37話 空羽の頼みと報酬
翌日になり灰川はハッピーリレーで午前の仕事を終わらせた、元から今日は事務所では灰川の仕事は無いので午後は時間が空いてたのである。
エリスやミナミは自宅での配信だし、ルルエルちゃんは今日は休み、ツバサも自宅配信だ。
今日のハッピーリレーはどちらかというと男配信者をメインに打ち出す日のようで、午後は昨日既に感想を伝えた人達ばかりになり、ホラー配信も無いから灰川の出番はない。
灰川は自由鷹ナツハこと澄風 空羽との待ち合わせ場所の喫茶店に向かう、まずは話を聞かなければどうしようもない。
「灰川さん、こんにちは」
「おうよ、空羽」
喫茶店の奥の席に居た空羽の席に座り、取りあえずアイスティーを注文した。
今日の空羽は学校の制服を着ていた、ブレザータイプの黒と青の女子制服でブルーが強めのシャープなデザインながら可愛さもあり、グリーンのリボンタイがアクセントになってる。
「そんで何があったの? 空羽の頼みだから来たけどさ、力になれるかは分からんぞ?」
「うん、ありがとう灰川さん、来てくれただけでも感謝してるよ」
空羽は断られても仕方ないという気持ちで来たようだった、どうやら空羽の配信は午前に終わったようで、午後は灰川の相談に当ててるようだった。
決して暇な身じゃないのに時間を作る、何か無視は出来ない要件なのだろう。
「シャイニングゲートで何かあった訳じゃなくて、学校なの?」
「うん、シャイニングゲートのお仕事は灰川さんの引き抜きに成功した時にお願いするって社長が言ってたし、それが普通かなって」
「そっか、律儀なんだな」
「うん、だから今日は事情だけでも聞いて欲しいな」
灰川はひとまず話を聞く事にする、何があるのか知らなければ良いともダメとも言えないだろう。
「実は忠善女子は一週間前に3人の子が行方不明になってるの」
「おいおい…それは霊能者に相談してる場合じゃないだろ、警察に捜索してもらえって」
「もちろん警察も探してるし、学校も捜索してるけど見つからないんだ」
3人の行方が知れなくなったのは1週間前の放課後だそうだ、学校が終わっても帰宅が確認できず。警察に相談、捜索が開始されたそうだ。
しかし見つからなかったようで、生徒達にも行方不明の情報が開示され、目撃しだい学校か警察に連絡という通達があった。
「監視カメラとかに映ってないのか? 今時なら学校にだってあるだろ?」
「学校の監視カメラは校舎の外と生徒玄関と職員玄関にしかないの、女子高だからカメラがあるとちょっとって声が多かったらしくて」
「なるほど、カメラには不明生徒は映ってたの?」
「分かんないけど、学校は先生も警察も調べたみたいなの」
果たしてどのくらいの捜査なのかは疑問だ、警察の捜査とはちょっと調べる程度のものもあれば、大々的にニュースになるような捜査も存在する。
だがニュースにはなってないし、恐らくはちょっとした家出程度に思われてロクに探されて無いのかもしれない。
渋谷のような若者が多い街では高校生が数日から数週間、行方不明になるなんて珍しい事ではない。それに1年を通すと行方不明者は全国で何万人にも上る。大きな捜査は事件性が明確にないと行われない事が多いのだ。
「う~ん、分からない事が多すぎるわな、って言っても警察や学校が分かってる事を俺が知っても、どうにも出来んだろうけどさ」
「そこで霊能力だよ灰川さん、your-tubeとかでも超能力捜査の話とかあるから、もしかしたらって思って」
「霊能力は超能力じゃないんだけどな、たぶん役に立たんぞ俺、行方不明なんて大概は事件や事故や、自分から起こしたものなんだからよ」
行方不明というのは様々な原因があるが、多くはオカルトには結び付かない。そもそも行方不明者が見つかって解決してる事例の方が多いのだ。
「普通に家出したんじゃないのか? そういう年頃だろうしさ」
「それが私その子たちの事、少し知ってるんだけど家出するような子じゃないの、何かに巻き込まれたんだと思う」
「やっぱり俺の出る幕ないぞ、霊能力でどうこうするべき問題じゃあ」
灰川は協力を渋る、理由は色々あるが一番の理由は女子高校に入りたくないという理由だ。空羽の話では高校の中を霊能力で調べて痕跡を見つけて欲しいという事なのだ。
今どき得体の知れない男が生徒同伴とはいえ女子高の敷地に入って大丈夫なのか?アウトな確率の方が高いだろう。
「高校に入って良いかっていう問題なら大丈夫だよ、親族の人なら届け出すれば入れるの、灰川さんは私の親戚って事にするから」
「良いのかよそれ、バレたらヤバイだろ」
「うん、でも…それでもお願いしたいな…」
ここで空羽の声が曇った、バレたら自分が危ないというのに、それでもやって欲しいのは何故なのか。
「実はね…行方不明になった子って、私の妹の友達なの。仲が良くて私も知ってるけど、良い子達なんだ」
空羽には高校が別の1歳下の妹が居るらしく、行方不明になった子と仲が良かったそうなのだ。
妹もここしばらくは大事な時期だったらしいが、その事件のせいで友達を心配する心が大きくなって調子も悪くなってるらしい。
「そうか…なら仕方ないな、でも期待するなよ? 駄目で元々、霊能力で行方不明者を見つけようなんて都合の良い話はほとんどが失敗するんだからな」
「うん、でも期待しちゃうな、灰川さんって本当は凄いんだって知ってるつもりだしね」
「お褒め頂きありがと、何も出ねぇけどな」
事情を知ったからには断り辛くなってしまう、それにこれは人助けだ。駄目で元々だがやってみる価値はあるだろう。
「じゃあ終わった時のお礼を考えなきゃね、どうすれば良いかな?」
「あ~、報酬か、どうすっかなぁ」
灰川は基本的には霊能力で人助けをする場合は報酬は受け取らない、少なくとも金銭の報酬はあまり良くないと教えられてきたのだ。
これまでは漠然と『貸し』という感じで済ませてきたが、実はそれも良くない事だと教わってる。あまり貸しを作ると、その相手から利子のように運気を吸い取ってしまう事があるのだそうだ。
報酬は別に金銭でも良いには良いのだが、欲に溺れる要因になり、溺れてしまうと霊能力は曇ると教えられた。その結果が灰川家の大昔の没落の原因なのかも知れない。
「それだと今回は何かしないとね、何が良いかな?」
「う~ん…あんま考えたことが無いんだよなぁ、昔から修業はしても能力を特定個人のために使うって、あんま無かったからさ」
霊能力で得る報酬というのは難しい物だ、灰川は配信企業から霊能者として雇いたいと声が掛かってるが、それで貰う給料は今回のような報酬とは少し事情が違う。
給料とは労働に対する対価であり、法外な物ではない。生きるために必要な事であるから、仮に霊能力を仕事に使っても、金欲に溺れない限りは大丈夫との事だ。
灰川は考える、何かを貰う?何を貰えば良いんだろう、何かをして貰う?何をして貰えば良いんだ、そんな事を考えてる時に空羽が何かを思いついたようだ。
「そうだっ、私が自由鷹ナツハの声で灰川さんのためだけの、特別ボイスを作ってあげるなんてどうかな?」
「~!」
それを聞いて灰川はピクンと反応した、実は灰川は自由鷹ナツハの声には切り抜き動画などを見て普通に好感を持ってる。
自由鷹ナツハの声はVtuber界隈では『聞く麻薬』なんて呼ばれてる声で、優しく透き通るような声なのに、耳の奥にこってりと残るが鼻に付かない響きを持った声なのだ。
その声は子供を泣き止ませ、思春期の青少年は声だけで一目惚れならぬ『一声惚れ』をさせ、大人たちは自由鷹ナツハの声を聞くために仕事を頑張る、なんて言われる程なのだ。
灰川はさっきから普通に空羽と会話してるが、それは空羽が自由鷹ナツハの声を完全には出して無いからだ。Vtuberの時と違って空羽の声は普通の女の子を感じさせる声で喋ってる。それでも非常に魅力的な声である。
もし自由鷹ナツハの声を常に出されてたら灰川は何を頼まれても『ハイ』と答えてただろう、恐らくそれは灰川に限った話ではない筈だ。
自由鷹ナツハはVtuberの時の容姿は金髪の少しおっとりした少女の見た目でスレンダーな印象の3Dモデルだが、本人は綺麗なセミロングの黒髪に目鼻立ちの整ったルックス、健康的なスレンダーで細い印象のモデル体型といった感じがする。
つまり可愛さと美人を両立した容姿で、本職のアイドルやモデルにも負けないくらいの魅力的な少女なのだ。そんな子が、最高人気のナンバーワンVtuberが自分のためだけのボイスをくれる、凄いことではなかろうか?
「見つからなくても特別ボイスはあげるよ、誰にも聞かせないって約束して欲しいな」
「お、おぅ…でもなぁ…」
「もし見つかったら特別大サービスで、少しくらい恥ずかしいボイスでも…灰川さんが欲しいなら喋ってあげるよ、どうかなっ…?」
「マジか…」
この時点で灰川の心の内は決まってたような物だった、しかし今さらに自由鷹ナツハの声に好感を持ってるなんて本人にバレたくない、その浅い考えで答えを渋ってるだけだ。
ナンバーワンVtuberの自由鷹ナツハが自分のために『少し恥ずかしいボイス』をくれる、ナツ派と呼ばれてる自由鷹ナツハのファンだったら泣いて喜びながら大金払ってでもお願いしたい権利だろう。
そんな子がVtuberの3Dモデル無しでも絶世の美少女が、少し恥ずかしそうな表情を向けながら自分にそんな事を言ってくれる…断れる訳が無い。
25歳の大人とはいえ、その魅力的かつ耳に心地よい脱力感をくれる声の誘惑には勝てなかった。灰川は了承の声を出そうと思った時に、空羽がまた話し掛けて来る。
「そうだ、お試しがないと決めにくいよね、ちょっとだけ耳を借りるね」
「え?」
言うが否や空羽は椅子を立ち灰川の耳に口を寄せる、その時に空羽のセミロングの綺麗な髪の毛からふわりと、されど濃厚に温かで柔らかなシャンプーの良い香りが灰川の顔を撫でた。
顔の横に空羽の温かさが感じられる、耳に手を当てられて熱が通る……そして澄風空羽が少しの間だけ、同時視聴者1人だけのためのVtuber、自由鷹ナツハになった。
「これは私がテレビ局の楽屋で体験した話です……っ、いつもは開いて無い楽屋のドアが~……」
「怪談じゃねぇか!?」
灰川は不意を突かれて笑ってしまった、お試しというから自由鷹ナツハのちょっとアレなリアルASMRを期待してしまったのだ。
「うんっ、灰川さん怪談好きでしょ?」
「超好き!」
灰川は報酬で私欲を満たそうと考えた自分に冷めて冷静になる、欲に偏るのは良くない事だと以前に自分が講釈を垂れたのにこのザマだ。それに素晴らしい声の持ち主とはいえ、知り合いの子に恥ずかしいボイスを録音させて貰うなんて間違ってる事だ。
「成功報酬は俺のお気に入りの怪談の朗読で良いよ、そのくらいで丁度良いだろ、失敗したら目覚ましボイスでも録音してくれ」
自由鷹ナツハの自分専用の怪談朗読なんて豪華な物だ、十分に価値がある。そもそも事件性は薄いと考えるのが妥当なのだから、多少気を抜いても良いだろう。
「うんっ、じゃあそうするね、灰川さん優しいな」
「そりゃどーも、じゃあ行くか」
「うん、その前に鼻血は拭いた方が良いんじゃないかな?」
「えっ!? マジ!?」
「ウソだよー、あははっ」
一瞬だけ信じて本当に鼻血が出てしまったかと勘違いした自分を恥じながら、灰川は空羽について喫茶店を後にし目的地の忠善女子高校に向かうのだった。




