13. Restart
一.
Dear,由貴
アメリカはまだまだ寒波ですか?
こちらは相変わらず、パパと冴子さんに当てられて、違う意味であつーい毎日です。
今思うと私、もっと早く家を出ていた方が、パパと冴子さんにも新しい家族が生まれたのではないかしら、と申し訳なく思う程仲良しです。
そうそう、この間はMACのリップスティックをありがとう。
冴子さんから昨日受け取ったよ。
色、すっごく気に入った、嬉しかったー。
冴子さんとお揃い、それも、嬉しかった。むふふふ……。
「脱ピンク認定」貰ったと喜んでいます。
今日は、ちょっとしたご報告。
保育士の資格、無事一発合格出来ましたっ!
教育実習の時にお世話になった保育園に行って、私にプロポーズしてくれた例の子に報告したら、怒られちゃいました。
「ボク、今年卒園しちゃうから会えないじゃんか!」
ですって。
小学校の先生になってよ、って泣かれて、ちょっと切なかったかな……。
改めて、ありがとう、と、由貴に伝えます。
貴方が先に歩いてくれていなかったら、私は今も“自分の道”が見えなくて、由貴の夢に乗っかってるだけで、自信を持って歩けなかったかも知れない。
ただ一緒にいたい、というだけで、自分が見えてなかったから。
今までの、由貴とのメールね、この間久しぶりに読み返したの。
自分のは、あまりにも恥ずかしくて削除しちゃったわ。
でも、由貴からのは、ずっとお守りにしているの。
いつも、何度でも、伝えてくれてありがとう。
「目ん玉思い切り開けて、自分をよく見ろよ」
毎回、それしかくれないんだもん、最初はすっごく怒ってたのよ、私。w
今なら、解るわ、由貴が何を言いたかったのか。
だから、今、私、こうしてる。
好きな道見つけて、好きな事して、大事なもの見つけて、笑って、自分の道を、歩けている。
私が私である、って事が、すごく、幸せ。
ありがとう、由貴。
From 光子
P.S.
店長から伝言よ。
「いい加減に帰って来い! バカタカ!!」ですって。
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この春先に送られて来た光子からのメールをまた読み返して、由貴はまたクスリと笑った。
三年前とは違う、余裕のある表情で由貴は空港に降り立った。
「代官山まで」
タクシーに乗り込むと、元の職場へと行き先を告げた。
あれから由貴は店長と話し合い、休職願を受理してもらった。仕事についても、自分を磨くという意味においても、シビアに己の言動の反応が返って来る、自由の国・アメリカを勉強の場に選んで旅立った。
時折届く光子からのメールが、由貴を支える毎日だった。
彼女に送りながら、自分にも発していた言葉。
「目ん玉思い切り開けて、自分をよく見ろよ」
塞ぎたくなる様な挫折や、背けたくなる苦痛の想いも、返って来る光子からの、やはり自分の様に足掻いている様を語るメールを読んでは踏ん張って来た。
“愛すべき好敵手”
光子はそんな存在になっていった。
旧山手通りでタクシーを降り、懐かしい風景を眺めながら、徒歩で美容院に向かった。
「すいませーん、予約してないんですけど、いいっすか?」
とわざとらしく入っていった。
「おぉっ?! 三波先輩! いつ帰って来たんっすか?!」
と、鋏を持たせてもらえる様になっている後輩に驚かれた。
「空港から直で此処に来た。久しぶり、出世したな」
と返答した。
由貴のいた頃からの馴染み客もいて、特にマダムな皆様には
「いやん、何だか随分落ち着いちゃって可愛くなくなっちゃったじゃないの」
などとからかうのを、自然な笑顔で答えていた。
店長が接客を終えて、由貴のもとへ近づいて来た。
「今日はお客様なのね。特別に、VIP待遇で入れさせていただくわ。上へどうぞ」
そう言うと、由貴のバックパックをクロークに片付け二階へ案内した。
「ばさっと、思いっ切り切っちゃってくれる? あと、色、戻したいんだけど」
シャンプーが済んで、背中まで伸びた髪をつまんで、ここまで、と長さを示した。
「いろいろ、吹っ切れたみたいね。お帰りなさい」
店長は手際よく作業を進めていきながら、今後の事を由貴と話した。
「もう一日早く来てくれてたら、原宿の方だったのに。出来れば向こうに来て欲しかったわ。いつから向こうの店に入ってもらえる?」
「ん~……まだ、親父さんとも冴子とも話してないから、即答は無理、かな。今年中には、とは思ってるけど、まずは住むトコ先に確保しないとねぇ……ホームレス生活は、もうたくさん」
笑いながらそう言う由貴に、店長は「笑えないわよ、そのジョーク」と眉間に皺を寄せた。
「まあでも、あのどん底経験のお陰で、あとは這い上がるだけ、っていい勉強させてもらったよ」
と笑って話せる様になった由貴に、成長を感じる店長だった。
今年中って、もう来週には師走よ、忙しくなるから今週中に宜しくね、と打診した。
「そうそう、光子ちゃんが、原宿店第一号のお客様になってくれたのよ」
友達を伴って、来店してくれたそうだ。クチコミでそれが伝わり、経営も軌道に乗ってきているとの事だった。加奈子以外の友達も出来たんだな、と、由貴はの成長を感じて安堵した。
「あ、そだ。俺、アイツの今の住所知らないんだ。聞いてっていい?」
『個人情報保護条例に則り、却下』と意地悪く言う店長に、俺、身内だし、と笑って反撃すると光子がくれた名刺を渡してくれた。
「これまでお世話して来た子供たちと、ずっと仲良くしたいから作ったんですって」
実習の他にも、大学のサークル活動などで関わった保育園で配るなどしていると聞いて、活動の場を広げている事を改めて感じた。
「光子ちゃんに逢ったら、見違えちゃってビックリするわよ、三波クン」
はい、おしまい、と笑って店長はケープを外した。
二.
光子が学校でコピーしてきた求人情報を眺めていると、インターホンが鳴った。今日は特に友人との約束もなく、客人の予定も無い。
「はい?」と受話器を取りモニタを見ると、宅急便の帽子が大きく映し出されていた。
「すいませーん、宅急便でーす。三波様からのお届け物ですが、ちょっと大き過ぎて宅配ポストに入らないので、お届けさせてもらって宜しいでしょうか?」
由貴から? あれ、私、住所って教えていたかしら?
疑問に思いながらも、お願いします、とロック解除ボタンを押した。玄関のチャイムが鳴ると、光子はドアチェーンをつけたまま扉を開いた。
夕暮れの逆光に照らされて、その表情は読み取れなかったが、懐かしい声がそれが誰かを教えていた。
「毎度。デカ過ぎてポストに入らなかったんで、直接玄関口までコレ、届けに来ちゃいました」
と、彼は自分を指差した。
光子は大きく瞳を見開いた。ドアチェーンを外す手がとてもノロマに感じられて歯痒い。やっと扉を全開させて、その姿をもう一度確認した。
三年前よりも少しだけやせているけれど。
髪は脱色でも長髪でもないけれど。
何故か宅配業者の帽子を被っているけれど。
昔から変わらない笑顔で、でも昔よりもずっと精悍な顔つきで、そこに立っていたのは、光子が待ち続けていた人だった。
「……その帽子、何処から盗んで来たの……?」
そっちかよ、と由貴が突っ込みを入れる前に、彼の身体を温かなぬくもりが包んだ。
「……お帰りなさい、由貴……」
「……ただいま」
万感の想いを込めて、少し大人になった光子を抱きしめた。
「店長から聞いてはいたんだけど、ホント、変わったな、お前」
部屋に通された由貴はダウンを脱ぎながら、しげしげと光子を眺めた。
「そーぉ? 中身かな、見た目かな? 自分では基本はあんまり変わったって実感ないんだけどなぁ~」
カウンターキッチンで紅茶を淹れながら、光子は逆に聞いて来た。
以前の様な、ストレートの長い黒髪にフレアスカート、というお嬢様な雰囲気はなく、下手をしたら由貴よりも短いのではないかと思う程のショートヘアでボーイッシュな雰囲気を漂わせていた。
それだけに、デニム地のショートパンツから覗く脚線美が、際立って色香を漂わせていた。
紅茶を出すと、光子もカウンターのこちら側に回り込んで、由貴の隣に腰掛けた。
「……また、行くの……?」
遠慮がちに光子は訊いた。
「いや。先に店に寄って来た。俺、来月までに原宿入りだって」
光子の顔がぱっ、と明るい笑顔になる。
「そっか。じゃあ、由貴の中で、納得出来るものが得られたのね。よかった……」
そう言って、紅茶をすすった。
「熱……」
「アホ、猫舌の癖に淹れたて飲むからだ」
う~、と舌を出して手で煽る光子を見て、由貴は苦笑した。
「髪、随分思い切ったんだな。いつ切った?」
短くなった髪を掻き撫でて、由貴は尋ねた。
「ん……彼氏と別れたすぐ後」
「うそ、別れちゃったの?」
「ん……振られちゃいました。『嘘つきは嫌い』って」
「何じゃそりゃ」
いろいろあったのよー、と、笑顔で受け流す光子は、昔の様な幼さはなく、自分でそれらを乗り越えた、しっかりとした自我を持つ大人びた表情をしていた。
「私、由貴に何しに来たんだろう、とか、訊いてないでしょ? そゆ事よ、『嘘つき』、って」
髪に触れる由貴の手を取り自らの頬に寄せ、愛しげに両の手で包み込んだ。
「そっか……。俺、今日、玉砕覚悟で来たんだけどな……」
もう一方の手も光子の頬を包み、由貴は光子の瞳を真っ直ぐ見つめて告白した。
「迎えに来た。一緒に歩ける自信がついたから」
待たせた俺にまだその資格はあるか、と問う由貴に、そんな事訊かないで、と、光子は瞳を閉じた。
「時間をくれて、私こそ、ありがとう」
夕闇が、重なる二人を包み込んだ――。




