第163話 鬼哭ノ衆
和の大国。
鬼の領、童王の城下町。
冬の真っ只中であるにもかかわらず夜の町は、樹木の紅葉で彩られていた。
時刻は真夜中なので人通りはない。
可能なら、もっと開けた場所、家屋の少ない場所に行きたかったが。
この無駄に広い面積をもつ国の外に出るには二分かかる。
短いようだが、奴らがそうさせる気はないらしい。
「いくら音を立てずに逃げたとて、お前のその膨大な妖力を我らが見逃すと思っているのか?」
足を止め、声のした方に振り向く。
男が二人、女が三人。
どれもかなり派手な格好をした、鬼族だ。
追われていたことには気付いていたので、いちいちリアクションは取らない。
だが、予想の遥か上をいく強者揃いに、小さなため息を吐く。
鬼の領の、精鋭組と言ったところだろう。
「大人しく投降しろ。さすれば苦しませずに浄土へと送ってやろう」
「シロガネの姉貴! 人族相手に甘すぎんだろ! 地獄のような苦しみを与えてから殺すのがアタイのやり方だよ!」
「ちっ……口を慎みなさいセイラン」
生真面目そうな女鬼シロガネに、小さなナリをした女鬼セイランが反発する。
「頭領様の命令だから、仕方ないとは思うんだけどぉ。中々にいい男じゃない。殺すのはもったいないわね。スイガイもそう思わない?」
「……どうして男の俺に聞くんだ、トウカ」
舌なめずりしながら惜しそうに見てくる女鬼トウカ、面倒くさそうに返す男鬼スイガイ。
「テメェ等! 手ぇ出すなよ! コイツは俺の獲物だ! 誰にも渡さねぇ!」
五人の中で一番血の気の多い、真っ赤なツンツン髪の男鬼が屋根から飛び降りてきた。
如何にも炎属性ですよといった見た目と性格、あふれる自信はどこからくるのだろうか。
だが、五人の中でこの男が一番厄介なのが伝わってくる。
「俺の名はカクシャク! この国で一番強ぇ鬼! 俺が、この拳を振るえば誰であろうと跡形もなく燃やし尽くす!」
そう言ってカクシャクは、両拳を炎でまとわせた。
ありふれた能力に、ありきたりなキャラ。
昔の少年マンガ主人公を彷彿とさせるが、凶悪な顔のせいでヴィラン寄りだ。
「俺とテメェでの尋常な勝負だ! 名乗りやがれ!」
尋常な勝負、というとコイツと俺の一騎打ちということか。
たしかに、そっちの方が他の奴らと戦わずに済みそうだが、却下だ。
「……」
「そこの暑苦しい馬鹿の言うことには耳をかさないでくれ。ルールに則った勝負なんてしない。頭領様の命令は、我々”鬼哭ノ衆”で罪人の処刑だ」
シロガネの言葉に、各々が武器を構えた。
カクシャクが不満そうに舌打ちをしていたが、何も云わず同じように拳を構える。
戦闘は避けられないか。
懐から黒魔術の魔導書を取り出し、ゆっくり後ずさりする。
「今更、逃げようたって無駄だ。我々に追い詰められた時点で、貴様の敗北は決まっている」
「逃げる……? フッ……面白いことを言うな」
「……何だと?」
この連中からしたら、俺は行き止まりに追い詰められた死を待つだけの獲物だろう。
だが、それは大きな間違いだ。
「魔力をだだ漏れにするだけで、池に放った餌に群がる魚のように、バカ正直に集まってくれて好都合だ。囮になった甲斐がある」
この場には、五人衆と俺だけしかいない。
牢屋敷から脱出してすぐ、一緒にいたシャレムたちと別行動を取ったのだ。
四人が追跡されないように、わざと膨大な魔力を発して大通りを走っていたが、こんなに上手く釣れてくれるとは思っていなかった。
「この期に及んで強がりとかダセーんだけど」
「勘違いしているようだから教えてやる……俺は追い詰められていない」
この五人衆は強い、ひとりでも仲間たちの元には行かせてはならないほど厄介だ。
俺はここで仲間たちが無事にこの町から出られるまで、全力で囮を全しなければならない。
「貴様らを、ここに誘き寄せたのだ」
体内の黒魔力を循環させ、魔導書と共鳴させる。
生み出された黒い胞子は、大気を侵食させながら広がっていく。
真っ先にこの力の恐ろしさに勘付いたカクシャクを除いた四人は距離を離した。
鎖国したこの国で黒魔術が認知されているか定かではないが、一瞬にして気取るのは流石は精鋭といえよう。
「かかってこい、まとめて相手にしてやる」
慣れない煽り顔をつくり、挑発する。
相手の能力を知らない状態で、先手をしかけるほど馬鹿じゃない。
「舐めんじゃねぇええええええ! テメェなんざ俺一人で十分なんだよ!」
「よせカクシャク! この男を見誤っていた! ここは連携して……」
「るっせぇえええ! 俺は俺のやり方でぶっ潰す!」
安い挑発に乗り、仲間の忠告を無視して突っ込んでくるカクシャクの拳を受け流し、ゆっくりと鳩尾にカウンターを入れる。
「”呪打撃”」
どんなに優秀な戦士であろうと、頭に血が上れば簡単なカウンターでさえ対応ができなくなる。
直撃を受けたカクシャクは遠くの家屋を突き破って、瓦礫の下敷きになってしまう。
無力化をするつもりで手加減したのだが、以前使っていたよりも黒魔術が何倍も強くなっているようだ。
「嘘でしょ! アタイたちの中でも打たれ強いカクシャクが一撃でやられちまったぞ!」
「チッ、忠告さえ聞いてくれればこんなことには……セイラン! スイガイ! あの妖術使いは接近戦を得意としている! 距離を取りながら直実に削るぞ!」
「「応ッ!」」
シロガネの指示で、ようやく他の連中も連携をする気になったらしい。
小さなナリのセイランが手裏剣やクナイやら投げてくるがすでに張り巡らせた”魔力障壁”には通らない。
「なにあれッ!」
魔力障壁すら知らないらしい。
結界魔術をベースにした魔術なのだから、それもそうか。
それでも飛び道具の雨が止まらず、セイランは素早く動き回りながら武器をこちらに投げ続けていた。
「引っ掛かったねバカ!」
べーと舌を突き出したセイランの言葉の意味が理解出来なかったが、地面から違和感を感じて見下ろすと。
セイランと同一人物が地面を突き破って、力強く抱きついてきた。
次の瞬間、抱きついてきたセイランの体が爆発する。
「ふん、忍びのアタイにとって、どんな妖術でもすぐに看破してやるってのさ!」
「あの爆発を受けたから……一溜りもないはずだよね」
喜んで跳ねるセイランと、安心して刀を下ろすスイガイ。
だが、シロガネだけは決して油断せず武器を構えたまま、煙の上がる方向を注意深く見つめていた。
「二人とも、すぐに態勢を立て直せ。まだ終わっていないようだ……」
「はあ!? そんなっ……」
「マジかよ」
シロガネの言う通り、爆発の二つや三つを受けただけで倒れるほどロベリアの肉体は脆くない。
服装もヤエが作ってくれた強力な素材でつくられた代物なので傷一つ付いていない。
ただ、砂埃で少し汚れてしまった。
(さっきのアレは分身の術ってやつか。本体が注意を引き、爆発物を携帯した分身は地中を掘り進み、術者を囲う魔力障壁を超えたら起爆させる。魔力障壁は上と四方を囲むことはできるが下方だけがザルになっている。それを短時間で看破するだなんて、かなりの洞察力だな)
憧れの忍者漫画に登場する術を間近で見れただけでも、かなりの収穫だ。
だが、未知の魔術の原理をすぐさま分析する洞察力は、長期戦に持ち込んだら面倒になる。
さっさと終わらせるのが吉だ。
「まぁ、近くで見れば見るほど……蕩けそうになるわぁ」
甘ったるい声が背後から聞こえたかと思いきや、女性のすらりとした手が頬に触れていた。
「ねぇ、よかったら私の男にならない? イイこといっぱい……してあげる」
存在を忘れていたトウカという名の女鬼だった。
いや、誰であることよりも、張ったはずの魔力障壁を当然のように通り抜けられたことの方が重要だ。
魔力障壁は確かに展開している、なのにトウカは何もないものように通り抜けて触れてきたのだ。
「きゃッ!」
すぐに手を振り払おうとしたが、トウカのもう片方の手に小刀が握られているのが見え”衝撃”で彼女を吹き飛ばす。
どいつもこいつも油断のできない攻め方を次々と。
別にこちらが不利な状況じゃないが、驚かされるような術ばかりだ。
「……”凶雷”」
出現させた半透明な暗雲から、最大限に出力を絞った漆黒の雷を四人に落とす。
シロガネだけが青い刀身で雷を薙ぎ払っていたが、残りの四人は直撃を受ける。
かなりの規模になってしまったが、任意の者にだけ降るように操作したので周辺の家屋などには被害はない。
「ぐはっ……」
「うぅぅぅ」
「ああん……痺れるわねぇ」
苦しんでいる二名と、悦んでいる一名を尻目に、刀を中段に構えるシロガネと視線をあわせる。
下に見ていた人間に多勢無勢で挑んで、反撃で仲間の半数以上をやられて、それでも降参や逃亡もしない度量には天晴だ。
「詫びよう、人族だからと其方を侮っていた。人族の中にもいるのだな……其方のような素晴らしき戦人が」
シロガネが携える蒼天で彩られた刀剣は、月光によってまた一層鮮烈に輝いていく。
侮りを捨て去り、全身全霊、次の一撃で屠る”鬼の眼”。
俺を対等かそれ以上と見做して変質したシロガネの姿勢に敬意を感じたが、それだけだ。
「見識が狭い。外界はもっと広い。視界が眩むほどに広く、手をどこまでも伸ばせるほどに愉しい」
「羨ましいものだな。其方とはもっと語らいたかったが、決着をつけさせてもらおう。これは……天下無双の武人”ドウデン・ツカマサ”から受け継いた相伝の流派だ―――」
空を断ち切る音は鳴らず、ただ森閑と行われた一手。
刀の振る動作をとらえることすら許さない速度で、超密度の空間を歪める斬撃が三度。
刀を抜いたことすら、否、死んだことすら気付かせないほど緻密で慈悲深い剣術を放ったシロガネの先の言葉を思い出す。
―――大人しく投降しろ。さすれば苦しませずに浄土へと送ってやろう!
(なるほど……速いな……)
速度に絞ったことで威力はお粗末だ、反射神経で対処すれば見えない攻撃ではない。
あとは首を刎ねられる前に斬撃を、黒魔力で包み込んだ左腕で相殺する。
霧散した自身の斬撃を前にシロガネは万策尽きたのか、その場にへたり込んだ。
「見事也、鬼哭ノ衆総員ですら足元にも及ばなかった……」
敗北を認めたシロガネと、気絶したその他を”薔薇糸”で動きを封じる。
十二強将の規格外な強さからは程遠いが、初めから油断せずに挑めば爪痕ぐらいは残せただろう。
これで脅威は去った。
このままシャレム達と合流して、一緒に鬼の領から出るとしよう。
(空の方から、何かが……?)
身の毛もよだつ存在を、すぐ近くに感じ取る。
危機感に呼応するように無意識レベルで身を防護するために、全身から満遍なく黒魔力があふれる。
臨戦態勢を維持したまま、その存在を迎える。
同時刻の魔王国。
魔王城で、執務をラプラとこなしていた魔王ユニも何かを感じ取ったように、玉座から立ち上がった。
右手に禍々しい魔力を帯び、魔剣を顕現させる。
周囲の家臣達は訳が分からず魔王ユニが険しい表情で、武器を手にしたことに騒然とするが。
「皆の者、今すぐ逃げるのじゃ――――」
現時点で、もっとも強いと世界に認められた魔王が、その存在を前に笑うことすら止めていた。




