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GAME OF SHADOWS#9

 バヤズィッドは報復処刑をフランス軍捕虜に行なった。血の海の狂宴はしかし、彼を予想以上に不快にさせた…。

登場人物

―ジーン二世・レ・マングル…フランス軍元帥、超人元帥ブシコート。

―バヤズィッド・ビン・ミュラード…雷撃を操るオスマン帝国の第四代スルターン、雷帝バヤズィッド一世。



一三九六年九月二五日:ブルガリア、ニコポリス郊外


「さて、ああ…失礼、勝利によって感極まってしまってね」

 雷帝は相変わらず自然と人を苛々させる言い方をしていた。オスマン軍は十字軍を打ち破り、その総司令官であるバヤズィッド一世はせせら笑いながらフランス軍の捕虜達を前にして独り善がりに喋っていた。

 従える税権騎士(スィパーヒー)達や近衛兵達は兜を深く被り、その他の将兵達が各々の事後処理をしていた。

「生憎僕は君達の世界の言語はよくわからないので、まあこうして自分の言葉で話させてもらおう。とは言え大体は君達にも通じるんじゃないかな、雰囲気や身振り、声色でね。実際、さっき僕が処刑を示唆した時は通じてたよね?」

 オスマン帝国のパーディシャーは悪魔じみた笑顔を見せた。兜を脱ぎ、ややギリシャ系の面影のある容貌を晒した。綺麗に整えられた髭が見え、微かな雷光が周囲を飛んでいた。

「ま、こういう時に備えて通訳を用意してるけど」

 手で合図してフランス語がわかる通訳を寄越した。フランス人にも方言はあろうが、この通訳の言葉が広く通じると信じよう。

「さてさて、フランスの諸君。よく考えれば捕虜の大半は君達フランス人だそうだよ。なんて言ったっけ? 神聖なルーム(イスラーム世界でのローマの呼び方)の皇帝だったっけ? つまり…まあシーザーにしてオーガスタスであると名乗りたいわけらしいが、その自称皇帝殿は今どこにいるのかな? 君達だっておかしいと思うだろ? ワラキアの旗も見えたし、その他の旗も見えた。だが今やそれらは戦死者やわずかな捕虜を残して逃走したって事さ」

 バヤズィッド一世は通訳が捕虜に言って聞かせるのを待った。そこで彼は、捕虜が己の『荘厳さ』までは訳してくれない事に苦笑した。

「まあ君達の中でも位の高い者達は安心したまえよ。身代金ってのはいいよな? お陰で僕の国は富むわけだ。セルビアを見るといい、彼らは正しい側に味方した事で勝利を享受できるのさ――おっとおっと、話が脱線しそうになったね?」

 通訳をふと見た。己よりも年上で地味な中年のその男がどうしてフランス語を解するようになったかは知らないが、しかし彼らは彼で今世紀の決戦をしているのであろうと考えた。

 それもそうであろう、帝国の最高権力者の言葉を可能な限り正確に伝えねばならないわけであるから。

 できる限り訳すのが面倒な表現や言い方をするのを避けようかと思ったが、しかし結局そうはしなかった。

「それでね、僕が言いたいのはこうさ。君達はニコポリスに遠路遥々やって来た。その神聖なるルームの皇帝――しかも聞いた話によると兄弟の神聖ルーム王から借りた上での暫定皇帝だよね――に率いられた寄せ集めの軍隊は、辿り着くまでにおよそ騎士とは言いがたい行ないをしたわけだ」

 あたかも、初期の奴隷軍人(グラーム)奴隷騎士(マムルーク)が規範無きが故にその横暴さを嫌われたように、とは付け加えなかった。

 彼は知らなかったが、こうした特権のある武人階級は世界的に見ても規範や理想の類いが生まれるまでは野党さながらの振る舞いであった――生まれた後も『理想像通り』にはなかなかいかないものであるが。

 己が処刑を免れた事で安堵するしかないヌヴェール伯は、しかし下級の騎士達が一体どうなるのかと考えた。

 先程雷帝は明らかに冷たい様子で復讐をちらつかせた――処刑か? 恐らくブシコート元帥の助命には成功したのであろうが、しかし全ては目の前の美青年の気分次第と言えた。

「結論を急ごうか。もちろん僕は報復として君達の処刑を望む。これは抜かりなく執行されるし、君達の中でも大した価値の無い連中が今ここで死ぬ。ま、心配するなって。僕は己の雷電をそのような用途に使う気分じゃない。腕のいい処刑人達に執行させるさ」

 実際のところバヤズィッド一世はある種の高揚感に突き動かされていた。

 戦場の成せる狂気であるかも知れず、彼自身はこれが小ジハードの一種であると考えていた。

 己の国土を荒らされ、その民や兵を殺されたのであるから、正義の裁きが必要であると思った。

「じゃ、そういう事でよろしく。価値の無い連中が遠い異国の地で死ぬ様…おっと、失礼。今のはさすがに礼を失したかな? ふむ、君達はその『同胞』だとか『若手』だとかが死ぬのを見られるわけだ」

 無怖公ことブルゴーニュ公はじっと黙ったままで状況を静観していた。ヌヴェール伯とウー伯はひそひそと話し、クシー伯は虚しい目をしていた。

 彼らは少なくともある種の宗教的熱狂によって団結した。その後予定通りの混乱と諍いを経験し、それから戦いに挑み、この地で敗北に(まみ)れた。

 一方で雷帝その人と信じられないような激闘を繰り広げていた張本人であるブシコート元帥は、何も言い出せぬままでじっと座り込んでいる他無かった。



一三九六年九月二六日:ブルガリア、ニコポリス郊外

 

 翌日になって処刑が始まった。若い騎士が恐怖に慄き、あるいは主への言葉を囁き、またあるいは郷土への懐かしみを呟いては死んでいった。

 血が流れ、大地はそれを飲み干して乾きを癒やした。

 周囲では戦死者の遺体が今も処理待ちのままであり、昨日の時点で片付かなかったものがまだ転がっていた。

 戦利品を回収し終えた後のほとんど裸のそれらには不思議と獣も烏も寄り付かず、不気味な雰囲気があった。

 雷帝は先日同様に戦場に転がった武具の破片を磁力操作で集めた即席の金属の浮遊玉座に乗って眺めていた。

 最初の方はまさに胸が高鳴る感じがして、邪教徒どもを地獄に送っているという実感があった。

 しかし彼は雷電の帝王であり、その稲妻のごとき思考の速さと決断力は観察眼の鋭さに支えられていた。

 そんな彼が、処刑される者達の様子に気が付かぬわけが無かった。

「陛下、いかがなされたか」

 見ればステファンが近くにいた。

 セルビア人の義弟はこのようなキリスト教徒の処刑をいいものとは思わなかったが、しかし彼らが何をしたかもまた、詳細に知っていた。

 厳密に言えば『彼ら』とは誰であるのかという問題が存在し、残虐行為に加担していない者も処刑されていた。

 かつてサラディンが十字軍の乱暴者達――特に隊商を襲っていたような残虐の輩ども――を処刑した際もこのような事があったのかは不明であるが、歴史というものは往々にしてそのようなものであった。

 すなわち己の属する集団の知らない誰かの責任を負わされる。

「いや、なんでもないさ。楽しいねと思っただけで」

 雷帝はあえて冷たく苛烈な印象を与えようと振る舞っていた。

 しかし彼は処刑される『価値の無い者達』が泣き叫んだり、父母に呼び掛けたり、あるいは発狂する様を見て、この者達に殺された己の民もまたこうした最期であったのかと考えた。

 セルビア人は傲慢にして悪魔のごときものであると思っていた己の姉の夫が、その冷たいせせら笑いの下に何かを隠しているのを見て取った。冷 酷なはずの相手に、初めてそれ以外の面があるのをぼんやりと感じた。

 世の中には復讐ですっきりする者、そうでない者、微妙な者の三種類が存在する。ミュラードの息子はかつて父の復讐をした際、己が『すっきりするタイプ』であると推測した。

 しかしそれは恐らく間違いで、彼は胸が徐々に苦しくなるのを感じた。

 流血など見慣れているし、戦場で悲惨な光景を何度も見た。それらには慣れたが、しかし慣れぬ要素もあった。

 残酷に振る舞って血が流れるままに任せるのは最初は確かに気分がいいのかも知れないが、やがて殺される側について考えるようになる――彼の場合はそうであった。

 己は『誰か』から一体何を奪っているのかと考えた。『誰か』は息子か父親か、あるいはそれ以外であろう。

 そしてここで死ぬ全員が虐殺の下手人かも知れないしそうでないかも知れない。

 気が付けば手を強く握り締めており、直接殺しているわけではない己が、非道な敵の処刑という形でオスマン軍からの莫大な権力を手にしている事実に気が付いた。

 とある騎士を目にした。若くて、元々装備していた武具も粗末で、恐らくは領地も手狭であろう。

 その者が有罪か無罪かはわからないが、バヤズィッド一世に対して助命を求めるような身振りを見せていた。

 声色及び表情からして恐らくそうであると結論付けた。あるいは改宗してあなたに服従しますという意味であったのかも知れなかった。

 いずれにしてもその者は刑が執行され、これ以上喋れないよう口を塞がれた状態での死であった。生々しく、一生記憶に留まるかも知れなかった。

 相手を下等な虫けらと見下している間は殺しやすいものであるが、考え過ぎるようになると死にゆく者達について様々な思考が浮かんでは消えて行った。

 これは正義である。

 これは復讐である。

 これは帝国の支配者としてのデモンストレーションである。

 これは敵に対する容赦の無さの表明である。

 これはアッラーを奉じぬ不信心の者どもへの警告である。

 雷帝は様々に考えて正当化しようとした。しかし考えれば考える程、己の行為がとても残虐に思え、残虐者に対する残虐者である事に、一体どれ程の意味があるのかと思い始めた。

 その苛烈さで知られる雷帝バヤズィッド一世は、かくして刑の最中気分が悪くなって席を立った。

 理由ははっきりわかっておらず、後世においては恐らく流血の夥しさ故と考えられた。

 そしてあるいは、それ以外の理由で彼は処刑という己の始めた復讐について恐れるようになった可能性もあった。

 もしかすれば、彼は真の冷酷なる者達と比べれば、真に冷酷になるには少しだけ『優しかった』のかも知れなかった。


 ブシコート元帥は己の代わりに位の低い騎士達、謂わば大した額の身代金の期待もできぬような騎士達が処刑されて露と消える様を見ていた。

 胸が冷え冷えとして、頭の中が熱い血潮に満ちた。心は汚濁に掻き乱された。

 しかし彼は何もできずにいた。彼は後で考えた、あの時の己は、自らの命を引き換えとして他の処刑される騎士達の助命を願い出る事ができたのではないか?

 しかし結果として彼はそうしなかった。そうできなかった。

 彼は何もできぬ無力感に沈んで事の始終を見守るしかできなかった。殉教とそれによる聖列や福列に浴する事ができなかった。

 あるいは彼にとって、犠牲になる覚悟すらしたはずであったにも関わらず、敵の気紛れ情けによって拾ったたった一つの命を捨て去る事がどうしてもできなかったのかも知れなかった。

 超人元帥を支えた内なる権力はかくして鈍った。

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