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14. 門出

 一.


「ねぇ、もしかして私達、いつまでもここでじゃれ合ってる場合じゃないんじゃない……?」

 光子こうこがベッドから起き上がると、由貴よしたかがその上体を片腕であっさりと引き戻してしまった。

「さぶっ! 布団めくるな布団を! 折角あったかかったのに! 冷えちゃったじゃねーかっ。……罰だ、もう一回温め合おう!!」

 ときつく抱き寄せる由貴に、笑いながらキスをして、

「何子供みたいな事言いながらアダルトな事してんのよ」

 と、由貴の腕を逃れて立ち上がった。

 由貴の着ていたシャツを羽織って、カーテンを閉め照明のスイッチを入れると、光子のボディラインがシャツに透けて由貴の恨めしい想いを増幅させた。

「お前今、完全に俺に嫌がらせしてるだろ……」

 枕を抱えてうつ伏せで不貞腐れていた由貴が、こっちにおいで、と手招きした。

 クスクスと堪え切れない様子で笑いながら、光子はそれを受け流して携帯電話を手に取った。

「だーーーっ! もう、やっぱ親父が優先かよっ!!」

 と大人気なくベッドでじたばたと暴れる由貴だった。

 それを横目で見ながら、絶えず笑いを堪える様子で、光子は電話の向こうの冴子と話していた。

「冴子さんが“駄々ってんじゃないわよ、クソガキ”ですって。向こうに丸聞こえよ」

 と、ついに堪えきれずに爆笑して由貴に冴子の伝言を告げた。

「ちっ」と赤面しながら舌打ちをし、由貴は渋々起き上がった。

 光子は電話を切ると、由貴に向き直って予定を伝えた。

「時間が時間だから、もうお夕飯済んでしまったんですって。向こうへ私達が着くまでに食事を用意してくれるそうだから、一緒に飲みましょう、って」

 何か、パパからも由貴に話があるみたいよ、と言われ、ギクリとした由貴だった。

「何?」

 怪訝な顔をする光子に、由貴は視線を逸らし、小声で言った。

「俺が言わなくてもどうせ親父さんがネチネチ説教するだろうから、そん時解るよ……」




 二.


「お前、筋が違うだろ、筋が」と剛三。

「何で先にこーこちゃん所な訳よ?」と冴子。

 説教から始まった晩餐となった。

「すいません! その節はお世話になりました!」

 九十度でお辞儀をして謝罪をする由貴に、光子だけが呆然としていた。

「パパ……? “その節”って、何?」

「この馬鹿は、娑婆を知らん癖にイノシシ並に暴走しよってな。わしの顧客を通して向こうの関係者を紹介するからそこに行けと直ぐに立つ事を止めたのに、人の忠告も聞かずにとっとと渡米しよって、向こうで路頭に迷っとったんだ。厚意を受ける事と甘えを混同する馬鹿者に、こっちまで散々な手間をかけさせられたわ」

 剛三の知り合いの建築家が、たまたま訪れたクラブで働いている由貴を見かけ、日本人恋しさに声を掛けたところ、剛三と言う共通項を知り、剛三に所在が明らかになった次第だった。

「親父さん、そっから先は男同士の秘密、という事で……俺、情けなさ過ぎるから……」

 蚊の鳴くような声で訴える由貴だった。面白そうな顔で「何、何??」と聞く光子に、剛三は「秘密だ」と口を真一文字にして拒否した。

 膨れる光子を見て噴き出す冴子だった。

「その話題が嫌で、先にこーこちゃんとこへ逃げ込んだの?」

「逃げたんじゃねーよ。優先順位順」

 悪びれも無く、由貴はにか、と冴子に笑いかけた。

「先に光子の返事を聞いてから、と思ったんで。筋の通らん事してすみませんでした」

 真顔に戻って、剛三に改めて謝罪した。

「まだこんな調子で未熟なんですが、親父さん……」

「くれてやる」

 由貴が、幾度となくシュミレーションして来た言葉を言い終えない内に、剛三が即答してしまった。

「は? え、いやあの俺まだ何も……」

 予定していなかった展開に戸惑う由貴に、もう一度「くれてやる」と剛三は返答した。

「ガキにはやらん、とは言ったが、お前にやらん、と言った覚えは無い。くれてやるから、とっとと貰ってさっさと孫の顔を見せろ」

 二人が困惑して冴子に視線を投げると、冴子は微笑んだまま何も言わない。

「パパ……あの、あまりにも幾ら何でももうちょっとこう何て言うの……? ほら、たった一人の可愛い愛娘なわけだし、私……反対、とか、無いの?」

「ない」

 きっぱりと断言する剛三は、二人を「キャラが違う……」と戸惑わせるに充分だった。

「愛娘だから、反対せんのよ。わしの人を見る目を舐めるな。それとも、反対されないと拍子抜けで情も醒めるか?」

 剛三にそう切り返されて睨まれると、そろって「いえいえいえいえいえいえ!!」と全身で否定する二人だった。

「まぁ、とりあえずはその辺にして、由貴、こーこちゃんも、ご飯を召し上がりなさいな」

 クスクス笑いながら、冴子が食事を勧めた。すっかり気抜けした二人は、「はぁ……いただきます」と、釈然としない想いで食事に手をつけた。


 食事を終え、冴子がグラスを三つとウーロン茶を用意した。

「あれ? 冴子は飲まないの?」

 由貴が不思議そうに訊いた。無類の酒好きで酒豪の冴子が、他人が飲んでいるのを見て飲まずにいられる事など想像つかなかったからだ。

「むふ。飲まないんじゃなくて、飲めないのっ」

 ほら、ゴウちゃん、と、冴子が剛三を肘でつついた。

 剛三は、赤面しながらグラスのウィスキーを煽って、そのまま顔をこちらに向けない。

「……」

「……」

 光子と由貴は、暫く剛三の言葉を待ったが、はた、と気づいて同時に叫んだ。

「あああああああああ?!」

「冴子、そういや“こっちも”話したい事があるっつってたよな……? アメリカでの件と違ったっぽいよな?」

「パパ、もしかして……?」

 グラスを口につけ、上を向いたまま、首まで真っ赤にして剛三は小声で答えた。

「……四ヶ月だそうだ」

 剛三の隣で、両頬に手を当てて、年甲斐も無く「うふっ」と照れる冴子を見て、由貴が反対した。

「ってか、アンタら年考えろよ! 冴子は三十八だぞ?! リスク高いじゃんかよ! 何かあったらどうすんだよ!」

「パパ……孫でも通用しちゃうよ? 生まれてくる子が二十歳の時、パパ、八十を越えてるのよ? 責任持って最後まで育てられるの?」

 剛三は正面に向き直り、グラスをテーブルに置いた。隣の冴子の肩を抱き、慈しむ様に彼女の腹を見ながら、我が子に語り掛けるように答えた。

「その事は、わしらも確かに考えた。だけどなぁ……この気丈な冴子が、泣いたのだよ。“産みたい”となぁ……。こんな老いぼれのわしに、愛想も尽かさずにな、わしと、本当の家族になりたいのだ、と、泣いて訴えてくれるんだよ、こいつは。わしも、冴子から報告を聞いて、最初に感じたのは、不安よりも喜びだった事は否めない。この子が待ち遠しいと思う気持ちを偽ってまで、まだ確定していない未来を憂いで命を消すという選択は、出来なかった。理解しては、貰えんだろうか」

 由貴も、光子も、言葉を失った。

 互いに、“遥か上にいる存在”と見上げて来た互いの理想の人間が、生身の感情をさらけ出して、初めて自分達を同等と認め、対等に話してくれている事を痛いほど肌で感じていた。

「由貴、私の最後の我侭、聞いてくれる? 母親に、なりたいの」

 冴子が初めて由貴に“願い事”をした。

 暫くの沈黙の後、重苦しい空気を払拭する様に、由貴が軽い口調で口火を切った。

「ま、いいんじゃない? 一個だけ絶対条件つけるけどな。親父は絶対百まで生きろ」

 光子も、冴子の手を取って笑顔を向けた。

「無理しないで、何かあったらいつでも私を呼んでね、“お母さん”」

 ありがとう、と、冴子は初めて由貴や光子の前で涙を流した。まるで、今まで張り詰めていた糸が切れたかの様に。

 そこにいるのは、常に姉として気丈に振舞う冴子ではなく、光子や由貴と同じ、様々な想いや葛藤を持つ、一人の普通の人間に感じられた。

 剛三もまた、柄にも無く頭を下げ

「礼を言う。改めて、宜しく頼む」

 と由貴に感謝の意を示した。

 照れ隠しに、由貴が憎まれ口を叩いた。

「まぁ、親父さんなら余裕で百まで生きれるっしょ。その年で子作りに励む元気あるんだから」

 剛三と光子が同時に赤面した。

 冷ややかな目で冴子が由貴を睨みつけた。

「……由貴……何でこーこちゃんまで赤くなるのかしら……?」

 途端に由貴までゆでだこになった。

「……」

「……お前ら……?」

「……こりゃまた……」

「あ、あ、冴子さん、あのね、違うの、あのほらちょっとその、私、イロイロ妄想しちゃっただけで……違うのよ、だからあの……」

「問答無用! 冴子、刀持って来い! 刀!」

「くれてやるって言ったじゃねえかよクソ親父!」

「筋が通っとらんだろうが筋が!」

「ゴウちゃ~ん、刀、パースっ」

「持って来んなああ! 馬鹿姉貴!」

「冴子さん走っちゃだめえええ!!」


 賑やかに、高橋家の夜が更けていった……。

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