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追われる少年

 拠点を砦に移して一日目。


 ターロイは転送方陣を使い、一人でミシガルに向かった。


 相変わらず表通りは賑わっている。裏通りも思いの外清潔で、目立った貧困層はいなかった。

 グレイに聞いた話では、領主が家計の苦しい家の子供を預かって、教育を施しているらしい。


 子供がある程度大きくなって商売を興したり稼げるようになると親も楽になり、買い物をする余裕ができる。そうすれば街の商店の客が増え、仕事も創出できる。経済が回り、失業者が減れば犯罪も減る。


 孤児も同様に引き取って、教育をし、一人で生きていく地力をつけてやるらしい。


 ウェルラントは住民の生活を考える、至極真っ当な領主だった。


(教団出の領主じゃ、こうは行かないだろうな)


 教団の場合、自身の利益が最優先だ。金こそ至高という教えでもあるのかというほど。

 教義の要は人類の救済などとうたっているが、馬鹿馬鹿しくて笑ってしまう。


 そんなことを考えながら歩いていると、視線の先の民家の陰に、少し薄汚れた服を着た裸足の少年がうずくまっているのを見つけた。


 見た感じ、十二歳くらいだろうか。あまり食べていなそうな、細い身体。ぼさぼさの黒髪。

 孤児か貧民の子供か? だったらウェルラントが保護しているはずだが、この歳になるともう仕事をしているのかもしれない。


 どちらにしろ、このまま素通りするのが憚られた。

 孤児として過ごした過去の記憶のせいか、こういう子供を無視できないのだ。


 とりあえず、放ってはおけない。ウェルラントのところに連れて行こう。


 ターロイはそう考えて、少年に近付いた。


「おい。こんなところでどうした?」


 声を掛けると、彼はびくりと肩を震わせて顔を上げた。

 その容姿は随分と整っている。大きな黒目がちの瞳と長いまつげ、肌は陶器のように白い。中性的な顔立ち。

 そして、首には輪っかが取り付けられていた。


(封呪輪? 何でこんな子供に……)


 その首輪には呪文が彫り込まれていて、前時代の遺物だと分かる。

 これは昔、捕まえたエルフの魔法を封じ、使役するための道具だった。だとすると、この子はエルフだということになる。

 しかしエルフは基本的に金髪か銀髪に、同様の瞳の色をしていたはず。


 ダークエルフなら黒髪もいるが、逆にこんなに肌は白くならない。


(エルフとダークエルフの混血? いや、そもそもエルフ族自体がもう滅んでいる。……何代か前の血族にエルフと交わった者がいるのかもしれないな。時々現れる、先祖返りか……)


 様々な可能性を考えながら、怯える少年を見下ろす。


「事情は分からないが、満足な食事を与えてもらえてなさそうだな。とりあえず飯食わせてやるから一緒に来い。悪いようにはしない」


「い、いいから、あっちに行って、ボクに構わないで。あいつらに見つかっちゃう」


「あいつら?」


 訊ね返したと同時に、背後に三人ほどの足音が駆け寄ってきた。

 肩越しに見れば、息を切らした強欲そうな商人が一人と、その護衛らしき男が二人立っている。

 商人はターロイを無視して、少年に怒声を飛ばした。


「やっと見つけたぞ! このクソガキめ! わしが大事な商品を逃がすとでも思ったか! 今度は二度と出歩けないように、縄に繋いでやる!」


 その声に耳を抑え、少年が震えて身を竦める。


 これだけで大体事情が分かってしまった。


 ……ああ、そういうことか、胸くそ悪い。


 フラッシュバックのように、ヤライ村の孤児院に行く以前の、さらに昔の記憶が呼び起こされてしまった。……俺が始めて狂戦病の発作を起こした時の記憶だ。

 それを慌てて頭を振って、脳内から追い出す。


 今は感傷にふけっている場合じゃない。


「……ミシガルでは人身の売買は禁じられていますよ」


 ターロイは努めて感情を抑えながら、こちらを無視する男に声を掛けた。

 商人はそこで始めてターロイの存在に気付いたように、一つわざとらしい咳払いをする。


「な、何だね君は……。わしはその子供の保護者だ。口出しは止めてもらおう」


「今、はっきり商品と言いましたよね?」


「ミ、ミシガルでは取引しない。この子供はこれから貴族に譲るため王都に連れて行くんだ。街の法に触れてはいない」


「ではそのようにウェルラント様に弁解してみてください。俺は人道的観点から、一度この子供を領主様に預けて来ますので。……言っておきますが、王都の法でも人身売買は禁止されていますから、それをウェルラント様に言ったら捕まりますよ。教団が許していてもね」


 ターロイが子供を領主の元に連れて行くそぶりを見せると、男は焦ったようだった。まあ、そうなると最悪牢屋行き、軽くてもミシガルに二度と入れなくなる上、子供は取り上げられるだろう。


 冷静に損得で考えるのなら、この子供を放棄して去るのが一番賢いが、強欲な商人にはその考えはないようだった。ターロイよりも大分体格の良い男を二人も連れているから、勝てると算段したわけだ。


 すぐに側に控えた護衛の男二人に目配せをして、攻撃態勢を取った。商人も合わせ、三人で剣を抜く。


「街中での抜刀は法規違反ですよ」


「ふふ、なあに、騎士に気付かれる前に殺して隠せば問題ない。過ぎた正義感は身を滅ぼすということを教えてやろう」


「……それは楽しみだ」


 ちらりと少年を見ると、耳を抑えたままこちらを不安げに見ている。おそらくここは彼に土地勘のないところ、逃げるに逃げられないのだろう。

 とりあえずこいつらを伸すまでそこにいるならいい。


 ターロイは視線を前に戻すと男たちに対して斜めに構え、ハンマーは手にせず、ただ重心を少し落とした。


 一応ここはミシガルの街中、ウェルラントに世話になる手前、無駄な騒ぎは起こしたくない。

 素手でももちろん殺すのは簡単だが、その後のことを考えれば、騎士に引き渡すのが妥当だろう。


「来い。三人まとめてでいいぞ。素手で相手してやる」


「何だと、この若造が。俺たちを馬鹿にすんじゃねえ!」


 ターロイの言葉に、護衛の一人が飛び掛かってきた。

 こちらが素手だと思って油断が過ぎる。頭上に振りかぶった剣の溜めが長い。

 ターロイはそれが振り下ろされる前に一気に距離を詰めると、男の破壊点に掌底を打ち込んだ。もちろん、十分な手加減をして。


 それでも男は大きな身体を吹き飛ばされ、背中から地面に落ちて泡を吹き、動かなくなった。


「だからせっかく三人でいいと言ってやったのに」


 そう言って肩を竦めると、目の前の男二人が明らかに狼狽える。

 商人の方は見るからに及び腰だ。逃げられると面倒だな。


「あ、あいつもしかして強いんじゃないのか。お前、どうにかしろ。あいつを殺したら給金は弾んでやる」


 小声で護衛の男を焚き付けている。


「はっ、任せて下さい。ったく、こいつ、相手が素手だからって油断しやがって……。俺はこんなヘマはしねえぜ」


 護衛の男は傍らにひっくり返っている男を爪先で小突くと、剣を中段に構えた。

 そのまま脇を締め、リーチを生かして突っ込んでくる。ターロイはそれを直前で右にかわし、男の後ろに回り込んだ。


「逃がすか!」


 護衛の男はすぐに反応して、剣を横になぎ払う。

 しかしターロイは護衛を無視し、すでに怖じ気づいて構えも取っていなかった商人の元に到達していた。だって逃げられる前に、こっちを先に倒しておかなくては。


「なっ、何してる! こいつ、こっちに来て……ぐふっ!」


 鳩尾に一撃食らわすと、商人はあっさりと白目を剥いた。


「て、てめえ!」


「ほら、大事な雇い主だろ。返してやるよ」


 護衛に向かって、商人の襟首を掴んで投げ渡す。それに慌てて男が構えていた剣を下ろしたところに、ターロイは容赦なく追撃した。

 反射的に商人を受け止めた男の、側頭目掛けて蹴りを見舞う。


「あがっ……!」


 二人目の護衛も鼻血を噴いて気絶をし、道ばたに三人折り重なるように大の字になった。しばらくは目を覚まさないだろう。

 これでいい。剣を振り回す輩を相手に素手で応戦したのだ、十分優しい正当防衛だと思う。


 ターロイはふっ、と一つ息を吐いて呼吸を整えると、まだうずくまったままの少年の方を向いた。


「……お前はとりあえず正式に保護した方が良さそうだ。領主のところに連れて行ってやる。一緒に来い」


「領主……怖い人のところ?」


 少年はまた怯えたようだった。一体どこから連れてこられたのだろうか。気にはなるが、事情を知り、入り込むのもまずい。


「ここの領主は少なくとも親切だ。心配要らない」


 言いつつマントを脱いで、少年に巻いてやる。着ているものが汚れていることや裸足なこともあるが、この容姿は目を引いてしまう。


「行くぞ。こっちだ」


 そうして声を掛けたけれど、まだ躊躇ってついてこない彼に、ターロイは仕方なく手を繋いだ。軽く腕を引くと、今度はおずおずとついてくる。


 まあ、不安だろうな。

 知らない街で知らない男についていくなんて。

 でもまあ、ウェルラントに預ければ、事情を汲んでここで養育してくれるだろう。あの男たちに売られるのを考えたら、天国と地獄の差だ。彼もすぐに安心するに違いない。


 ターロイは少年を引き連れたまま、領主の館を訪ねた。







「……ふむ、事情は分かった。とりあえず裏通りに伸びているという商人たちはこちらで回収して尋問するとしよう」


 ウェルラントに会って先ほどの話をすると、すぐに対応してくれた。指示を受けた侍従が退出する。少年は小間使いに風呂に連れて行かれていて、室内は二人だけになった。


「……ところで、あの子供の首輪は、前時代のもののようだが。何者なんだ?」


「詳しいことは何も訊いていない。ただ、あの首輪は封呪輪と言って、前時代ではエルフを捕まえ、魔力を封じて使役するためのものだった。……あの子は見た目からして純粋なエルフではないと思うが、魔法を使える可能性がある」


「魔法を!?」


「あくまでも俺の推測だが。本人が自分の力をどれだけ把握しているのかわからないし」


「そうか……。でも、魔法が使える人間がいるというなら、良い戦力になりそうだ」


 ウェルラントの言葉に、ターロイは眉を顰める。


「子供を戦争に駆り出すのはあまり気が乗らないな。いくら男の子だとはいえ……」


 すると、今度はターロイの言葉にウェルラントが怪訝な顔をした。


「男の子? 何を言っている、あの子は女の子だぞ」


「…………はい?」


 とりあえず、あの子供のことはまだまだ分からないことだらけのようだ。


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