306話 灰川、初めての福岡
月曜日、佳那美とアリエルが話題に上った日の夜、灰川は飛行機の中に居た。
行き先は九州の福岡県、東京からは飛行機で2時間ほどの距離だ。渋谷から最寄りの空港まで行く時間もあったため、大体20時着の便に乗っている。
四楓院関連の仕事ではあるが、プライベートジェットとかファーストクラスとかの利用はしていない。国内便であり、高級な席とかは無い飛行機だ。もっとも灰川としてはその方が気が楽だ。
「藤枝さん、飛行機酔いとか大丈夫? キツかったら遠慮なく言ってね?」
「…ぁ…大丈夫……です…」
隣の席の窓側には藤枝 朱鷺美が座っている、今回のオカルト依頼は彼女も同行している。これは本人の意向だ。
今日も前髪が長めの黒髪ロングヘアで目を隠し、身長は低くはないのに凄く小さい印象のオーラだ。彼女は人と目を合わせて喋れない。
「でもさ、学校は本当に良いの? もう乗っちゃったから降りれないけどさ」
「…ぇっと……その…ぅぅ…」
「あ、いや、責めてるとかじゃないって、出席日数とかは大丈夫なのかなって思って」
藤枝は学校に連続で通うと緊張でストレスが酷くなる性質らしいのだが、出席日数の問題もあるから最近は学校に連続で登校していたのだ。灰川からもちゃんと学校は行った方が良いと勧められたのも理由の一つだ。
アルバイトを始めたから、少しは対人コミュニケーションにおけるストレス耐性が付いたかと思ったそうだが、どうにも思った程には改善されて無かったそうだ。
藤枝はコミュニケーション能力が非常に低く、友達と呼べる者も学校には居ない。そのため学校では常に1人であり、その時間は藤枝にとって強いストレスになる。
だったら友達を作れば良いじゃんなんて言う人も居るかもしれない、それが出来たら苦労はしない。
「まあ、今回はちょっとした休み旅行だと思って良いからさ、オカルト仕事も俺がメインで立ち回るから」
「…ぅ……はい…」
藤枝は実は家族とも少し上手く行ってない、それを灰川は何となく感じていた。ボカして両親のことを聞いたりもしたのだが、返って来た答えは両親と家で会話することは少ないというものだった。
愛されてない訳ではないが溝があるというヤツなのだろうと灰川は感じた。今回の出張に関しても普通に許可を出すあたり、何らかの家庭事情があり、少し変わった親なんだろうとは思う。
学校にも家にも心が100%落ち着ける居場所がない、そのため今回の九州出張でオカルト仕事というものは、藤枝にとって家と学校から離れて心を落ち着かせるチャンスだった。
言葉少なくとも灰川は藤枝の言葉や思ってる事をある程度は理解してくれて、市乃と灰川に対しては他の人達より藤枝は心を開いている。そのため自分から願い出て同行させてもらったのだ。
「灰川せんせー、藤枝さーん、博多に着いたら何食べますっ? 私はもつ鍋と明太子が良いですね!」
「おい早奈美! 失礼だろうっ、すいません灰川先生」
「いえ、気にしないで下さい。普通に話してくれた方が気が楽ですから、もつ鍋かぁ」
この出張には要人警護会社SSPの主任である三檜 剣栄と、護衛部門新人の三梅 早奈美が警護として同行してる。
早奈美は高校2年で、高校1年の藤枝より年上だ。彼女も学校を休んでの警護任務となっている。
「学校は良いの? いや、藤枝さんを連れて来てる俺が言うのも何だけどさ」
「良いんですよ、今時は高校にもなればビジネスしてる人も居たりするし、プライベート優先の生徒も普通ですから、にししっ」
「灰川先生はお気になさらず、早奈美は四泉川高校ですし、グループ奨学金も受けているので、むしろこちらに来た方が学校での評価は上がります」
四泉川高校は四楓院グループが経営する高等学校だそうで、エリート人材の育成をしてるとからしい。スポーツはイマイチだが偏差値や倍率は凄く高く、灰川も大学時代に名前を聞いている。
四楓院系財団からの奨学金制度も充実しており、成績優秀者は返済全額免除になる事もあるそうだ。そうでなくとも将来的に四楓院系企業に入れば返済額減額、金利免除などもあるとの事だ。
四楓院家の親戚である市乃は別の学校に通っており、特に関係はない。そもそも市乃の学業成績では受験しても落ちる可能性が高い。
四楓院の親戚筋は基本的に権力から切り離されており、本家の財力や権力とは関りが無い。しかし親戚もグループ企業に就職している者がほとんどだそうだ。
灰川は以前から四楓院という家は凄いんだなと思っていたが、最近になって本当に凄いんだなという実感が強くなってきた。とにかく手広く事業を行っており、そこから生まれる権力や発言力を上手く使っている。
「灰川先生、藤枝さん、出張中の全ての滞在費はこちらが持ちますので、遠慮なく食事などは摂って下さい」
「ありがとうございます三檜さん、博多と言えばもつ鍋に明太子、もちろん博多ラーメンも良いしなぁ」
「ごぼう天うどんも美味しいそうですよ灰川せんせー、会長のお金なんだし、美味しい物たんまりご馳走になりましょうよっ、にししっ」
この出張は灰川も藤枝も全ての滞在費用は四楓院持ちだ、藤枝に関しては灰川が必要な人材と言い、英明としても藤枝には娘を助けてもらった恩があるため快く了承したのだ。
藤枝は灰川と違って八重香のお祓いの時には正規のお祓い料を受け取っているが、それとこれとは別に恩義を感じている。
それに藤枝は強い霊力があるし感知が得意だと自己申告しており、実際に役立ってくれる可能性が高い。あの時の四楓院の家で長く耐えれていたのは、紛れもなく霊力が高い証だ。
そんな事を漠然と灰川が考えていると、ぐぅ~~という盛大な音が藤枝のお腹から聞こえて来た。
「…ぁ…ぁゎゎ……っ、…ぅぅ…」
「俺も腹減ったなぁ~、博多に到着したら皆で名物の店でも行きましょうぜ!」
藤枝のお腹が音を立てて鳴ってしまい、本人は顔を真っ赤にする。もちろん周囲は気付かないフリだ。
「私もお腹減ったんで、遠慮なく頂いちゃいまーす!」
「お前はいつも遠慮しないだろうが…」
三檜と早奈美の滞在費用も会社から出る事になっており、この料金は実質的に四楓院持ちだ。今回はクライアント無しの仕事のため、彼らには外からの収入は無い。
四楓院の最高客人の護衛のため出張費用は英明から出る、やはり金持ちは財力がまるで別格という事なのだろう。
しばらくして福岡に到着して駅まで車で向かう、この車もタクシーではなく四楓院系列のハイヤーだそうだ。
灰川は空港から博多駅まで10分くらいで到着したのに驚いた、まさかこんなに近いと思っておらず、ここは空港も駅も繁華街も立地に恵まれた凄い街なんだと感じた。
「福岡と博多って何が違うんですか? なんだか同じ場所のように思えるんですけど」
「福岡市の博多区という感じで、博多は区の名前で福岡は市の名前という感じですよ」
「大昔は博多って呼ばれてて、戦国武将が福岡って名前にして、明治に色々あってから福岡市って決まったそうですよー」
廃藩置県で福岡県になって福岡市が出来たけど、博多市にするべきという論議が出て、決を取ったら1票差で福岡市に決まったそうだ。なんとも議論は割れたらしい。
しかし博多の名前は区として残り、今は九州を代表する繁華街となっている。
そんな話をしつつホテルに荷物を置いて街に出る、時刻は21時を過ぎないくらいなので開いてる飲食店は多くあった。
「スッゲー都会だ! 初めて来たけどスゲェ!東京と変わんないぜ!」
「にししっ、美味しい物もいっぱいですよ灰川せんせー」
博多は昔から非常に栄えており、うどん蕎麦、饅頭の発祥の地とされる説もあり、今は博多グルメも有名だ。
博多は長さ600メートル近いヨーロッパイメージの地下街もあるし、街中には城跡を利用した都市公園や史跡もあり、歴史あり遊びありビジネスありという大都市。
博多駅の屋上には庭園があり、鉄道神社まである。眺めも良いし、やっぱり凄い都会な街なのだ。
「藤枝さんは何が良い? 明日の祓いは詳細を聞いてないし、何食ってもこっちの責任にならないからOKだからね」
「…ぇ…ぁ……はい…、…もつ鍋と博多ラーメンが……」
「よっしゃ! じゃあもつ鍋が美味しい店に行きましょう!ラーメンもあれば注文しちゃいましょう!」
良い店を探しながらホテル近くを歩き、煌びやかな博多の街を見て回る。
お祓いの際には稀に、肉を食うと悪い影響を受けるとかの現場があったりする。しかし逆に肉を食べてないと悪影響を受けたりする事もあり、これはもはや運次第みたいな所がある。
「でも灰川せんせーは本音では中州エリアに行きたいんでしょ? このスケベー、にししっ」
「その一言で中州って所がどんな場所か分かっちまったよ、そういう店は行きません!」
博多には都会に付き物の歓楽街、いわゆる色町がある。中州エリアは有名な歓楽街であり、今夜も綺麗な美人たちが男を手玉に取っているのだろう。
「キャバとかさ、前にブラック詐欺会社の社長たちに無理やりに連れてかれたんだけど、金をバラ撒く社長達にばっか女の子が行って、俺は一人で寂しく飲んでたんだよなぁ」
「うわぁ…そりゃキツそうですね灰川せんせー、想像したらメッチャ寂しそうかも」
「早奈美、良さそうな店をちゃんと探せ。まったく」
天神市街地を少し歩くと、ホテルの近くに良い感じの居酒屋料理店があったので入店し、4人で遅めの夕食をたっぷり食べた。
「もつ鍋美味しかったなぁ、博多ラーメンも食べれたし、大当たりの店だったぜ!」
「明太子も良い味でしたね、この店は総会長や会長にも紹介したい程の味でしたよ」
「藤枝さんっ、デザート食べようよ! アイス饅頭とか良さそう!」
「…ぁ…ぅ…、…はい…っ…」
4人とも腹が減っていたのもあって多くの注文をして、もつ鍋、博多豚骨ラーメン、明太子、ごまさば、地鶏水炊き、鉄鍋餃子、様々な名物料理や美味しい物を食べた。
上品な味の料理もあればジャンクな美味しさの料理もあり、どれも美味しく頂けた。灰川としては地鶏水炊きが一番美味しいと感じ、博多グルメは思っていた以上に種類も美味しさも凄いんだなと感じ入っている。
「明日の依頼って、博多からは離れた場所なんですよね? 店とかあるか分からないから、必要な物は持って行かないとなぁ」
「はい、朝に車で移動しますので、明日はよろしくお願いいたします」
陣伍や英明は、八重香の一件以来はオカルト肯定派になり、関係者にそちら方面でも口利きをするようになった。
今回もその関係の依頼であり、何かしらの事が発生しているようだ。
「依頼の内容は詳しく話せないってことでしたけど、現地に行けば話は聞かせてもらえるんですよね?」
「そう聞いています、当主と会長からもそのように聞かされておりますし、我々も詳しくは聞いていませんので」
どうやら人に話しにくい複雑な事情、もしくはオカルト的事情があるらしく、陣伍や英明も詳細は聞いていない。
しかし信用できる筋からの依頼であり、何かあった場合は依頼者が全面的に責任を持つという事で灰川が行く事に決まった。藤枝の同行も『霊能者の方なら是非に』と言われ、向こうからも頼まれた。
直接の依頼者とのやり取りは英明を通して行っており、灰川たちは今も相手がどんな人物なのかは分かっていない。
依頼者は依頼を受けてくれないなら名前は明かしたくないとのことらしく、英明も先方には義理立てする必要があるだろうと感じ、依頼者の名前は明かさなくて良いと灰川が言ったのだ。
「まあ、明日になれば分かるんですし、焦る事は無いか。藤枝さん、もしあんまり危険だったら祓いから外れてね」
「…ぁ…はい……、…分かりました…」
今回は藤枝の灰川事務所におけるオカルト依頼の研修のような形にもなる、あんまり危険なら外れてもらい、サポートに付いてもらうつもりだ。
とはいえ藤枝は霊力は相当に強いし、霊力操作や配分などが上手く出来る。感知力は灰川の比ではなく高く、総じて霊能は優秀だ。
「今日はゆっくり休んで明日に備えましょう、ごちそうさまでした!」
「ではホテルに戻りましょう、明日はよろしくお願いします。朝も早く出る予定ですので、早めに休んで下さい」
宿泊するホテルは今回は高級ホテルとかではなく、少し値段は張るが移動のしやすさを考慮したホテルだ。
そこを拠点にして明日はお祓いに向かう、何があるかは分からないが気を抜かず行こうと灰川は思うのだった。
だが灰川としては、今夜放送のnew Age stardomが、またしてもリアルタイムで見れないと残念に思ったりもする。そもそもnew Age stardomは、いつも仕事後に疲れた状態で録画した物を視聴しており、1度もしっかり見れていない。
ユニティブ興行についても気になるが、そちらは英明が主導して動いてくれているから大丈夫だと確信している。
一応は仕事のやり取りで情報はある程度は聞いており、順調に進んでいるのが分かったから安心だ。
しかし灰川としては、その話を聞いても実感が湧いていない。自分の金で何かする訳じゃないし、英明が判断しているなら大丈夫だと感じているからだ。
灰川としては初めての九州であり、まさかオカルト依頼で博多まで来るとは思っていなかった。少し浮足立つ気持ちはあるが、依頼の場所は博多からは離れている。
その日の夜、ユニティブ興行に関連する仕事を請け負ったスペシャリスト達は盛んに動いていた。
明日の新聞に実原エイミと織音リエルが表紙のアグリットが爆売れという記事を、表紙写真を拡大印刷して朝刊記事に載せるという事が決定している。
ユニティブ興行の公式サイトは緊急製作中で、これまたITや広告業やデザイナーがしっかりと作っている最中だ。
大手のテレビCMの出演が次々と決まりつつ、本人達の自由になる時間や休息の時間もしっかり入って行く。完全決定ではないが、灰川ではとても立てられなかった理想的な予定だ。
2人が出演する予定のドラマが、2人の出演時間延長のために脚本変更される事が決定したのだが、その話もスムーズに決まる。灰川だったら何日も掛かっていたかもしれない。
朋絵の予定も良い感じに決まって行き、本人はこんなに良い条件の仕事が来るとは思っておらず、かなり驚いている。
砂遊のVモデルも製作が一気に進んでおり、デビュー可能になるまで秒読み状態だ。しかも既に企業案件も幾つか決まっており、名前を広げる地盤も作れる見込みがある。
誰がどんな仕事をしていようが、何処で何が起こっていようが世の中は進む。その流れは待ってはくれない、時間というものは誰しも平等に過ぎて行くものだ。
その時間をどう使うかで先々が決まったり、選択肢が増えたり減ったりする。
灰川がオカルト仕事をしている間にも状況は変化する、その流れや波を今は四楓院グループのエリートたちが舵取りをしているのだ。
しかし、状況が変化するのは灰川の方だって同じことである。そして状況というものは必ずしも理想の道は辿ってくれない。
トラブル、嘘、感情問題、様々な要因で状況は思わぬ方向に向かう時があるものだ。それはオカルト仕事でも同じ事なのだ。
難しいと想定していた事が思わぬ物事が原因で簡単に解決できたり、簡単だと思っていた事が何らかの原因で複雑で難しくなる。そういった事は世の中にはしょっちゅうだ。
多くの人は何かにおいて『トラブルとは発生するもの』と分かってはいるだろう。
だが、イザ何かあった時は対応は杜撰になってしまう事も多い。想定していたトラブルですらマニュアル通りに対処できないなど割とある話なのだ。
自分で起こしたトラブルなら悔やみながらも納得しつつ、時には誰かに協力してもらって対処するだろう。
他人が起こしたトラブルなら少しイラ付きつつも、こういう時はお互い様、私が困った時は助けてねと言ったりしながら対処に協力するだろう。
そういう心を持たない人が居たらどうする?
トラブルが発生してると誰も気付けない状況だったら?
トラブルを起こした人物が『大した事じゃない』と考えて放置したり、杜撰に対処して黙っていたら?
そのトラブルが発覚しても、当事者が上手いこと誰かに責任を押し付けたらどうする?
人間の社会は決して簡単ではない、綺麗な部分もあれば汚い部分もある。
今回はイライラ系ホラーを書いてみようと思います。
もちろん上手く書けるかは分かりません!




