55話 四楓院家の怪異 7
「これで良しと」
灰川は大広間の四隅に陽呪術『霊気托生』を発するための呪符を貼った、印を結んで霊力を注ぎ、これでこの結界内に入った者は一時的に霊能力が開花される。
すぐに八重香も運び込まれ、布団の周りには邪気が可能な限り漏れ出さないよう、封じの結界も張って準備は終わる。
「エリス、ご苦労だった、凄く良い配信だったぞ」
「うん、でも…すっごい疲れたー」
「しかし八重香ちゃんの意識の中に、まさか三ツ橋エリスの姿で現れるなんてな、思ってもみなかったよ」
「あははー、灰川さんでも予想できなかったかー」
陽呪術で霊能力は開くが、疲れる速さは2倍以上になるし、霊力という精神エネルギーを使って怨念に立ち向かうため、更に疲れる速度は上がってしまう。だからこそ人数が必要になる。
エリスも酷い倦怠感を感じてるらしく、椅子に座ってぐったりしていた。そんな市乃に向かって灰川は立ち上がり、深く、深く頭を下げた。
「ありがとう、市乃、エリス、おかげで八重香ちゃんを助ける算段は付いた」
「……! あ、あははっ、頭下げるなんて止めてよ灰川さんー…、むしろお礼を言わなきゃいけないのは私だよ、八重香ちゃんは私の親戚なんだから」
「いや、市乃は俺では出来ない事をしてくれた、霊能者じゃ証明できない事を証明してくれたんだ、ありがとう」
「そっか…そうなんだ…っ、私っ…役に立てたんだっ…! ぐすっ…!」
感極まったのか市乃は涙を浮かべる、彼女が頑張ってくれなかったら作戦は企画倒れになってただろう。そうならなかったのは市乃のおかげだ。
「後は任せろ、皆で力を合わせて絶対に勝とう」
「うんっ、そうだねっ」
負ける訳にはいかない、改めてそう思う。懸かってるのは一人の人間の命なのだ。
「四楓院家の人達が方々に声をかけてる、少しすれば沢山の人が来てくれるだろうさ」
「うん…でも真夜中だし、いきなり声をかけて来てくれるのかな?」
その懸念は大いにある、それでも何としてでも人を集めて来るだろう。
「市乃は少し休んどけ、あんなに張り切ったんだから、かなり体力持ってかれてるだろ」
「うん…ちょっと休んどくねー…」
市乃を横になれる場所に移動させてから灰川は結界に不備がないか、策に落ち度がないかを流信和尚と藤枝と共に確認していった。
その後、30分程の時間が過ぎる。灰川たちの現場の確認や用意なども終わり、後は誰かが来て力を貸してくれるのを待つのみなのだが、その時間が長い。今は一分一秒だって惜しいくらいだ。
灰川たち3人の霊能者と八重香の両親は大広間の中で八重香に付いて待機してる、今はそれしか出来ない。
もう夜中の0時を回ってる、こんな時間に来てくれる人などそうそう居ない、そもそも連絡が付きにくい時間だ。話をしたって信じて貰えない可能性も高いし、気味悪がられたり身の危険があると聞いて尻込みする人だって居るだろう。
幼い子の命が懸かってるとか話が重いし、その周りで騒いで欲しいとか一般常識に照らせば頭がおかしい行いだ。来てくれる人は限られるだろう。
「なんでっ…! なんで誰も来てくれないのっ! このままじゃ八重香がっ…!」
精神的な均衡はとっくに崩れてる母親が取り乱す、それを諫める人達の顔にも焦燥の念は見て取れる。かくいう霊能者たちも同じ気持ちだし、30分では誰かが来るのを待つ時間としては短い事も分かってるが、灰川だって貧乏ゆすりが無意識に出てしまっていた。
この際だから誰かが来るまで八重香の近くで経文でも読んでるか?とも思ったが、それをすると結界の効力を乱してしまう事になりかねない。
「灰川先生っ、僕が歌でも踊りでも何でもしますっ、だからっ」
「駄目です、雑念や不安感、焦燥感が大きすぎて両親が結界の中で騒げば逆効果になります…今みたく八重香ちゃんの近くで応援するくらいなら良いのですが」
「っ…! ぐぅぅ…!」
娘のために何もしてやれない父親の無念の声が静かに響く、しかし泣いても喚いても状況は好転しない。
だが両親の焦りと悲しみは相当なものだ、今も八重香は布団の中で苦しそうに呻いてる。この状況で冷静に座して待つのは容易な事ではない。
「………早く…誰か来て欲しいな……」
「うむ…ここにおる者が騒いで陽の気を当てられるなら、とうにやっておるのだが……ワシもそんな気分には到底なれんよ」
藤枝と流信和尚だって結界の中で騒げば効果は出せるだろうが、体力的に疲れが溜まってるし、他の人たちだって現状を知ってるから明るく騒ぐなんて出来る訳がない。
「仕方ない…いざという時のために体力は温存したかったけど、ここは俺が配信を…」
「協力者の方を連れてきましたー!!」
灰川が何かを言おうとしたと同時に玄関の方から声が聞こえ、家の者が3名ほどの人を連れ立って大広間へとやってきた。
様々な人が来ては屋敷に蔓延する嫌な気配を感じ取り、八重香の様子を見て『これは本当だ』と信じてくれた。
中にはやはり苦しむ子供の前で明るく騒ぐなんて出来ないと辞退する人も居たが、屋敷に来て信じた人は皆が協力してくれる。
四楓院の親戚の大学生が所属する応援団の屈強な男たちが、力強い声援と本気の応援舞踊を汗を流しながら八重香のために披露してくれた。
四楓院の親戚の知り合いのプロレスラーが駆けつけてくれて、屈強な男たちが八重香の前で華麗な投げ技、複雑な関節技を披露しつつ大きな声で仮試合を組んでくれた。
誰かが渋谷の街から連れてきたラッパー集団が即席で韻を踏みながら、怨霊を挑発して祟りの一部を自分たちに向けさせてくれた。
地下アイドルと囲い込みのファンをライブハウスから連れて来て、八重香のためにアイドルが歌を大きな声で歌い、ファン達が声を合わせて騒いでくれた。
次々と人が来る、四楓院家の知り合い、夜の街の住人達、喧騒が屋敷の中に響く度に八重香の中から邪気が薄れて行く。
まだ完全に祓うには足りないが、それでも良いペースだ。このまま行けば間に合うだろう。
朝になり昼になり喧騒は続く、カラオケ愛好家、ゲームセンターで騒いでた人、所構わず金で釣ったり、事情を話して同情して信じてくれた人を連れてきたりする。
「かなり邪気も弱くなって来ましたな灰川氏、見事な解決策でしたな」
「はい、それもこれも全員で力を合わせた結果です」
「……私も……頑張った…」
灰川たちは実は結構な疲れが来ている、交代で休みは取っていたのだが、それでも体力の回復には難がある。
「だが抵抗も強くなっとるな、怨霊の最後の執念を祓えるかどうか…ワシはもう力がほとんど出せん」
「………私も……」
流信和尚は熟練者だが高齢でもあり、残す体力が少ない。藤枝も体力旺盛というタイプでも無いから、体力は残っていそうになかった。
「そこは考えてありますので、どうにかなる筈です。万が一どうにもならなかったら、次の手も考えてありますので」
怨霊は最後の時が一番怖いが今回は上手いこと行きそうだ、現在時刻は12時で事は順調に進んでる。どうやら思ったよりも大きな効果があったようだ。
本当はハッピーリレーの配信者達も呼べれば良かったが、ここ最近はハッピーリレーの配信者が怪異に関係する事が多いから、もしかしたら不測の事態が発生するかもと思い灰川が市乃に断った。
「しかし凄いものだの、どんどん人が来ては八重香ちゃんのために騒ぎ、力を貸してくれる。こんな光景は生まれて初めてだ」
「……うん……凄い…です…」
呼んで来た者達の中には普段は大人しそうな者や、夜の仕事終わりで既に疲れていた人、元から霊感があったのか嫌な気配を普通以上に感じてる人なども居た。
それでも力を貸してくれる、苦しむ子供を放っては置けないという気持ちから、多くの人たちが自分の得意な分野で騒いで八重香を助ける一助になってくれた。
「攻略法が見えてしまえば、後は実行するかどうかです、今回は手が掛かりましたが、もう勝ったようなものですよ」
「そうじゃな、後は予後に行う事をしっかり説明し、四楓院家に代々に渡って過去を忘れぬよう努めさせることじゃろうな」
これ以降もどんどん人が来ては騒いで怨霊を鎮めて行き、夕方の4時になり最後の時が訪れた。
灰川は四楓院家にもう十分だという事を伝え人を止め大広間に入る、八重香の顔色はすっかり快方に向かってるが、まだ怨霊は体の中に入ったままだ。
八重香の枕元に座り手に念を込めて印を結んでいく、省略する事も無くしっかりと丁寧に集中し、八重香に向かって。
「灰川流陽呪術っ、邪気霧消っ!」
人に付いた邪気や怨念などの悪いモノを散らす灰川家の陽呪術を使い、八重香の中の怨念を散らし、タイムリミットまでに余裕をもってお祓いを成功させる事が出来たのだった。
「うむ、これで安心じゃな、怨念の気配は限りなく薄くなった」
「……ん……もう大丈夫なはず……」
流信和尚も藤枝も太鼓判を押し、両親は娘が助かった事に涙を流しながら喜んでる。
八重香は体力をごっそり持ってかれたのか、今はすやすやと寝息を立てている。その顔に苦悶の色は一切なかった。
策が決まってからは思っていたよりも順調に行った、これというのも四楓院家に人脈があった事や、関係者が本気で人を呼んできてくれたおかげであり、もちろん灰川たちの尽力も大きい。
事が終わったことを聞きつけて休んでいた者達も駆けつけて喜びを露にする、医者も科学者もお手伝いさん達も一緒になって勝利を喜んだ。
「やりましたか灰川さん、医者といえども今回はオカルトを認めるしかない」
「悔しいが完敗だ、でもよ、オカルトだっていつかは科学で解明してやるぜ」
「八重香ちゃんが助かって良かった…! 本当に良かったっ!」
こうして一件落着し、その後は四楓院家を集めて話をする事になった。
「これからは社を作って犠牲になった人たちの供養をして下さい、それが怨念を鎮める事になります」
灰川が説明していく、怨念はまだ完全には収まってない、力を取り戻したらすぐにでも襲い掛かってくるだろう。
そうならないために、そして怨念たちを鎮めて供養するための行いを四楓院家はしていかないとならない。
過去には様々な酷い行いをしたことが元で今に繋がり苦しめられた、過去の事は時効だとしても業は拭えない、その後始末は子々孫々に渡ってしなければならないだろう。
「ふむ…ではすぐにでも敷地内に社を設け、鎮魂をしていかなければのぅ」
「最低でも年に一回、出来れば半年に一回は神職かお坊さんを呼んで怨念のために祈って下さい、そうしなければまた同じ事が起きるでしょう」
怨念という物は根強い恨みや未練が元になる存在だ、強い怨霊は完全に祓うには長い年月を要するし、今回の場合は長いこと供養もされて無かったから更に強くなった念が子供を苦しめた。
「しばらくの間はワシが担当しようかの、この一件に関わった者としての責任もあるからのぉ」
「お願いいたします流信和尚! これで八重香は安心だっ」
「灰川先生もありがとうございました! 藤枝さんもです!」
供養を欠かさず先祖の贖罪を続ける事を四楓院家は誓い、この一件は落ち着きを見せた。
その後は市乃と一緒に帰宅する事になり、和尚や藤枝と一緒に屋敷から出て呼んでもらったタクシーに乗って帰る事になった。
「灰川氏、市乃嬢、藤枝嬢も今度ワシの寺に来なさると良い、美味いお茶をお出ししますぞ」
「はい、今度伺わせてもらいます、今回は勉強になりました、ありがとうございます流信和尚」
「……はい…また今度………」
「ありがとうございますっ、ていうかかなり大きなお寺なんですね流信雲寺って、灰川さん、今度一緒に行ってみよーよっ」
まずは流信和尚をタクシーに乗せて見送る、どうやらかなり疲れてたらしくすぐに眠ってしまったようだ。
「……ん…灰川さん…神坂さん…お疲れ様でした…」
「藤枝ちゃんもお疲れ様だったよ、高校生っぽいけど今日はゆっくり休みなね」
「藤枝さんもありがとうございましたっ、また会えたら良いですねっ」
「……連絡先…交換したから…会おうと思えばいつでも……」
藤枝朱鷺美、この子は結局、口数が少なくてあまりどういう子なのか知る事は出来なかった、そもそもどうやって四楓院家に呼ばれたのかすら聞きそびれてしまった。
そのままタクシーは発車してすぐに見えなくなる、残されたのは灰川と市乃だけだったが、その時になって。
「待って待って市乃ちゃん! 灰川先生!」
「明菜叔母さん?」
屋敷の方から灰川と市乃をここまで連れてきた明菜さんが急いでこちらに向かって来た。
「皆さんにはちゃんと謝礼をしたんだけど、灰川先生には何もしてないって事で、金銭は駄目だから、取りあえず手付としてこれをお渡しして来いって言われたの」
陣伍や八重香の両親は灰川に心から感謝してるらしいが、今は娘の傍に居たい、片付けや後始末が詰まってるとの事で明菜が灰川たちに何かを渡してこいと言われて追ってきたようだった。
「元々は成功者には5000万円とは言ったのですが、それに見合う謝礼はすぐには用意できないらしいので」
「いや、5000万円は高すぎです、今回は人を呼んだりとかでも金は使ったんでしょうし、俺は別に」
なんて言いつつも渡された封筒を開いてみる、そこには。
「金ピカの名刺?? 何だこれ?」
「それは四楓院家の金名刺です、それがあれば四楓院の手が伸びてる所には無条件に名が通りますので」
なんだかよく分からないが、取りあえず貰っておく事にする。それを渡すと明菜は急いで戻って行き、市乃にこれが何なのか聞いてみた。
「私もよく分かんないや、でも何だか凄そうな感じするねー」
「まあ何処かに入れておくか、金に困ったら換金しよっと」
そんな感じで軽く考え、タクシーに乗ってそれぞれの自宅へ帰ったのであった。
今回の話は本当はもっと長く詳細に書く予定でしたが、長くなりすぎてると思い、終盤は駆け足にしました。
まだ続く予定なので、これからも書いていきたいと思います。




