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教団からの離脱

 この数日間、教団にも王宮にも目立った動きはなく、ターロイはその間にと教団を出る準備を進めていた。


 グレイは相変わらず魂方陣を調べている。

 色々仮説を立てながら、時にはターロイを呼び立てて試行錯誤を繰り返していた。


「グレイはやっぱり教団を出る気はないのか?」


 そんなグレイに訊ねてみる。まあ、答えは分かっているんだけど。


「前にも言いましたが、教団にいる方が都合が良いことが多いんですよ。……王宮側に付くあなたとは立場上対立することになるでしょうけど、どうせ私は前線に出る人間ではないので」


「いや、俺が敵として現れたら、グレイがけしかけられると思うぞ? もしくは監督責任問題になるだろ、俺はグレイの従者だし」


「その辺は大丈夫。大司教様にあなたの教団離脱手続きを提出してきました。ま、退職金もないし事実上の解雇ですけど。後で大司教様に挨拶にだけ行きますよ」


 そう言って、彼はまた転移方陣に没頭した。





 その日の午後、グレイに連れられたターロイは教団本部の中枢、大聖堂奥の通路の先にある背の高い塔にやって来た。この建物に入ってきたのは初めてのことだ。


 ここには教団の司教以上の人間が執務室を置いている。一階に司教、二階に大司教、三階に教皇、そして四階から上には天から下りてきた神がいると言われていた。


 その二階の一つの部屋の前に立つ。


 グレイはその扉をノックすると、静かに入室した。


「失礼します。大司教様、先日離脱届けを出したターロイを連れてきました」


「おお、待っていたぞ。ふむ、お前がターロイか」


 大司教に視線を向けられて、お辞儀をすることで答える。


 目の前の男は白髪の老人で、恰幅が良く、相応の貫禄があった。

 その瞳がどこか好奇の色を乗せてこちらを見ている。


「グレイのような変わり者の下で今まで保ったとは、お前も相当な変わり者なのだろうな」


「まあ、否定はできません」


 素直に頷くと、グレイは少し拗ねたようだった。


「そんなどうでもいい話してないで、とっとと届けを受理して下さい。あなたがターロイを連れてこないと判を押さないというから、わざわざ連れてきたんですから」


「ははは、そうだったな。では判を押そう。……ターロイ、教団を出てからも、グレイとは仲良くしてやってくれ。この男は友人の一人もいないので心配なんだ。……そうだ、知り合いにいい娘はいないか? もういい歳なのに、そっちの話もなくてな」


「いや、もう、そういうのはいいですから」


 珍しくグレイが困っている。この大司教と彼はどういう関係なのだろうか。思いの外、親しそうだが。

 教団の、それも高い地位に、こういう人間がいるのは驚きだった。


「さて、これでいいかな」


 大司教は書類に判を押して、それをグレイに渡した。


「しかし、今日会えて良かったよ、ターロイ。お前をこちらの方で覚えていられる」


「……こちらの方って?」


「……明日は教義の一斉朗読の日ですからね。……教皇様の様子は?」


「最近はほとんどあちらの方だ。私は薬でどうにかなるが……」


「そうですか……。薬は今度また届けに来ます」


 ターロイの疑問は取りこぼされて、大司教とグレイが妙な会話を続ける。教団は教団で、内部に何か別の問題を抱えているようだった。


 ただの馬鹿と金の亡者の集団だと思っていたけれど、それだけではないのだろう。グレイと話す大司教は思ったより善良に見えた。もちろん、だからと言ってターロイの教団を潰す目的が変わることはないが。




 大司教の部屋を出ると、ターロイは前を歩くグレイに単刀直入に訊いた。


「大司教とグレイって、どういう関係?」


「……あなたと私みたいな関係ですよ」


 と言うことは、大司教が孤児のグレイを引き取って教団で育てたということか。そう言えば以前、グレイは庶民の出だと聞いていた。


 それだけでターロイは、グレイが頑なに教団を出ない理由が分かった気がした。

 そして、彼が幾分勝手なことをしても、教団から排除されない理由も。



「……あの人はああ言ってましたが、気にする必要はありませんからね」


「教団を出ても仲良くってやつ?」


「私も死ぬ気はありませんが、もし最悪私とやり合うことになったら遠慮は要りません。殺す気で来て下さい。……私があちらの方になってる可能性もあるので」


「その、こちらの方とあちらの方って何なんだ?」


「……知らない方が余計なことを考える面倒がなくていいですよ。……まあ、万が一、あちらの方になった私と会ったら、分かると思います」


 そう言うとグレイは肩を竦めて、苦く笑った。








 元々自分の荷物はほとんどない。

 着替えや日用品などは転移方陣でこっそりと拠点に置いてきてある。

 ターロイは布の服にマントを着けてハンマーを背負い、腰にポーチと水筒を下げるだけの軽装で教団の門を出た。


「わざわざ歩いて行かなくても、転移方陣を使えばいいのに」


 そこまで見送りに来てくれたグレイが言うのに、小さく笑う。


「ここから出て行かないと、教団からいなくなった感が出ないだろ。それに、後々のために一度歩いて、王都から拠点までどのくらい掛かるのか確認したいんだ」


「後で他の人間にやらせたらいいのに、マメですねえ。……気付いていると思いますが、あなたのこの出立を、手ぐすね引いて待ってる馬鹿がいますよ?」


「……分かってる。個人的に一度強めのお灸を据えたいと思っていたんだ。ちょうどいいよ」


 ニヤリと笑うと、グレイも呆れたように笑った。


「方陣を使わないのは、これも見据えてのことでしたか。いやあ、元気ですねえ」


 そう言って、彼は懐から布袋を取り出す。


「これも馬鹿どものやる気を誘ってしまうかな? 金貨三十枚が入ってます。餞別に持っていって下さい」


「え、金貨三十枚も!? いいのか、こんなに」


「生活費は出していましたが、給金は渡していませんでしたからね。少ないくらいですよ」


 いや、孤児の時からは考えられないくらい衣服も食事もいいものを与えられていたのだ。給金をもらおうなんて考えたこともなかった。

 それどころか、今持っているハンマーだって、王都で一番の鍛冶屋に特注で作ってもらった鋼の高価なスレッジハンマーだ。


「いいから素直に受け取っておきなさい。今更これを拒否されて引っ込める方が恥ずかしい」


「……ありがとう」


 グレイの気遣いに感謝して、ずっしりと思い布袋を懐に入れた。

 ついバツの悪い笑みが漏れる。


「餞別もらっておいてなんだけど、俺多分ちょくちょく転移方陣で来ると思うよ」


「まあ、それはそれ、これはこれ」


 グレイも笑った。


「じゃあ、山道は虫が多いから気を付けて行きなさい」


「うん、じゃあな」


「……最初の虫は八匹、ですよ」


「……了解」


 小声で示し合わせて、互いに手を上げて分かれを告げる。


 教団の門に背中を向けて、グレイが研究室に戻ったのを首だけで振り返って確認した。


 ……ああ、来た。


 途端に背後で数人の気配が動くのを察知する。

 まるで殺気が消せていない馬鹿がいる。サージだ。


 以前の失禁させられた時の屈辱と、グレイに罪を擦り付けられなかったイライラと、グレイの庇護から外れたターロイへの侮りがあるのだろう。

 ターロイを殺すことで、グレイにダメージを与えようと考えているのだ。


 馬鹿だな、本当に。


 そもそも、ターロイはこうして独立する時期を目立たず待つために、教団でヘタレを演じていただけだ。その枷がなくなった今、サージを痛めつけることに何の問題もない。


 せっかくあの時、力の片鱗を見せてやったのに、自分から再びお漏らししに来るなんて、ドMじゃなかろうか。


 さすがに王都の城門を出るまでは、手を出して来る気はないようだけれど。








 王都から出ると、大きな街道が東のミシガル方面と、西側のガントという街の方面に向かって伸びている。


 しかしターロイはそれを無視して、王都から南にある山に向かって細い小道を歩き出した。

 しばらく人が通った気配のない道は雑草が生えていたけれど、特に支障はない。軽い足取りでぐんぐん進む。


 きっと後ろからついてくるサージ達は、人気のないところに向かうターロイにほくそ笑んでいることだろう。だがそれはこちらも同じこと。場合によっては全員殺しても誰も気付くまい。


 街道から幾分離れ、山の麓の手前でゆっくりとカーブを描く道は、やがて木々の間にターロイの姿を紛れさせた。

 そのタイミングで木陰に隠れ、サージたちが来るのを待つ。


 まずは一人最初に殺るべきか?

 しかし先に手を出すと、そのまま済し崩しに戦闘に入ってしまう。

 それはそれでつまらない。


 サージには、もっと恐怖とキツいお仕置きが必要だ。


 ターロイが姿を隠すと、後から来たサージたちが彼を見失ったことに少し焦ったようだった。

 とりあえず、こちらの気配を察知できるような手練れは連れていないようだ。得物も普通の鉄製のもの。負ける要因がない。


 ターロイは隠れていた木陰から頓着なく一歩を踏み出すと、サージのすぐ目の前に立ち塞がった。


「よう、馬鹿息子。出張ご苦労さん」


「うわっ、な、ターロイ……っ!?」


 こちらに怯んだ男の鳩尾に蹴りを叩き込む。もちろん、破壊点は外した。最初にこいつをやったら、他の人間が逃げてしまう。


 簡単に吹き飛んだ男は後ろの連れを巻き込んで、六人目辺りで何とか抱き留められた。おかげでターロイとの距離が少し開く。


「ぐ、き、きさまっ……!」


「俺に用事があって来たんだろ、お漏らし野郎。せっかく一度俺の力を見せてやったのに、また漏らしたいなんてドマゾだな」


 言いつつ口端を上げると、サージは怒りと困惑の入り交じった妙な顔をした。


「てめえ、ターロイ、だよな……? くそ、ふざけやがって、司祭の俺に向かって何だその態度は!」


「司祭って、国王に毒を盛った功績で頂いた安い地位か。教団を辞めた俺に、その肩書きが通用するとでも?」


「な、何でそれを……! この、てめえ、絶対ここで殺してやる!」


 喚いた男が剣を構える。しかしその構えはへっぴり腰で全くなってない。修練などしたことがないのだろう。


「へえ、やってみろ。この間も言ったよな? 俺を簡単に殺せると思うなよって。その無駄にでかい身体をぐちゃぐちゃにしてぶっ殺してやるって。その覚悟があるなら掛かってきな」


 ターロイは鷹揚な動きで背中に背負っていたハンマーを構える。

 サージの目を見据えてニヤリと笑ってやると、大男の身体が大きく震えた。

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