96話 怪人N、始末 2
それを聞いた瞬間にタナカはアサルトライフルの銃口を灰川に向け、迷うことなく引き金を引いた。
「弾が出ない…? 安全装置は外したはず…」
実はタナカは自動小銃は弾を込めないと灰川に伝えていた、もし奪われたら脅威になるし、逆に奪わせて銃を向けさせることで隙を作れると語っていたのだ。
それを狙って灰川はワザと最初から装着して無かった消音器を嘘の指摘をして、アサルトライフルに意識を向かわせ使わせるように仕向けた。本当に疑問に感じたのは「さっきから誠治って呼んで無いな」という所だ。
考えてみれば他にも変な所はあった、子供の前でNの名前を出したり、怪人Nの噂を警察が管理してるような事を口走っていた。信用させて絶対的な隙を作らせるつもりだったのだろう、生前は優れた頭脳を持っていたが今は怪異になった事によって同じほどの頭の回転は失ってるのかもしれない。
「…………」
今度は灰川が無言でポケットから小さなスプレーを取り出し、迷うことなくタナカに向けて噴射した。タナカは回避する動きを見せたが広範囲に噴射し飛距離も長いため、タナカはまともに浴びてしまう。
灰川が使用したのは外国では暴徒鎮圧などに使われる催涙スプレーだ、手の平サイズだが飛距離は5メートル以上あり、これを浴びれば顔に当たらなくても効果が望める代物だ。そこに灰川が長い間、霊力を込めて除霊にも使えるようにした。
小型で飛距離があり、人間にも怪異にも有効、それでいて携帯していて警察に見つかっても軽犯罪で済む後遺症の心配のない非殺傷性護身具である。もし人間が喰らったら数分間は激しい目の痛みと咳き込みで、相手が大きな格闘家でも確実に数分間は動けなくなる。
「がぁっ!」
怯んだ隙に即席の結界を陽呪術を込めた札を用いて展開するが、効果があるかは分からない。
次は間髪入れずに懐から黒い何かを取り出し、スイッチを入れてタナカの姿をしたナニカの肌が露出してる顔面部分に押し当てた。その瞬間に『パパパパパッッ!!』と音を立てながら黒い物の先から火花が散る。
スタンガン、電圧数70万ボルト超えの強力な品で、海外では軍隊にも採用された実績がある。受けたらまともで居られるはずが無い威力だが、これも非殺傷性護身具である。タナカから明らかに違うと感じたら迷わずやれと言われてた行動だ。
その間に急いでタナカの腰に装着してある拳銃を抜いて遠くへ投げる、ナイフも奪って投げ捨てた。拳銃は奪ったとしても灰川には使えないし、近くには女の子も居るから撃てない。ナイフには術が付与して無いから持っても意味がない。
「おい止めろ! 仲間だろう!?」
「………」
70万ボルトを超えるスタンガンを地肌に受けて喋れる奴が人間であるはずが無い。何も答えずバッグの中から次の道具を取り出した、それは包丁だった。
包丁という道具は過去から今に至るまで多くに事件で使われ、包丁という概念自体に念が宿ってるという質があり、呪術には時折用いられる道具だ。もちろんこの包丁にも灰川の術が掛けてあり、怪異に対して有効になるよう仕組んである。
ザクリと手に無機質な感覚が伝わる、ボディアーマーを避けて右肩口を突き刺すと、明らかに生き物ではない感触が伝わる。灰川は生き物を刃物で刺した事は無いが、それでも手に伝わった感触は砂か枯葉の塊のような感覚と解った。
「……………」
「…………」
タナカの姿をした者も灰川も何も言わずに目を見開いて取っ組み合う、騙す事は不可能だと断定してタナカは灰川を押し退けて距離を取った。
暗い夜の小学校の校舎で命懸けの戦いが始まる、灰川の心臓が急速に鼓動を早め、全身に緊張が走り回った。
「……怪人N…」
「…………」
灰川がボソリと口にする、これはもはや除霊やお祓いと言える物では無く、真剣な殺し合いとも言える状況だ。
喋る余裕も無く目前の敵に完全に集中してる状態だ、敵が本当に1人なのか、何らかの策があるのではないか、そんな疑問も寸分も考えられない程の極限状態。
灰川は霊能者だがケンカ屋でもなければ戦闘訓練を受けた身でもない、戦いに関しては素人である。視野狭窄に陥り周囲の警戒どころではなく、目の前だけに集中が向いてる。
それは怪人Nたる野根村も同じだった、多くの人の人生を狂わせ、異常な精神性を持つに至り、周囲を見下し操って来た存在でも戦闘に関しては素人、臆病に過ぎるから策を弄するタイプだとタナカが傭兵としての経験を元に予測していた。
そんな素人に姿をコピーされ武器を奪われたタナカは戦闘単位としてどうなのか?という疑問もあるが、怪人Nは人攫いに関してはプロなのだ。良いようにやられてしまったのだろう。
損傷は与えたが致命打にはなってない、灰川は包丁を構えて怪人Nに対峙してる。タナカの姿をしたNも灰川に完全に集中しており、殺るか殺されるかという状況だ。霊能者としての灰川は油断できないと分かっており、Nも集中を切らさない……そこに隙が生まれた。
「な…何をしたっ……!?」
「怪人N、お前がエクトプラズムだった場合に備えて、結界の中の霊媒エネルギーをゼロにする効果を持たせたんだよ…」
生物学における拡散という用語がある、特定の物質は濃度の高い方から低い方へ移動するという現象だ。それは心霊物質と呼ばれるエクトプラズムにも効果が見込める。
心霊エネルギーの塊であるNには効果が高かったらしく、結界を張ってから1分もしない内に効果が出る。すぐに動けなくなって体を構成する心霊物質が溶け出し始めた。
この形に固定させる事が出来たのは配信で噂を広めてくれたエリス達のおかげだ、集合意識の念が怪人Nという存在を『人間の形』に固定させたのだ。彼女たちには感謝しなければならないだろう。
「ぁぁァぁ…なぜ私が消えなければならないぃ…! 無能なクズどもを減らしてやってたんだぞぉ…! 感謝されこそすれっ…なぜ消されなければぁぁ…!」
「…………」
世の中には理解不可能な思考を持った人間が確かに存在する、身勝手すぎる考え方、過剰なまでに何かを信頼する精神、他者に何をしようが良心が欠片も痛まない奴、野根村もそういう類の人間だったのだろう。
崩れ行くNの姿を見て誠治はふと思う、自分はどうなんだ?
過剰に人や状況を疑い、何事にも及び腰になり、考え過ぎて必要のない不安を感じる性格になった。それは自分は間違ってないという証拠を欲しがる臆病者にすら思える性質になってる。
今回も策だ情報だと頭を巡らせたが、些細な変化に気付かず危機に陥った。戻って来たタナカを霊視する事も無く、まんまと騙されてる。やはり肝心な所で誠治は短絡的だ。
物事も精神も悪い方に向かえば悪い結果が待ってる、もう声を出す事も出来なくなったNを見て誠治はそう感じた。自分はどうなのか…その気持ちは重く圧し掛かった。
「まぁ良いか…今考えることじゃねぇわ…」
緊張に糸が切れて足から力が抜けて座り込む、怖かった…明確な殺意を向けられるのも、向けるのも怖かった。今更になって震えが止まらない。
気が付けば怪人Nはタナカの装備一式を残して完全に崩れてた、彼を構成していた実体はエクトプラズムという心霊物質で、実体存在型怪異に多い存在だ。
煙のような液体のような物質と言われており、昔はオカルト科学で多くの検証がなされ、今でも解析は出来ておらず本当に存在するかは科学的には実証されてないが一部の霊能者は対処法を知っている。死後に実体化したエクトプラズムは人を狂わせるという噂があり、都市伝説の『くねくね』なんかもこれなのではという説も少数ながらある。
「誠治、無事か! Nは倒したようだな、すぐに撤退だ!」
「タナカさんっ、生きてたんすか!?」
「俺の部下も先日に行方が分からなくなってた男子児童を含めて、学校内の倉庫で見つかったが目を覚ましたのは俺だけだ。すぐに警察と消防が来る、そこに寝てる子も保護されるだろう、逃げるぞ!」
タナカは衣服を含む装備一式を奪われてたためパンツ一丁の格好だった、そんな中で武器や服を回収して、初めて本気の戦いをして疲労困憊の灰川に肩を貸して学校を後にした。
タナカと乗って来た軽自動車に3人を詰めて道路を走る、灰川は助手席に座っていた。
「局に連絡して後処理を頼んだ、既に手回しは行ってるようだが隠蔽しきるのは難しいだろうな」
「怪人Nの噂をハッピーリレーに流してもらうよう頼んじまったし、人的な被害が無いとはいえ隠しきるのは難しいでしょうね」
エクトプラズムが多くの人の念で形が人間型に固定されたから勝てたという面もある、エリス達に感謝の気持ちが尽きない。
「だがNは消えた、噂だって所詮は噂、オカルト現象だと思う人間は少ないだろうさ、報道規制やSNSへの手入れも済んでる。今頃は局はてんやわんやだろうな」
後処理は緻密かつ迅速に行われるらしい、その網は都市伝説の陰謀論に語られる程の規模であり、知られてはいけない裏の情報をコントロールしてるとの事だ。
「なんでも良いっすよ、俺みたいな国民一人がどうこう出来る話じゃないし、俺の事も話が出回らないようにしてくれるんすよね?」
「勿論するが人の口には戸が立てられない、口伝では何かしらの話が伝わってしまうだろうな」
「そうっすか、まぁ良いや…信じる人は少ないでしょうしね」
後処理は国家超常対処局が上手い事やってくれると信じる事にする、佳那美や他の子達が警察などに灰川が校内に居たと言っても、それは間違いだとかで無理やりにでも握り潰してくれるだろう。
「それよりも迷惑を掛けてしまったな、すまない。この礼と報酬に関しては後で必ず支払う。ありがとう誠治」
タナカは男子児童を体育館に連れてくる辺りから記憶が途切れてるらしい、そこから職員室にいつの間にか居て、灰川を見つけた時に床に転がってる催涙スプレーやスタンガン、手に持ってた包丁を見て何があったかは理解した。
「今まで怪人Nに消された子は戻って来るんすか…?」
聞かずには居れなかった、奴の被害に遭った子供たちはどうなるのか、それは灰川には分からない。
「帰って来ることは無いだろうな……時間が経ち過ぎてるし、俺達が相手をしてる怪異はそういった類の種類のモノだ」
「そうっすか…残念です…」
「落ち込むな誠治、今回は失態を重ねたが国家超常対処局は人的被害を起こす怪異を放ってはおかん、今回の事も教訓として次に活かしていく」
タナカが言うには国家超常対処局は大きな被害を生み出す超常現象を放ってはおかない、しかし人員は多いとは言えず今回は特例として灰川を頼ったとの事だ。
「色々と聞きたい事があるだろうが、ここでお別れだ。誠治の身の安全や日常生活は手の回せる限りは守ると約束する、何かあったら連絡をくれ」
「はい、バディっすもんね、俺がピンチになったら助けて下さいっすよ、相棒」
「ああ、今回は世話になりっぱなしだったな、ありがとう相棒。それと礼に関してだが誠治はオカルト関連で金銭は受け取らない事はリサーチ済みだ、他の何かで支払う事になるから、それまで待っててくれ」
「えっ? あ、いや、流石に今回は金って事でも~……」
「またな誠治、ハッピーリレーの協力してくれた子達にも、それとなく礼を言っておいてくれ。応援してるぞ」
事務所の前まで送られ、タナカはそのまま車を出して行ってしまった。怒涛のような一日が終わり、日常に戻って来る。
「催涙スプレーとかは無料じゃねぇんだけどなぁ……」
外国製の高性能催涙スプレー1万円、使い捨ての呪術包丁2000円、本日に受けてたハッピーリレーの費用抜き依頼金3万円、結果はマイナスだ。
それでも良いかと灰川は思い直す、用意の時間が少なかったとはいえ予想外ばかりの連続だったが、結果的に今回の犠牲者は0となった。これは勝利というべき結果だろう。
事務所に上がる階段を上り、用意して帰ろうと思った時にドアの前に誰かが居た。
「社長? まさか、待っててくれたんですか…?」
「灰川君、佳那美君は無事だと連絡が入った、ありがとう」
「はい…でも今まで犠牲になった子達が戻って来る訳じゃありません、勝つには勝ったけど良いように騙されてっ…くそっ…!」
今更になって悔しさとやるせなさが込み上げてくる、もし自分がずっと前から怪人Nを本気で追ってたなら被害は無かったかもしれない、もっと慎重に状況を判断してたら、そんな気持ちが湧いて来る。
「灰川君、君はベストを尽くした。普段は絶対に使わないと言っていた方法も用いて、出来る限りの事をしたんだ。滅入る事は無い」
花田社長は灰川がどこか完璧主義的な人間であることを理解してる、そんな一面があるから過剰不安になったり事前情報を大事にし過ぎて及び腰になったり、無い頭を回して相手を勝手に大きく見てしまうタイプの人間だと分かってるのだ。
それは悪い事ではないが行き過ぎればマイナスになる、今の灰川はマイナスの方に偏ってると言えるだろう。だが簡単に人の性質は変わらない、人の性質は今までの体験や環境が形作るものだ。灰川も様々な体験をする事で変わる時が来るのだろう。
「よしっ、今日は祝勝会だ! 私の奢りで焼き肉にでも行こうじゃないか、気分を入れ直したまえ」
「そういや凄い腹減りましたね…体も痛ぇし」
灰川は戦いでダメージを負ったがタナカの見立てで問題ないと言われ、明日になって気になるようだったら病院に行って階段から落ちたとでも言うと良いと教えられた。
「ヘコんでてもしょうがないっすよね! よしっ、ご馳走になりまぁす!」
「その意気だ灰川君、107ビルの近くに美味いと評判の店がある、そこに行ってみようじゃないか」
「ガンガン食っちゃいますよ俺! 破産覚悟してて下さいね!」
こうして灰川は花田社長と一緒に夜の喧騒の中に消えていく、大きな怪異が絡む秘密の戦いの勝利を祝うため、渋谷の街に繰り出すのだった。
結局、渋谷東南第3小学校の生徒が全員行方不明になった事は、学校の手違いで生徒を来させてしまったという形で国家超常対処局がどうにか無理やり揉み消せたらしい。
怪人Nの噂は一時的に広がりはしたし、ネットでも話のタネに上がった。しかしそれだけだ、噂はマイナーな都市伝説の一つとなり、当事者である子供達も喉元過ぎれば熱さを忘れる。
ここに一つの怪異が消えて、やがて忘れられる運命にある都市伝説がまた一つ生まれた。
情報が次々と流れ次々と消費されていく現代社会、本当か嘘か、怪人Nもまた『嘘』の一つとして消費されるだけの名前になったのだった。




