表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/16

11. それぞれの胸の内

 一.


 次の休日、由貴よしたかはむさくるしい自分のアパートに冴子を呼び出した。冴子は不満げな顔で由貴に文句を言った。

「なーんで私がアンタの小汚い部屋まで足を運ばなきゃなんないのよ」

 それをやり過ごして、冴子にワイングラスを渡し、ワインのコルクを抜いた。

「悪ぃ、光子こうこ乱入防止策。此処以外の部屋はどこも出入り自由じゃん、アイツ」

「へ? こーこちゃん、ここの鍵持ってないの? てっきりアンタ達出来上がってると思ってた」

 “ぶふーっ”と由貴がワインを噴いた。

「汚なっ! ちょっ……何やってんのよアンタ!」

 と、噴かれた冴子は慌ててスカートに飛び散ったワインをハンカチで抑えた。

「ななななに言ってんだお前?! 俺、叔父さん、アイツ、姪っこ……」

「血縁なんてないじゃない。あの子でさえそれ位認識してるわよ。今更何取り繕ってるのよ。私にもゴウちゃんにも、とっくに二人の気持ちなんてお見通しですからっ、うふっ」

 にっこりと得意げに笑う冴子とは対照的に、由貴は穴があったら入りたいほど、今の状況から逃げ出したかった。

 “ゴウちゃんって、親父さんの柄じゃねえよ……。”と、どうでもいいツッコミを心の中で入れながら本題に戻った。

「まぁそれは置いといて、だ。店長がさ……」

 用件を伝え、由貴の専門学校時代の仲間が勤めているブライダルサロンのネイルケアのバイトを紹介してもらっている旨を合わせて伝えた。

「折角上達して来てるのに、休ませるのは勿体無いと思うんだ。勘を取り戻すのに、一日休めば三日は掛かる。技術の面は進学してからとしても、センスは日々切磋琢磨、の世界だからな。場の提供くらいしか俺は協力出来ないんだけど、それは甘やかしになるのかな。俺、その辺はちょっとわからんから、冴子ならどう判断するだろうと思って」

「そうねぇ……」

 冴子は暫く思案していた。いろいろな思いを逡巡させている様だった。

「由貴は、それでいいの? こーこちゃんを籠の外に出しちゃうのと一緒なんだけど、それ」

「……別にいいんじゃね? アイツが決める事だし。モノじゃねーんだからさ」

「ふーん……。随分オトナになったのね」

 冴子は物足りなさそうにワインを飲み干した。

「からかいがいのない由貴なんてつまんないわ。ま、ゴウちゃんの方は大丈夫よ。一度決めたら徹底する人から、こーこちゃんの意思を尊重してくれるでしょ。お膳立てを受け取るかどうか、はこーこちゃんに任せるって事でいいんじゃない? アンタから話して御覧なさいよ」

 そう結論付け、冴子が「じゃ、帰るわ」と立ち上がりかけた時、由貴が冴子の手を握り、引き止めた。

「……ねーちゃん、ちょっとだけ……いい?」

 一瞬驚いた冴子だったが、苦笑して溜息をひとつ吐くと、由貴と向かい合って立ち膝になり、由貴の頭を肩に抱き寄せた。

「どうしたの? ……何に、怯えてるの?」

 由貴の髪を撫でながら、母親が子に囁き掛けるように冴子が由貴の言葉を引き出した。


「俺……わかんないんだ。アイツは……光子って、俺にとって何なんだろう、とか、俺はどう思ってるんだろう、とか……自分の事なのにわかんないんだ……」

 由貴は、自分の気持ちを整理するかの様に、独白を続けた。

――突然独りきりになって「パパがいない」って泣くアイツみて、ただ守りたかったんだ。

 アイツの泣き顔、苦手なんだ……泣かせたくなかった。

 ねーちゃんにも、親父さんにも、光子泣かせやがって馬鹿野郎、って思ったんだ。

 でも、アイツ、あれから泣かないんだよな。

 俺がそうさせてやれてるんだ、って思ってたんだけど違うんだ、って、この頃気づいちゃったら……むかついた。

 親父さんの事言えないんだ、俺。

 勝手にさっさとでかくなりやがって、って、……アイツが離れてく気がして……無性に腹が立ったんだ――。

「この間アイツに、そのままの俺が好きだ、って言われた。泣かせたくは、ないんだ。でも、……自分で自分がどう思っているのかわかんなくて……返事が出来てないんだ」

 冴子の肩に顎を乗せたまま、吐き出すだけ吐き出し……少し、気が楽になった。

 冴子から離れると、先に立ち上がり姉に手を差し出した。

「悪ぃ、親父さんにくれてやったからには、甘えないって決めてたのにな」

 冴子はクス、と笑って由貴の手を取り立ち上がった。

「相変わらず変なトコだけ生真面目ね。私が誰の何であろうとアンタが私の弟である事に変わりはないのに」

 そうやって何でも型にはめ込もうとするの、悪い癖よ、と由貴のおでこを指で弾いた。

「大事なのは、感じてる事そのものよ。叔父と姪としてなのか、はたまた兄と妹みたいなものなのか、とか、誰がそれを知ってどう感じるかとか、どうでもいいじゃない、そんな事」

 せいぜい悩みなさい、と言い残して、冴子は表に待たせていた車に乗って帰って行った。

 車が見えなくなると、由貴はしばし考えた。部屋に戻り、時計を見ると午後の七時を回った頃。

「……光子呼んで、飯食いに行こ……」




 二.


 光子の鞄からコクアの『Progress』のメロディが流れた。

 加奈子が軽く呆れる。

「け、結構古い曲を愛用してるのね、ケータイ」

 クスクスと光子は笑う。

「だって、由貴ってこういうキャラっぽいんだもん」

 ちょっとごめんね、と皆に一言断って、光子はファーストフード店内の携帯電話コーナーへ入っていった。

「誰よ、“ヨシタカ”って」

 同席していた加奈子の彼氏とその友人が加奈子に聞いた。

 今日は、加奈子を迎えに来た彼氏――明弘が、珍しく友人を伴って来たのだった。四人でカラオケでも行かないか、と男性陣が誘うと、カラオケを知らない光子が大乗り気になって熱唱して来たところだった。

「光子ちゃんの……」

 訊かれて改めて戸惑う加奈子だった。

 加奈子から見る限り、由貴はまるで光子の騎士ナイトの様なイメージだ。多分、恐らくきっと、大事に思っている、とは思うのだが……。

 光子の気持ちも加奈子は知っているが、そういえばその後どうなったんだろう……?

「うーん……義理の叔父さんで、片想いっぽい……彼氏未満?」

「何じゃそりゃ」

 言った加奈子本人と、聞いた男性陣二人が同時に突っ込みを入れてしまう様な紹介だった。

「勿体無いなぁ、あんなに可愛いのに、おっさん指向なの?」

 と明弘の友人がぼやく。

「何だよ、いっつも加奈子と俺と光子ちゃんって半端な人数だからコイツ連れて来たんだけどな、今日」

 と明弘も加奈子に不満を漏らす。

「そういうつもりだったんなら最初に教えてくれたら予め知らせておいたのに……。ゴメンナサイ」

 と、加奈子は明弘の友人に謝った。

「でもさでもさ、ホントのトコはわかんないんだろ? 大体、叔父っつったら、身内じゃん、有り得ないし」

 と明弘の友人は食い下がった。どうやら光子が気に入ったようだ。

「でも……叔父と言っても、由貴さんまだ二十五歳だよ。お姉さんと十歳も離れてるし、 光子ちゃんのパパと冴子さんなんて二回り近くの年の差夫婦だし。あ、冴子さんって、光子ちゃんの義理のお母さんね。働いてるし、大人だし、血の繋がりはないし……入り込む余地なさそうな気がするんだけどなぁ……」

 加奈子は要らぬ揉め事を起こしたくないと思って、明弘の友人をけん制した。

 そこへ光子が戻って来た。

「ごっめーんっ! 由貴が夕飯一緒に食べようってっ。お先に失礼するねっ。何か、大事な話もあるんだって~っ」

 光子はウキウキと報告すると、加奈子に「きゃーっ!」と意味不明なハグをして、スキップをしながら立ち去っていった。

「……すごく、解り易いね……脈、皆無、って……」

 明弘の友人は、思い切りうなだれた。

「ねぇねぇ、加奈子……ソイツ、そんなにいい男なん?」

 と明弘が加奈子に問うた。

「私に聞かれても……私は、あきクンが一番だし……」

「よかったー、俺一瞬、すげぇ心配したっ!」

 失恋坊主の横で、いちゃつく非道な二人だった。

「お前らももう帰れよ……」

「あ、あ……ごめん!!」




 三.


 光子は一旦自宅に戻って着替えてから待ち合わせ場所に向かった。冴子はもう出勤していたので、「今夜は由貴とご飯食べて来ます」とメールを送ってから出かける事にした。

「ユキちゃんから聞いてるわよ、パパには連絡&了承済み、ごゆっくりっ」

 という返信を確認して、にっこり微笑む。

「らっき、門限解禁だっ」

 最近、パパは寛大だなぁ、と、少しだけ寂しいような、でもそれ以上に嬉しい光子だった。

 待ち合わせ場所の喫茶店に着くと、由貴が先に待っていた。――見知らぬ女性と一緒に。

 そこには、光子の知らない由貴がいた。

 少し不機嫌そうに眉間に皺を寄せて、彼女と話をしている。向かいの席に座るその女性は、薄笑いを浮かべながら由貴の肩まで伸びたサイドの髪を腕を伸ばして弄んでいた。由貴は、その手を払いのけて煙草に火をつける。それを奪い取ってそのまま彼女が口にした。彼女が煙を吐き出しながら、何かを口にした途端、由貴の眉間の皺が緩んで、少し困った様な顔で笑顔を作る……いつもの由貴の表情に戻っていた。

 “何を話してるんだろう……誰?”

 光子は、初めて自分の中にどす黒い感情が湧いて来るのを感じた。

 由貴が入り口に立つ光子に気づいた。

「よ。ここ、ここ」

 何も無かったかの様に、由貴が光子に向かって軽く手を挙げた。無理に笑顔を作って、彼らの方に近づいていった。

「コイツ、俺の学校時代の同期で、のぞみ。ブライダルサロンで働いてる。お前と同じ、爪フェチ」

 由貴が彼女を紹介すると、希はすかさず苦情を訴えた。

「こらこら、爪フェチとか言うなってば。失礼ね。初めまして、こーこちゃん、お噂はかねがね」

 希は艶っぽい笑顔で光子に名刺を差し出し自己紹介した。

「まずは河岸替えるべ。飯行こうぜ、飯」

 光子の暗い表情をみて、由貴が間を空けさせない様に席を立った。


 小洒落たレストランで食事を摂った。それがまた光子には、悲しかった。

「他の人との時は、こういうちゃんとしたお店に来るんだ……」

 何だか、自分がとても惨めに感じてしまうのだった。

「あのな、今日希を紹介したのは」と、由貴が本題に入った。

 由貴が、店長からの勧めで新たな分野の仕事をする予定である事、光子の店での修行了承が由貴のフォローが条件だった手前、由貴の店で光子のバイトの継続が難しくなった事、自分の都合で光子が勉強の場をなくす事に気が引けるので、希にレクチャーを頼んだところ、光子さえよければ、と快諾してくれた事を説明した。

「悪ぃな、俺の都合に巻き込んで」

 これあげるから許して、と、ローストビーフを一切れ光子の皿に分け置くと、それを見た希が爆笑した。

「何子供をなだめるみたいな事してんのよ、光子ちゃんに失礼よ」

 “子供”という言葉に、光子は妙にカチンと来た。

「……要らない。ローストビーフもレクチャーも、私、何にも要らない。自分で決めるから、由貴の助けなんか全然必要ないの」

 静かにそう言ってローストビーフを由貴の皿に戻し、黙々と食事を摂り始めた。

 ここで席を立って帰ったら、それこそ子供扱いされて悔しいから、意地でも帰ってなんかやらない、と、門限までは、頑張ろうと自分に言い聞かせていた。

「……冗談だって。マジごめん。ローストビーフもバイトも」

 予想以上に店でのバイトを断られた事にショックを受けていると勘違いした由貴は、真顔で光子に謝罪した。

 そんな二人のやり取りを、希は興味深く観察している。

 希は、ガタガタと椅子を光子の方に寄せて、光子からナイフとフォークをそっと取り上げると、光子の手をマッサージした。

「綺麗なネイルしてるのね。自爪の色を活かしてて、すごく、可愛い。でも、手がとっても冷たいわ。色やパーツを置くだけがネイリストじゃないのよ? 見た目だけ綺麗じゃ、爪が可哀想だと思わない?」

 マッサージされている間に、パールの隙間から見える爪のピンクが鮮やかな色に変わって来た。

 光子の目の色が変わった。

 描く事に対する興味ばかりで、基本中の基本を何も知らない事に今頃気づいた。

「ハンドケアもね、学校次第で、教えてくれるわよ、基礎から。実践から学ぶのもいいけれど、まずは基礎を押さえてからの方が、爪を可愛がってあげられるわ」

 それは、希からの『レクチャー拒否宣言』でもあった。

「おい、話が違うじゃん、何でだよ、希」

 由貴が不快感丸出しで希に質問した。

 椅子を自席に戻し、運ばれて来たメインディッシュを口に運びながら希はこたえた。

「だって、この子、アタシの事が嫌いだもの。雑念交じりの中途半端な子を相手にレクチャーなんて、無駄な労力は使いたくないわ」

 赤面する光子。

「はぁ?」と絶句する由貴。

「……私、時間だから……」

 と光子は出来うる限りの最大限の努力で平静を装い、ご馳走様、とその場を立ち去った。

「って、話終わってないだろが、おい! 待てって!」

 引き止める由貴を、希が制する。

「こんなトコで大声出さないのっ。恥ずかしいからお座んなさい」

「ってか、俺アイツ送って帰らなきゃ冴子に殺され……」

 由貴が言い終わらない内に、希が口元だけ微笑んで言葉を遮った。

「これ以上アタシを怒らせると……こーこちゃんに洗いざらい喋っちゃうわよ?」

 由貴が顔面蒼白になった……。


 あの人、きっと、由貴の彼女だ。私の知らない由貴を知ってる人だ……。

「……嫌い……」

 自分で呟きながら、それが誰の事なのか、わからなくなる光子だった。

 誰を、嫌いなのだろう?

 追いかけて来てもくれない由貴に対して?

 自分の知らない事を知っている希の事?

 黒い感情が渦巻いている自分?

「わかんない……」

 時刻は、九時を回っていた――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ