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後編

前中後編の文字配分がおかしいって?

気にしたらいけない。

私は、サマンサ。最近、公認妾だったお母様がお父様の正妻になれたので、私はサマンサ・マグナクト伯爵令嬢となったの。

そして、近いうちにサマンサ・ハーディルト伯爵夫人となる予定よ。

私の夢見た上流階級。

伯爵令嬢だって上流階級だけど、このままだと田舎の領地で細々と暮らして、庶子上がりの令嬢でも喜んで迎えてくれる田舎の裕福な子爵家あたりと結婚させられるしかなかったと思うの。


でも、私に救い主が現れた。それが、デイブン・ハーディルト伯爵。

私と結婚したいと言ってくれたの。だから現在、彼は私の婚約者なの。

その彼を一言で表すとしたら、大きな肉塊ね。年もお父様と同じくらいらしい。

でも、それがなんなのかしら。

だって彼は、王都在住で伯爵位を持つ肉塊なのよ?

誰にも蔑まれない身分になる。その夢を叶えてくれる肉塊様なの。


彼が私を幸せにしてくれるのだから、私も彼を幸せにしてあげなくてはね!


「というわけで、ハーディルト伯爵様、私もあなたを幸せにして差し上げたいのだけど、あなたはどうしたら幸せになるのかしら?」

「何が『というわけ』なのか全くわからないけど、私の幸せなら今も君と共にあるよ。君と結婚できたら、さらに私は幸せになれるがね」


ハーディルト伯爵邸のテラス。穏やかな春の日差しが心地よい空間で、色とりどりの花が咲いた庭をバックに、肉塊様改め、ハーディルト伯爵様はその肉に埋もれた細い目をウインクして見せた。

私は少しほっこりした気持ちになる。

男の人って、お母様しか見えないお父様と私を馬鹿にする護衛くらいしか身近にいなかったのよね。

悪評が広まっていて危ないからと、教育は学校ではなく、メイドの中では唯一まともだったマーサとお母様がしてくれていたし。

だから、男の人がこんなに愛らしいものだとは思ってもみなかったわ。

この可愛い存在のために、何かしてあげたい気持ちになる。

うちの隣の家の老婦人が、ペットの犬に様々な高級肉をやたら与えてすごく太らせていたのだけど、きっとこんな気持ちだったのね。

私はハーディルト伯爵の口に、お茶請けのミートボールを突っ込んだ。


このミートボール、今日のハーディルト伯爵邸でのデートのために、私が手作りしたの。

彼の好物だと聞いて、お茶請けにと思って作ったのよ。

ミートボールと最高級茶葉の紅茶。

……びっくりするほど合わないわね。

でも彼は、私がお茶請けにと出したミートボールを喜んでくれたわ。

そういえば、目元がピクピクしてたけど、眼精疲労かしら?

きっとお仕事が忙しいのね。


「それにしても、いっしょにいるだけなんて、それじゃ私にやりがいがないわ。私がして差し上げられることはないのかしら」

「それなら……」


ハーディルト伯爵が少し気恥ずかしげに私に言った。


「ハーディルト伯爵などと他人行儀な呼び方ではなく、私のことを名前で呼んでもらえないかね?もし良ければ、君が呼びやすい愛称で呼んでくれて構わないよ」


『もし良ければ』

この間お母様に教えてもらったわ。この言葉は、相手に選択肢を迫るように見せて、是非そうしてくれというアピールワードなのよね?

でしたら、私もこの方にふさわしく、私が呼びやすい愛称をつけて差し上げなくては!


「お名前はデイブンだから……。デイブン、デイブン……デイ、デブ、デン……そうだわ!『デブ』なんてどうかしら?」

「『デブ』……。それはいいね。伝承にあるいにしえの勇者の愛称といっしょなのが、少しおこがましい気もするけど」

「勇者『デブ』の物語、私は好きなの。彼は強くて優しくて、どんな攻撃もその体には通じなかったというわ。それに彼が素敵なのは、他の伝承の勇者と違って、生涯奥様お一人を愛し続けた所なの。私もあなたと結婚したら、妾など作って欲しくないの」


私達も妾側で不幸だったし、お屋敷の奥様達も不幸だったみたいだし、ハーディルト伯爵……いえ、デブ様には政略であろうとも、妻に誠実であって欲しいわ。

デブ様は私の手をとり、優しい目で私を見つめた。


「私は君以外に女などいらないさ。生涯、妻は君だけ。妾など持たないと、勇者デブと契約の女神ガリクスンに誓おう。ところで君は呼んで欲しい愛称があるかい?」


男の人の、ふかふかの丸パンのような手の熱が、私の手を通して私に移ったのかしら。なんだか、心臓が騒いで頬が熱いわ。

私は、そんな自分の気持ちに戸惑いながら、頬の熱を誤魔化すように彼の深い蒼の瞳から、ぷいと目を逸らして言った。


「特にないわ。あなたに決めて欲しい」


デブ様は嬉しそうに私の名を口から紡いだ。


「サマンサ、サマンサ……サム、は男性名のようだし、サマー……。夏を意味する言葉か。なんだか君を表すには物足りないな。そうだ、『エターナルホットサマー』はどうだろう?私の永遠に冷めぬ気持ちを込めて……」


……ダッッサああ!!!

なんて破壊的ダサさ!どうしよう。一瞬で全身鳥肌が立ったわ。

ちょっと待って。もうすぐ私、デビュタントよ?

それも、王家主催の舞踏会。国内のあらゆる貴族が集まる場所で、私はデブ様から『エターナルホットサマー』と呼ばれるの?

正直その呼び名は、『娼婦の娘』とは違うベクトルで、どっこいどっこいの酷さよ!

デブ様は、王宮でのお役目上、私に積極的な社交はしないで欲しいと言っていたけれど、当然高位貴族には絶対参加の式典や王家主催の会があるわけで。

そこで私は、「あれがエターナルホットサマー様よ(笑)」「やだ、暑苦しい方なのかしら?(笑)」などと陰口を言われてしまう未来が不可避だわ。


なんてこと。社交界に出れば『娼婦の娘』と陰口を叩かれるくらいは予想できていたけど、こんな蔑まれ方が追加されるなんて、まさかの事態よ。

ここは、チェンジで。


「『サム』でお願いします」


デブ様は首を傾げた。


「『エターナルホットサマー』じゃ駄目かい?」

「私の中では、『サム』一択です。どうかサムと呼んでくださいませ。お願いだからサマー系は無しの方向で」

「そうか。気持ちに偽り無しのようだし、君の気持ちが大事だ。サムと呼ぶことにしよう」

「そんなあなたが大好きだわ、デブ様!」

「え、好き?私を?そ、そうか……そうかね!うん、偽り無しだ!」


デブ様は嬉しそうだ。結果オーライね!

なんだかこちらも嬉しくなる。この方が王都在住の伯爵で良かったわ。

この方が王都在住でもなく上流階級でもなかったら……。


私は、どうしていたのかしら。

もちろん、別の王都在住の上流階級の方と結婚をしていたはずなんだけど、何故だか胸がモヤモヤするわ。



「失礼します、旦那様。王宮から、使いの方がお見えです」


物思いにふけっていると、ハーディルト家執事長のラルフがデブ様に来客を告げる声が聞こえた。

デブ様は眉間に皺を寄せると、ため息を吐いた。


「申し訳ない、サム。王宮から邪魔が入ったようだ。しばらくかかりそうな気がするので、非常に残念だが、この夢の時間はここでお開きとしよう」

「そう、なのですか……」


少し寂しいわ。デブ様とお会いしていると、なんだか心地よいのだもの。

でも、お仕事なら仕方ないわね。


「お仕事、頑張ってくださいね」


そう声をかけると、デブ様はその細い目を軽く見開いて、幸せそうに微笑んだ。


「なんだか、結婚後の私達が見えたようだよ」


その言葉で、私もふっと夫婦になった自分達の姿が浮かんでしまう。

やだわ。顔が熱い。なんなのかしら。

デブ様は、そんな私に言葉を重ねた。


「もうすぐデビュタントの舞踏会だ。私の贈った、私の瞳の色と同じドレスを着たエタ……サムをエスコートできるのを楽しみにしている」


今、封印されし『エターナルホットサマー』の名を口にしかけましたね?

愛称のセンスが壊滅的なのだけど、ドレスのセンスは大丈夫なのかしら。

なんだか、不安になってきたわね。

でも、デビュタントの日が来れば、晴れて婚約者を発表できるのがこの国の慣わし。それに関しては、楽しみだわ。


「私も、あなたの婚約者として隣に立つのを楽しみにしています」


そう答えた私のおでこにデブ様は軽く口づけを落とし、ドスドスと部屋を出ていった。

彼の唇が触れたおでこに手を当てる。

今、私、顔からファイヤーしてもおかしくない。

落ち着かないと。こんな顔で家にお父様やお母様に会うのは、恥ずかしいわ。

こんな時に心を落ち着かせる魔法の言葉は、何かないかしら。


「エターナルホットサマー……」


落ち着いた。浮き立った心がスーッと冷静になったわ。

なんとも言えぬ表情で、帰ろうと席を立った私に、給仕のためについていた年嵩のメイドが優しい声で言ってくれた。


「ご安心ください。旦那様のお召し物は全て専門知識を持った者がアドバイスして購入しております。マグナクト伯爵令嬢のドレスも、必ず検閲致しますから」

「ありがとう。本当に、ありがとう」


私は感謝のあまり、二度お礼を言った。





それから時はあっという間に過ぎた。


先日、約束通りデブ様から素晴らしいドレスと靴と扇が届いたの。

彼の瞳と同じサファイアブルーのドレス。手触りの良い光沢のある布地は、最高品質だと容易にわかるもので、縫いつけられたたくさんのパールは、クラシカルな品の良いデザインに可愛らしさの要素も加わり、デビュタントにふさわしい仕上がりになっている。


あまりに素敵なドレスに、「お母様、デブ様からのドレスが素敵過ぎるわ!」と思わず彼の愛称を口にしてしまって、お母様が向かいに座っていたお父様に、口から紅茶を噴霧する事件が起きてしまったの。

お母様はしばらく「デブ様……デブ様はいかん……」とうずくまって震えていらしたけど、何がいけないのかしら。

お父様も、苦しむお母様を見ておろおろしていたけど、お父様もこの愛称の何がお母様をこんな風にしたのか、わかっていない様子だったわね。


こんな騒ぎがあったけど、これを届けてくれた仕立て屋のマダムは気にせず仕事をしてくれた。

マダムは、サイズ調整をしながら「大変でしたのよ。ハーディルト伯爵ときたら、このパールで背中部分にあなたの名前を刺繍してくれとか言うから、かなり本気で罵倒してしまったわ。あの方、何考えてるのかしらね」と私に教えてくれた。

なんというナイスセーブなの。私は思わず、仕立て屋のマダムに握手を求めたわ。

デブ様は理想的な婚約者だけど、神は二スキルを与えずと言うものね。



というわけで、今日は王家主催の大舞踏会。とうとう私のデビュタントの日よ。

デブ様からいただいたドレスをまとって、装いは完璧。

でもとても残念なことに、私のエスコートはどこぞの騎士がしてくれている。

急遽、デブ様はお仕事が入ったみたいで、いっしょに入場できないからと、お知り合いの騎士を代役に頼んでくれたらしい。

デブ様は「彼は女性よりも男性が好きな人だから、安心して任せられる」と言っていたけど、そんなことを聞けば私はちっとも安心ではない。

この方、デブ様とはどんな関係かしら。

まさか、お()合い……?


王宮に到着し、会場までの道のりの最中、疑いの目を向ける私に、騎士様は気づいたようだ。


「あー……、ハーディルト伯爵でなくて申し訳ありません」

「いえ、それは仕方ないことですわ。それよりも騎士様、騎士様はデ……ハーディルト伯爵とはどのような……」


つい剣呑な声色になってしまった私に、騎士様は片眉を上げて、ニヤリと笑った。


「もしや、私と伯爵の関係を疑っておいでで?」

「……正直、気になってます」

「ふふ、お好きなんですな、伯爵のことが」


好き……。ええ、好きだわ。そう、政略結婚の相手として。私を幸せにしてくれる人として。

彼は私を守る力があるし、守ろうとしてくれるし、優しくしてくれるし、可愛い顔で笑うし、それに、それに……私を幸せな気持ちにしてくれるのよ。

ああ、考えれば考えるほど顔が熱いわ。何故なの?


自分の感情に精一杯で黙っている私に、騎士様は笑って言った。


「その顔を見れば、わかります。本当にお好きなんですな。大丈夫ですよ。私には恋人がいます。もちろん、相手はハーディルト伯爵ではありません」


私は顔を上げて騎士様の顔を見た。微笑ましそうに、私を見ている。


「そうなのですか!それは、よかったですっ」

「くっくっ……。いや、あの伯爵のお相手が、こんな可愛らしい少女とは。それもこのように愛されて……」

「愛?」


きょとんとしてしまった私に、騎士様は諭すように言う。


「誰がどう見ても愛しているではないですか」

「愛……でも、私は……」


私は、これでも貴族の娘よ。それに何より、結婚相手には私を守る身分を求めた。

もし出会ったあの日、彼が王都在住の伯爵ではなかったら、私は彼と婚約なんて結ばなかったわ。

こんな独りよがりの私の気持ちが、愛なわけがない。

愛は、お父様とお母様のように、身分に拘らぬものなのだから。


「ああ、あなたの名前が呼ばれましたね。参りましょう」


ぐるぐる考えていた私を、騎士様の声が引き戻す。

私は、頭の中のもやを振り切るように、絢爛豪華な会場に足を踏み入れた。



私はその眩しさに一瞬目をやられた。

といっても「目があ、目があ~!」と悶えるほどじゃないけど。

もう外は夕闇に呑まれているというのに、会場の中は光に溢れ、魔道具で出来たシャンデリアの煌めきが会場のご婦人方のドレスに縫いつけられた宝石と競い合うように輝いて、もうこれ、目が痛い。


「相変わらず、目をやられますな、ここは」


騎士様も同じ気持ちらしい。

「魔道具シャンデリアの光を抑えればいいのに」とこぼす私に、騎士様も激しく同意した様子で、心からの「全くですな」をいただいた。

そんな私達の元へ、ワイングラスを持ったお父様とお母様がやって来る。

既に一杯飲んでたわね?


「ビーエ・ルー子爵、娘のエスコートをありがとう」

「マグナクト伯爵、私はお嬢様の近くに控えてますので、何かあればお呼びください」


すっと離れる騎士様。ビーエ様というのか。

そういえば、最初に挨拶された時に名乗っていたような。

デブ様がエスコートしてくれないのがショックで、よく聞いてなかったな……。


「ビーエ・ルー子爵。渋くて素敵な騎士ねえ。ハーディルト伯爵は残念だったけど、代役があの方なら眼福で良かったじゃない」


少し酔いのまわったお母様が、少し下世話なことを言ってくる。

お母様、やめて。お父様が権力とお金の力で葬りたそうな目で騎士様を見てるじゃない。

これは、私がフォローしないと!


「大丈夫よ、お父様!ルー子爵は、男の恋人がいるそうよ」

「グブフッ!!」

「お母様!?」


大変だわ、お母様の鼻から白ワインが!

前回の反省をふまえて、口を閉じたまま吹き出したせいね。

私は慌てて、扇でお母様の顔を隠したわ。その隙にお父様が、ハンカチでお母様の顔と胸元を拭く。親子だからこその、息の合った連携プレーよ。


「ビーエ・ルー……ビーエル……名付け親出てこいやっ!」


お母様は体を折り曲げて、悶えている。

それにしても、扇って何かを隠すのに適した道具よね。

私はおもむろに扇で顔を隠しながら、人差し指を鼻に……。


ガッ!

「ヒッ」

「許しませんよ」


私の手を掴んだのは、お母様だった。

復活したのね。


「あなたは今日から淑女として社交界にデビューするのよ。鼻をほじる淑女がありますか。やはり、あなたにはあの強制魔道具が必要ね」


鼻から白ワインを吹き出す淑女もいないと思うわ、お母様。

それに……。


「お母様、勘違いしているようだけど、私はいつも鼻に指を突っ込むわけではないのよ。以前自宅で鼻血を出した時は、その魔道具につい抗ってみたくなっただけだし、ハーディルト家で突っ込んだ時は、デブ様に、私が突拍子もないことをしてしまうかもしれない娘だと知ってもらうために突っ込んだの。そもそも、私はほじってるんじゃない。鼻の中がかゆいから、突っ込んでかいてるだけなの」

「それはもう、"ほじる"と同義よ、サマンサ。大体、淑女たるもの、社交場に出れば、かゆみくらい我慢するもの。母も他の淑女も、皆我慢して笑顔を浮かべているのです」


淑女って大変ね。

でも、扇で隠せばばれないのだから、淑女の皆様もこっそりほじ……いえ、鼻の中をかけばいいのに。


そこへラッパの音が鳴り響く。いよいよ、王様と王族の登場だ。

会場は静まり帰り、王様が挨拶をされる。

そして楽団によるダンスミュージックが流れ始め、王と王妃、王太子と王太子妃が踊り出した。

それが終われば、王子達とデビュタントの令嬢達とのダンスである。

これは、あらかじめ誰がどの王子と何番目に踊るのかが割り振られており、私は第二王子であるルイス殿下と三番目に踊る予定となっていた。


ああ、王子達とデビュタント令嬢とのダンスがいよいよ始まった。

私のお相手のルイス王子は、18才の美男子だ。

背も高く、輝く金の髪に整った顔。令嬢の人気が高そうだ。


「凄く緊張するわ。王子の足を踏んで、不敬罪に問われないかしら」

「大丈夫よ、サマンサ。第二王子は女性に靡かないけど、完璧な上に寛容だというわ。でも王子の前で、決してほじらないで」

「安心してお母様。王子とのダンス中にほじれる技量は、私にはないわ」

「お、そろそろ二番目の令嬢とのダンスが終わるぞ」

「行ってらっしゃい、サマンサ」

「頑張るわね、お父様、お母様」


私は、王子の前に進み出て、カーテシーを決め、王子の差し出した手をとった。

そして流れ始めたダンスに合わせて足を踏み出した。


フニ……


早速踏んだわ、王子様のおみ足を。

ルイス殿下が苦笑している。


「申し訳ありません、殿下」

「いや、いい。私に任せなさい」

「はい、ありがとうございます」


ルイス殿下は何事もなかったように、私をリードして踊り始めた。

それにしても、上手だ。体が自然と動く。

見上げれば、整った顔が至近距離にある。

美しい水色の瞳。でも、熱のないガラス玉のよう。

ふと鼻を見ると、あれ?王子にあるまじきものが、出ているわ。


は・な・毛。ゴールド鼻毛が、それも三本。鼻息で揺れている。


……鼻毛出たまま気づかないほど、お疲れなのね。

私が、鼻ばかりを凝視しているものだから、王子が訝しげにこちらを見た。


「何か私の顔についているか?」

「ついているというより、出ています。鼻毛が」


バタタッ

ルイス殿下のステップが乱れた。


「しかも、三本も」


ガッ

「ギャッ」

「すまないっ」


ルイス殿下に足を踏まれました。普通は、逆よね?

すごく痛いわ。


「なんということだ。これから、あと三人は踊らないといけないんだ。このまま踊り続けるなど、耐えられない……」


ルイス殿下が絶望的な顔で呻く。

絶望の鼻毛顔なのに、整ってるわね。王子ってすごい。


「とりあえず、押し込んでみては?」

「人前で押し込めるか!」

「中座は無理なのですか?」

「中座して個室に向かうまでに、何人とすれ違うと思っている!せめて、個室に向かう間だけでも、鼻毛をなんとかできれば……」

「でも、いつから出てたかわかりませんが、既に殿下と踊った二人の令嬢は、鼻毛を目撃してるかもしれないですし、今さらじゃないかしら?」

「それを言わないでくれ……。ダメだ。私の築き上げてきたものが崩れてしまう……!」


王子は、悩ましげに鼻毛を揺らした。


「大袈裟ね。鼻毛が出てて幻滅するような令嬢なんて、どうせその程度の気持ちでしかないのだから、試金石になって良いように思うけれど」

「それはそうかもしれないが、私は王子だ。皆が王子として完璧であるように、私に求める。君だって、鼻毛が出た王子らしくない私に幻滅しただろう?」

「確かに王子らしくないとは思ったけど、幻滅は特に……。お疲れなのかな?とか、鼻毛出てるのに素敵なお顔ねとか、そんなことを考えてました」

「……君は変わっているんだな」

「よく言われます」


ルイス殿下は、少しだけ表情を和らげたようだ。

しかし、彼には彼なりの矜持があるのかもしれないわ。

乗り掛かった船だし、私がなんとかしてさしあげたいわね。

人に見られないように、鼻毛を押し込むには……。


「ねえ、ルイス殿下、私、一つだけ思いつきました。お芝居しません?」

「どういう芝居だ?」

「私、これから足をもつれさせて倒れた拍子にお顔に軽く頭突きをかまします。殿下は鼻を押さえてください。私は心配して鼻を確かめるふりをして、鼻毛をこっそり押し込みます。いかがです?」

「……君は、いいのか?デビュタントで恥をかくのだぞ?」

「構いませんわ。それに、恥をかくのは、殿下も同じでしょう?鼻毛よりは、ましな恥だとは思いますけど」


そう言って笑ってみせた私に、ルイス殿下は何か無防備な、不思議な表情をされて、頷いた。


「よし。君となら、共に恥をかこう」

「では、作戦開始ですわね」


私は早速よろめいた。そうして、ルイス殿下の顔めがけて、頭から突っ込む。


ゴインッ


周囲がざわめく。殿下が鼻を押さえた。

今だわ!

私は殿下の顔に手を伸ばして、鼻を押さえる殿下の手を陰にして、鼻毛ごと勢いよく人差し指を突き込んだ。


ズボズボズボッ


鼻毛が飛び出ないように、念入りに鼻の穴に捩じ込む。

ルイス殿下がちょっと涙目で私を見ている。

王子の鼻の穴を蹂躙した令嬢なんて、もしかしたら私が王国初かもしれない。

心配した近衛兵や侍従がこちらに向かっているので、私は指を抜いた。


あ、血がついてる……。


て、てへぺろ!

以前お母様に教えてもらった通り、正しいてへぺろができたと思う。

殿下が残念そうなものを見るような目で私を見て、少し笑った。

そうして駆けつけた近衛と侍従に「問題ないし、この令嬢にも罪はない」と告げ、処置のために侍従に告げられて去っていく。

私は人助けができた達成感を感じながら、その背中を見送っていた。


少し行った所で、殿下が振り返った。


「忘れていた、君、名前は?」

「え、サマンサ。サマンサ・マグナクトです……」

「そうか。覚えた」


そう言ってまた向こうへ歩いていく殿下。

どういう意味なのか。覚えた、とは?

まさか、鼻血の件で、後ほど報復があるの?

私は、震えた。

しかし、戻ってきたルイス殿下は、とんでもない報復行動に出たのだ。



ルイス殿下が処置を終え、全てのデビュタント令嬢とのダンスを終えた後、お母様からのお説教を拝聴中の私に近づいてきた殿下は、よく通る美声で言った。


「サマンサ嬢、私の婚約者になって欲しい」


賑やかな会場が静まり返った。

楽器も止まっている。

もちろん私も固まった。

そんな私に、ルイス殿下は言葉を重ねた。


「君の評判は知っている。でも、話してみて、君が評判通りの令嬢でないことはわかった。それどころか、君ほど強く気高い心の女性を私は知らない。結婚するなら、君がいいと思った。お願いだ、どうか私と婚約を」


イヤアアーー!

キャアーー!

嘘よーー!


令嬢達の悲鳴が響く。

私は、返答をしようと口を開いた。

そこへ、殿下がさらに自己アピールしてきた。


「私は身分もある。私と結婚すれば、君に不自由はさせないし、君の誤った悪評も私が払拭すると約束しよう。サマンサ嬢、君が私を守ってくれたように、どうか私に君を守らせてくれないか」


身分。私を守る力。

私が結婚相手に求める条件を最上級に揃えた優良物件だ。

ついでにいえば、容姿も完璧。性格もまあ良さそうだ。

どう見ても、デブ様よりルイス殿下を取るべきだ。


なのに、何故、私はこの優良物件を断ろうとしているのだろう。

理屈では殿下こそが私を幸せにする人だ。

でも、心はそれを拒否する。

私は、デブ様に幸せにしてもらいたい!


愛……。そうか。私、デブ様を愛してるんだわ。


「ごめんなさい。お断りします」


私の言葉に、ルイス殿下が目を見開き、周囲に怒号が飛び交った。

殿下が問う。


「何故?」

「だって私には、愛している人がいるのです。殿下ほど条件が良い方ではないけど、私を幸せにしてくれるのは、彼しかいないのです」

「それは、一体どこの誰なんだ?」


殿下が私に近づいて、私の腕を取ろうとしたその時だ。


「私の愛する『エターナルホットサマー』に近づかないでください、殿下」


重そうな足音と共に、聞きなれた声と聞きたくなかった言葉が聞こえた。

「は?エターナル??」と振り返ったルイス殿下は、驚愕のあまり言葉を失っている。

そこかしこから、「肉だ……」「王家の肉」「王家の番肉の婚約者だったのか」と呟きが聞こえる。


来てくれたのね、デブ様!そして、よくもその恥ずかしい愛称を大公開しやがりましたわねっ。

あと、王家の番肉って、何?!そこの所、詳しくっ。


デブ様は、私の傍までやって来て、私と殿下の間に立った。


「既に私とサマンサ嬢の間に婚約は成立しています。彼女は諦めてください」

「本当に?本当に、ハーディルト卿と婚約を?」


デブ様を飛び越して私に問いかけるルイス殿下に、私はしっかりと頷いた。


「私の愛する婚約者です!」


ルイス殿下は、膝から崩れ落ちた。ごめん。

鼻血の件も含めて、本当に色々ごめんなさい。




その後、王様が事態の収拾に乗り出した。

ルイス殿下が暴走したのに驚いた王様は、とりあえず殿下の告白の結果が決まって落ち着いた所で、関係者を別室に呼んで落とし所を決める予定だったらしい。

それが、告白相手が()()ハーディルト伯爵の婚約者だったことがわかって、急遽別室は王族謝罪部屋となった。

よくわからないが、デブ様は色々と厄介な立場らしい。

何にせよ、殿下を私が振ったことで、マグナクト伯爵家にもハーディルト伯爵家にも、特にお咎めがなくてホッとしたわ。


『王家の番肉』については、国防の大事な現場にデブ様が必ずいるため、貴族の間ではそう呼ばれているんだそう。

よくわからないし、詳しくは教えてもらえないけど、とにかくデブ様は凄い人ってことなのはわかったわ。




それからの話なんだけど、舞踏会が終わった後、お父様とお母様は領地に旅立ち、私はメイドのマーサとハーディルト邸に移った。

マグナクトのお屋敷は、先代のお祖父様とお祖母様が戻ってこられて、お姉様とお兄様と暮らしているみたい。

そういえば、あの舞踏会で、ちらとお姉様達を見かけたの。

お兄様は、凄く嫌な視線を感じたけれど、お姉様は違ったわ。

複雑だけど、私とデブ様を祝ってくれているような、そんな目で私を見ていた気がするの。

ちなみに、マグナクトのお祖父様とお祖母様が、手のひらを返したように、やたらとご機嫌伺いの手紙を送ってくるようになったのは、とても迷惑千万です。


私とデブ様の結婚式は、私の淑女教育が終わった後だから、もう少し先になるけれど、私、デブ様とならきっと幸せになれるわ。


もし、王都在住じゃなくなっても、爵位がなくなったとしても、ね。

愛は、容姿の不味さすら萌えに変える。

結婚するなら、容姿より身分より、愛とある程度の経済力さえあれば、幸せに生きていける。

そんなテーマでした。


なんとか、サマンサ編は終わりました。

またいつか、別バージョンで、スピンオフ書く予定ではありますが、いつになるかは未定で……。

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― 新着の感想 ―
[良い点] え、この流れで恋愛…?って思ってましたが、ばっちりラブでした!ごちそうさまでした!!
[気になる点] 王子様の鼻毛カッターは無いのか? [一言] サマンサ 見 つ け た。 お母様のツッコミ最高です。そして何より、サマンサが王子よりも愛を選び愛を貫く! 素晴らしい(笑)
[一言] 笑いすぎて涙がでて喉も痛いです ★★★★★です
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