16.
イスティク通りにはシェイドの言った通り、沢山の宿が軒を連ねていた。
歩きながらシェイドが説明してくれたのは、この通りに並ぶ宿は殆どが異国の隊商相手で、通りから少し入った裏通りには、彼等目当ての娼館や酒場が多いのだという事だ。
アイシャが本を買いに行った通りも、イスティク通りからそう離れていないので、知らずにそういった場所へ足を踏み入れてしまったらしい。
地図についての説明では、普通の店や宿はきちんと標記されているが、娼館や酒場は店の名前だけしか載っていないという事だ。
それは子供や女性の目に触れた時、風紀の面であまりよろしくないからだそうな。
成る程と頷きながら通りを歩くと、シェイドがアラニアの看板を見つけて指を指した。
「結構大きな宿なのね。名前だけで分かるかしら?」
「君の知っている情報を伝えれば大丈夫さ。外で待とうと思ったけど、不安なら一緒に行こうか?」
「ええ。着いて来て欲しいわ」
「君にそう言われるのはいいな。それじゃあ行こう」
と言いながら、すっかりいつも通りに戻ったシェイドは、受付を呼んで要件を伝えてくれた。
アイシャが自分の知っている情報を可能な限り受付係に話すと、ちょうど今食堂で先に来ていた連れとお茶を飲んでいるという。
受付係はどのテーブルにいるかも教えてくれたので、二人は礼を言ってそこに向かった。
食堂は受付の前を真っ直ぐ進んだ、突き当たりを左に折れた先にあった。
宿の大きさに比例して、食堂もかなり広く出来ている。
通りに面した席はガラス張りになっていて、お目当ての人物はその列の奥から二つ目にいるという事だ。
明るい光が差し込むその席に近付くと、3人の男性が座っているのが見えて、その内の2人には見覚えがあった。
驚いた事に、昨日助けて貰った異国人の兄弟がいる。
「えっ!?どうして貴方達が‥?」
思わず声を上げると兄の方がこちらを向いた。
「おお!昨日のお嬢さんではないか。早速私に会いに来たのだな」
「いえ、その‥」
兄がアイシャに近付こうと立ち上がると、すかさずシェイドがその間に立ちはだかった。
「この異国人は君の知り合いなのか?」
「え、ええ。昨日色々あって‥」
「知り合いなどとは水臭い。まずは友人から始めようではないか」
「兄上、お嬢さんが困っています。何も始まりませんし、おかしな事を言うのはやめて下さい。それでお嬢さん、どうしたんだい?何か困り事かな?」
「あ、あの、実はオセアノにあるドス・タペッテスというお店の、サンショという人を訪ねて来たんですが‥」
「サンショ?サンショお前、このお嬢さんと知り合いなのか?」
弟の隣に座る男性が、顔を上げてアイシャを見た途端、かなり驚いた顔をした。
中肉中背で鼻の下に髭、茶色い髪に大体50代位と思われるその男性は、まさしく聞いた通りの特徴で、アイシャが探していたサンショその人だった。
「‥‥いや、これは驚いた!昔貴女に良く似た女性を旅に同行させた事がある。もしかしたら貴女は、カランで産まれたあの時の赤ん坊では?」
「ええ、そうです。‥覚えて‥?」
「忘れるもんですか。あまりに哀れな最期でしたからね‥‥。でもお嬢さんはいい所へ貰われた筈ですが、私を訪ねて来たのは何故でしょう?」
「あの、聞きたい事があるんです。よろしかったら少し時間を頂けませんか?」
するとアイシャの真剣な様子に、弟のシモンが口を開いた。
「サンショ、兄上と私は隣のテーブルへ移るから、このお嬢さんとじっくり話したらいい。お嬢さん、私達がサンショと一緒にいたのを見て驚いていたね。実は私の母の実家は商家で、このサンショはそこの従業員なんだよ。オセアノからナザロという港町までは同行したんだが、サンショはそこでも取引きがあってね、一旦別れてここで合流したんだよ」
「そうだったんですか。そういえば貴方方は、オセアノ王家の遣いで来た言っていましたね」
「フフン!そこを早く聞いて欲しかった。今回の主役は私なのだ。私の腕を買われて、わざわざ砂漠まで来たんだからな」
「兄上、自己アピールだけで、具体的には何も伝わっていませんよ。まあ、我々の事情は後で話すとして、お嬢さんはこの席でサンショと話せばいいよ。さ、兄上、隣へ移りますよ!」
「何故後回しなのだ?私の扱いが雑すぎやしないか?」
「気のせいですよ兄上。いつも通り雑なだけです」
「そうなのか?ん?それじゃあ常に雑なんじゃ‥」
「それはそうとお嬢さん、彼は昨日言っていたアテというやつかい?」
「あ、ええそうです。あの、すみません、気を遣って頂いて」
「いや、わざわざ訪ねて来たという事は、それだけお嬢さんにとって深刻な話なんだろう。我々には気を遣わなくていいよ。特に兄上には、関わると碌な事にならないからね」
「えっと、ありがとうございます。それじゃあ暫く、サンショさんを借ります」
兄の方はブツブツと文句を言っていたが、弟は強引に兄を引っ張り、ヒラヒラと手を振りながら隣のテーブルへ移動した。
アイシャがサンショの前に座ってシェイドを見上げると、シェイドは頷き隣に座った。
「サンショさん、私が聞きたい事というのは、私を産んだ母親についてです。貴方は母が何故身重の体で異国へやって来たのか、理由を知っていますか?」
「期待に添えなくて申し訳ないが、私は何も知らないんですよ。名前を聞いたらエリアスと名乗りましたが、多分偽名だと思います。呼んでも時々反応しませんでしたからね」
「アイシャ、エリアスとは‥ダンハルク語で偽名という意味だ」
「偽名‥。それじゃあエゼンタールも‥」
「ああ、そういえば貴女を引き取ったご婦人にも、その言葉を聞かれましたっけ。聞かれても私にはさっぱりでしたが、死の間際で偽りは言わないと思いますよ。まあ、そうですね、私に分かる事といえば、貴女を産んだ人はナザロの港町で、どこかの船から降りたという事ですかね」
「船!?船ですか?」
「ええ。あそこは色々な国の船が着きます。ナザロは海に面したタルケスという国の、港町ですからね。ただ、どこの国の船に乗って来たかは分かりません」
「‥そう‥ですか。あの、母はどうして貴方の隊商に同行したのでしょう?その辺りを詳しく話して頂けませんか?」
「分かりました。私も何か忘れていた事を思い出すかもしれませんし、それがお嬢さんの知りたかった事に繋がるかもしれません。少し長くなりますが話しましょう」
「はい、お願いします」
サンショは頷き、過去を思い出す時の遠い目をしてから、一つ息を吐いて話し始めた。
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