほか、良く観ている。
「あなたが、家政を取り仕切れていないと聞いたわ。」
「……はい」
意外だった。白い結婚を、義母に告げ口しなかった使用人たちが、今の状況を、義母に教えただなんて。
フランカが、蒸らした紅茶を注いだ。近くに、ドロテアが立っているのが見える。
「趣味が悪いわ。」
「そうでしょうか?美しい人に思えます。」
見た目は少なくとも、エーディットよりも美しい。日に日に顔色を悪くするのも自分だけだった。
「違うわ。同じ屋敷の中で、妻の世話をさせていることが、趣味が悪いと言っているの。さっさと、囲うなり、違う屋敷を与えるなりすればいいのに、本当に趣味が悪い。自分の息子がこんなにも、気持ち悪いとは思わなかったわ。」
「お義母さま、」
「あなたも、あなたです。家政を取り仕切るのは、あなたの仕事。たとえ、ラウレンスが何といっても、差配はすべてあなたがなさい。」
「……はい。」
義母は背筋を伸ばしたまま、エーディット越しに、ドロテアをにらんだ。ドロテアが怯んだのが、空気で伝わる。
「どこが、美しいの。あんなの。汚らわしい。」
義母は厳しい表情のまま、エーディットの顔に手を伸ばした。指先が、目の下に触れる。
「よく眠りなさい。そして、気づきなさい。」
「……気づく?」
「そう、気づきなさい。それが、答えよ。」
女性として蔑ろにされてきた。妻として、ぎりぎり保っていた矜持は、壊れかけている。
あるべき繋がりを、エーディットは持っていない。
妻という名前だけが、エーディットをラウレンスにつなぎとめている。
「あなたは妻よ。ラウレンスの妻。そして、ファンデル家の嫁よ。だから、気づきなさい。私はこれ以上、教えてあげられない。私は、あなたが好きだわ。つつましい、あなたが好き。だから、気づいて。」
エーディットは、気づく必要がある。
理由を探す。そう、宣戦布告した日から、ラウレンスは、この行為を始めた。それは、エーディットから理由を探す気力をそいだ。
そうだ。これは、ラウレンスの妨害なのだ。
エーディットは、理由を探す必要がある。妻であり、嫁である限り、怯えて震えているだけではいられない。
風が吹いた。甘い香りが一瞬した。
でも、エーディットは、何も感じなかった。感じる必要など、もうなかった。
私は、ひとりで、震えるだけ




