言葉の足りないナナシの杞憂人
国内最大規模の港湾を有する貿易都市ロタの、時刻が十四時を少し越えたあたりの、マスナ地区三番通り。
そこには避暑除けを目的に噴水が設置されている広場があり、待ち合わせ場所として重宝されるため、時間帯も相まって多数の人で賑わっているのだが、一箇所だけ何故か、ぽっかりとした空白地帯が存在していた。
原因は、噴水の縁に凭れて空白の中心に立つ人物。
百八十を少し上回る、周囲よりも高い背丈とそれなりに鍛えられた体を持つ黒髪の男は、何故か顔の目鼻と口を除く全ての部位を包帯で覆っている。その包帯には染み一つ無く、代わりに左頬に等間隔に横線の入った円が書き込んであり、その包帯が怪我によるものではないという事を主張している。
更には両手も同様に包帯が巻き付けてあり、それが袖の隙間から覗く手首から前腕にまで及んでいる。隙間の殆どない顔と比べれば隙間だらけで、あちこちに地肌が覗いていたが、それが顔と同じく、負傷によるものではないという事を示している。
加えて帯布の隙間から覗く目はまるで射殺すように鋭く、その目つきのまま時折周囲を見渡す為、不審者を通り越して危険人物の雰囲気を醸し出していた。
(まだか……?)
しかし当の本人は周囲のそんな認識など気にも留めず、ポケットから携帯端末を取り出し、新しいメッセージが無いのを確認して戻し、溜め息を吐く。
(さすがに、一時間前の連絡は無理があったか……)
男がその場に立っているのは、周囲の大半の者たちと同じく、人待ちの為だった。朝の八時からかれこれ、実に六時間以上も待ち続けている。
とはいえ、彼が待ちぼうけを喰らっている理由は、待ち合わせの相手にばっくれられたという悲しい理由ではない。どちらかといえば、非は当人にあった。
というのもこの男、先日の時点で集合場所と時間を記載して送ってはいたのだが、そのメールが送信ミス扱いになって未送信となっている事に、十三時を回った段階でようやく気が付いたのだ。
最初は当初の集合予定時間の三十分前に到着し、さすがに早く着き過ぎたと考えながら相手を待っていた。八時を過ぎた段階でも、慣れない土地では迷いもするだろうと一人で納得し、周囲の視線を気にする事無く待ち続けていた。
その後も、相手にも色々と準備が要るのだろう、少し寝坊したのかもしれない、もしかして自分が場所を間違えているのかもしれないと、その都度勝手に理由を決め付けては納得し、ようやく携帯を確認したのは太陽が頂点に達した後の事。
そして改めて十四時を集合時間に、現在地を集合場所として連絡したのだが、その時の返信で相手は自分の新しい連絡先を知らされていない事を伝えられ、更なる失態が発覚して今に至る。
まあ言い訳をするのならば、メールが送信ミスとなった事は不幸な偶然であって意図的なものではなく、また相手に新しい連絡先を伝えていなかったのもわざとではなく、互いの認識に齟齬があったのが原因と言えなくもない。
だがそれを抜きにしても、やはり八割以上は当人の自業自得であった。
(眠い……。昨日は遅かったし、今日は早かったし、日当たりも良いし、このままだと寝落ちしそう……)
欠伸を噛み殺し、浮かび上がろうとする涙を堪えて目を細める。彼の剣呑な目付きも生来のものでもなければ、意図的なものでもなく、単純に眠気を堪えようとしている結果だった。だが顔面包帯姿は意図的なものであるため、そっちに関してはまるで擁護できない。
(だけど連絡に不備を来たした挙句、その張本人が集合場所で寝てたら、間違いなく腹立つよなぁ……)
さすがに男にも、全て自分が悪いという自覚があるが故に、寝落ちしないように眠気を払おうと首を振り、思考を巡らせる。
(今日はさっさと済ませよう。さくっと終わらせて部屋に戻って……あれ、俺部屋出る時、玄関の鍵閉めたっけ?)
ふと思い至り、上着のポケットを探る。その中に鍵が入っているのを確認して安堵の息を吐き――直後にまた思い至る。
(いや待て待て、鍵を持っているからって閉めたとは限らないよな? 確か閉めてなかった気がしなくもないな……)
盗まれて困るような個人的資産は持ち合わせていないが、見られて困るようなものはそれなりに置いてある仮宿を思い浮かべ、包帯に隠れた顔から血の気が引いて行く。
治安の良い区画に構えてある為、泥棒に入られる事などそうそう無いだろうが、それでも確率は〇ではない。しかも起きて欲しくない時に限って、そういう事態は起こり得るのだ。そう彼は認識している。
(やばい、今すぐ確認に戻るべきか……いやでも、一応集合予定時間は過ぎてる訳だし、入れ違いになったらそれこそ問題になる。それに閉めたかもしれないし、そうだったら無駄足に……あれ? 玄関の鍵はともかく、ガスの元栓を閉めた記憶が無いぞ?)
負の思考は次の負の思考へと連鎖し、更に表情から血の気が失せて行く。
(朝食用意する時に火は使った、それは間違いない。その後元栓は……閉めてない? ヤバくね!?)
ガス漏れによる爆発という最悪の妄想を辿り、思わず駆け出そうとして自制する。優先順位を付けると、何より最優先するべきなのは、待ち合わせの相手との合流だった為だ。
(いやいや、そう簡単に引火なんてしないし、そもそも閉めた可能性だってある。毎回食器を洗った後に確認するようにして……あっ、そういえば食洗機のスイッチ押してなかった気も……押してないといえば、洗濯機のやつも押してたっけか?)
わざとやっているのではないかと疑いたくなるような、自ら悩みの種をほじくり返す思考を繰り出し続ける。更に補足するならば、現時点での彼の悩みは、全て例外なく杞憂である。
(ていうか、注文した品が届くの明日じゃなくて今日じゃなかったか? 集配所反対の区画だから取りに行くのは――)
「ぜっ、ぜっ……お、おいっ、ナ、ナナシっ……!」
自分の世界に入り込んだまま悩みの連鎖に押し潰されそうになっていた男の耳に、荒々しい呼吸と、自身に呼び掛けて来る、聞き覚えのある声が届く。
下に向けていた視線を上げて見れば、数歩の距離に、膝に手を当てて荒い息を吐き出す少女の姿があった。
身長はおよそ百六十ほどで、男よりも頭一つ分ほど低い。黒の薄いシャツの上から白いシャツを着込み、下半身は短パンと、年頃の少女には似つかわしくない運動機能を重視した格好。履いているブーツも、山岳など足場の悪いところでも動きやすいように作られた、実用的なもの。
腰まで伸びる鮮やかな緑色の髪も、走って来たためか、それとも手入れをしていないのか、はたまた別の理由からか乱れており、パッと見ではお洒落に気を使わないという印象を受ける。
だが伏せられている顔が持ち上がると、そのような印象も消え去る。
きりっとした柳眉の下には、紫色と青色の、左右で色の違う瞳が収まる、強気な性格を現したような釣りあがった目。額には珠のような汗が浮かび、形の良い鼻から顎を伝って地面に零れ落ちる。
その容姿は、控えめに見ても可愛いという部類に入るだろう。美少女といっても差し支えない。
(えっと、名前は……何だっけ? 確か……)
「……レイラ、十四時を過ぎている」
予定が押しているため急ごうという意図をこめた言葉だったが、相手には伝わらず、帰って来たのは強く地面を踏みつける音。
「レスティエラ、だ! 許可してないのに、勝手に、そう呼ぶな!」
(ああ、そういえばそういう名前だった。大体、長すぎるんだよな)
荒い息を吐き出しながら抗議する。男は悪びれた様子もなく、だが口にすればまた怒る事が容易に予想できた為に内心を表には出さず、またその言葉も正論な為、特に男は反駁しない。
「つかっ、おまっ、ナナシ、ふざけんなよな!」
ナナシ――それが男の名前なのだろう。少女は凄まじい剣幕で左手の指を相手に突き付ける。その手の甲には男の左頬にあるものと同じ、等間隔に線が入った円の紋様がある。違いがあるとすれば、少女のそれが地肌に直接刻まれているという事と、円の内側に『22』という数字がある事だろうか。
「何で一時間前に連絡して来んだよ! 普通前日にするもんだろ!?」
(ああ、やっぱり怒るよなぁ。髪もぼさぼさだし、余程急いだんだろうなぁ。けど、謝ったら悪いと思うならちゃんとやれって具合にまた怒るだろうし、どう答えれば……)
相手の言い分が全面的に正しいため、心の内側では確かに反省しているが、なぜかそれが表に出てこない。かといって内心の悩みに答えが出るはずもなく、ナナシは結果、無言を貫く。人として色々駄目だった。
(相変わらず、不気味な奴……)
勿論そんな態度で反省が伝わる筈もなく、返って相手には不気味さを伝えてしまう始末だった。
(なんだって、またこいつと組まされなきゃなんねえんだよ……)
少女の胸中にあるのは、何度目になるのか分からない、相手の事を知らされた時から幾度となく湧き上がっている愚痴。
彼女が男と組まされるのは初めてではないが、また組まされると聞いた時、運命というものを心の底から罵倒した。
何せこのナナシという男、悪い噂には毎度事欠かない。
組織からの命令には忠実だが、一方で性格は苛烈且つ横暴で、自分が気に食わないと感じた者、または組織に不要と判断した者は問答無用で手に掛ける。そしてある程度ならば、それが許されるだけの立場と権限を有している。
仮に許されない場合にあっても、証拠を残さず影から葬る事は朝飯前とされており、事実彼の周囲では、不審死や失踪が相次いでいる。
何より組織に対して不利益を与える者に対しては容赦がなく、仮にそれが意図しないものであったとしても、弁解の余地なく抹殺されるとまで言われている。
実のところ、それらは不幸な偶然の積み重なりと当人の人間性や容貌が重なり、一人歩きした結果のものであり、その大半が噂話の域を出ない。
当然少女もその可能性を当初は疑ってはいた。だが実際に見て感じたナナシの印象はその本質からかけ離れたものであり、そのせいで噂が真実であると思い込んでいた。
「なっ、何か言ったらどうなんだよ!?」
その噂話を信じていながらの強気な姿勢は、軟弱な態度を見せていた者が琴線に触れ、殺された例があるという話を聞いていた為のもの。もっとも、彼女生来の性格というのもあるが。
「何か、ね……」
ナナシのその言葉は、何を言えばいいのか分からないという内心を吐き出したもの。だが少女には、その内心は伝わらなかった。
(あっ、呆れてる! 嘘だろっ、一時間も余裕があったんだから、間に合って当然だってのかよ!?)
そんな事は欠片たりとも思っていないが、いかんせんナナシの表情を隠した容貌も手伝って、何を考えているのか探る事は困難で、悩みを抱いているというところまでは至らない。
というか、普通はそうな風に思わなくて当然だろう。
(本音を言えば、話をさっさと切り上げてやるべき事を果たしたいんだけどね。今日は西市場でタイムセールがあるし。けどそれ言ったら、やっぱり怒るよなぁ)
まったくもってその通りなのだが、そんな事を考えている時点でアウトである事にまで、考えは至らない。
(あれ? タイムセールがあるのって西市場だよな? 東間違いだっけか? やばい、反対方向だから間違えてたら間に合わないぞ……)
更にもう一つ悩みが発生し、包帯の下の表情が険しくなる。
その事を包帯の上からでも感じ取った少女は、知らずに喉を鳴らし、全身を緊張させる。
(や、やっぱり呆れてやがる。あ、あたしを消すのか? 今まで失態を犯した奴を何人も始末してるっていうし、あたしもそうなるのか?)
誤解に基づいた発想の飛躍だったが、そういった噂があるのも事実だった。
実際ナナシは、これまでも彼の所属する集団において、少女と同じ立場にいながら明確な裏切りを行なった者たちの抹殺といった事も行なっていた。そうした実績が歪曲してできた噂だったが、それだけに信憑性のある噂でもあった。
「ぴぃっ!?」
沈黙に耐えかね、取り敢えずやるべき事を果たそうとナナシが一歩踏み出すと、緊張していた為にナナシが突然動き出した乃ように見え、反射的に少女が奇妙な声と共に一歩後退する。
「な、なんだよ、やろうってのか?」
(やばい、消される!? い、いや、ビビるな。せっかく前回を乗り切ったのに、これ以上軟弱な姿勢を見せて落胆されたら、本当に消されかねない……!)
なけなしの虚勢を張り、直前の奇声を誤魔化すように捲し立てて身構える。だが気圧されている(というか恐怖を感じている)のはバレバレで、足腰が見て分かるぐらいハッキリと震えていた。
「……行くぞ」
(かわいそうに、足腰が震えてる。相当な距離を走らせたみたいだな。疲れてるだろうし、さっさと終わらせて休ませてあげよう)
だがナナシはまさか自分に怯えているとは思わず、純粋な気遣いの下で勝手な判断を下し、踵を返して先導し始める。やはりその内心は相手には伝わらない。
では代わりに、どう映ったのか?
(け、消される……! 今回ちゃんと使える事を証明しないと、こいつに消される……!)
自分の対応は抹殺理由には十分だったが、今までの功績を鑑みて、処分を保留した――そう映ったのである。
(ゴメンよ、ティオ。お姉ちゃん、生きて戻って来れないかも……)
愛する妹の顔を思い浮かべ、涙を目尻に浮かべながらナナシの後を追う。その顔には悲壮な決意が浮かんでいた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
マスナ地区三番通りより幾つか路地裏を進んだ先にある、同地区十六番通り。
かつては様々な事務所が並び、そこに通う人々で賑わっていた通りの名残はなく、排気ガスと落書きによって壁面が汚れた、空きが目立つ雑居ビルが聳える寂れた通りとなっていた。
「しっかし、偶然手に入れただけの骨董品に、あれほどの値がつくとはね」
とうの昔に引き払われた筈のとあるビルの室内に、虫食いの目立つソファーや木材の腐った椅子に腰掛けて、満足気に笑う男たちの影。
男たちの視線は全て、部屋の隅の真新しいの山に注がれていた。
「絵画や彫刻品が中々のものって事もあるが、何より美術品以上に価値が高くて買い手を選ばない、魔術師殺しの武器が手に入ったのが大きいな」
「俺らからすりゃ、あんな古い絵のどこが良いのかなんざさっぱりだが、術具の使い道と価値は分かりやすいからな」
魔力と呼ばれる力を用いて、この世を構成する式に干渉し、現実を書き換える術――通称魔術。
古くは『人外のモノ』に対する対抗手段として、現代ではそれに加えて人類同士の争いにおける重要な兵器として用いられているそれは、人外のモノを除けばごく一部の人間にのみ備わっており、それを操れる者は魔術師と呼ばれ敬意と畏怖を集めている。
科学技術の発展した現代においても、未だ魔術師たちの存在は重要なものとして位置付けられ敬意を集めると共に、畏怖の対象として扱われている。
「にしてもよ、折角なら売り飛ばしちまうよりかは、俺らが使った方が儲かったんじゃねえのか?」
「馬鹿かお前、リスクを考えろよ。魔術師殺すのがどれだけ危険かぐらい、分かんだろ? こうやって適当に奪ったものを流して生きた方が安全だっての」
「違いねえ」
室内に笑い声が重なる。仄かに酒気を帯びているのか、暗い空間に似つかわしくないほどの陽気な空気が漂っている。
男たちは強盗と密輸を主な活動とする、日の下を歩けない者たちが集まって形成された集団だった。
同じような集団は他にもいるが、大半がすぐさま捕らえられ法で裁かれる中で、男たちのグループは長期に渡って活動を続けており、それなりに名も通っていた。そしてこれからも、自分たちは上手くやって行けるのだと、心の底から信じていた。
その想いは、たった一瞬で破られる事になる。
「除衝」
何の前触れもなく、鍵の掛けられた出入り口を塞ぐ扉が吹き飛び、その前に立っていた男の一人が吹き飛ばされる。
不可視の力場は男ごと尚も押し進み、壁に叩きつけ、押し潰す。
それなりの年数を活動しているだけの事はあり、仲間が圧殺された直後に動き出せたのは、さすがだろう。素早くテーブルを押し倒してその陰に隠れ、あるいは手近な障害物を盾にし、拳銃を抜いて銃口を出入り口へ向ける。
「誰だ!?」
誰何の言葉に答える意図は無かったが、破壊された扉を跨いで、ナナシが室内に入る。直後に発砲音。
狙いは正確で、全ての銃弾がナナシへと殺到。命中する直前で弾かれ、あるいは砕け散る。代わりにナナシが腕を持ち上げ、包帯に包まれた手のひらがテーブルに隠れる男たちに向けられる。
「除衝」
再び不可視の力場が放たれ、盾代わりのテーブルを粉砕。逃げ遅れた男の一人の腹から下を吹き飛ばす。
「魔術師!?」
「どうしてここに!」
ナナシが何者なのかを理解した男たちが、悲鳴と共に応射する。その全てがやはり命中する手前で無為に散る。
これが現代においても尚、魔術師たちが強い立場を持つ理由だった。
魔術師たちは――正確には魔力を持った生命全てが、常に魔力を体外に垂れ流している。その垂れ流されている魔力は物理的強度を持ち、素人であっても投石程度では傷一つ負わない。
加えて訓練を積んだ魔術師は、その垂れ流される魔力を障壁に変換して恒常的に展開している。その強度は術者にもよるが、大抵の場合は銃弾程度ならば容易に防ぎ、一流の魔術師ともなれば砲弾さえも完全に防ぎ切ってしまい、通常種段では不意を打たねば傷を与えることさえ困難となる。
更には単純な身体能力においても常人を遥かに上回り、銃弾を見切って躱し、素手で人間の頭蓋を容易く粉砕する事も可能とする。
「対魔の弾を……!」
生き残りの一人がいち早く動き出そうとした瞬間、窓を割ってレスティエラが強襲。付近に居た男の頭を掴み、魔術を行使。全身に紫電を帯び、男の頭部に強烈な電流が送られる。
頭部の穴という穴から沸騰した血を流した男が倒れる前に、別の男へと左手を差し出す。指が擦り合わされ、音と共に電撃が放たれて命中。即座に死に至らしめる。
「こ、こいつ、【螺旋壊団】の使徒か!」
「嘘だろっ、何で――」
言葉も最後まで続かず、背後から近付いたナナシに頚椎を捻られて沈黙する。
唯一生き残った男が、自分の仲間たちの死体を見て腰を抜かし、それでも二人から遠ざかろうと後ずさるも、すぐに壁を背にして止まる。
「ちっ、ちくしょう!」
せめての抵抗とばかりに、まだ手にしていた銃を構えて引き金を引くも、放たれる銃弾は少女にも通用せず、何の成果も得られないまま弾切れとなる。
「【螺旋壊団】の使徒なんて、大物が、何で俺らみたいな小物を……!」
半ば狂乱状態に陥りながら、自分たちに突如として降りかかって来た理不尽を問い質す。
【螺旋壊団】――それがナナシやレスティエラが属している集団の名前であり、同時に謎の多い集団でもあった。
表向きは世界の調律を目的と謳っており、その大言に見合うだけの影響力を有しており、軍事力においても最低でも国家規模のものを持ち合わせているとされている。
そして使徒はその【螺旋壊団】の中でも、一騎当千の魔術師たちで構成された、団の最高戦力である。普通に考えれば、たかが一都市の木端密輸強盗団に派遣されるような戦力ではない。
「お前らは小物でも、お前らが流そうとしてたブツが大物なんだよ」
そのせいでこいつと組まされたという不満を胸中で吐き出し、部屋の隅に積まれている略奪品を漁る。中にはかなりの値がつく美術品もある為か、粗雑な態度に反して動きは丁寧で、慎重に取り扱われている。
(よし、とりあえず半分はあたしが倒したし、制圧の動きも無駄はなかったから十分……だよな? あとは目的のブツを回収すれば、無事に帰れる筈……!)
もっともその内心は決して穏やかではなく、自分の行動に不備がなかったか、そして自分の今後は大丈夫なのかと、留まる事を知らない不安に押し潰されそうになっていたが。
因みにその元凶であるナナシは、仕事は終わったとばかりに壁に寄り掛かって腕を組み、生き残った男が妙な事を仕出かさないか見張りつつ、眠気を必死に堪えていた。
「……無いな」
しばらく探し物に従事していたレスティエラが、目的の物が見当たらず、他に隠し場所は無いかと辺りを見渡したところで、震えて縮こまる男を視界の中心に収める。
「おい、お前らが手に入れた【ラザードの短剣】はどこにある?」
虱潰しに探すよりは尋問した方が早いと判断し、男の側まで歩き尋ねる。
「ら、ラザードの……?」
「お前らが端金で売り捌こうとしていた、魔術師殺しの武器だ。あれはどこにある」
「……しっ、知らねえ」
「嘘だな」
答える際に目を逸らし、また微かに鼓動が激しくなったのを敏感に感じ取り、返答を嘘と判断する。
「この期に及んで白を切る意味はねえだろうが。素直に言った方が身の為だぞ」
「知らねえのは本当の事だし、それに、仮に言ったところで、どうせ殺すだろうが……!」
尚も問い詰めるも、返答は変わらない。その反応に、返って少女の方に焦りが生まれ始める。
(別に殺すこと自体は目的じゃねえんだから、さっさと吐きやがれよ。段取りが遅いと、あたしが殺されんだろうが……!)
こっそりと視線を動かし、視界の端に映っていたナナシを確認する。既に意識の大部分は男にではなく、男とレスティエラを睨んでいる(ように見える)ナナシに割かれていた。
今のところは特に不満があるようには見えなかったが、いつ気が変わって自分が殺されるか、少女には気が気でなかった。
(レイラ……じゃなくて、レスティエラだったか、ともかく彼女が頑張ってくれたお陰で大分早く終わったな。ラザードの短剣を使われたら少し厄介だったけど、上手く不意も打てたし)
当の本人は、そんな懸念を抱かれているとは露ほどにも思わず、むしろレスティエラがやる気に満ち溢れて積極的に動いてくれた事に大満足だったが。
(この分ならタイムセールにも間に合うだろうし、久しぶりに今日はすき焼きでも作るか。牛肉は残ってたし、ネギとシイタケはセール対象だから買えば……って、あれ?)
「……っ!?」
夕食の献立を考え、冷蔵庫の中身を確認していたところで、記憶に不安を覚えて身動きする。その僅かな動きも、注意を向けていたレスティエラには簡単に把握され、一気に少女の体に緊張が走る。
(や、やばい。やっぱ手間取りすぎか……? クソッ、もう少しだけ待てよ……!)
(しらたきって買ってあったっけ? しらたき抜きのすき焼きは考えられんし、念の為買っておくか? でもセール対象外だから高いんだよな……って、急に眠気が……)
思考していたところで、堪えていた睡魔が急激に膨れ上がり、慌てて気を引き締める。目尻に浮かびかけた涙を表に出さないようにした結果、返って顔が顰められ、鋭くなった周囲の空気も併せて、少女には機嫌が急速に悪化しているようにしか見えなかった。
「は、早く言えよ! (あたしが)どうなっても良いのかよ!」
「ひっ……!」
何とか自分が生き残る方法を必死に模索していたところで、自分よりも遥かに強大な少女に詰め寄られ、男が驚きと混乱から後退しようとして失敗する。
その間にもナナシの表情は険しさを増して行き、それに比例して少女の顔から生気が失せて行く。
「早くしろぉ! このままじゃ(あたしが)ただじゃ死ねねえぞ!」
純粋な保身百%の言葉だったが、男にはそれが脅しにしか聞こえず、更に精神が追い詰められる。
元々が極限まで張り詰めていた状態であり、そこに更なる負荷が襲い掛かればどうなるかは考えるまでも無く、男が背後に手を回す。
(あっ、やばい……!)
「うああああああああああああああっ!!」
「っ!?」
ベルトで背中に固定してあった、刃渡り十五センチほどの短剣。その剣身は黒く染まり、赤い緻密な紋様がびっしりと書き込まれており、小振りの外観に似つかわしくないほど禍々しい姿をしている。その刃を抜いた男が、絶叫と共に突進する。
間の悪い事に、レスティエラには既に完全に無力化したと思い込んでいた油断があった事、何よりナナシに対して注意力の大半を割いていた事が致命的となり、反応が遅れる。
そして少女の体に刺さる筈だった刃は、咄嗟に間に割り込んだナナシの脇腹を貫く。
「はっ? 何であたしを、庇って……?」
「油断するな……」
相手の手首を掴んでそれ以上の進行を阻み、続けて相手の顔に拳を叩き込んで潰す。
「……間違いない、ラザードの短剣だな」
相手の手から短剣を奪い取り、慎重に手元で検分する。やがて納得したように頷き、適当な布を見繕って刃に巻きつける。
「おっ、おい、お前大丈夫なのかよ!?」
「問題ない。鍵が盾代わりになったからな」
ポケットに仕舞っていた玄関の鍵を取り出してみせる。短剣の切っ先はちょうどその鍵を捕らえており、直接刺さる事を防いでいた。
「そ、そうか。なら良かった」
「良い訳があるか。間に入っていなければ、こいつは例えお前の障壁であっても貫通していた」
布で完全に剣身を覆い隠した短剣を掲げてみせる。
魔術師殺しと呼ばれていたのは伊達ではなく、剣身に刻まれているものは魔術式であり、魔術師の障壁を突破する事に特化したもので、例え高位の魔術師の障壁であっても貫ける程の代物だった。
「それで即死しなくとも、こいつで掠り傷一つでも負わされればそこから呪詛が入り込み、相手を死に至らしめる。助かったのは運が良かっただけだ」
「わ、悪かったよ……」
(助かった、のか……? わざわざ庇ってまで助けたのは、死なせるのが惜しかったからだよな? なら、あたしはまだ使えるって判断したって事だよな?)
自分が無傷で済んだのは紙一重だったと理解し安堵しながらも、それ以上に、ナナシから消される懸念が解消されたという客観的な証拠を目にし、生を噛み締める。ナナシにそんな気は毛頭なかった事など、やはり理解する事は無い。
(危ねえ、また相方を死なせるところだった……)
一方ナナシも、レスティエラとは別の理由で安堵の息を吐く。
(まったく、どうしてどいつもこいつも、集中を切らすかね)
今までナナシと組んで来た者の大多数が噂を耳にし、意識の大半をナナシへと割く事となり、結果注意力が散漫となって命を落として来た。ナナシに関する噂の一部はそうした事から彼の相方の死亡率の高さから来ており、それが更に組む相手に無用な緊張を強いる事に繋がるという負のスパイラルである。
その全てが、ナナシが適切にコミュニケーションを取れば解消されるのだが、それに気付く事が無ければ行おうともしない辺り、やはり人としてダメだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ああ、無事に目的の物は手に入れた。後で回収班の連中を寄越してくれ」
レスティエラと別れた後、無事に西市場のタイムセールに間に合い、食材を買い込んだナナシが、空いた手で携帯を持って通話をしていた。
「それとは別に、制圧場所にも何点か美術品が置いてある。死体もそのままだから、別途でもう一班派遣を頼む。売ればそれなりの値はつく筈だ」
上役に当たる人物に電話越しでの報告を済ませると電源を切り、携帯をしまう。都合の良い事に、目的地まであと少しだった。
(頼むからガスが引火したなんて事がありませんように。書類や保管品もそうだが、借りてる本も燃えたら弁償しなきゃ……って)
「図書館の本の返却日って、今日までじゃなかったか?」
ちょうど面白そうなシリーズを見つけてまとめ借りしたのだが、色々と立て込んでいた結果、まだ半分も読めていなかった。
(参ったな、冊数限界まだ借りてたから、一日だけの超過料金もかなりのものになるぞ……)
本当に返却日は今日までだったか、今日までだとすれば図書館の閉館時間は何時までだったか、次から次へと懸念事項を生み出しては憂鬱な溜め息を吐く。
(とりあえず帰ったら返却日を確認して……いや、その前に日が出ているうちに洗濯物を干さなきゃな。場合によっては本を返却して、晩飯の準備をして……寝れるのはまだ先だなぁ……)
やるべき事の多さにげんなりしつつ、角を右に折れる。そこから少し歩いたところにある、築二十年程度の平屋が、彼が現在の拠点として与えられている自宅だった。
(良かった、特に問題は無さそうだな)
ガス爆発という最悪の妄想を回避した事に安堵し、続けて玄関のドアノブを引き、しっかりと鍵が掛かっている事を確認。ポケットから鍵を取り出して差し込む。だが途中で失敗する。
その結果を疑問に思い、一端抜き取って再度差し込むも、やはり奇妙な手応えと共に途中で止まる。
(何か鍵穴に詰まってるのか?)
勘弁してくれよと思いながら鍵穴を覗き込もうとして、手にしていた鍵を見て違和感を覚える。その正体はすぐに判明した。
「あっ……」
ナナシがレスティエラを庇った時、刃は偶然にもこの鍵に阻まれる事となった。そのため体は無事だったが、鍵はそれで済みはしなかった。
素人とはいえ、成人男性の渾身の力が込められた刺突だ。幸い破壊される事こそなかったが、それでも変形する事は避けられなかった。そして変形した鍵が刺さらないのは、当然の事だった。
念のため家の周りを見てみるが、全ての窓も鍵が掛かっている。そして予備の鍵は当然持ち歩いてなどいない。
「マジかよ……」
呆然とした言葉が溜め息と共に、日の暮れ始めた空へと放たれた。
適当な作中の用語解説
・【螺旋壊団】……世界中に根を持つ秘密結社であり、世界の調律を目的として掲げる組織。各国に対する多大な影響力を持ち、有する軍事力や経済力、権力は国家に匹敵するとされる。等間隔に線の入った円を組織の紋章として用いている。
・使徒……秘密結社【螺旋壊団】の最高戦力とされる魔術師集団。その呼び名は伊達ではなく、団内でも破格の待遇を与えられており、自身よりも下位に位置する立場の者たちの召集権と命令権を持つと同時に、上位の者からの召集および命令に対する無条件の拒否権を有する。
全員が体のいずれかに紋章の刻印がされており、その内側に数字が刻まれている。その数字は使徒内における序列であり、上に気に入らない奴がいればその座を倒して奪う事ができるので、基本的に序列は強さの順番。一桁ともなれば、単身で国家と戦える程の戦闘力を持つ。
・ナナシ……とにかく黒い噂の耐えない、【螺旋壊団】において統括使徒の座を与えられている男。命令には忠実で任務の達成率も極めて高く、その能力に疑う余地はないが、それらの能力と引き換えにコミュニケーション能力を失ったのではないかと疑う程に言葉が足りず、意図せず自分の評価を百八十度捻じ曲げている。基本的には良い奴だが、常に要らぬ不安を抱え、三文字以上の名前を覚えられないなど人として決定的に駄目な部分がある。
顔と両手を覆う包帯は術式の刻まれている魔術具であり、ナナシにとって非常に有用な代物だが、それと引き換えに不審度を大幅に増加させている。
・レスティエラ……ナナシと過去に幾度となく組まされている、【螺旋壊団】の第22使徒。口調や態度は粗雑で誤解を受けやすいが、拒否権を持ちながらもナナシと組む事を容認して任務に当たるなど、根は真面目な少女。愛称はレイラだが、特に親しい間柄の相手にしか呼ばせない。
強力な電撃系統の魔術を得手とする。
・魔術……魔力によって世界を構成する術式を一時的に書き換え、超常現象を生み出す術。書き換える術式の規模が大きいほど魔術の効果は高くなる。
・ラザードの短剣……数百年前に家族を魔術師に殺された鍛冶師ラザードが鍛えた短剣。数ある魔術具の中でも魔術師の障壁貫通能力に特化しており、その貫通能力は使徒クラスであっても通用するほど。また強烈な怨念が込められており、僅かな傷であってもその怨念が呪詛となって入り込み、相手を呪い殺す。その危険度と性能の高さから、魔術具としての格はSランクに認定されている。




