06. 新しい発見
一.
「由貴ー、お願いがあるのっ」
由貴の店に、奇妙な組み合わせの三人が来店して来た。光子と、少し場にそぐわない身なりの女性と、その子供と思しき少年。
店長が彼女達を出迎えた。
「あら、光子ちゃん、いらっしゃい。ゴメンナサイね、今、三波クン、他のお客様についてるの」
光子は、タイミングよく対応してくれた店長に、直接お願いする事にした。
「あ、店長、本当は、実は店長にお願いがあるの。由貴からお願いしてもらおうと思ったんだけど、聞いてくれる?」
光子は、事情を店長に話した。
以前公園で知り合った拓朗の父親が、もう一度話し合おう、と母親に電話をして来たとの事で、今晩三人で会う予定らしい。頼み事とは、そんな拓朗の母を綺麗にしてあげて欲しい、という事だった。
先客の施術を終えて、事務所に戻って来た由貴が呆れて言った。
「お前、何いつの間にか友達になってんだよ。いない間に何してるんだかわからん奴だな」
恐縮のあまり、拓朗を連れて帰りたがる彼女の母親の腕を掴んで引き止めながら、光子が返答した。
「だって、拓朗クンのママ、とっても美人さんだもん。由貴ならそーいうの、ちゃ~んと引き出してくれると思って」
そして、店長にもうひとつの頼み事をした。実はネイルアートが好きだった光子は、一度自分の技術を評価して欲しいと思っていた。拓朗の母親の了承を貰ったので、ネイルをさせてもらえないか、という事と、バイトをさせて欲しい、そのバイト代の前払いという形で、拓朗の母親のトータルコーディネートをお願い出来ないか、という事だった。
「おま……何厚かましい支離滅裂な事言ってんだよ」
と焦って止める由貴を無視して、店長が爽やかな笑顔で光子に答えた。
「ま、サイアク三波クンの給料から天引きしておくから、別に御代の心配は要らないわ。じゃ、まずはお客様の今日のイメージを教えていただこうかしら。一緒に上でお洋服を選びましょ」
「って、何でまた俺が巻き込まれるんだってば……」
後方で跪いて嘆く由貴は完全に無視され、ただひたすら申し訳なさそうに恐縮する拓朗の母だけが、由貴に向かって「すみません、すみません」と連呼していたのだった。
由貴が拓朗の母のヘアメイクをしている間、光子は拓朗と遊びながら終わるのを待ってた。
程なくして、店長が入って来た。
「最近ね、三波クン、仕事に対する姿勢が変わった、っていうのかしら。な~んか、いい感じなのよねぇ。光子ちゃん、何か心当たり、ある?」
店長曰く、確かに腕は認めるが、これまでの由貴は、自分のイメージに固執する傾向が強かった。だから、出来の良し悪しに非常に差があるのが店長の気がかりであり由貴への不満点だったのだが、このところの由貴は、そういった波の起伏が少なくなって来ている。
思い返すと、光子が突然飛び込んで来て何やらひと悶着あったあの辺りから変化が見られた、と言う。
また、接客にも変化が見られた。他愛のない世間話を聞き流すだけだったのが、客に自然に質問を投げかける対話法に変わって来た。その中から、お客様が今どういうイメージを自身に対して抱いているのかを察知し、お客様のイメージを掴むのが格段に巧くなった、という。
「こう、何て言うの? ゼロか一だったのよ。完全に自分の作品として仕上げるか、完全にお客様の言った通りで自分を捨ててしまう作品に仕上げるか。巧くイメージを融合出来る様になった、というかね……いい仕上がりが、安定して作れる様になって来てるの。さっき、光子ちゃん、三波クンに言ってたでしょ。“由貴ならちゃんと引き出してくれる”って。何かのおまじないなのかな、と思って」
そう店長に言われて、光子はとても嬉しくなった。
言われて見れば、店長の言うとおりだった。今まで、由貴にはずっと同じヘアスタイルを希望し、完全に同じスタイルで仕上げてもらっていた。悪く言えば、やっつけ仕事、みたいな感じで、光子自身、自分に新しい発見を見出す喜びというのは容姿的に感じた事が無かった。
由貴は、父や冴子さんには絶対逆らわない。だから、昔「同じでいい」と父が言った言葉を守り続けてるだけなのかも知れない、と光子は今更気がついた。
「私は由貴に頼ってばっかりで、何にもしてないよ。でもね、もしかしたら、拓朗クンのママと拓朗クンに教わったのかも知れない。人って、独りじゃ絶対生きていけないよね、って由貴に話した時、すっごく変な顔、してた。関係あるかな……」
そっかぁ、どうかなぁ、と、店長は曖昧な相槌を打って、最後のチェックの為に拓朗の母の方に歩み寄って行った。
「うん、いい感じね。お客様は、ショートヘアの方が元々が意思のお強いしっかりした表情をしてらっしゃるから、ステキよ?」
店長にそう誉められ、拓朗の母は照れ臭そうに頬を赤らめた。
「主人が……主人の言うままだったから……そう言われると照れ臭いわ」
そう微笑む彼女は、明らかに自分への自信を取り戻しつつある明るい表情をしていた。
「じゃ、次はメイクね」
店長と拓朗の母親は、一緒に上階のメイク室へ行く為に退室した。
「ボクも行くー」と拓朗も一緒に出て行った。
部屋には、光子と由貴だけが残った。
「由貴……また巻き込んじゃってごめんね」
掃除を手伝いながら、光子が申し訳なさそうに謝った。
「いや、久しぶりにすげぇ楽しかった。やり甲斐のある人だったな、拓朗のお袋さんって」
また怒らせてしまったと思っていた光子は、機嫌よくそう答える由貴の言葉に驚いた。
「あの人の事を全部知ってる訳じゃないけどさ……。いろいろあったんだろうな、一筋一筋髪を落とす毎に、どんどん目に精気が宿っていくっていうかさ。何か巧く言えないけど……面白い、って、思った。仕事。まだまだ、幾らでもあるのに、学ぶ事、出来る事、何も手をつけてないんだよな、とか思った。いい刺激貰ったよ、さんきゅー」
そう言って笑う由貴は、光子から見ても何処か変わった様に感じられた。
難しい事は解らないけれど、ただとにかく、由貴には、自分が由貴の為と思わなかった行動でもいい結果に導けたんだという事が、何だかとても嬉しかった。自分に出来る事、無理しなくても、頑張らなくても、誰かに何かしてあげられるんだ、と、ある種の心地よさを、光子は感じていた。
「拓朗クンのママがどうするにしても、拓朗クンとママが笑って過ごせる結果になるといいね」
「そうだな」
今回は俺も勉強になったから、給与天引きされててもお前に請求しないでおいてやるよ、と由貴は笑って言った。
店長がメイクを済ませると、次は光子の“技能試験”の番だった。
光子の中で、拓朗の母は“優しいママ”であり、本人の中では“不出来な母”。このイメージのギャップをどう融合させて形にしようか、と、暫く光子は考えた。
軽やかで少し赤みがかった、ゆるいウェーブのショートヘア、フェミニンなサーモンピンクのフレアワンピース。色白な肌に、上品なローズの唇。大粒のパールピアスに揃いのパールが入ったパンプス。全体が淡い色調で、インパクトがない。
光子は、数色のマニキュアを混ぜて、トーンダウンさせたブラウン系の色を主に置き、しかしそれが過剰に浮き過ぎない様に、洋服と同系の色のパールストーンを施し、エアブラシで彼女の混沌としたイメージを描きあげた。
「ママ……どうかな……」
自信なさげに光子は拓朗の母に尋ねた。
「何だか若返ったみたいね。すごく、綺麗」
手をかざしながら、拓朗の母は嬉しそうに自分の指先を眺めた。
「へ……ぇ、なかなか、斬新ねぇ」
技術的な面はまだまだだとしても、見せられない程の物じゃないし、修行次第で若年層に受けそうなアイディアを出してくれそうだ、と、店長は評価した。
「お友達のよしみで甘えさせていただいちゃいましたけれど、いかがなさいますか? ご希望でしたら家のスタッフもスタンバイはしておりますが?」
という店長の申し出に対し、拓朗の母は首を横に振った。
「まだ幾らでもこれから未来がある、そんなイメージね。これが私らしいわ」
光子の顔がぱっと明るくなった。
「ママ、ありがとう!」
光子は彼女に抱きついて感謝を示した。
「私こそ、ありがとう。こんなに甘えてしまって……」
仕事が決まったから、今度のお給料日にお支払いさせていただきます、と言う彼女に由貴が言った。
「僕らの方こそ勉強させてもらいましたから。こちらこそモニターになって戴いてありがとうございました」
店長も、次回はモニターではなくお客様として是非、とちゃっかり営業をしつつも今回の事は無料で、と念を押して彼女達を送り出した。
“僕ら”という言葉が、光子はとても心地よかった。一緒に何かが出来る、という事が、とても嬉しかった。
二.
「お前にそういう趣味があるって知らなかった」
帰りにラーメン屋で夕飯を取りながら、二人で今日の反省会をした。
「そうだよね、普段見る機会ないものね。冴子さんが教えてくれたのがきっかけでね、最近は加奈子ちゃんにもよくしてあげてるんだ。加奈子ちゃん、彼氏が出来てからすんごいお洒落になってね……」
加奈子や冴子が、光子のよきアドバイザーになっている事を喜々として話す光子を見て、由貴は自分が思うよりも光子が成長しているんだな、と感心した。
冴子が親父を説得してまでも、外界に触れさせてあげたいと思う気持ちが以前より理解出来るような気がした。
コンビニで光子はコーラを、由貴はビールを買って、飲みながら話しながら帰った。
「な、お前さ、いつまでも親父に嘘ついてるのもキツいだろ。そろそろ、本当に冴子の事務所で一人暮らしでもしてみる?」
由貴が提案した。
もうすぐ春休みも終わる。百%の嘘よりは、残りの休みだけでも実際に冴子の事務所で暮らしておいた方が、親父さんにいろいろ聞かれた時も、嘘をつく必要なく返答できて、気が楽だぞ、と、由貴は光子に説明した。
本音では、由貴は、光子の『理想のお兄さん』を演じる事に、そろそろ自分の“限界”を感じていた。自分の周囲で、唯一自分を見上げてくれる光子にだけは、素の自分を知られたくなかった。光子には、現実の汚い部分を知らずに清らかなお姫サマのままでいて欲しかった。自分がそれを汚す事だけは、したくないと切実に思っていた。
同時に、いつ素の自分が暴走して、光子に嫌悪されるかわからないという恐怖心も、一緒にいる時間が長くなるにつれて大きくなっていった。
同じ時間を過ごしたい、少しでも肩の力を緩めたい。
矛盾した二つの願望が、一層由貴に限界を感じさせた。
独立心が強い光子なら、自信もついて来た事だし喜んで冴子に願い出ると思っていたのだが。
光子の顔を見ると、由貴の大の苦手な顔をしてこちらをじーーっと睨みつけていた。眉間に皺を寄せ、目に涙を一杯溜めて、コーラの缶を口に当てたまま缶に歯を立てて、必死に涙をこぼさない様に耐える様にして、こちらを睨みつけていた。
由貴はぎょっとした。
「やばい……また泣かれる……」
必死で光子が納得しそうな言い訳を考えた。
「……やっぱ、私がいると、迷惑?」
「迷惑っつーか、困る、ややこしい」
「何が……?」
「……お前いたら、……女、呼べねーじゃん」
光子は『ぶふーっ!』と思い切りコーラを噴き出してしまった。
「し、信じらんない信じらんない信じらんない! 由貴がそーいう人だなんて思わなかった! グロい汚い! サイテー!! 冴子さんに言いつけてやる!!」
光子は激昂して一気にまくしたてた。
故意に意地悪そうな顔でニヤニヤとしながら、由貴は反論した。
「最低、って、お前、女子高育ちだからわかんないかも知れないけどさ、これでも俺も一応お年頃な叔父さんな訳で、お年頃ならエロってるのがフツーよ? 汚いとか言われる筋合いねぇっつの。姪っ子っつっても相手に信じてもらえなかったら困るじゃん?」
それとも、こーこちゃんが叔父さんのお相手してくれるの? と、意地悪く顔を覗き込んだ。
由貴は、即座にそうした事を後悔した。俯いた光子の顔から、ぽたぽたと大粒の涙がこぼれていたのだ。
光子は“きっ!”と由貴を睨みあげると、思い切り由貴の両頬に両平手打ちを食らわせた。
「女子高生、舐めんなバカ! 解ってない訳ないじゃないの! 好きなだけエロって死んじゃえ! 由貴のバカ!!」
絶叫すると、アパートとは反対方向……駅に向かって走り去ってしまった。
「い、意味わかんねぇ……。何で泣くんだ?」
周囲の好奇の目に耐え兼ねて、「痛ぇ」と言い訳しながら両頬を両手で隠して、駅へと向かう由貴だった。




