第185話 操り人形
武の領の城、頭領の居室に隣接する広間にて。
武の領の重臣たちが、緊張を帯びた面持ちで列座していた。
静寂がその場を支配する中、中央に立つ若き頭領、アマネ・ツウゲツは毅然とした姿勢で家臣たちを見据えていた。
彼女の背後には、側近のアカタニが穏やかな顔つきで控えている。
「――今宵、我が領は契の領と鬼の領に対し、戦を仕掛ける」
アマネはそう宣言すると、その一言を残して立ち上がり、広間を後にしようとした。
側近のアカタニが慌てて彼女を呼び止める。
「アマネ様、確かに簡潔と申し上げましたが、せめて家臣らを鼓舞するお言葉や、策の要をお示しになられては……」
「無用だ」
「母上が草花の陰で嘆いておられますぞ!」
「……」
アマネは苛立ちを隠さぬため息をつき、再び中央に腰を据えた。
「この策は遥か昔より綿密に練り上げてきたもの。今さら何を語ろうと事態は変わらぬ。武の領の隆盛こそ我らが唯一の志。他に何を求めると言うのだ、アカタニ?」
「無論です」
「ならば、斯様な会合は時を空費するに過ぎぬ。偵察の報によれば、契の領頭領ヒラナギはすでに我らの企図を見抜いておるとのこと。先んじて動く前に、叩き潰す」
「御意にござります」
アマネは冷然とした表情でそう告げ、広間を後にした。
————
武の領、柳月城。
頭領の居室から遠く離れた薄暗い別室。
松明の灯りが壁に揺らめき、静寂の中、二人の足音が響き合う。
アマネ・ツウゲツは中央に立ち、側近アカタニがその背後に控えていた。
重臣らの前で見せた毅然さとは異なり、彼女の表情には微かな迷いが浮かんでいる。
「アカタニ、答えよ。妾が和の大国統一を果たした暁には、其方は本当に妾との約束を果たしてくれるのか?」
「ふふ、今更何を仰いますやら」
アカタニは手を後ろに組み、不敵な笑みを浮かべた。
「覚えておいでですか? アマネ様が元服を迎える前、私に申されたこと。母君ヒバリ様を手にかけた者どもに復讐がしたい、力が欲しいと。故に、私はその願いを叶えて差し上げたではございませんか」
アカタニが手を二度叩くと、その響きに呼応するように影から一人の男が現れた。
アマネは男を目で追い、歯を食いしばる。
「……其方の所業は、死者への冒涜だ」
その男は侍、サカツマ・ドウデン。
かつて和の大国全土に名を轟かせた最強の剣豪だった。
「武の領、その名の通り我々の武力は和の大国随一。しかし、戦とは予測せぬ風が吹くもの。確実に天下を取るには、致し方なき策にございます」
「それが、あの死者の大軍か……?」
東に位置する山、鷹麗岳。
アカタニの「死者蘇生の術」により甦った一万の兵が、そこに布陣していた。
「――我が知恵が道を切り開きます。貴女はただ、私が示す道を進めばよろしいのです」
アカタニから冷ややかな視線を向けられ、アマネは身を震わせた。
「其方が示す道か……確かに、其方がいなければここまで辿り着けなかったやもしれぬ。だが、アカタニよ、時折そなたの瞳に映るものがわからぬ。何を企て、何を求めている?」
「……」
「何故、妾の母に仕えていたのだ?」
アマネにとってアカタニは単なる側近ではなかった。
赤子の頃から常に傍らに寄り添い、母ヒバリが毒殺された折にも支えてくれた、父とも慕うべき存在だった。
だが、アカタニは変わった。
武の領のためと口にしながら、権力を握るアマネを操り人形の如く扱うようになったのだ。
何が彼を変えたのか、アマネには知る由もなかった。
「……その問いにお答えするのは容易くありません。貴女の母君は、まことに立派な御方であられた。私が仕えた理由など、ただその御心に感銘を受けた故にございます」
アカタニは柔和な笑みを浮かべ、声を低くして応じた。
アマネはその答えを受けて尚も彼をじっと見つめたが、やがて小さく息を吐き、背を向ける。
「よかろう。ただ……妾との『約束』を忘れることだけは許さんぞ」
「御意にござります」
アカタニは頭を下げたまま彼女の背を見送り、唇の端に微かな笑みを浮かべた。
その時、アマネが部屋を出ようと襖を開けると、どこからともなく一羽のフクロウが彼女の横をすり抜けた。
髪が風に揺れ、彼女の瞳に一瞬驚きの色が浮かぶ。
「我が手の内に落ちた雀に、羽ばたく術はありませぬ――」
フクロウは迷わずアカタニの肩に舞い降り、黄色い双眸が闇の中で不気味に光った。




