59話 考えが纏まらない
灰川はアカデミー生の女の子達に取り囲まれ、顔を覚えて貰おうと一気に挨拶の嵐に見舞われる。
「よろしくお願いします!」
「灰川先生!」
「田中です! アカデミー生です!」
その意気込みの強さと、絶対にデビューするという意思の強さに灰川はたじろぐ、これが夢に向かって本気で努力してる子達の迫力なのだろう。
しかしその一方で灰川やナツハに寄って来ない者達も居る、自分のポリシーだったり内気だったりなどの理由なのかも知れないが、それも立派な個性であり様々なタイプの子が居るのだと見ただけで分かるようだった。
「よろしく、灰川です、よろしく」
少しづつ挨拶を返しながら波が去るのを待つが、なかなか引いてくれそうにない。
ここで灰川に顔を覚えられて社長に灰川が「○○ちゃん、良いですね」とか言って貰えれば、もしかしたらデビューが決まるかも知れない、そんな小さな望みにも全力になれる程に彼女たちはデビューしたいと本気で思ってる。
「灰川先生は社長とどんなご関係なんですかっ?」
「私は正規デビューに本気なんですっ、絶対にシャイゲVtuberになりたいんです!」
「一度でいいから私の配信を見て頂けませんかっ!? 絶対に退屈させませんから!」
もう揉みくちゃだ、自分は有名人じゃ無いのにマスコミに囲まれるスターの気持ちが分かるような状況である。こんなに沢山の女の子に囲まれて多少なら嬉しいと思う気持ちはある、しかし怖さの方が勝つ。
「な、ナツハさんっ、そろそろ行きましょうっ、皆さん講義頑張って下さい!」
人込みから這い出すようにして抜け出し、ナツハも少し遅れて出てきて逃げるように展望休憩所から去って行った。結局は良い眺めは見れずに終わってしまい残念だ。
「凄いグイグイ来る子達だったなぁ…あんなに囲まれたの初めてだよ」
「ふふっ、でもいっぱいの女の子に囲まれるのは悪い気はしなかったんじゃないかな~?」
「いや状況によるって、悪い気はしないけど足が竦む思いだったよ」
あの場所に居る子達は正に人生を懸けて夢に挑む気概を持った子達だ、中学生だろうが高校生だろうが大学生だろうが本気度が違う。本気で憧れ、本気で目指し、本気で挑む。
全場所で全力投球、そこに『気に入られたら、もしかしたらワープ形式でデビュー』なんて可能性が出たら飛び付くに決まってる。
「やあ、ごめんごめん、ハワイ旅行ツアーの件で電話が入ってしまってね、その様子だとアカデミー生の子達に強めの挨拶をされてしまったかな?」
「その通りですよ、人が悪いですって渡辺社長…」
「アカデミー生の子達があんなに本気で売り込みに来る所なんて初めて見ました、私もちょっと怖いと思ったくらいですよ…」
ナツハはアカデミー生達の憧れの的だ、顔を出せばあんな風になるのかも知れないが、それでも今回の押しは本気度が違ったそうだ。
シャイニングゲートのブランド力は数年前とは違って明らかに大きくなっており、その看板を使えば勝利は確約される。熱意の程が違うのも頷ける話だ。
「アカデミー生はデビューに向かって本気だからね、もちろんデビューは確かな判断をもって決まるけど、やはり印象や顔覚えも大事になってくる。灰川さんはアカデミー生の子達に目を付けられたね」
「そりゃないっすよぉ~…」
それは紛れもなく権力という物の一面だ、力があれば人が寄ってくる。そして大概の人間はその状況に良い気になって調子に乗る。
渡辺社長は灰川にその怖さの一端を見せるためにあんな事をしたのかもしれない、それでも社長とナツハと一緒に居る所を見られれば『誰だ!?』とはなっただろう。
「そろそろ夕方の6時ですけど、時間は大丈夫なんですか? 俺は全然良いんですけど」
二人は忙しい身のはずだ、本来なら灰川にかまけてる時間など無い筈である。
「そこは大丈夫だよ、でも確かに今から配信事務所に行ったら遅くなってしまうね、ナツハもこの後で配信があるから、もし良かったら改めて明日か明後日に配信事務所を案内したいね」
「うん、灰川さんも仕事で疲れてると思うし、次に回した方が良いんじゃないかな?」
「じゃあそうして貰います、今日はお招き頂きありがとうございました」
こうしてシャイニングゲートの見学1日目が終了した、今の時点で設備的にも規模的にも同業他社より圧倒的に上という部分を見せつけられた。
灰川はシャイニングゲート本業事務所にタクシーを呼んでもらい、料金はシャイニングゲート持ちで家まで送られた。至れり尽くせりだ。
夕食を食べてシャワーを浴びて、そこから少し考える。自分はどうするべきなのか?
一応はまだシャイニングゲートの配信事務所という場所を見てないから考える余地は残ってる、しかし進む先を見据えるためのカードは出揃ってきた感がある。
実は帰って来てからハッピーリレーの社長から電話があり、金名刺の事は本当なのかと聞かれ受け答えし、アレは持ってない物として考えて貰うよう、他の人には話さないよう頼んだ。
ハッピーリレーの社長は賃金はシャイニングゲートの金額と同じにするから、絶対にウチを選んで欲しいと言われ、やっぱり金名刺の力を実感させられるという一幕があった。
社長の話だとエリスは四楓院家の事はほとんど知らないし、分家の子だから四楓院の権力とは関係は無いという通達も受けてるそうだ。
社長自身も四楓院家に関われるような立ち位置では無いが、四楓院と近しい親戚が入った会社には何らかの形で通達が届くらしく、それで知ったとの事らしい。そしてハッピーリレーが会社ごと炎上して資金難に陥った時は、四楓院が助けてくれたとの事だ。
どうやら渡辺社長の分家の人の話やエリスの事を鑑みるに、全く関係ないという訳ではなく、困った時は手を差し伸べるといったスタンスのようだ。
「ど~すっかな~、どーすりゃ良いんだ?」
賃金は同じ、雇用形態も同じ、とすると後の判断材料は社風とか人間関係、仕事が自分に合うかどうかだ。しかしそういった物は入ってみなきゃ分からない部分であり、ハッピーリレーはその分ある程度の人は知ってるから天秤は傾く。
とはいえハッピーリレーだって運営幹部や事務所の職員はあまり知らないし話してない人が多く、知ってるのはエリスやミナミ、人事部の木島を初めとした一部の人達だけだ。
シャイニングゲートともなればナツハと渡辺社長以外は知らないと言って良いだろう、考えるための材料が足りてない。だがそれが仕事を選ぶ際の当たり前の事なのだ、判断材料が足りてる方が珍しいという物だ。
明日か明後日にもう一回、見学すれば何かしら判断材料が増えるかも知れない。それに灰川はシャイニングゲートのVtuberの事をナツハ以外はほとんど知らないため、少し調べてみる事にした。
「いま配信やってるのは~……」
your-tubeで検索してみると、何人ものシャイニングゲート所属のVtuberが出てくる。その内の一人を適当に選んで見てみた。
竜胆 れもん
視聴者登録250万人 同時視聴者3万人
シャイニングゲート2期生
『あ~~! また同じ所で死んじゃった! 最悪だよ、もぉ~~!』
コメント;www
コメント;今のはアカン!
コメント;さっきと同じじゃん
コメント;学ばねぇな~www
竜胆れもん、調べて見ると彼女もシャイニングゲートの人気有名Vtuberで、シャイニングゲートの創立初期に入所したVtuberのようだった。2期生でありナツハと同期の子で、明るく感情豊かに喋りまくるスタイルが人気のVtuberだ。
今は古いアクションゲームを実況プレイしながら視聴者を沸かせ、コメントの数も当然のように凄く、エリスやミナミよりも断然多い数のコメントが流れてる。
『誰か攻略教えてよ~! このままじゃ心臓止まっちゃうって~!』
コメント;アクションだから攻略教えてもな~
コメント;ゲーム古すぎて知らないwww
コメント;れもんオタども教えてやれよw
コメント;泣き顔最高!
20年以上前の古いゲームだが視聴者は大盛り上がり、むしろ古いゲーム特有の味や面白さを存分に生かして、見る者を飽きさせない配信の作り方は見事だ。
視聴者登録250万人は伊達じゃない、人気の入れ替わりが激しい世界で、トップに近い場所にあり続けるのは、それだけで面白い証拠と言える。
「次はこの子を見てみるか」
また適当にシャイニングゲートVtuberを探して配信を開いた。
玖賀道 アサナ
視聴者登録20万人 同時視聴者3000人
シャイニングゲート7期生
玖賀道アサナは連休にデビューしたシャイニングゲートの新人正規Vtuberで、例のアカデミーを卒業し晴れて正規デビューを果たした子である。
シャイニングゲートはデビューする時期で何期かに別れてるそうで、年に一回ではなく独自の数え方があるらしい。
『機動勇士シュテルン、凄い面白かった! 初めて見たけどキャラもロボットもカッコ良かったぁ!』
コメント;かなり前の作品だけど、名作だしね
コメント;アニメ好きなのに見てなかっとは
コメント;主人公が普通の性格なのが良いよね
今日はアニメの同時視聴配信だったようで、今は視聴後の感想会のようだ。国民的に有名なロボットアニメを視聴して、その感想を喋ってるらしい。
まだ新人という事もありナツハや先程の竜胆れもんのような落ち着きは無いが、それでも聞き取りやすい声と、男が好むロボットアニメを積極的に見る姿勢は視聴者の心を掴んでる様子だ。
『敵軍の人達も良いよね! 主人公も人間味があるし、だんだん強くなってく所とかも』
コメント;敵も味方もファンが多いよ
コメント;放映当時は敵のイケメンが人気だった
コメント;アサナちゃんは誰が好き?
コメントの流れはエリスやミナミと比べると遅く感じるが、ハッピーリレーのルルエルちゃんと同じ日にデビューしていながら登録者数は10倍近い差がある、もっと前からやってるツバサよりもずっと多い数だ。
やはりブランドの力は偉大だ、もちろんVtuber自身の実力もあるが運営の宣伝や看板力が段違いなのだ。その差を灰川は見せられて知っている。
「はぁ…やっぱ選ぶなら普通はシャイニングゲートだよなぁ… でも何かなぁ…」
業界5位のハッピーリレーと業界1位のシャイニングゲート、客観的に見たら完全にシャイニングゲートを選ぶに決まってる。だがハッピーリレーには灰川を慕う子達が多数在籍しており、その気持ちを裏切るような事はしたくない。
ハッピーリレーは過去にブラックだった事もあり、それが原因で今もファンは付きにくいし、運営幹部にはまだ配信者達を下に見る人間や、収益を最優先にするべきという意見を持つ者が居るらしい。
対してシャイニングゲートはナツハから聞く限りでは、職員やVtuberから会社に対して大きな不満が出る事も無く、かなり良い環境である事が語られてる。しかしたった今シャイニングゲートのVtuberを見て少し思う所があった。
実を取れば義が立たない、義を立てれば道は細い、ここは完全に人生の岐路だ。
「ここは配信でもして気を紛らわせるかぁ…」
考えない訳には行かないが考えても答えが出ない、どっちを選んでもきっと後悔する。それならばいっそ他の道になんて考えも出てくるが、それはハッピーリレーとシャイニングゲートどちらも裏切る選択だ。
灰川はパソコンを点けて配信ページを開く、誰も来ないかもしれないが少なくとも気は紛れるだろう……と思った所で電話が来た、画面にはハッピーリレーの社長の文字が出ており、電話を取る。
『灰川君、明日の午後にハッピーリレーとシャイニングゲートで合同会議をする事になった、これには是非とも出席して貰いたいのだが、都合は合うかね?』
明日の予定が変更になった、シャイニングゲートの見学2日目から2社による合同会議、議題は灰川の処遇についてである。
事情は金名刺のせいで大きく変わってしまった、シャイニングゲートは会社の更なる発展と芸能界進出のために絶対に灰川を取りたい。ハッピーリレーは会社立て直しと業界内での安定した立ち位置を確立するために灰川が欲しいのは明らかだ。
金名刺は使わずとも灰川を置いておくだけで安定と後ろ盾が得られる、その魅力はあまりに大きい。やはり金名刺は無い物として扱うには大きすぎる力のようである。




