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16. Family

 一.


 剛冴こうがが二度目の誕生日を迎える頃、剛三は久しぶりに冴子の店に赴いた。冴子亡き後は、由貴よしたかがオーナーを勤め、二束の草鞋を履いて昼夜を問わずに働いていた。

 支配人が驚いた顔で出迎える。

「高橋様! ようこそ、大変ご無沙汰しており恐縮で御座います。今、オーナーをお呼びします」

 あぁ、いや構わん、そろそろ色恋しくなっただけよ、と笑いながらラウンジへ足を向けたる剛三を、ボーイが慌てて席へ案内した。

 暫し酒を嗜み、光子こうこよりも若い女達をからかって笑いながら過ごす。

 程なくして、由貴がやって来た。

「いらっしゃいませ。別室にご案内いたしましょうか?」

「おぅ、可愛い孫の顔でも見て行くか」

「孫じゃないっつーの、いい加減にしとけよ親父」

 剛冴を“孫”と呼ぶ剛三に対し、由貴は、眉間に皺を寄せ声を潜めて剛三を批難した。

 しかし、久しぶりの剛三の上機嫌な様子を見て安堵も覚えるのだった。

 上階の居住室は、一部を子持ちのホステスの為に解放し、光子が子守をしていた。

「パパ! 来てくれたの?」

 肩まで伸びた髪を束ね、胸に剛冴を、背中には預かった赤ん坊を背負って、光子は嬉しそうな笑顔で剛三を出迎えた。

「お前……まだ産んでもいないのにすっかり肝っ玉母さんが板についてるな……」

 苦笑いする剛三と由貴だった。

「俺が用意するから気にすんな。寝かしつけるところだろ?」

 由貴が光子にそう言って、自ら晩酌の用意をした。


「また痩せたか?」

 剛三がグラスを差し出した由貴の腕で、時計がくるりと回ったのを見て聞いた。

「三十路過ぎると腹の出っ張りが気になるのよ。ダイエット中~」

 由貴はふざけた受け答えをした。

「何か話があって来たんだろ? いい話か?」

「うむ……まぁ、何だ。わしにとっては、吉報、かのぉ」

 剛三は、引退の意向を受理され、会社を信頼の置ける専務に一任出来た事を伝えた。ようやっと、身軽な年金生活を楽しむ余裕が出来た、と、寂しげな笑みを浮かべてウィスキーを飲み干した。

「仕事に逃げる必要がなくなった、と、いい方に解釈しとくよ」

 由貴はもう一杯水割りを作りながら、そう答えた。

「由貴、お前は、此処と美容院と、どちらが本職なんだ?」

 わしの為に冴子との思い出の場所を留めてくれていたのなら、それはもう構わん、と剛三は伝えた。

「別に親父の為じゃないさ。此処は俺のスタート地点でもあるから、好きなだけ。あっちと同じ位にな」

「そうか……此処をどうするかは、お前に一任していいか?」

 何を弱気な事言ってんだよ、らしくない、と由貴は笑い飛ばした。その明るさの中に剛三は冴子を見て救われた。

「ごたごたしとって、お前ら籍も入れられないままだったな。済まなかった。……頼みがあるんだが、年寄りの最後の我侭と思って聞いてくれんか」

 剛三は、とつとつと語った。


――三波の姓を諦められんか?――

 実母と唯一繋がるもの、お前が血縁を重んじている事はよく解っている。

 だが、わしがいなくなったら剛冴は、一人だ。例えお前達がどれだけ慈しんでくれても、剛冴が幼い内は伝わらないかも知れん。お前の若い頃の様な孤独を、あの子に味あわせたくない、というのは、わしの我侭かのぉ……。

 由貴は、黙って聞いていた。

「由貴よ、お前はな、わしにとって……義弟でもなく、婿でもなく……この十数年間、息子だった。今だから言うが、お前と光子がどうこうというのを知った時、正直……気持ち悪かった。息子と娘が、という複雑な想いで認められんかった。冴子が、わしを諌めたんだよ。“由貴にとっては私だけが家族なのだ”と。血を重んじる子だから、本当の家族にしてやって欲しい、と。あれは、落ち込んだのぉ……息子に、父親と認められていなかったと落ち込んだのぉ……。未だ、わしはお前の父親として認めては貰えんのかのぉ。高橋を名乗る事は、……無理な話かのぉ……」

 剛三の涙を初めて見た。伝えられなかった積年の想い、伝えられなかった事に対する自責の念、愛する者の積年の願いを叶えられていないまま逝かせてしまった後悔の念……。

 これまでの全てのたがが外れ、堰を切ったように溢れ出したかの様だった。


――独りではなかった

――愛されていたんだ


 由貴の目からも、ひと筋の涙が零れた。


 二人の男が、肩を震わせて泣いている。――

 見なかった事にしておこう、きっと、最も自分に見られたくない姿だろう、と、光子はまた子供たちの眠る部屋の方へとそっと戻った。


 翌年、由貴は正式に高橋の姓を名乗る事になった。同時に剛冴との養子縁組をした。多くの人々に祝福されて、由貴と光子は晴れて夫婦となり、安心したかの様に、剛三は初孫の誕生を待たずに六十三歳の若さでこの世を去った。




 二.


「って、俺ってば見方によっては結構波乱万丈な人生送ってる、って思わない?」

 由貴は拓朗に問うた。

 中学生になった拓朗は母の再婚に反対していて、このところ学校をサボっては光子と由貴の家に逃げ込んでいた。

 今日は由貴が店の定休日なので、母親の了承のもと拓朗を連れて高原までドライブに来た。

「ドラマや小説と違うんだからさ、思うとおりにいかないから、って、そこでエンドマークつけらんないでしょ。お前の気持ちはわからんでもないけどさ、俺も最初、冴子と親父の結婚、猛反対したし。悲観してても前に進めないっしょ。目ん玉、しっかり開いて、自分の道見つけろよ、母ちゃんの人生の脇役ばっかやってないでさ」

 由貴の話を聞いて、半分涙目になっていた拓朗に、由貴は子供の様な顔でにか、と笑って言った。

「お前はそーやって泣いて聞いてくれるけどな、俺、実はめっちゃ幸せなんだぜ」

 そういうと、少し離れた場所で子供達と遊んでいる光子を呼んだ。

「男の子同士のお話は終わったの?」

 と息を弾ませて笑顔で戻って来た光子の手を引いて、由貴は愛妻を抱き寄せながら拓朗に言った。

「な~? 未だにカミさんとはらぶらぶだし~、ガキは二人もいるし~っ」

「ちょ……っ! 子供の前で何してんのバカ!」

 光子に肘鉄を食らって逃げられ、むせ返る由貴を見て、拓朗は唖然とした。

「……ばっかみてぇ……」

 はは、と笑って、由貴は煙草を取り出して一服した。

「ま、要は“幸せっつーのは、周囲の問題じゃなくて、自分の受け止め方次第”って言いたいだけだよ。俺なんか、家族と思える人間が実はいたのに全然気づけなくて、すっげぇ後悔したもんなぁ。お前の母ちゃんはいい女なんだから、その人が選んだ彼氏ならきっといい奴だろ? ソイツを認める事と、お前が自分の親父さんを否定する事は別問題なんだぜ? 家族が増えて、俺から見れば羨ましい限りなんだけどなぁ」

 不服そうな拓朗の頭をわしゃわしゃと掻き撫で、由貴は立ち上がった。

「ま、焦らずにその内何となく自分で納得する答えが見つかるさ。逃げたくなったら、いつでも俺らんトコに来いよ。俺みたいに変な方に逃げると、大人になってからカミさんの尻に敷かれる事になるぞ」

 そう言って笑うと、子供達の方へと走っていった。

「ちぇ……」

 拓朗はそう言いながらも、心の中では由貴の言葉を何度も反芻していた。


 幸せは、周囲じゃなくて自分の受け止め方次第――


 暫くして、拓朗は立ち上がった。

「タカ兄、ボク、帰るわ。明日から学校、行く」

「うっし、んじゃ帰るべ。そのシート、車に積んどけ」

 娘を抱き、息子を肩車して振り向いた由貴は、眩しい程幸福に満ちた笑顔だった――。

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