311話 業績を伸ばした悪い方法
「まず最初に言っておきたいのは、悠燕さんと世理呼さんは別室で休んでいます。除霊で酷く消耗したらしく、倒れるように寝てしまいましたので」
2人の霊能者は別室に居るようで、今は寝てしまっているらしい。とりあえずは無事らしく灰川は安心した。
「最初に3000万円の事を話した方が良さそうですね…、何故こういった事になっているかの話にも繋がりますから」
「お聞きします、その金額って何なんですか? 借金を売るというのも要領を得ませんし」
「その事についても心当たりを話します、ですが…あまり多くの人には聞かれたくないものでして…」
どうやら相当に人に聞かれたくない話らしく、永太は藤枝と三檜と早奈美を見やる。70歳になろうかという男の目には、後悔と罪悪感の色が滲んでいた。
「分かりました、では私だけが聞きますので」
「灰川先生、何かありましたら呼んで頂ければ駆けつけますので」
今回は灰川だけが話を聞く事になり、もし何かがあったら三檜たちが来るという方式にした。流石にこの場での警戒は必要なく、三檜も普通に引き下がる。
灰川としては藤枝も同席させて欲しいと頼んだのだが、永太はどうしても止めてくれと言ったので、そこも聞き入れた形だ。
三檜たちが応接室を出て行き、部屋の中には灰川と永太だけになる。気付けば外は雨が降っていた。
「3001万と710円という金は、私がある人物から奪ってしまい……死なせる事になってしまった時に関係する金額なのです…」
そこから永太は事の詳細を話し始め、どんな話であろうと灰川はしっかりと聞いて一連の事の究明をしようと心掛ける。
永太は大学卒業後に木村沢不動産、現在の木村沢エステートに入社した。もちろん役員の道は約束された幹部候補である。
しかし最初は平社員として入社であり、上司などは御曹司だからといって贔屓したりせず、普通に怒られたりしながら仕事をしてたそうだ。
そんな中で同期入社の三田丘という同級の男性社員と仲良くなり、昼食を一緒に食べたり、上司の愚痴を言い合ったり、仕事終わりに飲みに行ったりしていた。
三田丘とは非常にウマが合い、忙しくて辛い仕事の日々も彼という仲間が居たから乗り越えられたと永太は言った。
「10年ほどが経った時に経済の回りが悪くなり、KMIグループの経営が行き詰ったんです。その時にグループはグレーな経営をしていました…」
景気が悪くなって資金回りも悪くなり、リストラや給料カットもしたらしい。景気の悪化を予見できていなかった影響が強かったそうだ。
そして不動産を扱う以上は地価下落によって損害を被ることも多く、この影響も木村沢エステートには非常に強かったらしい。
木村沢エステートは住宅地開発をしていたのだが、とある開発中の住宅地の近くの都市開発計画が中止となり、ただでさえ下がっていた地価が更に下落して不良債権みたいな土地になってしまったそうなのだ。その住宅地の近くに出来るはずだった駅などの話も立ち消えて、地価は恐ろしい程に下がった。
その住宅地計画は赤字を出す事は許されない、その事業は当時は本部長となっていた永太が仕切っていたものだった。
これで赤字を出したら会長の座は自分以外の木村沢一族の誰かに行ってしまう。その時の会長は永太の父だったのだが、ここで失敗して赤字を出せば確実に候補から外される状況だった。
値段が下落した土地と家を高く売らなければならない、そんな事は普通は無理だ。もはや借金を買ってくれと言うのに等しい状態、それでも売らなければ自分は会長になれない。
そこで永太はある事を思い付く、自社の者や傘下に正規の予定値段で売るという手法だ。
買ってくれた者は何があってもリストラしないし、傘下企業の社長とかが買えば取引は安定させるという事を暗に思わせつつ売る。
つまり安定した人生や商売を送りたかったら、街から遠くて買い物にも通勤にも不便で、今や底値になった土地と家を高値で買えと言って売り払ったのだ。
これにより永太の部門は不況が酷かった時期に赤字を出さず、会長に向かう道は守られた。
この事はグループ内で少し問題にもなったが、脅しの証拠もなく、買った者は結果として安定を手に入れたのだから文句を言う者も少なかった。
永太の交渉の手腕や逆境への対応力も認められ、会長の座に近付く事が出来たのだ。
この時に実は三田丘もこの住宅地の物件を購入しており、その際に『永ちゃんが困ってるんだろ?だったら俺も買うさ、売ってくれ』と言ってくれた。
「あの時は涙を流しそうになったけんね…ありがとうって何度もコウちゃんに言ったばい…っ」
永太は強い後悔の念を滲ませて口にする、その後にも色々とあったらしい。
三田丘が購入した建売住宅の値段は土地込みで3001万と710円、不況の影響で給金もボーナスも恐ろしく下がっていた当時、課長で昇進が止まっていた三田丘には高い買い物だった。
しかし三田丘は『その代わりリストラなんかしないでくれよ? 俺も家族も困っちゃうからな、ははっ』と軽口を言っていたのを、永太は70になった今も覚えている。
永太は仕事を通して、物を売る難しさ、金を得る厳しさという物を嫌と言うほど学んで来た。困っている時に物を高く買ってくれる人、これがどんなに嬉しくて有難い存在なのかよく知っている。
「ですが…ある時に問題が起こり……、三田丘はクビになってしまったんです……多額のローンを抱えたまま…」
それから5年くらい後、三田丘は地元議員の名士から『○○の土地を安く売れ』と言われ、どうすべきか会社に指示を仰いだ上で断った。すると議員から三田丘はクビにしろと会社に圧力を掛けられたのだ。
権力者や資産家にとって、何かを断られた以上は顔に泥を塗られたも同然であり、何らかの報復をするという人が居たりする。その槍玉に上げられたのは交渉をした三田丘だったという訳だ。
クビにしなかったら木村沢不動産に回すと言った公共事業は他に回すと言われ、言われるままにするしかなかった。
三田丘は適当な理由を付けられ、妻子を持って住宅ローンを抱えて安定した職を失うという苦境に立たされる。この時の三田丘がクビになった経緯の真相は、今でもごく一部の者しか知らない。
友と言える三田丘、窮地の助けになってくれた友だったが、当時の永太は『庇ったら会長の椅子が~…』とか考えていた上に、5年の間に感謝の心も薄れ、何度もビジネスの裏切りなどにも遭遇して精神は悪い方に傾いていた。
清濁併せ吞むという事をやって来た訳だが濁を呑む量が多過ぎて、多少の裏切りは仕方ないし、大丈夫だろと普通に考えてたそうだ。
その数年後、永太には最悪の形で三田丘の事を知り、その時には会長の座が確固たるものになって精神も安定していたため、酷いショックを受けた。
その時に頭に浮かんだ数字、3001万と710円……この金額は人が死ぬ値段だと気付いたのだ。
「…………」
「…………」
三檜と早奈美は応接室から離れた廊下に立っており、何らかの異変を察知したら灰川の元に駆けつけるという算段である。
灰川から悪念や悪霊に憑りつかれないよう、陽呪術を掛けられており、木村沢兄弟のように乱心したりする心配は無い。
藤枝はソファーがある部屋で休んでおり、慣れない環境で疲れていたのか今は居眠りをしている状態だ。
「今そっちから何か聞こえたような気がしたんですけど、見て来ましょうか三檜主任」
「三梅、灰川先生の警護に集中しろ、俺は何も聞こえなかったぞ」
「そ、そうですか」
実を言うと三檜も早奈美も、夕方に屋敷に来てから奇怪な出来事に何度か遭遇している。
しかし警護はしなければならないし、持ち場を離れる事は許されない。
誰も居ない筈の部屋から声が聞こえたような気がしたり、廊下の奥の通路を誰かがしきりに横切ったり、オルゴールのような音が聞こえたり、様々な不可解なモノを見たり聞いたりしていた。
雨が降って湿度が高いのも何だか心地悪いし、そもそも最初から別荘内の空気が悪い。玄関から中に入った時点で気味の悪さがあったのだ。
三檜だって気味が悪いと思っているが、表にも口にも一切を出さない。しかしやはり何かが見えるし、何かが聞こえる。
こういう空気だと廊下に掛かっている絵ですら不気味に見える、特に変な所はないのに、周りを取り巻く環境の全てが気味悪く、薄暗く感じるような気がして来るのだ。
「あれ?」
「三梅、集中しろと言ってるだろう」
「いや…でも主任…、そこの絵って風景画だけど、さっきまで人なんて描かれてなかったような…」
早奈美の位置から見える所に風景画が掛かっているのだが、そこに不自然な変化があったように見えたのだ。
綺麗な草原の絵だったのだが、スーツ姿の男と作業着っぽい服の男、私服姿の女、私服姿の子供、明らかにさっきまでの絵と違う。
これも怪奇現象なのかと思うが、意外にも早奈美は冷静で居られた。ここは廃墟の喫茶店に入った時のように暗くはないし、近くに灰川も居るし、目の前には三檜も居る。
今の三檜と早奈美は怪奇現象は存在するんだという考えになっており、今はそういったモノを過剰に恐れる気持ちは無い。
あると思ってしまえば受け入れられる、そういった精神に三檜も早奈美もなっていた。というか無理にでも、そういう精神にしなければならない。
「場所を変えるか…そんな変化があるモノが見えたら気が散るだろうしな」
「いや、大丈夫ですよ…、でも気味は良くないですねぇ…」
気にしないように努めてはいるが、気味が良くないのも確かだ。綺麗な風景画の中に居ない筈の人達が写っている、それが現実なのか幻なのか分からないが、どちらにせよ気持ち良くはない。
実はこの絵の変化は非常に危険な現象であり、本来なら見たら『幸せそうで羨ましい、自分もこの人達のようになりたい』と思ってしまうようになる。
その影響は灰川の陽呪術で完全に防げており、早奈美にも三檜にも影響は出ていない。
このような危険現象は、もはや国家超常対処局の任務対象にされるレベルのものであり、普通はこんなオカルト現象は発生しない。
だが、様々な経緯やトラブルが原因となり、木村沢 永太の周囲ではこのような現象が発生するようになってしまっている。
「…ぁ…あの……っ、…ここ……危ないので…そっちの方が……っ…」
「あっ、藤枝さん起きたんだ、やっぱここってヤバイ感じなの?」
「…ぁぅ……はい……、すごく…」
疲れから少し居眠りしてしまったが、藤枝は少ししたら起きて来た。こんな霊状態では気味が悪くて長くなんて寝てられなかったのだ。
「もう少ししたら灰川先生の話も終わると思うので、藤枝さんも少しばかりお待ちください」
「……は……はい…っ…」
結局は警護の2人に万が一にも何かがあったら嫌なので、藤枝は自主的に霊的な守りについた。
「三田丘さんは交通事故で家族全員が亡くなったんですか…」
「はい…崖から車で落下してしまい…」
三田丘は会社をクビになった数年後、家族で一斉に亡くなっていた。
事故として処理されたのだが、永太としては心中だったのではないかという事を今でも思ってしまう。
結局は住宅ローンを払い切れず、購入した家と土地は強制的に競売に掛けられたが、2足3文の値段しか付かなかった。近くに展開される筈だった都市開発計画が消えてるのだから当たり前だ。
三田丘は大金を出して借金を買ったようなものだった、後に残ったのは生きて行く上で大きな枷にしかならない借金。そして友に裏切られたという悲しみもあっただろう。
それを苦にして精神を病み、家族ごと車で……という気持ちが永太には今でもある。
「あの住宅地を売ってた頃の私は、会長になることしか眼中に無かった…。自分は木村沢エステートの本部長として高い給金をもらっていたから、3000万という金に対する認識が甘かった…」
当時の永太は裏切りや騙しをビジネスで何回か体験しており、約束とか契約というものを軽視していた傾向があったとの事だ。
格下との約束は破っても犯罪ではないしダメージも無いからOK、契約は結んだ後にどのように非を相手に押し付けて条項を破るかが大切、そんな『悪い意味でのビジネス手腕』に頭を侵されていた。
このぐらいなら大丈夫、この方法ならグレー、このやり方なら法に触れず処理できる、そうやって業績を伸ばし……結果として永太は一時的に色々な人からの信用を失った。
しかしそれでも、この会社から信用されなくなっても近々にその会社は倒産するから大丈夫。
この人物から信用されなくなっても、自分が会長になる事に関係ないからOK。
そんな風に信用と利益を天秤にかけ、利益ばかりを見て道を選んでいた時期があったのだ。そのレベルは今にして思うと酷く度が過ぎており、病院に行ったなら何らかの異常と診断されていた可能性があると言う。
その結果、入社当時からの友を裏切り、大した事は無いと断じ、3000万くらいなら人生に影響はない、などと考える利益最優先の独断と偏見の精神が宿ってしまっていた。
そんな精神を持っていた時に自分を見つめ直す機会があり、己はあまりに汚いと気付き、精神が変わったそうなのだが、直後に三田丘一家の訃報が入ったとの事だった。
それは永太のトラウマであり、この一連の現象は三田丘の呪いだと確信している。
このような話を灰川はしっかりと聞いたのだが、やはりオカルトにまつわる話であり気持ちの良い話ではなかった。それでもどちらかに傾くことなく、状況を判断して行こうと思う。




