291話 事件の後始末
「はぁ~、疲れたぁ~」
「ボクも疲れたよ~、今日も学校だからシャワーを浴びたら少し寝るね」
灰川とアリエルは渋谷の事務所に到着し、灰川は事務所の仮眠室で少し休む事にして、アリエルは隣の自室で休む事になる。
今回の件は流石に体に応えて疲れが噴き出す。
加害者逮捕や被害者の救助などは別の所が進めてくれる、そういった事は個人の力では無理だし、海外に売り払われた人などは外交手段や秘密手段を用いなければ救助不可能だ。
被害詳細などはアリエルには話していないし、灰川も詳しい事は聞いていない。
国家超常対処局が手回しして、一刻も早く被害者救済を行えるように被害情報を確定させると局長が約束してくれたらしく、事件が明るみに出る前から救済は始まる。既に水面下で何かしらの救助チームが動いているとの事だ。
酷い事件ではあるが、これ以上は灰川にはどうしようもない。灰川には人を裁く権限も無いし、逮捕や救助の専門家を動かす能力もありはしない。
裁きも逮捕も救助も、専門家が実行した方が正確かつ迅速に行われる。もし自分が下手に首を突っ込んだら邪魔になるだけだ。
だが、もし身近な人が被害に遭っていたなら何を置いてでも、どんな手段を使っていたとしても救助と殲滅を優先していただろう。
仲の深い者と第3者の壁、そういった一般人が普通に持つ精神性だって灰川は有している。誰でもかんでも自分の力で助け出せるヒーローではない。
身近で自分を信じてくれる人は命懸けで助ける、手の届く範囲の人は無理のない範囲で助ける、そうでない人は干渉せず掻き回さず邪魔しない事が一番の助けになる、そういった考えを持っているのだ。
「ハイカワ、さっきは助けてくれてありがとうっ。そのおかげで勝てたんだ」
「礼なんか言うなって、現場での助け合いは当たり前の事だぞ」
「それは分かってる、それでもありがとうっ!」
事務所に入って少しだけ話してからアリエルは自室に帰っていった。
サイトウに言われたように、これからは事務所の所属者とのコミュニケーションも大事にしていかなければならない。
灰川はアリエルがどのくらい強いのかとか、聖剣ファースがどんな物なのかとか、そもそも聖剣ってなんだよ?みたいな事が詳しく分からない。
朋絵とかも表面的な性格の事は知っているが、やはり内面的な事は知らない部分が多い状態だ。もちろん知られたくない部分とかもあるだろう。
佳那美はそこそこ知っているが、それでもコミュニケーションが充分かどうかは分からない。明るい人物はコミュニケーションが足りているか判断しづらい部分があり、明るいから印象に残りやすく、問題はないと思いがちになってしまう。
砂遊は家族だし、隠し事とかも問題は無いだろう。だが家族だからこそ言えない事とかもある筈だ、その辺を考えて接していく事も大事な気がする。
「あ、そうだっ、陣伍さんか英明さんに伝えなきゃな」
全てを伝える訳にはいかないが、大規模危険グループの黒幕は大物政治家と大企業社長の家族のやらかしである事を伝えなければならない。
しかし時刻は朝の6時、起きてるかどうか分からないが、とりあえずは携帯電話ではなく自宅の電話に掛ける事にする。恐らくはお手伝いさんとかが出てくれる筈だ。
「もしもし、朝早くにすみません。ユニティブ興行の灰川という者なんですが~」
『はぃかわおじさんっ! おはよーございましゅっ!』
「えっ? もしかして八重香ちゃん?」
『そーですっ、やえかだよっ! いしししっ!』
なんと電話に出たのは四楓院八重香で、すでに起きて幼稚園に行く朝の準備なんかをしてたのだろうと灰川は思う。
「久しぶりだね、元気してた? おじさんは今日も元気だぜっ、はははっ」
『げんきー! はぃかわおじさんもっ、げんきでよかった!』
「今日も幼稚園? お友達と一緒にいっぱい遊んで勉強するんでしょ? 算数とか?」
『うんっ! やえかはねっ、さんすーとえーごがすきっ! あとねっ、あとねっ』
『はーい、八重香ちゃん。お電話代わろうねー? もしもし、お電話代わりました、四楓院本家でございます』
屋敷に居た人が電話を代わったようで、八重香の声が電話口から『はぃかわおじしゃん~!』とか聞こえて来る。なんとも微笑ましい気分だ。
「朝早くにすいません、ユニティブ興行の灰川という者なんですが」
『えっ、灰川先生ですか? どうされましたでしょうか』
早朝だから陣伍や英明の携帯に電話するのは遠慮した事や、伝えたい事があるので後で都合の良い時に電話をもらえたらと伝えて欲しいと言う。
『分かりました、総会長が近くの部屋に居りますので、すぐにお伝え致します。灰川先生は何時頃が都合が良いなどはございますか?』
「自分は何時でも良いですよ、陣伍さんや英明さんの方が遥かに忙しい筈ですから。でもちょっとばかり大事な話なので、出来れば今日中にお電話頂けたらと」
『では、そのようにお伝えします。それでは』
『やえかもっ、はぃかわおじさんとおでんわしたいー!』
電話口で八重香がキャッキャと騒いでいるが、使用人は手慣れた感じであやしながら電話は終わったのだった。
あんな小さな子が俺なんかの事をまだ覚えてくれているんだなと、なんだか嬉しく感じる。
後はシャワーを浴びて少し休んでおこうと灰川は思う、今日も前園が出勤してくるから休業には出来ない。でも可能なら少し寝させて欲しいとも思う。
「うおっ、もう電話が来た。陣伍さんからか」
電話のある部屋の近くに陣伍が居たらしく、すぐに要件が伝わり灰川に返信の電話が掛かって来た。
『おはようございます灰川先生、どうされましたかな? 危険な連中の洗い出しは、ただいま進めている所ですぞ』
「あ、その事なんですけど、黒幕は亮専建設っていう所の社長の兄弟の大蜂祐介っていう奴でした」
『なっ!!? ほ、本当…ですかな…?』
「それでなんですけど、今度にこの話が表に出るみたいなんで、四楓院さんが亮専建設の事で損害を受けないようにと思いまして、事前に情報をと~」
『ちょ…すみませんな灰川先生、亮専建設というのは大型ダム建設や大規模公共施設の建設、高層ビル建設なども請け負う会社の事ですかな…?』
「多分そうだと思います、奥多摩にある山内第2ダムっていう所の建築を請け負った所で、大蜂祐介はダムの電子制御システムの制作を請け負った所らしいです」
『それは…う、う~~む…』
「後で証拠のデータを送っておきますよ、それを見て判断してもらえれば良いかなと思います」
灰川には四楓院と大蜂に何かの関係があるかどうかは分からない、灰川も金名刺名簿というのはもらっているのだが、そこには特に記述は無かった。
そして例え記述があったとしても大蜂祐介を庇おうという気も無かった、多少の罪とかだったら話は違ったかもしれないが、これは明らかに度を10段飛ばしで超えている。
損得で庇う庇わないの域を遥かに超えた罪であり、一般的な感覚を持った灰川が許せる範囲のものではなかった。
『……とてもお怒りのようですな、灰川先生』
「え…? あ、いや…そんな…」
気付いたら灰川の声は怒りで震えていた、被害者がどれだけ酷い思いをしたのか、悪人の身勝手な目的や不良青少年の目先の金のために、どれだけの被害が生まれたのか。
被害者に対しては同情の気持ちやお悔やみの気持ちも当然ながらある、せめて被害者救済が滞りなく進む事を専門家たちに願うばかりだ。しかし今回の件の本質はそこではない。
灰川は会った事もない一人の男に対して明確な怒りを覚えている。だが、そんな男でも会えば恐らく良い奴に見えるのだろう。
自分の本質を隠し、優しい言葉や甘い誘いで人の心に入り込み、心の何かが満たされない青少年や、不遇な環境にあって心が荒んでしまった青少年を、取り返しの付かない悪の道に誘った。
加害者の中には普通の環境にあっても悪の道に走ってしまった者も居るだろうが、それでもそう言った者達を誰かがより深い悪の沼に沈めて良い筈が無い。
そんな事をやれてしまう人間が存在する事、そんな奴を見抜く事が現実は難しいという事、それが何よりも怖い。そして同時に怒りが湧く。
『灰川先生、もし良ければ悩みをお聞きしますぞ。ワシらに話せない事もあるでしょうから、そういう時は信頼できる人に悩みを聞いてもらうのも良いですな』
「そうですよね…亮専建設の情報を知るにあたって、とても嫌な事がありまして…」
『なるほど…酷い犯罪に関わる話ですからな、気持ちの良い話である筈がありませんでしょうな』
「はい…気分の良くなる話じゃありませんでした…」
凄く嫌な話だった、そこに関わってどうにも出来ない自分が嫌になる。
『深くは聞きません、この件の被害者救済はワシらに任せて下され。必ず亮専建設や大蜂に金を引き出させ、二度とこのような事が起きないよう目を光らせておきますでな』
「お願いします……っ、被害に遭われた方々が救われなかったらっ、俺はどうして良いか分からなくなってた所です…っ」
『大蜂元喜幹事長は辞職、大蜂祐介は逮捕の後に会社は畳む事になるでしょうな、身内である亮専建設からは天井を設けず賠償や治療費、葬儀費用などを出させるよう尽力しましょう』
「それと…連中を利用していた奴らについても…」
『そちらも追える限りは追いましょう、ですが全てを丸く解決できるとは思わんで下され。ワシらも雲を掴む事は出来ませんので』
だが陣伍は同時に“亮専建設は別系列の国内経済圏の企業”であり、思った通りに詰められない可能性も高いとの事だ。
少なくとも情報を素早く精査して損害を与え、もし賠償などを渋った場合は四楓院系列が被害者救済を行うとも語られた。
国の補償や法律で保障の手が届かない人には、可能な限り手を回すと約束してくれた。救助などは国の仕事であるが、漏れがないか必ずチェックするとも言ってくれる。
「お願いします…俺ではこれ以上はどうしようもありませんから…」
『まずは少しでもお休みくだされ、酷い疲れた声ですぞ』
「ありがとうございます…っ、今度にお礼の品を持ってご挨拶に行かせてください」
『お礼の品など、此度の情報だけで釣銭を出さなければならんくらいですぞ、まずは心が落ち着くまで気を抜く事ですな』
陣伍に心配されつつ電話は終わり、灰川はどうにか今回の件が少しでも丸く収まるよう願うばかりであった。
個人で多数を救済するなど簡単ではない、少なくとも灰川だけで一から十までやるなど無理だ。精神論や気合ではどうにもならない、だから専門家や職人に頼むのだ。
世の中には1人で全てを解決できる万能な人も居るだろう、だがそんな人ばかりではないし、周りからそう見られてる人も実際には多くの人の助けを借りている。
灰川はシャワーを浴びてから少し落ち着こうと思い、いつの間にか埃まみれになっていたスーツを脱ぐのだった。
「ふむ…どうやら本当の事のようじゃな…」
「なんて酷いっ…! こんな鬼の所業は許されたもんじゃないっ…!」
四楓院家の陣伍の書斎では、側近の総会長秘書の一人と灰川が送って来た情報を精査し、この情報は本物だと確定された。
これが表に出たら大蜂祐介の破滅は当然ながら、家族が社長である亮専建設は大打撃、多数の政治家や大企業の社長なども逮捕や後ろ盾を失うなど、様々な問題が噴出する。
かと言ってこんな物は誰にも隠し通せないし、少なくとも商売敵である四楓院が隠蔽するなんて事は絶対にない。むしろ商売的にはチャンスと言って良いだろう。
「村井、このリストに載っている被害者のチェックをしろ、それと捕らえて病院に収監している事になってる者達から、法的に有効な形での証言を押さえろと三檜家に言っておけ」
「分かりました、すぐにやっておきます」
「それと今回は損得よりも、正しいか悪かで動くぞ。信と義を持って灰川先生は四楓院に情報を託してくれたのだ、被害者のためにも動かねばならん」
「はい、私もそれが良いと思いますが、同時にグループに損害があってはいけません。亮専建設は叩きますが、奴らを叩く費用は亮専建設から引っ張りましょう」
「そうじゃな、懇意にしておる証券会社の者達を呼んでおけ、それと~~……」
四楓院は義に厚く信を重んじ、信義ある人には礼を尽くす。
しかしそれらは現実的な物事の上に成り立つ事柄であり、決して綺麗ごとだけで力を付けて来た訳ではないのだ。
今回の事で系列の者に危険グループと関りがあった者が居ないか、居たならどのようにするか、そういった事まで含めて考えなければならない。
関係者リストの中には四楓院系列で大きな名前の者は居ない、四楓院系列は警察関係とも関りが深いから、周りを固めてから籠絡に掛かるつもりだったのかも知れない。
灰川が襲われた事は許せないが、同時に運が良かったのかもしれないと陣伍は感じる。
もしコイツらの存在を知らずに放置していたら、深くまでグループの懐に入られていたのかも知れないのだ。
盤石な地盤は絶対ではない、小さな亀裂を入れられ、そこから徐々に崩れて行った組織や会社など多くある。
「情報網の強化を図らんとな…時代が変わるのがこうも早いと、ワシのような老骨には着いて行くのが精一杯じゃな」
「それでも四楓院グループは情報面では強いですよ、今回も灰川先生から大きな情報がもらえたのですから」
四楓院グループは傘下に『人材を大事にしろ』と説いており、商業面より人格面を強く見て重用するよう教えている。
もちろんジャパンドリンクのような例もあるし、そんな事を言っても簡単ではないのは分かっている。だからこそ何度も言う価値があるのだ。
誰かとの約束を破る奴は信じるな、関係性で態度が変わる奴とは深く関わるな、秘密主義は組織をダメにする、そういった過去からグループ全体で経験してきた事を今も教えとして大事に持っているのだ。
それを守りつつ研鑽を欠かさなかったからこそ、人が寄って来て大きな家になった。
灰川はそういった教えを大事にしている陣伍や英明の目に、とても良い人材だと映ったのだ。
「灰川先生は辛い経験をされたようですが、気を沈めている暇はありませんよ。今の灰川先生は経営者なのですから」
「うむ、だがワシらが協力すると言ったら、少しばかり気を持ち直してくれたようじゃったな」
「それは何よりです」
顔も見た事が無い被害者たちを助けて欲しいと願い出る、その心が陣伍は灰川の凄い所だと認めている。
八重香を助けた時だって彼は全力だった、その後も何かしらで大きく人助けをしてるのも、詳細こそ知らないが実は知っている。
「さて、ここから忙しくなるぞ。ワシらも傘下を守りつつ、傘下社員を少しでも良い生活が送れるよう尽くさねばな」
「最近は隠れ搾取型の企業経済圏が強くなりつつあります、ここに四楓院が伸びるチャンスを作っていきましょう」
人の意見を聞き、下からの言葉を聞き、言葉に出て来ない部分は行動を見て判断する。
ワンマンにならずに意見を尊重し、信じて義をもたらしてくれる人に感謝と尊敬を示し、その人を信じる人達にも義を見せる、そうしなければ組織は長持ちしない。
力だけでどうこうするのは無理なのだ。
大きな事件ではあったが、それでも日常も社会も続いていく。
いつまでも気落ちしたままでは居られない、それが今の社会というものなのだ。




