第二十一話
「えへへ、あったかーい」
私は自分に擦り寄って甘えてくる少女に戸惑いつつ、どうしたらいいか対応を考える。そもそも、自分の事を母親と言ってくる自体で気まずい。
「えっと…君は誰? たぶん、私は君のお母さんじゃないと思うんだけど……」
根本的な疑問を少女に問いかけてみる。お互い初対面な訳であり、名前も知らないのだから。
そんな私の質問に少女は笑顔を止めてしまう。
「え、ママ…私のこと、嫌い?」
愕然として少女は私へと詰め寄って来た。次にはじわりと目元を涙で溜めて今にも爆発しそうだ。
「うぇ…ひぐっ、ふえぇぇぇ……」
「え、あの、ちょっと!」
しだいに少女はくぐもった嗚咽を漏らしていく。突如として泣きだした少女をなんとか宥めようと私は健闘しますが、なかなか止めてくれません。もはや何が何だか理解が追い付けなくなりつつあった。
「ほら、泣いちゃだめ。どうして泣いちゃうの?」
「だっで、マ"マ"が…ママじゃ…ぐすっ…ないっでぇ……」
透き通る少女の青い瞳からは涙がとめどなく流れ続けている。こんな可愛らしい少女を泣かしたことに私も罪悪感を覚えつつあった。
困惑極まる状況、これを打破したのはエレイシアでした。
「あいっ!」
「ひゃぁっ!」
泣き続ける少女へエレイシアが手を伸ばした。その小さな手は少女の頭上に咲いている花の花弁に触れ、もみもみと揉み始める。
「ひぅっ! く、くすぐったいよぉ!」
どうやら少女の頭上の花には感覚が通じているらしく、本当にこそばゆいという風な顔をしてエレイシアの悪戯を嫌がった。意外にも花弁は丈夫であり、いささか強く引っ張っても千切れる様子は無さそうでした。
私は胸元で暴れ回る二人からの衝撃にどうにか耐えながら止めようとしましたが、それより先に肩からボーとキキが少女へと飛び移る。二匹も同じく少女の花に興味をそそられたらしい。
「良い匂い!」
「キレイキレイ!」
ご自慢の羽で空中に浮かびながらエレイシアと同じように花弁を触り出した。
「やめてぇーっ! お花触らないでぇーっ!」
もはや度重なるエレイシアとボーとキキの悪戯により、少女は別の意味で泣いた。懇願する少女とは裏腹に一人と二匹の行動は止まらずむしろエスカレートしつつあった。
むしろこっちが止めてもらいたいです。先ほどから自分の胸元で激しく暴れまわられて辛いんですけど…。
「ごふっ! ちょっと、苦しっ!」
時折、色々と私の顔にぶつかってくるからさぁ大変。収拾を付けることは不可能となりつつあった。四面楚歌かと思われたが、その時もっとも大きな助けが私を救った。今まで暴れ回っていた四者が突如と私の元から浮かんで天井近くまで離れた。
この光景はもはや良く知っていました。身動きが自由に取れなくなってもがいているエレイシア達を余所に私は首を右に向けた。
「起き上がって早々何をしているんだお前は」
あからさまに呆れ果てた顔をしたクリムさんが右手を突き出して空中浮遊の魔導を行使している姿が目に映った。
「少し退いてろ」
「あ、はい…」
クリムさんは何も聞かず私に端へ寄っているよう命じた。少女について何か知っているかもしれない当事者の可能性を求めつつ、この状況の適任者としてクリムさんの言う通りに動いた。
私が言われた通りの場所に移動した後、クリムさんは腕を払って浮かばせているエレイシア達を空中で横に整列させていた。
「エレイシアとそこの妖精二匹の事情は聞かなくてもわかるとして…そこのアルラウネが根本か」
「あはははっ! 浮かんでるー!」
「驚いたな、こんな短期間で自我を持つほどに成長するとは」
年相応にはしゃぐ少女――アルラウネ――は綺麗な顔で笑っている。生まれて間もない、まだ赤ん坊同然の微笑み。
私は少々心配しながらクリムさんの動向を見守るのでした。
◆◇◆◇
これは俺でさえ想定外の出来事だった。アルラウネはある程度成長するとマンドラゴラとは違い、魔物として自我を持つようになる。とは言っても、その時間は最低でも一週間は必要なんだが…。
結果はどうだ? 見事に過程を裏切って目を離した数分でここまで成長するとはな。
魔力分解能力者の血液はアルラウネにとって絶好の成長促進剤でもあったということか。
…正直厄介な結果になったな。
「クリムさん、一体誰なんですかこの子は?」
シェリーが俺に近づいて耳元で小さな声で囁いた。
「アルラウネという植物系の魔物だ。研究用として新芽からこれから育てようとしたんだが、お前の血を与えてみたらこの様だ」
「私の血を、ですか?」
疑問を感じているシェリーに俺は一からマンドレイクを初めとした生態を説明しておく。
えらく長い説明だったが、シェリーはどうにかして要点だけを自分でまとめて理解できたようなので納得する。様子を見ていたが、危険性はなさそうなので、アルラウネ共々にエレイシア達も空中浮遊の魔導を解いて床に着地させておく。
その途端、アルラウネは下半身の花部分でぴょんぴょんと兎のように跳ねてシェリーへ飛び込んでくる。歩くという動作が出来ないアルラウネ独特の移動の仕方の一つだ。ちなみにもう一つは植物の蔓を上手く使って移動する。
だが、アルラウネはまだ幼いから組織が柔らかくてそんな負担のかかる移動方法は取れない。
だから前者の移動を取るのだ。
「そうだよー、私はママの血でここまで大きくなれたんだもん」
「あぁ、だから…」
嬉しそうな顔をするアルラウネとは対照的にシェリーは何だか複雑な様子だ。確かに勝手に血液を使ったのは謝ろう。だが、初めてここに来た時に条件として出来る限りの手伝いはしてもらうと提示してそれに許可を出したのだ。文句は聞くが責めるのはお門違いという物だ。飽くまで俺は魔導士、妥協はしない。研究のためならば使える物は使うという習性を今さら変えるつもりはさらさらないんだ。
そういやこのアルラウネには元がある。鉢から生えてきた以上、根城は小さいそれだ。
俺は研究室から伸びてきている蔓をたどって足を進めると、予想通りに机の上に置いてある鉢には束ねられた根茎が異様な長さで生えている。
土を溢さなかっただけでもマシか。では、予定は早まったが本来の用途へと入るとしよう。
鉢を持って研究室から出てきた俺はアルラウネと向かい合う。
「シェリー、部屋へ戻っていろ。ここから先は見るような物じゃない」
本当は植物に近い苗木の状態でやる筈だったが、量が多くなったと考えておけばいい。
「…何をするんですか?」
俺の言葉にシェリーの顔が若干青色に変わった気がした。
「お前は知らなくてもいい」
大方想像できたんだろうな…。勘付きが鋭いというのは厄介になる。
「まさか、実験に使うため殺す気なんですか!」
「そのために育てた」
「駄目ですよ! そんなのこの子が可哀想です!」
シェリーは声を荒げて俺に意見を言ってくるが、俺も引く訳にはいかない理由がある。強引にシェリーの制止を押しのけてアルラウネを連れて行こうとする。
「ほら、こっちへ来い」
「やーっ!」
アルラウネは暴れ出す。強い力で抵抗してくるが、俺はこれを無効化して運びやすいようにした。
泣くな。だから自我を持つまで育つとこういう風に厄介になるんだこれが……。
そこにシェリーが俺の前に立って止めるかつ押し戻すべく、両手を俺の胸に押しつけた。どうやら感化されたか。だが同情と擁護は全然違うことが分かってない。
「生きているんですよ? こんなことのために短い命に変える権利がクリムさんにあるんですかっ!」
「…アルラウネは自我が幼い頃ならばそれなりに接することはできる。だが、成熟すると――」
――凶暴性を露わにしてくる。無論、人間という獲物を襲うまでに…。
「ママと呼ばれて母性がくすぐられた程度ならば人間のように接する行為はお前にとっても障害となる。確かにこのアルラウネはお前の血を与えて育った。だがお前の『娘』ではない。そこを履き違えるな」
「で、ですけど……」
「シェリー、亜人とは違うんだアルラウネは…俺も同一視したくはないがカサンドラと同じ『魔物』でしかない」
お前にわざわざ『生きた爆弾』を育てさせる真似は俺もしたくはないんだ。
それに、たとえ育て上げたとしてもアルラウネは魔物としての本能に抗うことはできない。責任感の強いシェリーのことだ。もしアルラウネが人を襲うようになり、殺してしまう羽目になったら良心の呵責に耐えきれず、自分以上に責め続けるだろう。
だからこそ間違えてはならない。俺はシェリーとエレイシアをできるだけ無事を保障する義務がある。
「さぁ、退くんだ」
意気消沈したシェリーの腕から力が抜けた。俺を押し返そうとする気力がないからか。このまま俺はライザもいるであろう処理場に鉢を持ったまま向かおうとする。数歩歩いてこのまま外への扉に手をかけるが、ふと鉢を持った手から重さが消えた。
「えぃっ!」
なんと、シェリーが鉢を俺の後ろから掠め取ったのだ。そのままエレイシアも抱いて大急ぎでシェリーは寝室へと向かい、力強くドアを閉めた。
(やれやれ、強硬手段という訳か?)
俺はシェリー達の寝室へと向かってドアノブを捻ってドアを開けようとする。
「んっ?」
開かなかった。おかしい、このドアには鍵なんて付いてないんだが…。
「…次は籠城戦ってか?」
しかたない。時間をこんな風に使うのは気に食わないが付き合ってやるか。
俺も随分と甘くなったものだ。こう考えつつ俺は寝室のドアの前に胡坐をかいて座り込む。
「それで、そのまま俺が納得するまで閉じこもる気か?」
少し大きく声を出して閉じこもっているシェリー達にも聞こえるように言った。
「悪いが不可能に近いぞ? ここから出てきたら最後、有無を言わせずアルラウネは連れていくぞ」
「…そんなことさせません」
弱々しいシェリーの声がドア越しに聞こえてくる。
「私、ここに来るまでに友達を見捨てたことがあるんです」
そのまま静かにシェリーの話は始まった。
「ケティっていう子なんですけど、私が小さい頃から一緒に遊んでくれたとても仲の良い子でした」
「…………」
「そんな関係は大きくなっても続いて、いつでも、どんなつらい時でも私の傍にいてくれた大切な友達だったんです」
さっきから過去形で話しているあたり、現在のその友達の存在について明確に思い浮かんだ。
「私は…弱いんです。誰かの手にすがらなきゃ、生きていけないような弱い人間なんです。こんな私の我儘に付き合って…ケティは……」
シェリーからぐぐもった声が出てくる。
「あの子、最後に言ったんです。「どんなに惨めな目に合おうとも、大切な娘のために生きて生き抜きなさいっ!」って。命を、かけて、私の追手の、足ど…め、を……」
もはやシェリーの情緒は限界に近かった。しだいに静かに泣く声が聞こえてくる。これが数分。
ようやく収まったところでシェリーは話を再開した。
「もう、誰も見捨てたくない。私ができるならば、手を差し伸べてくれることを望んでいる人がいるなら、その手を掴んであげたい」
「たとえ魔物でもか?」
「…はい」
「たとえ自分の命を差し出すことになってもか?」
ここで、俺は差し出すと答えるならば強引に部屋に入ることを心に決める。この選択は愚劣極まりない。自分の命は自分にだけしか使えないのだ。代わりになるという考えを持つのは猶予を与えるに値しない存在。俺は考えている。
求めていたのかは定かではない。シェリーの質問の答えは俺を裏切った。
「いいえ、命は差し出せません。ですが、代わりに人生を費やすのは構いません」
本当に甘い。人は他人のために人生を費やせることは永遠にない。そんなことしたら単なる依存でしかない。悪影響を及ぼす種にしか変化しない。
あぁ笑いそうだ。お人よしも極まればこうまで歯に衣着せぬ言葉が出てくるというのか…。
だが、それがいい。それが人間だ。
「十分ほど時間をやる」
「えっ……?」
「それまでに俺が納得できる志を示せ。できなければこれ以上は何の時間も与えない」
俺は胡坐を崩して立ち上がる。こちとら今日採取しておいたマンドラゴラの状態を見ておかねばならない。そろそろライザの土落としの処理も終わっている頃だろうし。
「期待しているぞ、お前が成長してくれることを…」
この意味は二つに取れる。シェリーは『統合』を取るか、それとも『妥協』を取るか…。そんな決断力が委ねられる。
俺は待とう。このお人よしな一人の母の選択を楽しみに待とう。




