ひよたんのマーキング
まさか祠でこんな戦いをする羽目になるなんて思っていなかった。
ここには能力が一つしか封印されていなかったから、次にまた他の能力を回収しに行かねばならないだろう。その時はもっと、万全の準備をしていかなくては。
ターロイはとりあえず、ウェルラントに頼まれた前時代の文献を持って祠を出た。
ずっと暗がりにいたせいで、光が目に痛い。思わず光源から目を反らすと、ふと、肩にひよたんが乗っているのに気がついた。あまりに軽いので失念していた。
「……あれ? こっちのひよたんは部屋に戻らなくて良かったのかな」
それにスバルも目を丸くする。
「ひよたん、何でついてきたですか? スバルにはひよたんを使役する素養がないはずですし……。ふむ、どうもこれは、ターロイに懐いているようです」
「え? 何で俺? 獣人じゃないのに」
「……稀に、獣人じゃなくてもひよたんを使役できる者はいるです。理由はわからんですが」
そう言って、彼女は少し思案をした。
「ひよたんが気まぐれでついて来るとも思えない……。ターロイ、試しにマーキングしてみたらどうです? ひよたんにその気があるなら、応じてくれるはずです」
「マーキングって、どうやって?」
「血を舐めさせるです。おあつらえ向きに、あっちのひよたんから受けた傷がいっぱいあることですし」
おあつらえ向きという言い方はどうかと思うが、まあいいか。
こういう特殊な契約で血を使うのはよくあること。
ターロイは腕にある傷口をひよたんの前に差し出した。
するとひよたんは、舐めるどころがくちばしで傷口にガブッと噛みついてきた。
「いってぇ! 拒否られた!?」
「いやいや、出血が足らないので自分からいっただけです。ひよたんは変身前のかわゆい姿でも、かなりワイルドなのですよ。そのギャップがたまらんという使役者も多いのです」
「うわもう、めっちゃ痛ぇ! こいつ、眉間にしわ寄せてしみじみ噛むんじゃねえ! わざわざ首を傾げてひねりを入れる意味が分からん!」
「ひよたんはマーキングされると使役相手の性格の影響を少し受けるです。きっとターロイはサドっ気があるですね」
隣で眺めながら冷静に分析するスバル。
「解説はいいから、こいつをどうにかしてくれ!」
「もうマーキングできてるですよ。ターロイが命じればやめるです」
「ひよたん、放せ!」
スバルに言われて命じると、ひよたんは素直にぱかっとくちばしを外して、つぶらな瞳の可愛らしい姿に戻った。しかしそのくちばしの端から血が垂れているのがホラーだ。
「こ、これでマーキングできてるのか……?」
「完璧です。ひよたんからターロイの匂いがぷんぷんしてるです。やはり、ひよたんはターロイを使役相手にしたかったのですね」
その割に、嫌がらせみたいに傷口を広げられたが……。でもあれが自分の性格が影響したせいだというのなら、自業自得とも言える。
とりあえず文句は飲み込んでおこう。
「ひよたんは基本は一緒に戦ってくれるだけなのかな」
「スバルも詳しいことは知らんですが、とても役に立つ存在なのは確かですよ。普段はとても可愛いし、コンパクトで場所も取らないし、持ってて損はないです」
「本当に、何で俺なのかは分からないが……とりあえずよろしくな、ひよたん」
挨拶をすると、ひよたんはふわふわの身体をターロイの頬にすりすりしてきた。
くっそう、ワイルドに噛みついたかと思えば可愛く甘えて来るなんて、反則ではなかろうか。
「さてターロイ、ひよたんにばかり構ってないで、その古い本をさっさとウェルラントの部屋に置いてくるです。そしてまずはターロイの家で一休みさせるですよ」
「……スバル、本当に俺についてくる気なのか?」
「もちろん。今度こそターロイを守ってやるですから!」
ターロイは正直、この場で昔の仲間を二人も見つけてしまって、かなり困惑していた。
スバルもカムイも、自分の狂戦病の発作の引き金になる可能性がある。それを近くに置くのは恐ろしかった。
しかし、カムイは別として、スバルは強引についてくるだろう。
だとしたら、拠点に置いておく方がいいかもしれない。特に危険なところに連れて行ったりしなければ、彼女の強さなら何の心配もいらないはずだ。
それどころかディクトの采配下に置けば、スバルは拠点の攻防の要になるに違いない。
「……じゃあ、俺の拠点に行こう。とりあえず部隊のみんなには人間として紹介するから、獣人だとバレるような行動は慎めよ?」
「うむ、この服と帽子があれば大丈夫です。最近尻尾を腰に巻き付けてスカートの中に隠す技を習得したですし。……というわけで、この格好の時はスバルを喜ばせてはいけないですよ、ターロイ」
「……尻尾、振っちゃうのか」
「めっちゃスカート捲れ上がるです。街中に出たときとか、ウェルラントに何度はしたないと叱られたことか……」
ウェルラントと仲が悪そうなわりに、色々世話はしてもらっているようだ。
「まあ、俺も気をつけるけど、お前も我慢しろよ」
「むう、瞬間的な感情を抑えるのは難しいです……が、鋭意努力するです」
まじめに気合いを入れるスバルに、ちょっと笑ってしまった。
その後文献を届けて、そのままスバルを連れ立って転移方陣で拠点に移動をした。
カムイと知り合いで慣れているのだろう、魂方陣による転移に特に驚きもしない。ただ、ターロイの拠点を見て目を丸くした。
「思いの外、でかい建物と広い敷地……これがターロイ保有の拠点ですか。動物の世話をしていた子供が、出世したですねえ……」
何だか感慨深げに見回している。
「まずは俺がここの管理を一任している奴を紹介する。ついてこい」
そんなスバルを連れ立って、ディクトのところへ向かう。多分今頃の時間は手下の訓練をしているはずだ。
修練場に行くと、いつもの軽い様子とは違う、手下の習練を見守る厳しい顔のディクトがいた。
「ディクト、少しいいか」
「おう、お帰り、ターロイ。どうした?」
声を掛けると、ころっと表情が変わる。ずっとあの厳しい顔でいれば威厳も出るだろうに。
ディクトは手下に習練を続けるように言って、すぐにこちらに歩いてきた。
「これからここで暮らす新しい仲間が増えた。まずはお前にだけ紹介しておくから、手下どもにはおいおい引き合わせてやってくれ」
「新しい仲間?」
ディクトが疑問符を浮かべると、ターロイの後ろからスバルがひょこっと顔を出した。
「女の子!? それもまた美少女……。え、何、ターロイ。おたく出かけるたび一人ずつ美少女ナンパして来て、ここにハーレムでも作る気?」
驚いた男が、他には聞こえない声でこそりとターロイに真意を尋ねてくる。何だその発想。
「馬鹿なことを言うな。成り行きだ、成り行き。こいつはスバルという。……まあ、俺の幼なじみみたいなものだ」
「くそお、ずるい! 美少女で幼なじみって、もうフラグ立っちゃってんじゃん!」
「……フラグって何だ。その悔しそうな顔は何だ。わけが分からん。……スバル、変な奴だがこいつが俺の持つ部隊の隊長、ディクトだ」
「うむ、よろしくです」
スバルが前に出てきてディクトの手を取り、握手をする。
すると男の様子が変わった。
「力強い握手、獣のようにしなやかな筋肉の付いた身体つき、意思の強い瞳……。君、強いな?」
「ほほう、分かるですか、変なおっさん」
「変なおっさん言うな。ちょっと出会いに餓えているだけの寂しいお兄さんだ」
そう言ってディクトはターロイを見た。
「彼女をここの戦力に?」
「そのつもりだ。スバルはスピードもパワーも体力もある。危急の時には頼れるから、お前の戦術に組み込んでおいてくれ」
「了解。こんな美少女では拠点内で一人にするのは危険かと思ったけど、おそらくウチの奴らじゃ誰も勝てないだろうから問題ないかな。……あ、そうそう、部屋はターロイと一緒でいいんだろ?」
「はあ!? 何で……」
当然みたいに言われて、思わず動揺する。さすがに同年代の少女と同じ部屋とか、不謹慎だ。
「うむ、それでいいですよ」
「いやいや、勝手に請け合うな!」
「もうフラグ立ってるんだし、今更だろ?」
だから何なんだ、フラグって。妙に生温かいディクトの視線がイラッとくる。
「どうせユニもいるんだから、スバルを一緒の部屋にさせたらいいじゃん。そしてユニにいちゃいちゃを邪魔されるがいい、くそが!」
今度は吐き捨てるように悪態をついた。ディクトの情緒がおかしい。
「ユニとは誰です?」
「訳ありで保護している子供だ」
ああでも、確かにスバルを一緒の部屋にしてしまえば、ユニも安心するかもしれない。女の子一人では、色々心細いこともあるだろう。
スバルがいれば、ターロイがいないときも寂しくなるまい。
どうせ自分は部屋なんて寝に帰るだけなのだし。
「ユニに会いに行ってみるか」
そう提案すると、彼女はすんなり頷いた。
「そうですね。同室になるのならお伺いを立てないと」
スバルはすっかりそのつもりだ。まっすぐでわかりやすい。
それに苦笑をして、ターロイはユニのいる畑に向かうことにした。




