292話 思い切り居眠りした男
灰川誠治はいわゆる『社会が求める人』という像からは離れている人間だ。
どんな課題であれ滞りなくこなし、ミスも起こさず、社交的で明るく、リーダーシップがあり、疲れ知らずで、1人で何でも出来て、金を生み出すのが上手く、誰からも愛されて、正義感がある~~……以下略。
つまりはパーフェクト超人という社会の理想、金持ちで能力が高くて人望もあってイケメン、そういう理想とは多くが当てはまらない人間だ。霊能力は凄いのだが。
「……………」
「……ぐ~……ぐ~…zzz…」
事務所内にはキーボードを打つ音が響いているが、灰川は気付けない。
今の所の赤の他人から見た灰川誠治は、自営業者なのに金がない、課題に対してミス連発、特別に社交的という訳じゃない、リーダーシップはあんまりない、1人じゃ誰も来ない配信くらいしか出来ない、という感じだろう。
しかも、他者から愛される要素が薄い、正義感とか知らんけどイケメンじゃないから悪でしょ、なんて要素も加わる予感がする。
「…うぅ~~ん……はっ…! おわっ!寝ちまってた!??」
「おはようございます所長、仕事はやっておきましたよ」
「まっ、前園さん!? すいませんっ、すいませんっ! げぇっ!もう昼じゃん!」
なんと灰川は昨日からの戦闘行為染みた出来事で体力を消耗しており、前園が出勤する前から机で眠りこけてしまっていたのだ。
前園にメッチャ謝りながら焦り散らし、どうしようとか、午前の仕事であるパソコン作業がどうとか慌てる。
「私が済ませておきました、全作業が昨日に教えてもらった内容でしたので。それとハッピーリレーから花田社長が来て手伝って頂けましたし」
「うおおっ!本当に出来てるっ! ありがとうございます前園さんっ!昼飯奢らせて下さい!」
「じゃあお言葉に甘えさせて頂きます」
「既婚者の人と2人で食事に行くのはマズイから、ヘルプに来てくれた花田社長と、前に世話になったハピレスタッフの梨本さんも呼んどきますね」
灰川は余程疲れているように見えたらしく、前園が気を使って放置してくれたのだ。その際にハッピーリレーに連絡してヘルプを頼んだら花田社長が来たそうだ。
忙しい中を無理して来てくれたのだろうと思うと感謝の心しかない。
「ご馳走になるよ灰川君、さて何にするか」
「気にしなくて良いのに灰川さん、極上和牛ステーキで!」
「私は和風伊勢海老パスタにします」
「めっちゃお世話になってるんで、じゃんじゃん頼んじゃって下さい。いつも助けてくれてありがとうございます!」
今日は灰川が普段から世話になっている花田社長や女性スタッフの梨本も交えて、居眠りサボりの謝罪として昼食を奢る事にした。
ちょっと値段が張る店だが、お礼の意味もあるので金額は見ない事にする。
「そういえば灰川君、昨日の佳那美君とアリエル君の仕事は上手く行ったのかね?」
「めっちゃ上手く行きました! もう2人とも可愛いのなんのって!カメラマンさんの夫婦も2人を絶賛っす! また一緒に仕事をしたいって言ってもらえました!」
「良かったですね! 佳那美ちゃんもアリエルちゃんも可愛いですもんね」
「初仕事が成功したと聞いて安心しました、2人とも凄く頑張ってましたから」
その直後にオカルト緊急事態が発生して、アリエルと富川Pとジャパンドリンク本社に居た警備員らと一緒に奥多摩に行った事は内緒である。
佳那美とアリエルの仕事っぷりと気に入られっぷりを我が身のように自慢して語り、とても嬉しそうに笑う。
「佳那美ちゃんはハッピーリレーで鍛えられましたから、元から技量が高くなっていたんですよ。ありがとうございます」
「いや、我々の事務所だと佳那美君は活かしきれなかっただろう、これからが大変だぞ頑張りたまえよ灰川君」
「前園さんも大変だと思いますから、いつでも遠慮なく相談して下さいね」
「ありがとうございます梨本さん、私も事務所をしっかり支えます」
こうして昼食は終わり、昨日の2人の成果を話して場は盛り上がった。
花田社長は何だか灰川のこの様子や感情が凄く嬉しかった、所属者の成功を金とか事務所の名声とかに結びつけず喜べる灰川の姿を見ると、自分が事務所を立ち上げた時の事を思い出す気持ちだった。
まだまだやる事はいっぱいあるが、灰川には変わらず居て欲しいものだと花田社長は思うのだった。
ちなみに前園は梨本とライクスペース時代から知り合いだったそうで、業界の意外な狭さに驚かされるなんて一幕もあった。
その後は事務所に戻って仕事をして、アリエルと佳那美に次の仕事の説明をしてからレッスンに送り、夕方になって前園は帰宅した。
4時頃に藤枝が来て打ち込み作業をしてくれて、灰川も残りの作業を片付けて今日の業務は完了となる。
「……灰川さん……ぇっと…その…」
「あ、やっぱまだ悪念の気配する? 藤枝さんは感知が凄いからなぁ」
「……っ……うん…、……します……」
昨日のオカルト解決の際に着いてしまった悪念の気配が少しだけ残っており、藤枝がそれに気付いてしまう。
この程度なら灰川はもちろん、普通の人でも影響はないのだが、藤枝のような感知力が高い霊能者だと『何かあった』と気付いてしまうようだ。
「……き…昨日…っ…、なにか……あったんですか……? ぅぅ…」
「ちょっとお祓いの依頼が夜に入っちゃってさ、おかげで今日は午前中に居眠りしちゃったんだよね。前園さんにめっちゃ謝ったよ」
藤枝はコミュニケーションが苦手だが素直な子で、今は灰川とならそこそこには話せるようになっている。
だが灰川が藤枝の言いたい事を察して返したりしなければならない場面が多く、言いたい事が合ってるかどうかも察しながら会話しなければならないため、やはりコツが必要だ。
「じゃあそろそろ仕事も終わるから、藤枝さんは上がっちゃって良いよ。寄り道とかしないで帰りなね」
「……ぇと……寄り道っ…、したこと…ないです……っ…」
藤枝は学校帰りとかに寄り道した経験はないらしい、それはそれで慎ましすぎると思わなくもない。
後はレッスン終りのアリエルを連れてバスで帰宅という感じになる。
今日はファースのエネルギー充填をしなければならないから、馬路矢場アパートの方が都合が良い。
「あれ? アパートの前に誰か居るよ、ユナじゃないかなっ」
「本当だ、どうしたんだろ」
アパートに帰って来ると由奈が馬路矢場アパートの庭先で、テブクロと福ポンを小脇に抱えて仁王立ちしていた。ツインテールヘアで身長が小さいからすぐに誰だか判別がつく。
「どうしたんだ由奈、テブクロと福ポン小脇に抱えて」
「こんばわねっ、誠治にアリエル! テブクロと福ポンを小脇に抱えてたわ!わははっ!」
「きゅ~~」「ゆ~~んっ」
「こんばんはユナ、ボクは宿題があるから部屋に居るねっ」
アリエルは宿題もあるため急いで部屋に戻り、灰川と由奈はとりあえず灰川の部屋に入って会話する事になった。
「きゅ~、きゅ~」
「ゆん、ゆ~ん」
「やっぱテブクロと福ポンは由奈に懐きまくってるな、膝の上から動く気配が無いぞ」
「テブクロも福ポンも最高に可愛い子たちよっ! 懐いてくれてうれしいわっ!」
由奈は砂遊に言って猫部屋から2匹を連れ出して遊んでたらしく、仁王立ちしていたのは特に理由は無いらしい。
家が近い事もあって由奈は配信が無い時はたまに2匹と猫たちに会いに来ており、今日はマフ子が尻尾マフラーしてくれたと喜んでいる。
「猫たちと遊んでくれてありがとうな、あいつらにも良い刺激になってると思うぞ」
「どういたしまして!にゃー子はシャワーを浴びてたわ! トイレもお風呂も清潔だし、誠治の家の動物たちはスゴイわねっ」
今日は夜8時から破幡木ツバサの配信があり、それまでに少し2匹と戯れて元気をもらおうとしていたようだ。
テブクロも福ポンも由奈にべったりだし、両親さえ良ければ飛車原の家に行かせても何も問題ないように思えてしまう。
「そういえば佳那美ちゃんとアリエルの撮影は上手く行ったようね! ハッピーリレーの皆が喜んでたわ!」
「おっ、そりゃ嬉しいな。みんな佳那美ちゃんの事は心配してただろうしな」
由奈はハッピーリレーの中高生所属者とは仲が良く、今は割と広くやり取りをしているらしい。
最近のハッピーリレーは育成組だった中高生の所属者が続々とデビューしており、新規ファンを掴みつつ話題性を伸ばす方向に舵を取っている。
由奈はデビューは早かったが伸び悩んだクチであり、破幡木ツバサの失敗を見て会社は中高生組への本格デビューは慎重になった。今のツバサは伸びており、元の困難を感じさせないキャラとして立っている状態だ。
中高生のVtuberは成人に比べて爆発力がある子が多く、そこを狙って一気にデビューという形式にしたのだ。とにかく経験を積ませ、実績よりも個人の腕を伸ばすことを重視という戦略である。
「ハッピーリレーの皆が佳那美ちゃんの頑張りを知ってるわっ、誠治の事務所に移って活躍できなかったら呪ってやるなんて言ってた人も居たくらいよっ! わははっ!」
「うへぇ~、そんな感じで呪われたくねぇな~」
呪いの効果は灰川には発現しないだろうが、ハピレの人から呪われたという事が精神ダメージになりそうだ。
「でもまだ雑誌発売された訳じゃないし、名前が上がるかどうかはここから次第だよ。もちろんドカンと売り込んでいくけどな!」
「ドンドン売り込むと良いわ! テブクロと福ポンもそう言ってる気がする!」
「きゅ~~ん!」
「ゆんっ、ゆんっ!」
2人にはあちこちから仕事が舞い込んでるし、CM出演やドラマ出演も決まっている状態だ。道のりは順調である。
「そういや明日はテレビ収録だけど、由奈は明日は出番は無いんだったよな」
「そうねっ、私は準レギュラーだから出演しない回もあるわ! 視聴者の皆は破幡木ツバサが見れなくて残念な思いをさせちゃうわねっ!」
「ツバサが出て来るとTwittoerXの盛り上がりが高まるんだよな、人気も上がってるしツバサも好調だな」
「名前の通りに飛車みたくギューンと進んで、翼のように舞い上がってみせるんだからっ! わはははっ!」
由奈も良い感じに進めており、今はハッピーリレー仲間からコラボ配信なんかも多く持ち掛けられている。
コラボなどは会社が調節するため完全に自由にはならないが、由奈は企画書などを拙いながらも多く書いて会社に出しているのだ。伝わらない部分は直接にスタッフの木島などに話している。
コラボを持ちかける者達はツバサの人気にあやかりたい、という気持ちは少ないように見えると木島は言っていた。
破幡木ツバサが可愛いから、面白いからという気持ちが多いらしく、そもそも『バズったからコラボしてあやかりたい』なんて事は恥ずかしくて簡単には出来ないだろう。
「そういえばVtuberの先輩の夕涼観 ファラン先輩が男性配信者とコラボしたいって言ってたわねっ」
「シャイゲは男女は無理だけど、ハピレなら形を選べば行けそうな感じはあるよな。でもファン受けとか企画調整とか考えないといけないし、相手を選ぶのも難しい感じはあるかもだ」
「枝豆ボンバー!さんならどうかしらっ? 枝豆のゲームを一緒にやったら楽しそうよ!」
「まず枝豆のゲームを探す所から始めないといけねぇな、はははっ。それに夕涼観さんがコラボしたいって言ってたのボルボル君じゃん」
ハッピーリレーには男女コラボとかに難色を示さないタイプの性格の女性Vも居て、いずれはハッピーリレーの男性配信者とコラボしてみたいという声もある。
以前にも男性配信者とコラボしたいという女性Vtuberが居たが、イメージ的な問題でボツになっている。
しかし今は男女コラボをする女性Vも他社では増えており、ハッピーリレーでは悩みの種の一つだ。
シャイニングゲートと協調していくに当たって、向こうは男子禁制だがハピレは男性配信者も要している。この違いは結構な大きさだ。
「私は誠治とコラボ配信したいわね! 絶対に面白くなるわよ!」
「おいおい、配信に誰も来ない配信者なんか連れて来ても、誰も喜ばねぇっての」
破幡木ツバサの配信にいきなり誰だか分からない男が出てきたら騒ぎになりそうだ、いくらガチ恋勢がほとんど居ないツバサ視聴者でも絶対に驚かれるだろう。
「じゃあそろそろ帰るわねっ、テブクロと福ポンを2階に戻してくるわ!」
「家まで送るぞ、ついでだから2匹も散歩させとくか」
「ありがとう誠治っ!テブクロと福ポンの散歩をしてから帰りましょ!」
「それと明日の仕事も頑張ろうな、俺も着いて行くからよ」
明日は学校後に破幡木ツバサの企業案件があり、声の収録でスタジオに行かなければならない。
他事務所の所長である灰川が帯同するのは今は変な話ではあるが、明日の現場は気難しく評判があまり良くない人がディレクターらしく、念のために灰川が帯同する事になったのだ。
明日は午前中に佳那美とアリエルの仕事の打ち合わせがあるが、それも本人を交える必要のない軽いものだ。午後は事務作業くらいだし、ハッピーリレーは忙しいから灰川が帯同を頼まれた。
「明日はママも一緒に来るわ! 私のお仕事っぷりを見せてあげちゃうんだからっ! わははっ!」
「そういえば貴子さんも来るんだったな、由奈はスゲェんだって所を見せてやろうぜ!」
「ママだけじゃなくて、現場スタッフさんとか他の出演者さんにも見せてあげちゃうわよ!」
明日に向けて意気揚々と気合を入れるが、実は不安要素もあったりする。
仕事内容はそこそこ良い会社から依頼されたCMナレーションだというのに、なんと前日である今日にも台本が届いてない。
事務所も先方のCM発注元や制作会社に連絡をしたのだが、まだ完成していなくて……と申し訳なさそうに返って来るばかりだった。
映像制作会社でもあるハッピーリレーは『もうウチらに作らせろや!』と社内で苛立っていたが、花田社長がこういう事だってあるのは皆も分かって居るだろうと宥めていたらしい。
そう言ってる花田社長の眉間にも青筋が立ってたそうだが。
ぶっつけ本番であり、何を言えば良いのか前日にも分かっていない。こういう事は業界ではたまに発生するそうだ。
「もしDが何か嫌なこと言ってきたら、台本が遅いアンタらが悪いんだろって言ってやるぜ!」
「その心配は無用よっ!完璧にやって見せちゃうんだから! それに明日は誠治も来てくれるし、ママも見に来るから100人力よっ! わはははっ!」
「きゅっ!」
「ゆんっ!」
そんな事を言いながら東京の住宅街で狐と狸を散歩させ、由奈を家に無事に送り届けて灰川も帰宅する。
今夜は昨日の夜がほぼ徹夜だった事もあり、夕食の後は疲れで配信をする気は起きず寝てしまう。
明日がどうなるか分からないが、由奈の仕事をしっかりサポートしようと思うのだった。




