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宿駅の酒場で

 道中、雨が降らなかったのは幸いだった。


 年寄りがいたためにモネとミシガルの間にある宿駅に着くには丸三日掛かったけれど、食料と水、それから暖を取るためのたき火があればどうにかなるものだ。

 着の身着のまま、荷物を持たない住民一団をわざわざ襲うような盗賊もおらず、道行きは思ったよりも大分順調だった。


 そしてようやくたどり着いた宿駅。

 総人数に対して部屋数が少ないけれど、野宿を経験した住民にとっては屋根の下で休めることが嬉しいのだろう。みんな文句も言わずに振り分けられた部屋に入っていった。


 これで今日のところはいくらか気を抜くことができる。

 部屋に荷物を置くと、ターロイたちは宿駅の酒場で一息ついた。


「ウェルラントに連絡をして、ミシガルで住民の受け入れをしてもらう手配をしておいた。みんなの通行手形が無いが、俺の特別手形でまとめて受け付けてくれるってさ」


 共鳴石ですでにウェルラントには顛末を伝えてある。イリウの名前を出すと、それだけで彼はすぐに住民の受け入れを決めてくれたのだ。やはり元王国軍の人間、信用があるのだろう。


 ターロイはその結果をイリウに伝えた。


「そうか、それは助かる。ミシガルに入れれば俺の金もあるし、モネ復興の必要経費くらいは賄えるだろう」


「イリウの金がミシガルに?」


「教団がサイ様に権力の移譲をした時に、最後に俺たちの金を搾り取ろうとするのは分かってたからな。金と帳簿は八割方ミシガルに移しておいたんだ」


 そう言えばイリウの家に泊めてもらった時、彼はすでに金を狙われることに対して手を打ってあるようなことを言っていたっけ。

 大金庫にも何も入っていないという話だったし、おそらくここまでの惨事ではなくても、何かが起こることは覚悟していたのだろう。


「じゃあむこうに行ってからのことは問題ないんだな、ここからミシガルまでの道中さえ乗り切れば。……この進み方でいくと、あと四日弱ってところか」


「いや、ここからはじいさんばあさんたちは馬車に乗せる。食料と毛布を一緒に積んでいけば、それほど苦もなく二日でミシガルに着けるだろう。馬車がいると山賊が出る可能性があるが、お前らがいてくれれば安心だ」


「馬車って……。街から出るのと違って、宿駅で手配すると倍額するんだぞ!? この人数で寝泊まりして、飯食って、それに食料と毛布まで積んで馬車を出して……どんだけの金額になるんだよ。大金すぎてツケ払いも受けてもらえなくなるぞ?」


 宿駅だってミシガルから食料などを仕入れているから、その分配送コストが上乗せされている。何につけ、割高なのだ。

 ターロイが持っている金で足りるなら問題ないが、もちろんその額を遙かにオーバーしている。そしてその額が大きいほど、ツケは利かなくなる。


 ウェルラントの名前を出してもいいかもしれないが、彼とのつながりを証明できるものがないからそれも難しい。


 しかし、渋い顔をしているターロイとは対照的に、イリウは軽い調子で「平気だ」と言い放った。


「この宿駅、俺が融資してるんだよ。貸付金からこの分を引いておくことになってる。お前が心配する必要はない」


「融資……そうか、金貸しだもんな。しかし、街の外にも客がいたのか。イリウってモネだけで活動してるわけじゃなかったんだ」


「顧客はミシガルとインザーク、ガントにもいる」


 モネで無一文になったのかと思っていたのに、全然違ったようだ。

 これなら今後も住民たちが困窮する心配はないだろう。





「あの、イリウさん、ちょっと経営についてご相談が……」


 話をしていたテーブルに、おどおどした様子で一人の男がやってきて声をかけた。

 見れば、この宿駅の主人だ。


 彼はまず会話に割り込んだことを申し訳なさそうにしながらターロイの方を見て会釈をすると、イリウに向き直った。

 その視線にイリウが応じる。


「おう、どうした?」


「……実は、モネが壊滅してしまったという話がこの数日で大分広まりまして」


「ああ、そうだろうな。モネに向かう旅人とすれ違うたびに教えてやったし。俺たちより移動の早いそいつらが広めてるんだろ」


「おかげでみんな南下を避けて、北回りで移動し始めてしまったんです。客が全く来なくなってしまったんですよ。仕込んでいた食料はイリウさんたちが来てくれたおかげで無駄になりませんでしたけど、今後どうしていいやら……」


 なるほど、我々がこの人数で押しかけてきても部屋が確保できたのは、他の客が激減したからだったのか。こちらとしては助かったが、確かに宿駅にとっては死活問題だ。


 しかし、イリウはその相談を突っぱねた。


「いやお前、どうしていいやら、じゃねえよ。こういう時に使うために脳みそがあるんだ。自分で考えろ。いいか、非常時ってやつは今までの保守的な思考をぶち破る好機だ。まずは脳みそ絞って、明日の朝までにアイデアを五個出せ。そしたら相談に乗ってやる」


 厳しいように見えるが、これは随分親身な助言だ。

 どうでもいい人間には言わない科白。


 求められるままにいくつか適当な提案をしたところで、自分で考えない奴はその中から無難で楽なことを選択し、結局失敗する。


 自力で考え、絞りに絞って出てきた答えには、力が宿る。

 イリウは彼にそれを出せと言っているのだ。


 宿駅の主人もそれは分かっている様子だが、それを言われて情けなく眉尻を下げた。


「ご、五個は難しい……せめて三個で」


「おっ、口答えするとはいい度胸だこの野郎。じゃあやっぱり十個な」


「増えた!」


「突拍子もないアイデアでもいいから絶対出せよ。……俺はできない奴には最初から言わないからな?」


 そう言われて、主人は反論も泣き言も言えなくなる。ただ、少しだけ表情が引き締まったようだった。


「わ、分かりました。がんばります」


 ターロイとイリウに一礼してカウンターに戻っていく。その歩みはさっきと違って幾分気合いが入って見えた。

 ……うん、今の彼なら十個のアイデアを出し切る気がする。


「……随分親身になってやるんだな」


「まあ、融資先に頑張って儲けてもらわないと、俺のおまんまの食い上げだ。だから俺は相談事に妥協しないし、自分の眼鏡にかなう奴にしか金を貸さないことにしてる」


「なるほど。あんたの融資を受けられた時点で、あんたに経営者として認められたってことになるのか」


「はは、俺からの承認に大した価値もねえよ」


 イリウは肩を竦めて笑うけれど、彼に認められることはきっと相応のステータスなのだろう。さっきの宿駅の主人も、あの最後の一言でやる気を起こした様子だったし。


 住民たちから慕われているのも、優良な経営者を見付けて育て、街に恩恵を与えていたからに違いない。


 資質のある戦士を見付けて育てるディクトとはまた別の、内政特化の希有な能力だ。

 彼がいれば、モネの復興は本当に早いかもしれない。


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