83話 怪しい音楽 2
「まず最初に裏音楽について間違いを正しておこうかね、君がさっき恋人さんに説明した話は裏音楽の一部だ」
「むふふ~、私と灰川さん、恋人同士になっちゃったね~」
「俺たちは付き合ってないっすよ! そこは間違えんといて下さい」
「ああ、すまん。それで裏音楽と言うのは本来は演奏した者や聞いた者に何らかの現象を起こさせる音楽の事でな、君のさっきの説明は霊能力者がよくする勘違いだ」
店主は裏音楽について詳しく説明してくれた、作曲方法が非人道的手法によるものも確かにあるが、それだけではないこと。
何らかの形で人の強い情念が込められ、感動や関心などの普通の音楽で得られる精神的な動き以外の精神影響、または運勢や縁に変化をもたらす音楽の事を指すそうだ。
「霊能力者は悪い影響を与える裏音楽の対処に当たる事が多いから、そこの所を勘違いする人が多いらしい」
「失礼ですが何で裏音楽なんて知ってるんですか? 実は有名な物だったりするんですか?」
「有名ではないよ、しかし知ってる人間は知ってるとしか言えんさ、私が知ってる理由は教えんよ」
店主としては別に身の上を話す必要性も義理も無いから灰川たちには話さない、こういう事は話せない内容や教えたくない話もあるのは普通だ。情報は本来タダではないのである。
「裏音楽には良い影響を与える物もあってな、白い慈愛もその一つだ」
「良い裏音楽があるのは知らなかったです…勉強不足でした」
「いや、教科書に載っとるような物じゃないし勉強の仕様がない、君は霊能力者なんだろう? ならば尚更だ」
正しいと思ってた知識が間違ってた、よくある事だが危険な事でもある。間違った知識で物事に当たれば取り返しのつかない事態になることもあるだろう。
灰川はこれまで自分はオカルトに関して自分は詳しいと思っていたが、自分の知識を疑い、正しいかどうか確かめ、知識を更新する作業を怠っていた事に気が付かされた。これはエリスやミナミ、隣に居る小路は配信者として欠かさない作業だ。
「それで白い慈愛のもたらす変化なんだが、以前に曲を聞いた人からこんな感じと聞いてる」
白い慈愛
作曲者不明で誰が曲を作らせたかも不明、何処の国の曲かも正確には分からないが曲調やテンポなどの要因から1800年代のドイツだという説がある。
曲が作られた経緯も確かな事は不明だが、一説では旋律の質から1800年代ドイツで女性が作曲したとされていて、女性が作曲家として生きる事が大多数は許されなかった時代に作られたという見方が強い。
この曲は聞いた女性の一部に忘れられない程に記憶に残り、精神の強さやポジティブさが上がり、運勢なども上がる効果があると高名な占い師に言われたとの事だ。
プラスの効能しか無いが効果が表れるのはごく一握りの女性で、普通の人が聞いても大きく心は動かされないらしい。この曲を聞いて感動した人の中には金メダリストや有名女優などが居るそうだが、それは噂の域を出ない話である。
「ふわ~、それって凄い良いことなんだね~」
「この曲は私もまだ女性が世に出る事が難しかった時代に、女性作曲家が作った曲なのだと思ってる」
店主によると白い慈愛は音楽の世界に女性が進出できなかった時代に、世に出たい、幸せを掴みたいという強い願いが何らかの形で込められ、今に至ってる曲ではないかとの事だ。
「確かに音楽家って聞くと男しか浮かんでこないですね、ベートーベン、シューベルトとか」
「そうだろうな、音楽の世界に女性が入る事は嫌がられたし、男性優位の社会だったからな」
「それって女性差別だよ~、ダメな事だと思うな~」
学校の音楽室に飾られてる肖像は男性作曲家ばかりだが、実は1800年代ドイツ、最も音楽が盛んだった時代に少数だが女性作曲家も存在した。
ファニー・ヘンゼル(ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル)、クララ・シューマンといった才覚ある女性作曲家が存在したが、ファニー・ヘンゼルはフェーリクス・メンデルスゾーンの姉、クララは作曲家よりもピアニストとしての名とローベルト・シューマンの妻としての名が大きく知られてる。
彼女たちの曲は強く厚みのある男性的なクラシック音楽よりも、柔らかで温かい女性的な印象を受ける曲が多く、かと思えば濃密な情緒を含んだ官能的な曲もあったりと、並居る男性作曲家にも負けない素晴らしい才能があった
しかし時代は現代とは比べ物にならない男性優位社会であり、様々な事情で女性が作曲家として生きる事は難しかった。ファニーやクララは例外中の例外ではあるが、知名度は今も男性作曲家より低いと言わざるを得ない。
「確かに差別はイカンが、当時は音楽という物が持つ意味が全く違った時代でな、音楽が政治利用されたり、上流階級の玩具にされたり、下手な曲を作ったり神を冒涜してる曲だと難癖つけられたら、所によっては殺されたりする事もあった時代だと聞いたぞ」
有名な作曲家も受難した人は多いが、それは氷山の一角であり、実際には趣味本業問わず多くの作曲家が酷い体験をしたそうだ。そういった事から女性を守るという意味もあったかもしれないと店主は説明した。
「何よりも当時の音楽家は凄まじく過酷な職業だった、市民から飽きられたら見向きもされず、権力者に嫌われたら演奏すらさせてもらえず、苦労して書いた楽譜は二束三文で売られる、そんな世界に妻や娘を放り込みたい人間は少なかったろうさ、個人的な意見だがね」
それでも音楽というのは強い魅力がある物で、どんなに辛い目に遭おうとも志す人は多かったという。現代でも音楽で身を立てるのは生半可な道では無いが、それでも目指す人は多い世界である。
「それでも夢を叶えたい、身を立てたいと願った人の念が込められた曲なのか…難しい時代だったんですね」
「女性が目立つ事は嫌われた時代だ、白い慈愛を作った女性は魂を込め命を懸けて音楽という世界に挑んだんだろう、その結末を知る事は出来んがね」
これを作曲した人が誰なのかは実の所は分からない、本当は男性が作ったのかもしれないし、住んでた所が田舎なのか都会なのか、どんな統治がされてたのか、音楽がどのような扱いだったのか、環境や要因によって人生は大きく変わっただろう。
だが灰川の中には不思議と一つの光景が浮かんでいた、音楽が盛んな大きな街で女性に厳しかった時代を強く生きた女傑音楽家の姿だ、きっと作曲者は強い女性だったのだと思う事にした。
「店主さん~、やっぱり私、この曲を聞きたいな~、もう持ってないんですか~?」
話を始める前に店主はカセットを持ってたと言ったが、今も持ってるとは言わなかった。
「実はね、カセットは売られてた訳ではなく、どこかで練習録音された物を持ってただけなんだが、昔の知り合いに間違えて渡してしまってね」
「え~~? 残念~……」
「いや、知り合いにカセットの録音コピーを頼まれて、間違えて本体カセットを渡してしまったんだ」
「って事はコピーしたカセットはあるって事ですか?」
「あるにはある、だが録音カセットのコピーで、しかもカセットは最安値の何処とも知れんメーカーの品でな、音質は世界最低レベルの物なんだが聞きたいかね?」
「~~! 聞きたいっ、聞かせて欲しい~」
こうして小路は小さい頃に何処かで聞いたという思い出の曲との対面を果たした。
難しい夢に挑戦する女性を応援する曲、歴史に埋もれ人知れず眠っていた無名の曲が、神保町の古書店の2階に響いたのだった。
「音割れ凄かったな…しかも俺が聞いても分かるくらい演奏が下手だった……」
「うん、私が覚えてるメロディーとは全然ちがったな~、あはは~」
古書店を出て小路と駅に向かって歩く、タダで出るのはあまりに心苦しかったから、灰川はオカルト関係の古い本を数冊、小路は知ってる曲のCDとレコードを数枚買った。
録音されてた曲は音質が非常に悪く、カセットの質が悪く経年劣化もあって音飛び音割れしまくりで、演奏も素人が聞いても下手と分かるレベルだった。
それでもカセットの時代はそういう音でも喜んで聞く人が多数居たのだろう。
「あれじゃ裏音楽としての効能は発揮できんだろ~なぁ、良い効果があるのに残念だ」
「でも私は満足したよ~、なんだか心の引っ掛かりが無くなった感じがするな~」
白い慈愛は曲としての出来は普通の一言に灰川は感じた、幾つかの楽器で演奏する小曲だったが、曲としての出来は名曲とは言えないレベルだろう。それもあって歴史に埋もれてしまったのかもしれない。
忘れられた曲や失われた曲なんて数えきれないほど存在する、世界に名だたる作曲家たちですら無名の曲は多くあるのだから、何百年の後世に残る音楽なんて一握り以下の数でしかない。
むしろ無名の作曲家が残した音楽が今も小路という少女に影響を与えてるというのは凄い事なのだ、これは作曲者の勝利と言って良いだろう。
「小路ちゃんから呪いの気配はしたけど嫌な感じは無かった、そのままの方が良さそうだな」
「うん~、せっかくだから貰っておくよ~、運が本当に上がってるか試したいしね~」
灰川は小路の事を霊能力を使って調べたが、裏音楽の影響はごく小さな物で悪意や憎しみの念は感じなかった。だから最初は気付かなかったのだろう。
結局は今回も分からない事でいっぱいだ、誰が曲を作ったのか、他にはどんな人が影響を受けてるのか、小路は小さいころに何処で聞いたのか、どれも今では分からない事だ。
「そういえば何で店長さんは無名のはずの音楽を知ってたんでだろ~? 一回で分かる人に会えるなんて話が出来過ぎだと思う~」
「確かにそうだけど小路ちゃんの運気も上がるって話だし、曲と縁が出来てたとかって感じかね」
結局はオカルトの世界の話だ、事の全てが分かる訳でもないし、都合よく進む事もあれば異常な運の悪さで何も解決しない事だってある。そういう物だと割り切るしかないのである。
(あの店主からは裏音楽の気配がプンプンしてた……関わるのは危険だろうな…)
灰川は小路には言わなかったが、古書店の店主からは裏音楽の匂いが色濃く伝わって来た。あの男は恐らくは裏音楽中毒者だ、オカルトに飲み込まれた危険人物だと判断して追及は避けたのである。
所変わって古書店では店主が2階の奥の部屋、先程に若い客2人と話した売り場の奥のレコード倉庫に座りながら、プレーヤーで世には知られてない音楽をかけて一人で聞いていた。
「ふん、小童どもめ! 白い慈愛の音源の情報が手に入ると思ったが、とんだ見込み違いだった!」
この店主は灰川たちに幾つかの嘘を付いていた、裏音楽の定義の話などは本当だが、白い慈愛には音源が実際にはあるという事だ。
媒体はカセットテープで小さな会社が販売してたが、その会社はすぐに潰れてしまった。彼は実際には過去に所有してた訳では無く、あの質の悪いテープは過去に自分と今は亡き音楽仲間と演奏した物だったのだ。
金の無い時分に仲間が別の所で聞いた曲を覚えてる限りで再現した物だったが、100歩譲っても上手い演奏とは言えない出来で曲もオリジナルとは差異があり、裏音楽としての効果も全く期待できない仕上がりになってしまった。
「裏音楽は良さが分かる者だけが楽しんだら良い! まだまだ集めて聴き込んでやるぞ!」
店主は裏音楽の魅力に惚れ込み、同志と共に様々な裏音楽を収集したが……かつての仲間たちは酷い死に方をしたか、気が触れて病院から出られない体になってしまってる。
彼自身も自分は良い死に方はしないだろうと確信してるが、それでも止める気はない。あらゆる手段を講じて裏音楽の命に関わる影響を回避してる。
音楽を作る者に執念があるように、音楽とは聴く者にも時に執念と執着を持たせる物だ。音楽とは古くから呪術や交霊に用いられて来た歴史もある、そういった面に飲み込まれれば……。
果たして世に溢れる音楽は本当に安全なのだろうか?素晴らしい歌謡界の中には誰かの執念が宿った裏の音楽が今も流れてるのかもしれない。
小路を連れて神保町を歩いて駅に向かってる、2人は少し遅めの昼食を小路のリクエストでケーキが有名な店で摂ったばかりだ。
「灰川さん~、目が見えない人の食事介助、すごく上手だったね~、やったことあったの~?」
視覚障碍者の食事介助とはどの位置に何があるか等を教える事が主で、○時の方向20cmにケーキがあるとかを教える方法が多い。人によっては「もう少し右」とかの言い方のほうが良いなどあるみたいだが、小路は特にこだわりは無いらしい。
「小路ちゃんが初めてだったよ、そう言ってもらえると頑張って練習した甲斐があったってもんだよ」
「……えっ? 練習したの~? なんで~?」
「そりゃシャイニングゲートの便利屋だからな、3番手のVtuberの小路ちゃんに関わっても問題ないように、視覚障碍者介助の勉強したんだよ、資格とかは無いけどね」
「そっかぁ~…凄いね灰川さん~…」
「でも完璧じゃないからね、まだまだ勉強中だから過度な期待は禁物だぞ」
視覚障碍者の介助は慣れれば簡単だという声も多いようだが、普通の人は実際にやる機会が少ないから慣れること自体がハードルになる。
灰川も正直に言えば本職の人なんかとは比べられない介助の出来だろう、実際に食事中は小路の事ばかりが気になって自分が食べてるケーキの味が分からなかったくらいだ。
それでも小路が美味しそうにケーキを食べる姿を見て嬉しい気持ちになった、それだけでお腹いっぱいだ。
「灰川さん~、私のために勉強してくれてありがとうございます」
「よせやい、俺が好きでやってる事なんだから礼を言われるような事じゃないって」
小路は少し畏まった言葉で礼を言ってくれた、灰川が自分のために勉強までしてくれてるのが、とても嬉しくて感謝の気持ちが強く湧いたからだ。
小路は手を触れたりすると相手がどんな人なのか、自分との相性はどうなのか等がある程度わかる体質があり、灰川は心根は良い人であり自分との相性もかなり良いことが分かってたのだ。
今まで生い立ちもあって異性と関わる機会も多いとは言えず、同情は受けても自分に関心を強く持ってくれる人とは出会った事がなかった。
だが灰川は関心を持って勉強までしてくれて、仕事とはいえ自分を電車に乗せて離れた場所に曲探しという、他人からすればどうでも良い事に本気で向き合ってくれた。
歩行介助では安全を最優先にしてくれてる事が分かる動きだし、食事介助では経験者なのかと小路が勘違いするほどに練習してくれてたのは明らかだ。
それらの事は16歳という思春期の女の子に、ある感情を芽生えさせた。
「灰川さん~、いま何時かな~?」
「今は3時くらいだよ、どこか寄る所とかある?」
「残念だな~、帰らないと配信に間に合わないや~」
小路は配信があり夕方までには帰らないとならない、時間を考えれば早めに帰っておくべきだろう。
「帰らなきゃだけど~、灰川さんにお願いがあるよ~」
「ん? 俺に出来る事なら良いよ」
「え、えっと…ね~…、これからはエリスちゃんとかミナミちゃんみたくっ…ちゃんは付けずに呼んでっ、ほ、ほしい…な~」
「分かったよ、これからは小路って呼ばせて貰うからさ、それじゃ外とかだったら桜って呼んだ方が良い?」
「~~! う、うん~、桜のほうでも呼んでほしいな~」
顔を赤くしながら小路は言う、灰川は普通に受け答えて了承した。それだけの事でも小路の心は弾み、今日一番の嬉しさを感じる。
「そ、それと~…灰川さんって女の子が好きなんだよね~? それともっ、男の人が好きなのかな~? あ、あはは~…」
「おいおい…そりゃ女の人の方が好きだって、その質問は流石に俺以外の人にはしないほうが良いぞ」
「そ、そうだよねっ、じゃあ~これから私も頑張るね~? ライバルはミナミちゃんとツバサちゃんかな~、でもナツハ先輩とエリスちゃんも怪しいな~」
「え? んん? それってどういう……」
小路は自分の心に納得を付け、灰川に対して芽生えた感情を受け入れた。
灰川は最初は意味が分からなかったが、何となく理解して妙な気を起こさないよう自分を戒める。
この年代の子達は異性に対しての感情が不必要に膨れる事がどうしてもある物なのだ、小路もその一時的な病に罹ったのだと判断した。
「灰川さん~今日はありがと~、これは小路ちゃんからのささやかなお礼だよ~、とりゃ~」
「うおっ、危ないって、いきなりそんな事しちゃダメだっての」
小路は立ち止まって灰川の腕に抱き着いたのだ、その時に小路の同年代の子より少し大きめの胸が灰川の腕に当たる。
「男の人は女の子のお胸が好きなんだよね~? 灰川さんには特別だよ~、むふふ~」
「えっ? ちょ、マズイって! 止めなさい!」
「大丈夫だよ~、灰川さんだけにしかこんな事しないからね~」
小路はこういう事に抵抗感が薄い子なのか、ただ感情の振れ幅が一時上がっただけなのか、灰川には判断は付かないが男性としては悪い気はしない。
人通りが少ない道だから誰かに見られる事は無かったが、少し急ぎつつ安全に小路を離し、手を繋いで歩いて行った。
「灰川さん~、またデートしよ~ね~」
「ははっ、お誘い楽しみにしてるぞー」
適当にあしらいつつ、また一緒に出掛ける事を約束して無事に小路を配信事務所に送り届けたのだった。




