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前編

コメディ強めになってしまいました。

「キャアアアーー!!お嬢様っ、サマンサお嬢様がっ」


メイドのマーサの悲鳴が、王都の邸宅内にこだました。

居間で寛いでいた私と夫のアンソニーは、何事かと慌てて娘サマンサの部屋に向かう。

開け放たれたままの扉から室内に入れば、マーサがソファーの所に膝立ちで向こうを向いている。

そのふくよかで大きな体に隠れてはいるが、サマンサはどうやらソファーに横たわっているらしい。


「何が起きたんだ!」

「サマンサ!無事なの!?」


駆け寄る私達が見たのは、血に染まって仰向けに横たわる娘の姿。

顔や胸元は鮮血の紅き花が咲き誇り、顔には白い布が―――。


「なんてことなの、サマンサ……!」

「サマンサ……」


私達の目の前で、小さな白い布をくるくると棒状にし、牛の鼻輪のように布の端を鼻の穴に片方ずつ突っ込んだサマンサが、ソファーの上で胸を張って言った。


「あ、お父様、お母様。見てください。私、鼻血が出た時の画期的な布の当て方を開発したわ!鼻の両穴から出血した時、これだと両手が使えるのよっ」


サマンサが両手をひらひらさせている。両の手の人差し指が血塗れだ。

私は、思わずこめかみを押さえた。


「サマンサあなた、まさか、ほじったわね……?」


サマンサは、テヘと笑って舌を上に突き出した。

どこから突っ込んでいいかわからないが、血塗れ、鼻輪、べろの間違った方向への突き出し、様々な要因が相乗効果を生んで、令嬢に浮かぶはずのない凄まじい顔が発現してしまっている。

私はサマンサに、正しい鼻血対処法と正しいテヘペロを伝授した。


これが、私の初めての転生知識チートである。




転生知識。

私は、日本人の三十路独身OLとして生きた記憶がある。

でも、気がつけば私は、男爵令嬢エリーゼ・ダンテストとなっていた。

いいえ、今はれっきとした伯爵夫人エリーゼ・マグナクトよ。夫のアンソニーとは身分の差によって、ずっと愛人関係を続けてきたの。

もちろん表向きはご実家も奥様も公認という形でね。

夫はご実家との約束通り、あちらに二人のお子様をもうけたわ。そして、私も娘のサマンサを産んだ。愛人だし娘は庶子だけど、夫が愛しているのは私達なのよ。


今は、奥様が亡くなって、私が伯爵夫人。娘も庶子から伯爵令嬢へ。お屋敷の継子達とは話をしたけれど、拭いきれない確執もあるから、私達は元々住んでいた邸宅にいる。

私達は領地に引っ込むつもりだったけど、十五になる娘が「王都在住の上流貴族と玉の輿したい」と聞かないから、娘の嫁入りが決まるまで領地行きは延期になったの。

一応、婿のあてはあるのよ。アンソニーのお友達の四十路伯爵(肥満)。

でも、娘はちょっと……いえ、嘘ね。()()()、上流階級の淑女になるにはレベルが足りないの。今も、高価な魔道具を特注して、淑女にあるまじき癖を矯正中なんだけど。


なんだけど―――!


「サマンサ?あなた、私達が贈った魔道具を身に付けているわよね?」


私の問いかけに、正しい鼻血対処法通り、俯いて鼻を摘まんだまま、サマンサは頷く。


「ええ。これよね?【鼻ほじり矯正】の魔道具」


サマンサは人差し指を見せた。

その指には、銀色に光る少々ごつめの指輪がある。

【鼻ほじり矯正】の指輪だ。国のお抱え魔道具師に、夫が大金を出して作ってもらった珍品である。



人の意思を支配する類の魔道具作りは、国で管理されている。

奴隷落ちが存在する社会なので、隷属シリーズの魔道具も存在するが、好きに作られたら社会が混乱するので魔道具師は国からの営業許可がいるし、人の意思を縛る魔道具は、さらに国への申請がいる。

もぐり営業は犯罪となる。闇取引だから大金が手に入るが、バレたら一生奴隷落ちコースのシーソーゲームだ。

人って業の深い生命体だって、私の好きなアーティストの『ミスター子ども達』が、そんなことを歌ってたのを思い出したわ。


もちろん、夫は正規のルートで【鼻ほじり矯正】の魔道具を注文している。

『鼻をほじる意思』に干渉する魔道具なので、当然国へ申請している。

申請書には、誰の依頼で、どのような理由で、どんな魔道具を作るかを明記しなければならないので、うちの娘の乙女の秘密が国の中枢にバレてしまった。

私は国の文官(公務員)の守秘義務を信じているわ。

でももし、社交界に流出していたら、絶対にゆるさない。


そういう意味でいうと、娘の社交界生命も、シーソーゲームである。

どうしよう。魔道具があっても、この惨状。

鼻ほじり(過ち)を繰り返す未来しか見えない。



さて、問題はそんな【鼻ほじり矯正】の魔道具を使っているのに、どうして娘はほじれたのか。

アンソニーがサマンサに問いかけた。


「その魔道具、効かなかったのかい、サマンサ?」

「効いてましたわ。鼻の方に手をやろうとしても、手が上がらないの。凄いわ、魔道具って」

「不良品ではないみたいだな。だったらどうして……」


不思議そうに首を捻るアンソニーに、サマンサは言った。


「私、面白くて……。何度も試してみては無理で。そうすると、段々悔しくなって……。なんとか指を入れてやろうと渾身の力を振り絞ったの。力を込めるために片手よりも両手に。鼻の穴に指を入れられるなら、この命惜しくはない!そう念じて、ふんんっと勢いよく……」

「あなた、そこまで鼻を……」

「お嬢様……」


私とマーサの呆れ声を無視して、サマンサは続けた。


「すると、急に負荷が無くなって、思いのほか勢いのついていた私の指がズボッと。目がチカチカしましたわ!」


娘以外全員のため息が重なった。


「なるほど、命に関わる緊急解除が働いたのか。いくら出自にこだわらぬ温厚な伯爵でも、お前を気に入ってもらえる自信がなくなってきたよ……」

「お父様!?」

「マーサ、回復薬を。聞いた話では深く切ってるかもしれないわ。サマンサ、あなた我慢を覚えないと駄目よ。欠伸なら扇で隠せばなんとかなるかもしれないけれど、鼻ほじりは論外よ。やはり、あなたのデビュタントは諦めて、一緒に領地に帰りましょう?」

「そんな、お母様!!」


マーサはパタパタと薬箱を取りに走り、サマンサは絶望的な表情で私を見上げている。

鼻を摘まんだままそんな表情をされても、滑稽でしかないわ、サマンサ。

あなた、私の腹筋を試そうとでもいうの?


私は、表情筋を引き締めた。


「しかし、伯爵との見合いは明日だ。今から断りを入れるのもなあ」


アンソニーが悩んでいる。サマンサが救世主を見るような期待をこめた目でアンソニーを見ている。鼻を摘まんだまま。

ねえ、マーサはまだかしら。早くこの娘に回復薬を!

私の腹筋が試されているの。


あ、マーサが来たわね。

早く回復薬を!!


「ふががっ!げほっがほっ」


無事に鼻に流しこめたみたいね。少量だし飲んで悪いものでもないけど苦しかったでしょうね。

まあ、自業自得ね。

これに懲りて、ほじらなくなるといいのだけど。


とにかく話を戻すと、四十路伯爵とのお見合いは明日。「やっぱ領地に連れて帰ります」なんてドタキャンは失礼だ。


「じゃあ、こうしましょう」


サマンサとアンソニーの目が私に向いた。


「伯爵が明日あなたを見て、断られなければ、あなたを領地に連れて代えるのは諦めます。その代わり、伯爵にはあなたのありのままをお伝えします」

「そんな!それじゃあ断られちゃうわ!私の上流ライフが!」

「そうだ!到底受け入れてもらえないぞ!夫婦水入らずのイチャイチャライフが!」


親子で何言ってんの……。

大体アンソニーよ、領地のお屋敷にだって使用人やら管財人やらいるでしょうが。水入らずにはならないわよ。


「イチャイチャはどんな環境だってできるでしょう、アンソニー?」

「そうか。そうだな、エリーゼ。今すぐこの場でも私は君への愛を示せるぞ……」

「それは後でね、アンソニー」


私は、近づいてきたアンソニーをひらりとかわして、サマンサを見た。


「サマンサ、あなたは上流階級で生きていきたいのでしょう?つまり伯爵と夫婦生活を長く続けていかなくてはならないの。本当のあなたを隠して、騙すように結婚にこぎ着けたとしても、ずっと偽りのあなたで生きていくのはやはり無理よ。公共の場ではなんとか取り繕えても、家ではどうしてもボロが出るわ。その時、伯爵が「騙された」とあなたを離縁することになるなんて、そんなの、あなたはずっと不幸よ」

「でも、上流階級のためには……」

「我慢するとあなたは言うけれど、鼻ほじりも我慢できないのよ?せめて結婚相手には、あなたのことをちゃんと知っておいてほしいの。夫婦は長い人生の協力者なのだから」


サマンサは、真剣な顔で私とアンソニーを交互に見て少し考えた後、決意をもって頷いた。


「わかったわ。ありのままの私の魅力で、伯爵を落としてみせるわ」


私はなんだか、余計不安になった。

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