320話 学詠館高等部の学園祭
土曜日、今日は来見野 来苑の学校の学園祭だ。
灰川は今週にやるべき仕事を全て片付け、週末は気兼ねなく過ごせるよう準備をしておいた。
市乃や空羽たちも同様で、活動に支障がない形に仕事や提出物やレッスンを済ませての参加である。
「オモチ、にゃー子ちゃん! もういつでも一緒に暮らせる準備が出来てるよっ!」
「にゃー」
「にゃぁ、なゃ~」
「マフ子~、今度一緒にお泊りしようね~、むふふ~」
「にゃー……にゃん…」
朝の出発前に馬路矢場アパートに空羽と桜が来て猫と戯れていた、後は由奈が来てからアリエルを連れて渋谷に行き、市乃たちを拾って学詠館高等部に向かう事となる。
朋絵や砂遊も誘ったのだが2人は今日は一緒に買い物に行くらしく、配信もしたいから不参加だと言っていた。藤枝は市乃が声を掛けたが用事があると断られたそうだ。
渋谷区のハッピーリレー事務所近くでメンバーを回収し、車に乗って目的地へ向かう。駐車場なども調べてあるし、カーナビもあるため迷う心配はない。
「そういやさ、みんな制服で来てるんだな」
「そだよー、私の学校は他の学校にお邪魔する時って制服を着る事って決まってるしさ」
「私もそうねっ!」
「忠善女子はそういう校則はないけど、学園祭とかって私服で行くと目立つって聞くしね」
中学生と高校生組は制服での参加となったが、制服がない佳那美とアリエルは違う。
「私はセーラーワンピースだから制服みたいだよねっ、可愛い? えへへっ」
「ボクもアウターウェアはセーラーで、下はハーフパンツだから少しジャパンの制服っぽいかもだねっ」
「私は市乃ちゃんの制服を貸してもらったよ~、学校制服って初めて着たけど、着心地が良いんだね~」
佳那美とアリエルはどちらもホワイトのセーラールックで、少しばかり制服っぽい感じはする。しかしどちらかと言えばアリエルは小さい水兵みたいな感じもして、どちらも似合っている着こなしだ。
桜が通う盲学校は制服が無いのだが、今日は市乃が持っているもう1着の服を貸してもらって着ている。けっこう似合っているし、灰川としては制服姿の桜を見るのは新鮮な気持ちだった。
「空羽と佳那美ちゃんとアリエルは身バレしないように気を付けてな、ヤバくなったら退避って事で」
「ありがとう灰川さん、でも私は大丈夫だと思うよ、あんまり実写配信はやってないし、外でバレた事って数えるくらいしかないから」
「アーちゃんっ、サインちょうだいとかって言われたらどうしよっ? あんまり練習してないよ~!」
「!? ボクはサインとかは存在を忘れていたよっ! 書いてって言われたらどうしようっ!? 練習はしてるけどねっ」
「2人はもしサインくれって言われたら応じて良いけど、あんまり騒ぎにならないように、教えた通りに対応してな」
佳那美とアリエルには外で身バレなどをした時には、騒がないように頼みつつファン対応に多少は答えるという事を教えた。隠し撮りなどは気付いたら隠れるという形で、これは講師や親とも相談して決めた。
基本的にはサインはOKで握手はNGという形になったが、流石に現状ではそこまでファン対応が求められる事態にはならないだろう。
佳那美やアリエルくらいの子だとスター願望とかを持つ子は多いし、2人にもそういう心はある。小中学生だとアイドルや歌手などのスターに憧れる子は多いし、自分もそうなりたいと思うのは普通の事だ。
2人は小学4年生にしてスターへの競争の道に立ち入ったが、流石に今の状態でファンに囲まれてサイン責めにあうようなステージには居ない。まだまだこれからだ。
「そういえば灰川さんの大学の同期の方に、学詠館に勤めている方などは居ないんですか?」
「居ないと思うぞ史菜、音楽関係に強い同期とか居なかったし、学詠館みたいな学校ってOBが教員やってる事も多いしな」
私立の学校は教員のOBの割合が多い所もあり、専門的な事に特化した学校だとその比率は上がると灰川は聞いた。
学詠館はまさしくその例であり、音楽に強い校風があるため教員もそれに則った者が多いだろう。
「来苑先輩は2年生合唱のメンバーらしいわね! 誠治、絶対見に行くわよ!」
「おう、そこは外さないようにしなきゃだ、それまでは自由だから、皆も声で身バレとかしないように気を付けてな」
「私は大丈夫だよ~、小路ちゃんだよねって声かけられたことないからね~」
「桜こそ声と喋り方でバレそうな気がするけどな、まあバレた事がないなら大丈夫だろ」
そんなこんなで目的地に到着し、学詠館高等部の敷地内に入ったのであった。
「こんにちは、招待書を確認させてもらいます」
「はい、お願いします」
一行は入り口の受付で入場手続きを済ませ、数百円の入場料を払って学校の中に入って行く。
学詠館は幼稚舎と初等部は同じ敷地だが、それ以外は独立した土地にある。1学年当たりの平均生徒数は中等部と高等部が多いらしく、海外からの留学生なども来ているらしい。
「綺麗な学校だねー、音楽ホールとかもあるんだ」
「音楽室が何個もありますねっ、私も吹奏楽同好会に入ってるので、これは凄いと思いますよ」
渡された校内図を見て市乃は音楽ホールが3つもある事に驚くが、1つは体育館と兼用のようだ。1つは非常に立派なホールで、音楽イベントの会場として外部にも貸し出しているらしい。
史菜は自身も少し音楽を嗜むため、ここの施設の凄さが分かる。特に音楽室が10室以上もある事に驚いていた。
他にもテニスコートや運動コートなどもあり、都内の狭いスペースを有効活用して学校施設を構築しているのが見える。
「人がいっぱい居るわね! すごく賑わってるわ!」
「ホワイトの制服が可愛いしカッコイイね! 生徒の人達も真面目そうな人が多いみたいだっ」
「あっ、向こうに焼き鳥のお店が出てるっ、焼き鳥っておいしいんだよアーちゃん!」
由奈とアリエルと佳那美もそれぞれに新鮮な面持ちで学園祭の高校を見ている。
学校の敷地内は普段は来ない保護者だったり他校の生徒だったりが来ており、いつもとは違った賑やかさがあるようだ。
「思ってたより凄い学校なんだなぁ、雰囲気も良いし校舎とかも綺麗だし」
「向こうから音楽が聞こえて来るね~、良い歌声だよ~」
「来苑はたぶんイベントか生徒の出し物の準備をしてると思うから、会えるのは後になりそうかな」
学詠館祭では様々な音楽の出し物や飲食屋台の出店があり、灰川が予想していたよりも本格的な賑わいがあるようだった。
飲食関係は生徒が調理をするのではなく、営業許可を取った屋台やキッチンカーが来ているようだ。平時より値引きして販売してるようだが、売り上げは良さそうである。
今日は観客席付きのホールも大々的に使われ、各所でミニステージなども組まれてあちこちでイベントが開かれるらしい。ここまで来ると学園祭というより一端のイベントと言えるだろう。
「お金とか掛かってそうなイベントだよねー、思ってたよりスケール大きくてビックリしたかも」
「金はそこまで掛からんと思うぞ、生徒が用意した部分が多いだろうし、元からある自前の施設と機材を使うんだからな。イベントだって生徒がステージに上がるんだしよ」
「確かにそうですね、規模が大きいとはいえ学園祭ですから」
学詠館祭は出費よりも収入の方が多いだろうとは思うが、収益は微々たるものだろう。
このイベントは学校活動の周知や生徒の音楽技量の高さを様々な場所に示す事が目的なのは明らかで、その目的は今に至るまで成功してきた。学詠館が音楽の世界で確かな位置に居るのは、こういった一つ一つの積み重ねが功を奏してきた結果だ。
「でも確かに市乃が言うように学園祭としては相当にスケールが大きいよな、これって多分だけどイベント会社とかが噛んでるんだろうな。もしくはイベント会社上がりの教員が居るとか」
「来客の人とかも思ってたより業界人とか多いみたいだね、オーケストラ関係の人とかオペラ関係の人とかかな」
「空羽もそういう部分って見てるんだな。おっ、your-tubeやってるバレエ団代表の小牧芸術監督が歩いてるぞ、バレエで生演奏をなるべく使いたいって言ってる人だしな。プリンシパルも連れて来てるじゃん」
「灰川さんってバレエとか見るの? あんまりそういうイメージなかったかも」
「オカルト関係で前に藤枝さんに怒られた事があってさ、呪歩法の参考にさせてもらうために動画を見たりしてるぞ」
「ええっ? 藤枝さんって、あの藤枝さんっ??」
灰川は藤枝に初めて会った時に失策をしてしまい、藤枝と流信和尚に助けられた。その際に藤枝からは割と強く睨まれており、怒られたも同然の状態だったのだ。
空羽の頭脳をもってしても藤枝が灰川に対して怒るなんて場面を想像できず、珍しく本気で驚いている。
「他にも音楽を使うコンテンツの業界の人も割と来てるっぽいな、作曲家とか演奏家派遣会社、セッションミュージシャンを探してるっぽい人とか。青田刈りか見定め目的だろうな」
「灰川さんって結構周りを見てるよね、前より色んな事に詳しくなってるみたいだし」
「俺も業界に関わるようになって、そこそこ色んな物を見て来たし、ちょっとは詳しくなってんのかね」
最近は灰川も仕事を通して様々な事に詳しくなって来ており、音楽に関する事もその一つだった。
シャイニングゲートは自社音楽レーベルを設立するかという話が少し出ており、その事に関して灰川も仕事を請け負い、業界関係者に話を聞いたりしたのだ。
その際に音楽は現代も様々な活躍の場面があり、それと同様に楽器演奏者やプロ歌唱者なども変わらず活躍していると聞いた。
作曲家は当たり前だが様々な曲を作り、歌手やグループに提供してる。ヒット曲には作曲家が関わってる事も少なくなく、歌手が自身で作詞作曲したと言ってる曲も、実は作曲家が作ってたなんて話も普通にあるらしい。
演奏家派遣会社は様々な楽器の演奏家を手配して派遣する会社で、パーティーやイベント会場、アマチュア団体の講師などの派遣など手広くやっている。シャイニングゲートは利用した事があるとのことだ。
セッションミュージシャンはバンドやアーティストグループに登録せず、レコーディングやライブに演奏家として参加するミュージシャンだ。短時間で曲を覚えて演奏する技量が必要となる、腕前勝負の職業であり、スタジオ専属の人なども居る。
「シャイニングゲートはオリジナル音楽も出してるし、音楽関係の人と伝手も作って行けるようにしてるっぽいよな」
「うん、最近は上手く行ってるみたいだよ。ユニティブ興行さんは音楽関係とかはやって行くの?」
「まだそこまでは考えてないな、でも良い仕事が来たなら考えなきゃって思うし、難しい所だよなぁ」
ユニティブ興行は佳那美とアリエルは歌のレベルが相当に高いのだが、まずはモデル方面や役者方面でやりつつ、音楽方面では良い仕事が来たら請け負うという形にしようという事になっている。
そのまま皆で歩きつつ学詠館祭を見ていき、流れで空羽との会話になる。桜は今は市乃と史菜と一緒に歩いているため介助は必要ない。
「良い仕事が沢山来てるみたいだけど、佳那美ちゃんとアリエルちゃんが凄く受けたいって言う仕事ってあるのかな? もちろんドラマ出演とかはそうだと思うけどね」
「基本的に今は良い仕事が舞い込んでるからよ、でもキッズコスメのモデル募集の宣伝が来た時は2人とも受けたいって言ってたな。俺も良い商品だと思うし、良い会社だって思ったしよ」
「コスメ? 灰川さんって化粧品の良し悪しとか分かるの?」
「あんまり分かんないけどよ、モデル募集の要項が送られて来た時に試供品も送られて来たんだよ。それが子供の肌にも良いクリームファンデーションでさ、汗をかいても落ちないって感じらしい」
そのファンデーションは伸びも良くて日焼け止め効果もあり、ナチュラルに肌をカバーして守りつつ、子供の化粧への憧れ欲求を満たすという一挙両得の商品だった。
その仕事は良さそうと思ったのは、福岡に行った時に霊能系your-tuberでアクセサリーやコスメのショップもやってる世理呼から、ここは良い商品を出す信頼できる会社と聞いたのも理由の一つだ。
「今時は子供用コスメとかも多いっぽいけど、あの商品はかなり良い物なんじゃないかって思ったよ。レミアム・オーセンのスタッフさんに聞いたら、この商品のモデル仕事は是非に取った方が良いって言われた」
「そうなんだ、灰川さんも私たちが知らない所で色んな事をやってるんだね、ふふっ」
空羽たちが灰川の知らない所で様々な仕事や活動をしてるのと同じく、灰川も皆の知らない所で様々な仕事をしている。
これ以外にも契約をしたり詳細な打ち合わせをしたりなど、灰川だって色々とやっているのだ。
そして、仕事や来客の中には空羽たちには言えないような内容がある場合も多々あった。
「でも結局は、やりたい事があるかどうかなんだろうな。何にしたってそうだろうけどよ」
「うん、私もそう思うな。自分がやりたいって思わないと本気で何かするなんて出来ないしね」
Vtuberだろうが何だろうが、活動という物は意欲が無ければ続かないし、やりたいと自発的に思い続けなければやれたもんじゃない。
活動の中には不満や嫌な出来事もあるだろうが、それを補える以上の『目標』『やりがい』『満足』がなければ出来ない。
ネット活動は金銭を得ていたとしても、仕事というよりは活動という面が大きい部類の界隈だ。こういう部分は一般的な職業とは違うし、成功するかどうかは自分に掛かる割合が一般職よりも大きい世界だろう。
「ここの生徒たちも音楽業界に行くなら、大変な思いをする人も多いんだろうな。そういや優子さんも音楽方面を目指してるんだったか」
「ケンプスちゃんはピアニスト志望だしね、でもシャイゲの力でそっちに向かうのは今は難しいかな。しっかり技量を付けないとだね」
Vtuberには別の活動を志しながらV活動をしてる人も居て、そういった面子はシャイニングゲートにも居る。実際に赤木箱シャルゥとケンプス・サイクローは芸術方面での活動を強く視野に入れている。
「やっぱ目標とかって大事だよな、空羽は3か月以内に番組の視聴率20%くらいを記録が目標なんだろ?」
「そうだよ、まだ達成できてないけど、配信とか話題作りをして絶対に達成できるように頑張るね」
「無理はすんなよ、ストレスが溜まったら上手く行く事も失敗する時があるからよ」
「うん、だからこうやって灰川さんとお出掛けしてストレスを消してもらってるんだ。ふふっ」
「お、おう、そうかっ、そう言ってもらえて嬉しいぜ。俺もストレス溜めないように、今日で発散するさ」
灰川は自分の事務所の問題も色々あるのだが、他の所属者からの相談は今も請け負っており、そういう方面でもストレスはあったりする。
企画を出しても通らないから方法を考えてくれと言われたが、その企画というのが客観的に見て炎上しかねない物であり、これは無理と言ったが分かってもらえなかったり。
ハッピーリレーの配信者がVtuberは優遇されてるけど、配信者は冷遇されてるとして、仕事案件を回してる灰川に直談判に来たり。
新たにシャイニングゲートに入社した若く活気のある好人物が、実は暴露系your-tuberの手先だったという事がSSP社の調べで判明し、凄く嫌な気持ちになりながらシャイニングゲートに報告したり。
実は灰川もそれなりにストレスを感じる環境にはなってしまった、芸能事務所になってからは心が休まる時間が前より少なくなった気がする。それでも全てを気にしているばかりでは仕方ない。
灰川も所属者も適度に心と体を休めつつ、可能な限りで活動していくしかない。朋絵も今頃は砂遊と一緒に出掛けてグチなんかをこぼしてるのだろう。
「あっ、このボードにれもんちゃんのイラスト描かれてる! 誰が描いたのかなっ?」
「来苑先輩じゃないと思いますが、同じ学校にファンが居ると思うと緊張しちゃいそうですね」
市乃と史菜が竜胆れもんのイラストが描かれた物を見つける、描いた本人はまさか同じ学校に竜胆れもんが居るとは思ってないだろう。
少し身バレが怖い会話だが、今はあまり周囲に人が居ないため普通に会話が出来る状態だ。こういう事のやり方のコツは皆はしっかり把握している。
「史菜と空羽は女子高だからそういう機会って少なそうだよな、市乃は経験あるんじゃないか?」
「私の学校も男女で分けられてるから、そういうのはあんま無いかなー。でも1回だけ私と史菜を待ち受け画面にしてる男子生徒見た事あるよ」
「学校ではVファンだと言う人もあまり多くないみたいですね、苦手な人もそれなりに居るというイメージです」
「私はスマホとかの画面が見えないから、そういうのは分かんないかもだよ~」
「私はファンの人に会った事ないわね! まだぜんぜん無名かもだわ!わははっ!」
Vtuberのファンは数字だけ見れば多いのだが、100万人登録者であっても実際にはそこまで有名という訳ではない。
V界隈では名前は通ってるが、それ以外の場所では知らない人の方が遥かに多いのだ。それはナツハであっても同じことである。
界隈以外に名前が広がらない理由は様々にあるが、今はテレビや各メディアへの本格的な進出によって、様々に知名度を上げようと頑張っている最中だ。
「それにしても本当に音楽が盛んみたいだなぁ、色んな発見がいっぱいだ」
「なに発見したのー? 可愛い女子生徒とか?」
「違うっての、いや可愛い生徒さんもいっぱいみたいだけど、このメンバーでそっち方面に目は行かないっての」
「さすが灰川さんですっ、紳士精神ですね♪」
灰川は学詠館高等部の校舎外を見回る最中でとある発見をし、それについて聞かれる。
「この学校の教師って、生徒に自信を持たせるのが凄く上手い。俺はそう感じたよ」
「そうなのかいハイカワっ? どうしてそう思ったの?」
灰川は学校内に入ってから生徒の顔が凄く生き生きとして、多くの生徒が精神的に前を向いている顔だと感じたのだ。
様々な活動や音楽技量への不安感、その不安を乗り越えられると自分を信じる感じが凄くあった。それは活動に対して凄く前向きになれる精神であり、失敗したとしても必ず前を向けるようにという心を育んでいるように思える。
その精神の源は何なのか、それを探って周囲を見たら元は分かった。
「むふふ~、灰川さんの言ってること分かるな~。ここの先生の人達って、すごく生徒を褒めてるんだよ~」
「そうそう、ここに来るまで3組くらい教師と生徒が話し合ってるの聞いたけど、凄いポジティブに褒めてたよな!」
耳の良い桜は注意深く聞いて無くても聞こえていたようで、灰川と同じ感想を持ったらしい。
今日のステージに立つ事に不安を感じる男子生徒に、教師が『お前のバリトンの個性は、お前が思ってるより凄く良いものだ』と褒めて勇気づけていた。
どうしてもイベントまでに納得のいく演奏に仕上がらなかった女子生徒に『あなたの一番良い所の基本技術の移弦のスムーズさは観客の皆さんにも伝わった』と、励ましつつ褒めた。
今日に複数の楽器奏者として複数のステージに立つセッションミュージシャン希望らしき生徒に、『楽譜への忠実さはお前の売りだ、お前が抱く楽曲への敬意は私は知っている』と、信頼と敬意を伝える。
「でも改善点とか、もっと伸ばせる所とかはしっかり伝えてたね~」
「全肯定はしないけど生徒と教師の信頼関係がしっかりしてるから、ちゃんと話し合える精神的な土台があるんだろうな」
褒めるとは相手を認める事であり、尊重、期待、信頼、といった非常に多くのプラス感情を育てる行為だ。
この学校の生徒は各所で音楽コンクールやステージに立って経験を積み、様々な良い成績を残している。
それを支えているのが教師や音楽講師陣であり、生徒に自信を持ってもらい、努力を重ねられる精神を持てる指導を行っているようだった。
「凄く良い指導方針だと思うぞ、増長じゃなくて自信を持たせる褒め方を熟知してるんだろうな。これはちゃんと生徒一人一人をしっかり見てないと出来ない指導だぞ」
「そうだよね~、具体的に褒めて自分を信じる心を持たせる教育方針なんだね~」
自信があって目標があり、信頼と尊重を示してくれて自分たちを見ていてくれる人が居るから、生徒は前向きな心を持ち続ける事が出来る。
学詠館の生徒の実情は決して良いことばかりではなく、外部のコンクールなどでミスをして優秀賞を逃す者も居るし、他の生徒や学校の者に演奏技量や歌唱能力で負けて悔しい思いをする事もある。
時にはステージの動画がyour-tubeに投稿される事もあり、心無いコメントなどが書かれる事があったりもする。
しかし、そういう事もあると教師はしっかりと生徒に教え、活動を通して嫌な思いをする事は誰にでもあると、日頃から説いているのだ。
活動に打ち込む生徒のメンタルサポートをしっかりやっている、生徒の若い向上心や情熱を引き上げる指導をしている。
そして何より、時にはグチを言い合ったり、互いに高め合ったり遊び合ったりする仲間や友が居る場所を保ち続ける。それが学詠館という学校らしい。
悩みや苦しみを生徒から打ち明けてもらえる教師や生徒間の信頼関係が構築されている、そこに重きを置く校風だからこそ生徒がストレスを感じながらも前に進める精神が固まって行くのだろう。
「ステージって緊張するもんね、私も分かるなー」
「良い学校なんですねっ、ストレスを乗り越える心を作る学校ですか、凄く興味がありますっ」
「でも私立校だから学費は高いだろなぁ、活動費も結構なもんだろうし」
学費は高いが価値ある教育をする私立校は多い、学詠館もそういう学校の1つだ。偏差値は普通くらいの学校ではあるが、この教育方針と音楽活動があるから長年に渡って存在感を示せている。
学詠館は音楽チャリティーやボランティアもやっており、児童福祉施設での歌唱劇の披露、老人ホームでの合唱、少年院や刑務所への音楽慰問なども執り行っているのだ。
学詠館生徒の合唱を聞いた児童福祉施設の出身者の歌手が、自分が歌手を目指したのは施設で聞いた学詠館の生徒さん達の合唱に感動したからだと言ったり。
老人ホームのボランティアにて歌だけでなく、利用者さんと会話をして楽しみあう姿勢が評価され、厚生労働省から何度も表彰されたりと、実績や活動が高く評価されている学校なのだ。
他にも刑務所や少年院の慰問を何度も大学部ボランティアが行っており、学詠館に感謝の心を持っている者も居たりする。
この学校の支援者や寄付者も多く、実は灰川が思っているより学費は高くないという事情もあるが、それでも公立高校と比べたら学費は高い。
「教師の指導技量も高いんだろうな、妄信させたり依存させたりするんじゃなく、自分から前を目指せるようになれる指導なんだろさ」
「なんか良い学校なんだねっ、制服もカワイイし私も通いたいなっ、えへへっ」
「カナミの家からだと遠い気がするよ、寮とかがあるのかも知れないけどねっ」
学詠館は普通の学校とは少し違った校風であり、学園祭も少し普通とは違った感じの出し物があったりする。
ジャズ愛好家の男子生徒たちが楽器演奏を務める『高校生ジャズ喫茶』、来場者と音楽について語らう『曲を語らう教室』、女子生徒が中心となって相手の好きな曲を見つける『音楽カウンセリング』。
その他にも様々な出し物があり、来場者参加型イベントや、音楽とは関係ない出し物も普通にある。音楽ステージも当然ながら多く、校内のあちこちで開かれている。
来苑も出演する予定のステージもあるので灰川たちはそれを見に行くことにしているのだった。




