王家の宝物
薬を飲み込んだサイの肌が明るく赤みを帯びはじめ、ゆっくりと瞳が開く。そして彼は、詰まっていた気道を通すように、一つ深く呼吸をした。
「兄様!」
「……ああ、ジュリア、よくやってくれた」
息を吹き返したサイにジュリアが抱きつくと、彼が少々重たそうに腕を持ち上げて、妹の身体を抱き返す。その様子にそれまで静まりかえっていた広場が、にわかに沸き立った。
「サイ様が生き返った!?」
「ジュリア様が奇跡を起こした!」
「じゃあこれで、ようやく王政が戻るのか!」
そんな市民の反応に、司教たちは慌てふためく。もちろんだが、こんな展開は想定外だろう。しかし教皇だけは顔を顰めたものの、無言でそれを眺めていた。
サイが棺から身体を起こすと、急いでハイドが横からその身体を支え、立ち上がらせる。
だがもう病弱を演じる必要のなくなったサイは、その介添えをやんわりと断って、大衆の前にひとり立った。
その瞳がゆっくりと眼下を見渡す。
再び、広場が彼の言葉を待って静まり返った。
「皆、私の葬儀に馳せ参じてくれて感謝する。しかしご覧の通り、私はジュリアの助けによって今、死地から蘇った。葬儀はここで中止となる。……本来なら、この後ジュリアの王位継承の儀となるはずだったと思うのだが」
そう言って一旦言葉を切ったサイは、ちらりと教皇の方を見る。
「せっかく皆が駆け付け、教皇にも足を運んでいただいたことだし、このまま私の戴冠式を敢行したいのだが、如何だろうか」
その言葉に、広場の市民がわあっと一斉に湧いた。
しかし当然教団側は容易く応じるわけがなく、口角泡を飛ばして反論する。
「こ、今回はそのような準備はしていない! 勝手なことを仰られても困る! それに、病弱で臥せりがちなサイ様に、すぐに施政をするなど、無理があるのではないか!?」
「いや、幸い、というのもおかしな話だが、一度死んだおかげか、それとも薬の効用か、病気も消えてしまったようだ。あなたたちの心配には及ばない」
サイはしゃあしゃあと言って、にこりと笑った。
「戴冠式に必要なものは、ほぼジュリアの王位継承と同じだろう。絹の法衣は父上のものがあるからすぐに用意できる。……そもそも、以前から何度も教皇には戴冠式の日取りを打診していたのに、予定が合わないと先送りにされてできずにいたのだ。今回、ようやく教皇が予定を合わせてご足労下さったのだから、一度に執り行ってしまった方がいいではないか」
そこに、ウェルラントも加勢する。
「元々、教皇様に政を担っていただくのは、サイ様が成人するまでの約束のはず。今までが特殊だったのであり、ここからは通常に戻る。それだけでしょう。拒む理由が分からない。何か問題でも?」
教団にとっては大いに問題だろう。司教たちが一様に憎々しげな表情を彼に向ける。
市民はウェルラントの言葉に賛同して盛り上がり、それに彼らはさらに苛立ったようだった。
しかし、例のスキンヘッドの司教が教皇に何かを耳打ちし、その二人だけは妙に落ち着いた様子を見せた。何かこちら側を黙らせるすべがあるのかもしれない。
かくして教皇は、座った椅子の背もたれに身体を預けたまま、サイに語りかけた。
「戴冠式は本来、このように場当たり的にするものではない。が、そこまで言うなら執り行おう。……ただし、これは厳格なる儀式である。必要な宝物が一つも欠けていれば、式はできない」
その視線が一瞬だけハイドをとらえる。
すると彼は、教皇の言葉に動揺を見せた。そわそわとわかりやすく視線が泳ぐ。本当に嘘が吐けない男だ。
サイがハイドを振り返ると、彼は一際大きく身体を震わせた。
「ハイド、王家の宝物の準備を」
「そ、それがサイ様、今回のジュリア様の儀式のために宝物をそろえようと思ったのですが、一つだけ見つからないものがございまして……」
ハイドがサイにあたふたと報告をする。それにスキンヘッドの司教が口の端を上げた。
……どうやら盗聴で、宝物が不足していたことを知っていたらしい。先ほどの教皇への耳打ちは、このことだったのだろう。
しかし、サイはそれを気にしなかった。
「構わん。宝物を持ってきて、祭壇の上に並べろ」
「か、かしこまりました」
ハイドは一旦バルコニーから部屋に入ってくると、騎士に守らせていた宝箱の中から王家の宝物を取り出した。ついでに小間使いの一人に絹の法衣を持ってくるように命じて、再びバルコニーへ出て行く。
そのまま祭壇に行き、彼はその手の中にあるものを一つずつ並べていった。
王冠、王杖、指輪、宝剣。
王家に伝わる五つの宝物のうちの四つだ。
「ひとつ、足りませんぞ。これでは儀式ができませんな」
「まあ、そう焦るな」
それを確認した教皇がしたり顔で言う。
けれど、してやったのはサイの方だった。
全ての宝物が揃えば儀式をするという教皇の言質を取った上で、最後の一つを召還するつもりだったのだ。
その最後の一つとは、ターロイの預かっているペンダントだった。
「ジュリア、その辺に彼がいるはずだ。探して、預けたものを返してもらってきてくれ」
サイはここにターロイがいることを知らないはずだけれど、以前必ず戴冠式にペンダントを返しに来ると言った言葉を信じてくれているのだろう。
国王でありながらこんな面識が薄く爵位もない人間を信頼するなんて、すごい男だ。
もしかするとサイも、ジュリアとはまた違った、人を見極める何かの特殊な能力を持っているのかもしれない。
サイに指示されたジュリアがよく分からずにバルコニーから部屋に入って来る。
しかしターロイが手招きをするとすぐに気がついたようで、こちらに小走りで寄ってきた。
「……兄様が言ってた彼って、ターロイのこと?」
「そうです。これを、サイ様に渡して下さい。今日お返しする約束だったのです」
ポーチから王家のペンダントを取り出してジュリアに託す。それを手にした彼女は、瞳を輝かせた。
「これ、兄様の……! ありがとう、ターロイ!」
踵を返したジュリアは急いで兄の元にペンダントを持って行く。
それを見たときの教皇と司教の顔はなかなかの見物だった。




