69話 近所の聞き込み
「本当にこの店で良かったのかい? もっと高い店でも構わなかったんだけどね」
「いえ、ここだから良いんです、料理が来るまで取りあえずビールでも飲んでましょう」
灰川は25歳で成人してるし、渡辺社長は40代前半という年で飲酒は問題ない。灰川も別に酒が苦手という訳でもないし、渡辺社長も普通に飲めるようだった。
「少しネットで調べたんですが、あの住所は特に事故物件があったとか、過去に何かあったとかの話は出て来ませんでした」
「そうか、それなら何で我が社の子達は一様に悪夢を見るのか…」
「そこが問題なんですけど、あ、ビールもう一瓶良いっすか?」
「ああ、遠慮しないでやってくれて構わないよ」
灰川はビールも料理もガンガン注文して胃に納めてく、しかし今回は普段と違い目的があっての事だ。
「普通に悪い夢を見る人が何人か居るってなら単なる悪夢を見たってだけですけど、今回の場合は全員が同じ内容で、しかも視力が生まれつきに無い小路ちゃんすら視覚的と思われる夢を見てます、これは明らかに霊的な悪夢です」
同じ内容の悪夢を必ず見るとなると偶然ではない、霊的な夢の定義は難しいが、少なくとも今回の場合は怪異が関わってると考えて良いだろう。
「おっ、この麻婆豆腐おいしいっすね! 渡辺社長も食べてみて下さいよ」
「本当だ、こっちの餃子もなかなか美味しいよ灰川さん」
どんどん運ばれてくる料理を次々と空きっ腹に納めながら会話していく、客は灰川と渡辺社長しか居ないのに夫婦で営んでる中華屋は少し忙しそうだ。
たっぷりと夕食の町中華を食べた後に最後にビールを頼んだ時に、ビールを運んで来た中華屋の奥さんに灰川が話しかけた。
「どうも、めっちゃ美味かったです、特に俺は麻婆豆腐が最高でした」
「あらそうなの、主人もあのお二人は相当にお腹が空いてたんだなって食べっぷりに驚いてたわよ」
「僕は餃子が一番でしたよ、ラーメンも良かったです」
料理が美味しかった事を伝えながら雑談を始める、その時に配信事務所がある場所についての話に上手く運ぶ事ができ、注文を多くしてくれた事もあったのか詳しく話してくれた。
「あの場所はねぇ、前も同じくらい大きな家があったんだけど、その時は立原芳樹っていう政治家の先生の家だったのよ」
この中華屋の奥さんはかなり前からこの場所で商売をしてるようで、近くの高級住宅地の事情に明るかった。
その話によると以前の住人は立原という政治家が住んでたらしく、立原は政治家としては有力では無いが実家が相当な金持ちで、その伝手で政治家になったような男との事だ。
引っ越すまで10年以上も住んでたらしく、政治家としても特に変な噂や事件も無く、家に関しても別に誰かが死んだとか、何かの曰くがあるという訳でもないそうだ。
しかし噂によると引っ越す数か月前から立原の奥さんが精神的に不安定になったり、立原自身も何かに焦るような怖がってるような素振りがあったように見えたと聞いたらしく、中華屋の奥さんは裏金でも受け取ってたのかと思ってるそうだ。
「ありがとうございました、また食べに来ますんで、もちろん腹空かせて」
「あら嬉しいわね! こちらはいつでも歓迎よ」
「ごちそうさまでした、ウチの子達にもここが美味しいって伝えておきますよ」
程良く情報を貰えたところで退散する事にして、配信事務所に戻って行った。
「あのお店を選んだのは情報収集のためだったんだね、確かに古い店構えで昔からやってそうな雰囲気だった」
「そうです、ネットに全ての情報が載ってる訳じゃないっすからね、地元の事は地元の人に聞くのが一番です」
今回は上手い事聞けたが、話してくれない事も多々あるし、聞き方などにもコツがある。ただ聞くのではなく、関係者であることをほのめかしたり、情報を前出しにしてから聞くなどの方法があり、探偵業などが詳しく知ってる。
オカルト関連の事はネットに全てが書かれてる訳じゃない、その土地にどんな人が住んでたとか、どんな事があったか、その土地の雰囲気や空気感などは直接調べないと本当の事は分からない事が多いのだ。
ネットには嘘も多いし間違った情報や偏った思考が関与する情報が多く、全てを鵜吞みにしたら痛い目に遭うだろう。もちろんそれはアナログ情報にも言える事だが、少なくとも悪意ある情報は掴みにくいという利点がある。
「でも政治家先生っすか…渡辺社長なら会えますかね?」
政治家なんて一般人に会うような事はないだろう、忙しい身だろうし防犯とかの兼ね合いもある。だが蔑ろにしたら票が取れなくなる原因にもなりそうだ。
「いや、灰川さんなら会おうと思えば今からでも会えると思うよ? ほら、アレがあるじゃないか」
「あっ、その手があったっすね」
アレとは四楓院家の金名刺の事だ、それさえあれば政治家なら話が通るかも知れない。しかし灰川としてはあまり使いたくないというのが実情だ、使い過ぎれば欲に溺れる原因にもなりかねない。
「こういう場合なら仕方ないんじゃないかな? 話を聞くだけなんだし、堂々と使って効果を試してみるのも手だと思うよ」
「まあ…そうっすよね、仕方ないか」
結局は明日に政治家の立原の元へ訪ねる事にした、ダメだったらその時だろう。むしろ駄目で元々くらいの気持ちで行った方が良い筈だ。
「そろそろシャワーを浴びて寝る時間なんだけど、灰川さんはどうするかい?」
「俺もそろそろ、あ、そういや今夜は配信しようかなって思ってたんだった、まあ今日は無理か」
「え? 配信? 灰川さんも配信とかするのかい?」
「しますよ、まあ誰も来ないっすけどね」
「それはイカン! 配信企業の社長として見過ごせないぞ!」
渡辺社長がかなり強い口調で物言いを付けてきた、その迫力に灰川は「うお!」と後ずさる。
「灰川さんは配信の自己マネジメントや配信内容の構成、スケジューリングやマーケティング、広報や計画的な売名はしてるのかい? それと視聴者を引き付ける話し方や話術、会話法やスピーチ法、その他様々な物は学んでるのかい?」
「い、いや…そんな事は…」
「ならば趣味で配信をしてるのかい? 趣味とはいえ有名になりたいとか人を集めたいという欲求はあるだろう? そのためには泥臭い努力と地道な反復が絶対に必要になるんだ」
渡辺社長は熱く語る、灰川が配信してる事を知った途端に、オカルト騒ぎに困ってる男性から、超有名Vtuberを何名も輩出してきた企業の社長の顔になっていた。
配信で名を上げるには様々な努力が必要であり、宣伝に金を掛けるのは当然で、Vtuber本人の努力も当然必要、運も必要だし視聴者や他の配信者から好かれる努力も大概の人は必要、配信企業が出来るのはそれらのサポートであり、本人の気概と努力と運次第な所が大きく、それらをふるいにかけて才能を見出すのが我々なのだと熱く語ってる。
「世の中には埋もれてしまった才能なんていくらでもあるんだ、スポーツの才能に芝居の才能、研究者の才能とかも99%は埋もれたままなんだと思うと残念でならない」
その才能を一握りでも良いから世に送り出したいという思いから、渡辺社長はシャイニングゲートを立ち上げたのだそうだ。その旗のもとに自由鷹ナツハや染谷川小路といった才能が集って来たのである。
「配信は素晴らしいコンテンツだ! 今までは見向きもされなかった人達が輝き、多くの人達から愛される存在になれる新時代のスター達の舞台なんだよ! そこに灰川さんも加わっていたとは驚きだ!」
「わ、渡辺社長は配信はしないんすか? そんなに熱く語るなら自分もやってそうな物ですけど」
「僕は視聴専門でね、でもいつかは自分で配信という舞台に立ってみたい! 僕も数々の有名配信者たちのように、身一つで話やゲームで視聴者の人達を沸かせたいんだ!」
やはり自分でもやってみたい欲求はあるらしい、しかし普段は妻や娘が居るから自宅ではとても無理らしく、そんな時間を取ることも難しいそうなのだ。
配信とは時間を使って行う物だ、動画作成などは他者に委託できるが配信だけは他人任せには出来ないコンテンツである。つまり完全な実力勝負であり、自己責任の世界である。
時間が無いと難しい、これが配信が長続きしない人が多い大きな要因だろう。働いてたり学校に行ってたりすれば疲れるし休みたいと思うのは普通の事で、そもそも新しい事にチャレンジする気持ちが湧きにくい。
「じゃあ試しに俺のチャンネルで一緒に配信してみます? 誰も来ないし練習には丁度良いっすよ」
「良いのかい!? 僕は立場的に下手に配信アカウントを作る事も難しくてね、前から一度はやってみたかったけど勇気が出なかったんだ、妻には強く反対されてるしね」
どうやらかなり、かかあ天下の家庭らしく惚れた弱みの恋女房で今も頭が上がらないそうだ。
「さっそく始めようじゃないか! もちろん我が社自慢の配信ルーム、それも最上級ルームを使おうじゃないか!」
「い、良いんすか!? 誰も来ない配信なんすよ!?」
「誰も来ないからって手を抜いて言い訳ないだろう! せっかくだから今日は前から一度はやりたかった飲酒配信をしようじゃないか!」
「マジすか!? もう既にビール入っちゃってるっすよ!?」
「飲酒寝落ち配信だ! 酒はこの配信事務所にも常備してVtuberは自由に飲んで良い事になってるんだが、誰も飲まないし興味も無いから放置されてる! 高級酒も用意してあると言うのに!」
「せっかくだから高い酒飲みながら配信しましょうよ! よっしゃ!ただ酒だ! しかも高級!」
灰川と渡辺社長は気付いて無いが、先程の町中華で飲んだビールが良い具合に回って来ていた頃合いで、気分が高揚してる状態になってる。
「30年物のワインに50年物のウイスキー、ブランデーの古酒に最高品質の日本酒! とことん飲みながら配信しようじゃないか灰川さん!」
「やりますねぇ! ガンガン飲んで配信ブッパしていきましょ!!」
こうして急遽に灰川と配信企業ナンバーワンのシャイニングゲートの社長による、飲酒配信の開催が決定したのだった。




