王女ジュリア
グラン王国の王女、ジュリアがターロイの名前を呼んで抱きついた。
ディクト達は彼女の正体を知らないものの、王国側の高位の娘らしい少女が青年と知り合いなことに、目を丸くする。
「その娘、あんたの知り合いだったのか?」
「いや、知り合いというほどでは……。以前何度か会ったことがあるだけだ」
少し離れたところにいたディクトに訊ねられて、ターロイは曖昧にそれに返しつつ、自分に抱きついているジュリアをマントの中に隠した。
彼女を見せないためではなく、彼女に見せないためだ。
まだ周囲にはいくつかの死体が転がっている。王女を守って死んだ近衛兵のものも。子供に見せたいものじゃない。
それにターロイが彼女達を襲った山賊と気安く話をしているところを見たら、王女は不審に思うだろう。
恐怖と不信からジュリアに逃げ出されて、挙げ句何者かに殺されたら、王国軍の士気に関わる。それは避けたい。
そして。
なぜ一目で身バレしたのか分からないが、バレてしまったからには彼女を王女として守る責任も負わねばなるまい。
だとすれば、ジュリアには味方だと思ってもらっていた方がやりやすい。
「……俺はこの娘を日が暮れる前に宿駅まで連れて行かないといけない。ディクト、後は任せたぞ」
とりあえず彼らの前で王国に関する込み入った話はできない。ジュリアを王女として扱うわけにもいかない。
まずは二人で話せる場所が必要だ。
ターロイは彼女の手を引いて、その場を後にした。
少女を連れての道程は、進みが遅い。
それでも夕暮れを少し超えた程度で宿駅に到着した二人は、部屋を一つ取ってようやく落ち着いた。
食事を部屋まで運んでもらって軽く済ますと、水や薬草を買って明日の準備をする。ターロイが装備の手入れをしている間、ジュリアはさっき賊に鎖を壊されてしまったペンダントを悲しげに眺めていた。
そういえば、初めて彼女に会ったときもこんな様子だった。
ターロイは数年前、グレイに連れられて身体の弱いサイ国王の往診に行ったときのことを思い出した。
国王の部屋にいた王女は、小さな頃から大事にしていたオルゴールが壊れて、随分と悲しんでいたのだ。確か彼女が生まれたときに前王が作らせた特注品だと言っていた。
オルゴール程度なら少ない再生スキルでも修復できる。グレイを待っている間にそれを直してあげたら、以来ターロイはジュリアにやたらと懐かれてしまった。
グレイの国王往診は教団によって制限されていたけれど、年に一・二回訪れるごとに、ターロイは彼女のぬいぐるみや髪飾りの修繕をしていた気がする。
「……そのペンダント、直しましょうか。壊れた破片は持ってますか?」
萎れた様子を見かねて声を掛ける。
「直してくれるの? もちろん、持ってる!」
途端にぱぁと顔を明るくした少女は、テーブルの上にペンダントと鎖の破片を置いた。ターロイが再生をするには、全てのパーツが揃っている必要がある。ジュリアには以前そう言っておいたから、覚えていたのだろう。
ターロイはそれを手にとって、壊れた部分を指先で数度撫でた。
これは感覚なのだが、壊れた物質の情報が指先から脳には行かずに心臓のところにある赤い石に届くようだった。そこで正しい情報に変換されて、指先を通して物質に戻り、変容する。
指先を離すと、鎖は元通りになっていた。
「はい、直りましたよ」
「ありがとう! ターロイ、大好き!」
ペンダントを返すと、ジュリアがそれを大事そうに手にして微笑む。それにターロイも笑顔を作った。
彼女には教団にいるとき同様、愛想のいい顔しか見せてきていない。今更仏頂面で相手をしたら、不安がらせてしまう。
「前に王宮に来てくれたとき、もう直さないって言ってたから、駄目かと思っていたの」
「……こういう大事な物なら、直しますよ」
目の前の少女は十歳になる。王宮から出ていない箱入りとはいえ、もうターロイの修繕の仕方が普通じゃないと気付いてもおかしくない年頃。だから彼女の口から自分の能力のことが他に漏れることを危惧して、再生をやめていたのだ。
今回のはイレギュラー。すぐにでも忘れて欲しい。
「それよりもジュリア様、どうしてこんなところに?」
ターロイは話を逸らすように、本題を持ち出した。
「お供も数人の近衛兵だけだなんて、何があったのですか?」
重ねて訊ねると、彼女が眉を曇らせる。何か良くないことが起こっているのは確かなようだ。しかし彼女はそれに答えず、首を振った。
「ごめんなさい、それはターロイでも話せないの。ただ、わたくしは急ぎミシガルに行かなくてはならないのです。わたくしを街まで連れて行って下さい」
幼いが、さすがは王女。しっかりしている。いくら懐いているとはいえ、教団側の住人であるターロイに情報は漏らさない分別がある。そのくせ、ミシガル行きは主張してくる。
ジュリアは自分を助けた上、事情を聞いてきたターロイになら、このまま放り出されることはないと確信したのだろう。
そのしたたかさに感心して、青年は頷いた。
「ちょうど俺もミシガルに向かっていたところです。あなたのこともミシガルに送るつもりだった。問題ありません」
「ありがとう! ターロイなら絶対そう言ってくれると思ったわ。ターロイはわたくしの味方だもの」
嬉しそうに幼く笑ってまた抱きついてきた王女に、苦笑する。兄王に溺愛されているからなのか、彼女は昔から甘えるのが上手い。しかし自分のような数回しか会っていない人間を、簡単に味方と判断してしまうのは少し危ういかもしれない。
「ジュリア様、あまり簡単に人を信用してはいけません。俺だって、本当は味方じゃないかもしれませんよ? 教団の方の従者なんですから」
「平気よ。わたくし、見えるもの」
「見える? 何がですか?」
「うふふ、ないしょ」
ジュリアはふわふわと笑うだけで、教えてくれる気はないようだった。
まあ、子供の秘密、無理に聞き出すことでもない。
それよりも、少女にも明日の事を先に告げておかなくては。
「それではジュリア様、同行するならしっかり聞いて下さい。明日の日没までにミシガルに着くために、明朝は早くにここを出ます。……その道中、また何者かに襲われるかもしれません。覚悟しておいて下さい」
ターロイが言うと、ジュリアは途端に笑みを消して、へにゃりと眉尻を下げた。
「そんな……どうしよう、そしたら結局ターロイを巻き込んじゃう」
「俺のことは気にしなくて大丈夫ですよ。ジュリア様を守り切る程度の力はありますから」
ジュリアの言葉に、ふと思う。
もしかして、彼女がここに居る詳細を明かさないのも、厄介ごとに俺を巻き込まないためだったのだろうか。
ターロイとしては、最終的な大願成就に繋げるために動いているだけ。王女が気にする必要はないのだけれど。
しかし、国の高位の人間が、そういう他者を思いやる気持ちを持っているのは素直に喜ばしい。ターロイは神を破壊した後の世界のことなんて微塵も考えてもいない。その先はこういう人間が導いてくれればいい。
「俺はあなたを必ずミシガルに連れて行きます。さっきは簡単に信じるなと言いましたが、今回ばかりは何があっても俺を信じて下さい」
「……わかりました。ターロイ、絶対死なないでね?」
「もちろんです」
笑顔で請け合うと、ジュリアも小さく笑った。
「では、明日のためにそちらのベッドで早めにお休み下さい」
「え、ターロイは?」
彼女にベッドを勧めて立ち上がる。ターロイは一人部屋を一つしか取っていなかった。子供とはいえ王女と二人部屋というのは気が引けるし、一人部屋を二つ取るのもジュリアを守りづらいと考えたからだ。
結局、これが最良だと判断してのことだった。
「俺は扉の外で仮眠しながら見張りをします。その方がジュリア様も安心でしょう」
しかし、ターロイの言葉に彼女は不思議そうに首を傾げた。
「どうしてわざわざ扉の外に? どうせならわたくしと一緒にベッドで寝ましょう。その方が近いし、安心だもの」
「え? いや、王女と一つのベッドというのはちょっと……」
予想外の返しだ。ターロイはもちろんこんな子供に不埒な感情を持ったりしないが、かと言って平気でその提案を受け入れるほど非常識な人間でもない。
そんな、一緒に寝ないなんて訳分からんみたいな顔をされても困る。
「俺と一つのベッドで寝るなんて、狭くて嫌でしょう。俺のことは気にせず……」
「別に嫌じゃないわ。わたくしは時々兄様のベッドに潜り込んで一緒に寝ているもの」
……兄様、妹を甘やかしすぎだろう……。
「……ターロイは、わたくしと一緒に寝るのが、そんなに嫌なの?」
いくらかの攻防の挙げ句、最終的にしょぼーんとしてしまったジュリアに捨てられた子犬のような瞳で見上げられて、結局ターロイは降参するしかなくなったのだった。




