第191話 親子喧嘩
フウカの猛攻を凌ぐので精一杯な俺を見下ろしながら、アカタニは懐かしむように語り始めた。
「昔々、あるところに一人の戦災孤児がいた。親はなく、家もなく、彼が唯一安らげる場所は……死臭漂う墓場だけだった」
「何を……? ぐっ!」
俺は答えることができなかった。
答える余裕なんてなかったからだ。
目の前のフウカが、表情一つ変えずに斬撃を繰り出してくる。
彼女の刀は、確実に俺の命を刈り取ろうとしている。フウカが剣術を使えるとは知らなかった。
洗練された型で、体中を切り裂かれていく。
「少年は墓石に供えられた饅頭を啜り、腐肉を漁り、骨と皮だけになっても生にしがみつこうとした……皮肉な話だ。生きている人間は少年に石を投げ、唾を吐きかけたが、死者は何も言わず、ただ静かに少年を受け入れてくれた」
アカタニの感情に呼応するかのようにフウカ、三人の偉人の動きが段々と活発になっていく。
「そんな少年を拾ってくださったのが、先代の武の領頭領様だった。あの方は私に人の道と、術の才を与えてくださった。私は感謝した。必死に妖術を学び、武功を立て、愛する妻を娶り、子を授かり……ああ、これが幸せというものかと」
アカタニの声色が低くなる。
「しかし、和の大国に平和はなかった」
奴が操る、四体の死者の猛攻に俺は、ついに床に膝をついてしまう。
大剣で受け止めたフウカの一撃が重い。
腕の骨が悲鳴を上げている。
「戦火は私の全てを焼いた。最愛の妻も、生まれたばかりの子も、無惨に殺された。それだけではない。戦場で背中を預け合った無二の親友、最強の剣豪サカツマ・ドウデンでさえも……多勢に無勢、卑劣な罠にかかり、命を落とした」
その顔に張り付いた絶望の深さに、俺は戦慄する。
「なぜ、人は争うのか。なぜ、奪い合うのか。私は嘆き、絶望し、そして……気づいたのだ」
アカタニは両手を広げ、まるで神託を授ける狂信者のように高らかに告げた。
「生きているから、争うのだと」
「……な、に……?」
俺の口から、掠れた声が漏れる。
「感情があるから憎しみが生まれる。欲があるから略奪が起きる。ならば、全てを死者に変えてしまえばいい。死者は裏切らない、死者は奪わない、死者は永遠に私のそばにいてくれる! これこそが究極の平和、恒久の安寧!」
狂気じみた発想だった。
どこまで深い、完成された狂気の根源がそこにあった。
「そのために、私は研究を重ね『死者蘇生』の妖術を完成さた。だが、国一つを死者の園にするには強大な力が不可欠、ええ、”八岐の白鱗首”の力がね」
「そのために……アマネを……!」
「アマネ様は純粋で、扱いやすいお方だった」
アカタニはアマネの方を見ることなく、道端の石ころを語るように言った。
「計画には『強い憎しみ』という起爆剤が必要だった。だから私が敬愛していたヒバリ様には……毒を以て死んでいただいた」
「き、さま……っ!」
アマネがその場に崩れ落ちるのが見えた。
それもそうだ、母を殺した仇が、自分を一番近くで支えてくれていた父代わりの男だったからだ。
その真実が、どれだけ彼女を傷つけたのか想像できなかった。
「ヒバリ様は立派な方だ。しかし、平和を望むあまり弱腰すぎた。なので私が手を下し、それを他領の陰謀だとアマネ様に吹き込んだ。母を殺された少女の憎悪は、国を動かすのに十分すぎる力となったよ」
墓を荒らし、過去の英雄を蘇らせて軍勢を作り、アマネの復讐心を煽って戦争を起こさせ、白鱗首を集めさせる。
すべては、生者の国を終わらせ、死者の楽園を作るため。
こんな理不尽が、あってたまるか。
「ふざけるな……!」
俺は、口の中に溜まった血を吐き捨てながら立ち上がる。
フウカが再び剣を振り上げてくる。その切っ先を、俺は素手で掴んだ。
掌が切れ、鮮血が滴り落ちる。
痛みなどどうでもいい。目の前の男を止めるためなら、死だって覚悟してやる。
「お前の勝手な思想に、俺たちを巻き込むな! フウカを……俺の師匠を、そんな汚い野望のために利用するなッ!」
「汚い? これは救済だ、ジーク君。君も、君の大切な師匠も、死んでしまえば二度と離れることはない。悲しみもない。さあ、フウカ殿。その迷える子羊を、楽園へ送って差し上げなさい」
アカタニの命令が下る。
フウカの瞳孔に宿った虚ろが、一層濃くなっていく。
俺が掴んだ剣を強引に引き抜き、俺の首を刎ねようと、彼女は全身を使って踏み込んでくる。
——殺さなければ、殺される。
——倒さなければ、アマネも、この国も救えない。
脳裏に、生前のフウカの笑顔が過る。
"笑う門には福来る"
そう言って豪快に笑っていた彼女は、もういない。
目の前にいるのは、彼女の形をした、悲しい虚ろだけだ。
「……ごめん、フウカ」
俺の額から、青白い炎が激しく噴き出した。
それはかつて制御できない怒りによる炎ではない。
愛する者を、その呪縛から解き放つための、俺だけの力だ。
「俺が、引導を渡す」
青い炎が大剣に纏い、強く燃える。
目が涙で滲み、腕が震えてしまう。
それでも俺は、誰よりも愛した師匠へ向かって、全力の一撃を振り下ろした。




