61話 行き先を決める 1
喫茶店で灰川が怒り心頭になった後、花田社長と渡辺社長が貸会議室のクリーニング代などを払って場所を変える。
灰川としては頭は冷えたが怒りはそのままで、騙されたという疑念は払拭できてない。
喫茶店を出て近場にある適当な長居できる居酒屋を見つけて入店し、6人でちゃんと話し合う事になったのだった。
土曜日で時刻はまだ昼過ぎという事もあって開いてる店は限られたが、そこは流石は渋谷センター街、長居できる店はすぐに見つかった。
「さっきは取り乱してすいませんでした」
「いや、急な話で失礼だった上に私達の認識が甘かった…まさか灰川君がそこまで怒るとは思ってなかったんだ…」
「灰川さん、良ければ今まで何があったか話して貰えないかい? 僕たちで良ければ聞かせて欲しい」
怒りも段々と収まって来たし、あんなに取り乱して暴れたのだから話すのが筋という物だ。灰川は今までの経緯を話し始めた。
「……自分は高校を出てから大学に行って就職したんですが、そこで酷い目に遭わされました」
灰川は普通の大学を普通に卒業して普通に就職した……はずだった。
入社した会社は貿易関係の会社で一般職での入社だったのだが、入った瞬間からいきなり『現地視察研修』とかいう名目で、貿易で取引する商品がどのような物なのかを学ぶという理由で出向させられた。
そこからが地獄だった、貿易で取引する商品を倉庫に運ぶ作業を何か月もやらされた、その間に会社に研修はもう終わりでしょと問い合わせたが、研修に期限は無くいつ終わるかは会社が判断すると言われ続行、しかも研修中は最低賃金で働くという契約になっていた。
灰川は契約書はしっかり見てたのだが、トリックを使われてたのか改竄されてたのか分からないが、最初の内容と違った事になってたのだ。
毎日16時間に及ぶ過酷な作業で足腰は僅か数か月で激痛が走るようになり、辞めようとしても『会社の損害になるから裁判を起こす』などと言われ辞められなかった。それは明らかに労働法に反してるが、大学を出たての灰川はそれらの事は上手く言いくるめられて合法だと洗脳されていた。
ブラック企業には様々な種類がある。社員を言いくるめ洗脳して奴隷に変えてしまう洗脳系ブラック企業、社長や会長を神格化して崇めさせて自分は何でも正しいと勘違いした経営者によるカルト系ブラック企業。
同族系ブラック企業、反社会勢力関与型ブラック企業、定額働かせ放題ブラック企業、労働基準法を守る必要が無い農業企業による合法ブラック企業、その他にも様々ある。
「その会社からはバックレて辞めました、倉庫の荷物運びは休憩もロクにない16時間労働で最低賃金、そこを1年耐えたんです」
「何その会社…ひどすぎるっ!」
「そんな会社が…あるんですね…」
市乃と史菜はまだ高校生だ、こんな汚い話は聞かせるべきでは無いだろう。しかし彼女たちは既に大人の世界で勝負をしてる人間でもある、聞いておいた方が良い話だ。
バックレてからも色々と面倒はあったが、まだ話には続きがあった。
「次に入った会社はIT系の会社でした、そこでも壮絶な扱いを受けましたよ……」
その後は暫くしてから別の会社に入り、次は入念に契約内容なども調べて、サインした契約書なども写真を撮り備えたが無駄だった。
その会社では個人向け商業用ネットワークを管理するとかナントカ言ってた気がするが、そんな業務をしてる所は見た事が無い。
実際にはパソコンやスマホに無知な人を釣ってセミナーを開き、粗悪なパソコン等を高値で売りつける詐欺業者だった。それだけではなく怪しげな健康食品とか実効性の無い無意味な資格取得の講座とかもやってた。
もはや金のためなら何でもアリという会社であり、当然のように賃金は当初に提示されてた金額より低く、残業代の出ないサービス残業は当たり前、自爆営業もあった。
「その会社は暫くしたら警察が来ましたが、全部社員がやったことにして逃げおおせましたよ」
「「………」」
会社が無くなってからバイト等で食いつないでたが、しばらくして次の会社に正社員として入社、そこでもサービス残業と契約内容の違う仕事をさせられてたが、灰川はもう法を守ってる会社なんて無いのだと諦めてた。
その会社は社長は偉ぶってて最悪の人間だったが社員同士の仲は良く、客を騙す詐欺のような事はしてなかったが……ある日に社長が給料未払いで会社の金を持って夜逃げ、そこから灰川は完全に社長職や幹部職に就いてる人間を信用はしなくなった。
「という訳です、なので俺は労働関連で騙すとか金に関する不利な何かの押し付けとかには強い嫌悪感があります」
契約なんて守られる訳がない、経営者は労働者との約束なんて空気より軽いと考えてると灰川は思ってる。
「なるほど…それはつまり、どんな契約を交わそうと我々を信用できないという事かな」
「そうです、世の中そんな人ばかりじゃないのは分かってるつもりですが、それを押し測る事なんて出来ないんですよ」
約束は守る、契約は守る、一体どれほどその言葉が破られて来たか、その言葉を信じてどれ程の人間がバカを見たか、灰川はその中の一人である。
「灰川さんは極端な例に連続で当たってしまったんだね、契約書の改竄なんて普通ならしない、バレたら大事になるし信用は一発で失う、少なくとも僕はそんなマネはしないよ」
「でも重箱の隅を突いて契約内容の受け取り方を都合の良い取り方にしたりする事は出来ますよね? 借金させて利息ナシって言っておいて、後から都合よく解釈して…」
「重症だ…灰川君、ハッピーリレーをブラック企業にしてしまった私が言うのも何だが、君が入った会社はもはやブラック企業というより人身売買組織とか犯罪組織の類に近いぞ」
世の中には恐ろしい環境のブラック企業が数多ある、見た目は普通の会社だが、内情は労働者の精神と身体を使い潰してポイ捨てする腐った会社が幾らでもあるのだ。
時代はそういった会社に対して厳しくなってきており、SNSで炎上したり訴えられたりしてるが、まだまだ駆逐には至ってない。むしろコンプライアンスがどうとか言ってそういった内情を隠すようになって来てるから、見えにくくなっただけでブラック企業は依然多い。
「とは言え僕には灰川さんの力が必要な事実は変わらない、どうしたら信用してもらえるかな?」
「無理ですよ…借金なんざ絶対ゴメンです」
そう言いながら灰川は運ばれて来たウーロン茶を飲む、ここは居酒屋だから最低でもドリンクは頼んだ。
「私も灰川君に協力して貰えなければ困る事になる、理由は以前に話した通りだ」
ハッピーリレーは現状では三ツ橋エリスと北川ミナミを絶対に手放す訳にはいかない、そのために二人が慕ってる灰川を離す訳にはいかないのだ。
他にもマネージャーとして信用できる人に配信者達と会社との折衝役になって貰いたいという理由も大きい。
「さっきの怒りの理由を聞いて、私はますます灰川君にハッピーリレーの外部顧問を任せたくなった」
「え……?」
花田社長は以前に灰川に会社の側に立たず、配信者の側に立って仕事をして欲しいと語った。灰川の先程の言動を見る限り、会社の側に立つ可能性は非常に低い。
ハッピーリレーの過去の失敗は運営が調子に乗ってバカな事をやったせいであり、それは配信者達をまとめて意見を聞く人材が居て、会社に釘を刺す者が居れば起こらなかったかもしれない事態だ。
「私も灰川さんにマネージャーになって欲しいっ! また前みたいになったら今度は絶対にハッピーリレーが無くなっちゃうよ!」
「私も同意見です、個人的に灰川さんは男性として強くお慕いしてますが、ハッピーリレーには灰川さんが必ず必要です。もし関係を断たれるならば、私はハッピーリレーを退所します」
「っ…! ミナミ君…」
市乃は灰川が入らなかったら辞める辞めないは別として、近い内にハッピーリレーは無くなると予見してる。それほど配信者や職員の離脱は深刻な問題になっており、特に配信者達と会社との溝が深すぎる上に、折衝役が居ないのが問題だ。
史菜はサラッと凄い事を言ったが、そこは突っ込まずに話を続けた。北川ミナミは灰川誠二とハッピーリレーが関係を維持できないなら退所するとまで言う、それは今のハッピーリレーには致命打になりかねない。
折衝役は口で言うほど簡単ではない、言葉の裏にある繊細な事実や、人の心や集団の精神という物に折り合いを付けながらやり取りしなければならず、それは信用を構築できる者でしか出来ないのだ。世の中には折衝役とは名ばかりの会社の犬や忖度管理職が非常に多い。
「じゃあ逆に灰川さんは、どういう条件だったら社長たちの案を受けてくれますか?」
そう聞いたのは空羽だった、これは灰川が話を受ければ解決するという事実がある。しかしそれが出来ないからこうなってるのだ。
ならば案を受けさせるにはどうしたら良いか、そこに目を付けて単刀直入に聞く。
「借金は無しで、生活に困らない保証があって、嘘も騙しも無いって所かね、まぁそんなのある訳ねぇけど」
それらは普通の事に見えて灰川には難しい事だ、事業所を構えなければ借金はナシで出来るかも知れないが、そうすると様々な不都合があるらしい。
生活に困らない保証は可能だし、社長たちもそうすると言ってたが、それは絶対ではない。会社が傾けば灰川も道連れだ。
嘘も騙しもないというのは当たり前のことに思えて、社会は嘘と騙しや思考誘導で蔓延してる。灰川はその中でも特に悪質な物に騙されて来た。
「じゃあ灰川さんの起業に掛かるお金は全部、ハッピーリレーさんとシャイニングゲートで出すって条件だとどう?」
「空羽、それすると職員さんと配信者はどう思うよ? 自分たちが稼いだ金を勝手に他に流されたって思うだろ」
「あ…そっかぁ…」
灰川に金を出せば職員や配信者から不満の声が上がるだろう、そう考えたからこそ社長二人は融資という形にしたのだ。落ち着いて考えた後に灰川はそれも分かったが、その借金を背負うのは自分なのだ。
「じゃあやっぱり…どちらかを選んでって事になるの?」
「あんな醜態晒した後じゃなぁ…その気も無くなっちまった」
今まで溜まりに溜まった社会への不満や経営者という者達への憎悪が溢れてしまった、それを見られた上で入社するのは気が引けるという物だ。
「じゃあ残る道は…他業種への転職という事に…っ」
「……それが一番現実的だよなぁ、史菜にゃ悪いが漁船にでも乗って稼いで来るかなぁ」
「「!!」」
灰川は自暴自棄になって無茶な事を言い出してる、もはや配信者として生活していくという夢など途方もない彼方だ。
「そもそもその起業する資金って幾らくらいなんですか?」
「僕と花田社長の計算だと、事務所を出す資金やその他の用具の購入資金で、渋谷のハッピーリレーさんとシャイニングゲートの事務所の近場でそれなりの事務所構えにすると大体は500万円で、月々に掛かる料金は30万円くらいかな」
「そんな金は無いし、そんなに儲けられるとは思いませんって…俺は商売人じゃないんすよ」
仕事はハッピーリレーとシャイニングゲートから優先的に回されてくる、しかし灰川が出来る事など限られるのだ。
過去の仕事や経験が生かせる業種じゃない、その事を説明しようとしたが。
「じゃあ私達でお金を出して……」
「市乃、それ以上言うな…死にたくなっからよ…」
「~~!」
市乃たちは多額の稼ぎがあるから可能だろう、しかしそれは灰川のプライドが許せない。それをされたら関係性は変わってしまう。
「灰川さん、自分が霊能力者だということをお忘れですか?」
「え?」
そう言ったのは渡辺社長だ、その目は真剣そのものだった。
「僕は灰川さんの例の物の力も本当はアテにしたいですが、それ以上にオカルト騒ぎに関しては本当に悩まされてるんですよ…」
以前にシャイニングゲートで幽霊騒ぎがあると聞いたが、それは結構深刻な問題らしい。実は渋谷という地域は昔から怖い話が多く、お洒落な若者の街であると同時に、幽霊の目撃談なども後を絶たない地域なのだ。
「それと旅行会社の所有するホテルや旅館で、ちょっとシャレにならない現象とかも起こってるんです…」
ホテルや旅館は怖い話とは切っても切れない関係だ、旅行会社の社長としては本気で悩まされてるらしい。
「ハッピーリレーはこれからもオカルト関連の配信もある、灰川君のような霊能者はいつでも相談できる場所に居て貰いたいんだ」
これも隠さざる本音だ、しかし考えるべき要点が多すぎる。起業したとして生活していけるのか、そのための借金は嫌だ、リスクはどのくらいあるか、、どれも重要な事だ。
「その問題もあるが、灰川君が私たちに言った言葉は効いたな」
「ええ…まさかそういう見方があるとは、言われるまで1ミリも気付きませんでした」
そこで話は灰川が言った『ブラック企業のクソ社長』『同じようなVtuberしか育てられないワンパターン野郎』という発言に変わった。




