65話 ナツハのお礼
ツバサを送り届けた後は灰川は自宅に戻り、そのままパソコンを起動して配信を始めていた。
「こんばんわぁ~! 灰川メビウスだ! 今夜もよろしく!」
誰も来てない配信画面に向かって元気よく挨拶をして、今日はやりたかったFPSゲームをプレイし始める。
もちろん今も配信タイトルは何の捻りも無く、配信タグもいい加減で惹きつけられるような要素は一切ない配信だ。
「今日はモチベ高いぞ! オラオラ、当たれっ! あっ、負けた……」
調子に乗ってアサルトライフルを乱射しながら突撃して、当然のように狙い撃ちされて敗北、その一連の流れで笑いを取れるような事も言えないし、魅力的な配信になってる訳でもない。
「まだまだ行くぞ! 今日は階級上げてやるっての!」
多数の魅力的なVtuberや配信者と関わって来てるのに、そこから得た教訓は自分の配信に生かせない。灰川は極端にそれが苦手な部類なのかも知れない。
『青い夜;こんばんわ灰川さん』
「おっ、青い夜さんこんばんわ! 今日はFPSやってるぜ! うわっ、また負けた」
しばらく配信してるとコメント欄に青い夜こと自由鷹ナツハ、澄風空羽がやって来た。
『青い夜;灰川さんはFPS好きなの?』
「けっこう好きだね~、格ゲーもアクションゲームも好きだけど、今日はFPS配信の気分だったのさ」
『青い夜;そうなんだ、私も配信でFPSやるけど、あんまり上手くなくて視聴者さんに呆れられたりしてるよ』
「ははっ、それも青い夜さんの配信の味だって、俺なんか呆れてくれる視聴者さんがまず居ないんだから」
どうやらナツハも未成年でもプレイに支障が無いライトな描写のFPSをプレイするらしく、配信では人気を博してるようだった。
『青い夜;ところで灰川さんは明日は時間あるかな?』
「今は準備期間だから、明日も丸ごと空いてるよ~、配信しよっかなぁ!」
『青い夜;じゃあ明日に私がお世話になったお礼をするね、後でスマホに連絡します』
「えっ? あ、今回は勝った!」
FPSに気を取られてる内に明日の予定がサラっと決められ、灰川の翌日の午後はナツハがお礼をしてくれる事になったのだった。
「こんにちわ灰川さん」
「ああ、お疲れ空羽、忙しいだろうに悪いね」
空羽とは午前の朝方にわざわざ馬路矢場アパートまで来てくれたのだ、灰川は忙しい身だから自分から空羽が指定した場所に出向くと言ったのだが、それは断られてしまった。
「音声データ渡すだけなんだから、パソコンかスマホでも出来るってのに、わざわざありがとな」
「ううん、こういうのは直接会って渡さないと駄目な気がするし、私も灰川さんの部屋に来たかったしさ」
空羽は以前に灰川のアパートに来て体調が整った事があった、その時は社長や市乃たちも一緒だったが今回は一人である。どうやら以前に来た時に灰川の部屋の空気感みたいな物を気に入ってくれたようだ。
「でもよ、男の部屋に高校3年生の女の子が一人で来るなんて、親とかにはちゃんと許可取ってるのかよ?」
「許可は取ってあるよ、会社の関係の人の家だし、お世話になってる人だから灰川さんの事はちゃんと説明してるよ」
会社の関係の人と言えば一応はそうなのだろう、少なくとも今度からは正式に会社の関係する人間になる。
「それに私は今は一人暮らしだしさ、あんまりそういう事はうるさく言われないかな」
「そっか、もう働いてるようなもんだしな、高3ともなれば自分で色んな判断できるしな~」
空羽は既に多額の金銭を稼ぐVtuberだ、今度は芸能界進出にもなるかも知れない身であり、これからますます有名になるであろう逸材なのだ。
もう大人の世界に足を踏み入れてる子であり、様々な判断を自分でしなければならない。その判断には私生活の事だって含まれる。
「あ、これがお礼の怪談朗読だよ、灰川さん、この前は本当にありがとうございました」
「ありがとうな、自由鷹ナツハの朗読音声なんて灰川家の家宝にしちゃおうかね」
「ふふっ、そうなったら私は灰川さんの家の有名人だね」
「とっくに有名人だろ、自由鷹ナツハさんよ、はははっ」
そんな軽い会話をした後で、さっそく聞いて欲しいと言われて灰川はファン数ナンバーワンVtuber自由鷹ナツハが読む、灰川リクエスト怪談音声を聞いたのだった。
灰川家に居る猫
かつて霊能力で有力な名家だった灰川家、今は没落して田舎の普通の家だが霊能力は脈々と受け継がれており、時にはどこかでその力を聞きつけて灰川家を訪ねて来る者も居る。
しかしそれは時には人間以外の存在も灰川家に来ることがあり、その中には妖怪といった存在も居る。
「誠治! 起きるにゃ! にゃー子とみんなにゴハン寄越すにゃ!」
「うるさいよ、にゃー子! これ以上食べると太るぞ!」
昼寝中の灰川家の息子に三毛猫が喋りながら肉球でペチペチ顔面を叩いてる、にゃーにゃー言ってるのは灰川家に何十年も前から住み着いてる猫であり、妖怪化した猫の妖怪、猫叉だ。
フサフサの毛並みの三毛猫で、別に尻尾が複数あるとかではなく一本しかないし体の大きさも普通だ。人間語を喋れるが日本語のみで、霊能力が無い者には普通の鳴き声に聞こえる。霊能力者であっても声が聴けるのは強い霊能力者じゃないと聞き取れないそうだ。
「太ったら運動するにゃ! すんごくお腹へったからゴハンくれにゃ! みんなもお腹すかせてるにゃ!」
「わかったから! まったくも~!」
にゃー子は猫叉だが、ここら辺の猫たちのボスであり、裏山に住んでる猫たちの顔役みたいな位置らしい。ケンカが強い訳じゃないそうだが、猫叉ゆえに猫としては口が立ち、灰川家の人間と会話してエサを貰って分けたりする事からボスとして認められてるとのこと。
おかげで灰川家の庭先は時おりに猫!猫!猫!の猫まみれ!になり、その様相たるやまるで猫キャバクラ!今がその時間だった。
そんな猫キャバクラの灰川家だが、近隣住民は離れた所に住んでる田舎のため、苦情などは無いし、フンなどは別の場所でするようににゃー子が言ってるらしく清潔だ。
「今日も多いな! また来たのかモリオ、お前は前も来てたな白毛、うわっ!今日は汚れてるなケムリ!あとで水浴びしてけよ」
猫たちへの灰川家の息子の言葉はにゃー子が翻訳して伝えてる、その度に甘えたような鳴き声やエサ寄越せなどの鳴き声を出してると伝えられていく。
「誠治! みんな美味しいゴハンお待ちかねにゃ! 今日は魚でダシを取ったお米にゃ!」
「「にゃ~! にゃ~!!」」
「はいはい、にゃー子、みんなを並ばせて、順番だぞ順番」
「OKにゃ!」
灰川家の息子はにゃー子の友達たちにゴハンをあげ、猫たちは美味しそうに灰川家の母特製の猫まんまを食べていくのだった。
今日はそんな灰川家に居付いてる猫叉のにゃー子が、猫叉になる前に体験したお話しである。
昭和時代のある日、にゃー子が道端を散歩してると道の脇の草むらから嫌な気配を感じた。
最初は強い動物か何かの気配かと思ったが、どうやら違うらしい。人のような人じゃないような……匂いをよく嗅いでも分からない、耳を澄ませても分からない。
普通だったら何か分からない物には危険だから近づかないが、その時のにゃー子は何故か近づいてしまった。
「にゃ゛!!?」
そこにあったのは…深い深い穴、人間が一人は楽に入れるくらいの穴があった。昨日までは無かったし、そんな深い穴は見た事が無い。
その穴の中から風が吹き上がって来る、その風からは美味しそうな魚の匂いやマタタビの香り、猫にとって快適で過ごしやすい温度の空気が感じられた。
そこに入ればお腹いっぱい食べる事が出来る、ぐっすり眠って元気になれる、もう飛び込んでしまおうと思った時に……ガッシと全身を何かに掴まれて宙に浮かされた。
「あの穴には入んなや、良い事ねぇべや」
にゃー子を掴んだのは人間であり、何を言ってるのかは当時は分からなかったそうだが、それでも穴に入らなくて良かったと感じたそうだ。
それ以来はその人の家でエサを貰ったりしてる内に、その家に居付くようになり。猫叉になってしまった後も追い出される事なく過ごして今に至ってる。
「この話って本当なの灰川さん!? 私もにゃー子ちゃんに会いたいんだけど!?」
「うおっ、本当だけど妖怪だぞ? しかも霊能力が無いと長生きしてるだけの普通の猫と変わらんし」
「妖怪! 本当に居るんだ! 凄い!絶対に会いたいよ灰川さん! 私、猫好きなの!」
空羽は猫が本当に好きらしく、今もペット可のマンションを探してるそうなのだが、その他の条件を満たす物件が無いらしく保留中だそうだ。
「まあ、にゃー子は猫叉だからまだまだ元気だし、その内にな」
「約束だよ灰川さん! 絶対に会いに行くんだから!」
この話の朗読をリクエストしたのは灰川だ、猫の怪談なんて珍しいし、こんな話を出来る人物はそうは居ないから頼んだのだ。
朗読も自由鷹ナツハの声で聴きやすくも怖い感じもあるが、耳が休まるような脱力感をくれる味わいで非常に良かった。
「ありがとう灰川さん、喜んでもらえて嬉しいな」
「こっちこそありがとうな、今度帰った時に、にゃー子にも聞かせてやろうかね」
「あははっ、そしたらにゃー子ちゃんの感想聞きたいな、出来れば直接会って」
どうやら空羽はかなりにゃー子にご執心の様子だ、見た目は普通の猫と変わらないから、会っても普通の猫以上の感想は抱かないと灰川は思ってる。
「なんだか凄い話で驚いちゃったな、本当はもう一つのお礼もしたかったんだけど、気分がそっちに向かなくなっちゃった」
「そっか、まぁ別に俺は朗読が貰えただけで嬉しいよ、本当に気にしなくて良いからな」
空羽は別のお礼も準備しててくれたようだったが、まさかの灰川家の話に気を取られて気分が向かなくなったという事は、物質的なお礼じゃなかったのだろう。
「今度からは灰川さんも配信業界の関係者の本格的な仲間入りだね、準備は出来てるのかな?」
「準備は急ピッチだけど進んでるって感じだな~、一応は自営業のやり方とか教えて貰いながらって状態だよ」
「そうなんだ、じゃあ本格的に営業し始めたら、またお世話になっちゃうね」
「今度は社長達からしっかり金貰うからよ、俺も早いとこ安定した生活しないとなって思ってるし」
以前はほとんど無償みたいな形で事に当たってたが、今度からは違う。責任と信用という物が圧し掛かる自営業の世界に足を入れる事になるのだ。
「それにハッピーリレーとシャイニングゲート以外からの仕事も自分の尺度で受けて良いって話になってるし、これを機にオカルト関連の相談所みたいな真似事でもするかなって思ってるよ」
「それも良さそうだね、そうなったら私が話を広めてあげるからね、もちろん金名刺の話は誰にもしないよ」
空羽は灰川が金名刺を持ってる事を知る数少ない人物の一人だ、その事は誰にも言わないよう伝えてある。
「まあ、オカルトに関してもまだまだ勉強しなきゃならん部分が大量にあるし、上手く行くかは分からんけどね」
「やってみなくちゃ分かんないよ、私だってVtuberになる前はナンバーワンになれるなんて思って無かったしさ」
物は試しだ、まずはハッピーリレーとシャイニングゲートから仕事が回されてくるのだから、金銭の心配は無いだろうし安心感はある。
「もう一つのお礼はまた今度だね、そろそろ配信があるから戻らないといけないんだ」
「頑張ってくれよな、空羽の頑張りが俺の生活にも関わって来るんだから、いやマジで!」
「あははっ、じゃあハリきって配信しちゃおうかなっ、またね灰川さんっ」
こうして空羽は灰川のアパートからタクシーで帰って行き、午前の時間は過ぎて行ったのだった。
その後に灰川はスマホで自由鷹ナツハの配信を見る、やはり完成された面白さと聞きやすい声、不快にならない話題でありながら意外性や突飛な発言で視聴者を驚かせつつ笑わせる配信に目が奪われる。
才能と努力と人間性、全てが兼ね備えられたVtuber、仮にVtuberではなくアイドルの道を歩んでたら、そちらで頂点を取ってたであろう事を予感させる子だ。
コメント欄は滝の流れのように瞬く間に視聴者コメントが流れ、スーパーチャットの色付きコメントもどんどん流れる。一回の配信だけで一体いくら稼ぐのか。
「はぁ…羨ましいねぇ~」
男性ファンからは当然ながら絶大な支持を得て、女性ファンからの支持も厚い、女子小中高生の憧れの存在であり、シャイニングゲートの看板、高校3年生で凄い才能を開花してる子である。
そんな子から自分だけの怪談音声を貰ったことに今更になって実感が湧いて来た。
「あ~! こんな事なら長編怪談を読んでもらえば良かった! なんでにゃー子の話にしちまったんだ~」
もったいないけど仕方ない、実家に居付いてる猫が元気でやってるのか少し気になるが、妖怪なんだから大丈夫だろう。
そんな事を考えてたらスマホにSNSの通知が鳴り、スマホを見ると。
メッセージ 白百合 史菜
灰川さん、これからお時間を少し頂けませんか?
以前のお礼がしたくて連絡させてもらいました。
と通知が入っていたのだった。
今回は風変わりな動物怪談にしてみました。




