29話 事務所の過去
「社長ですか?こんばんは ……え? え? 本当ですか」
「本当だよ灰川君、君には高いマネジメント能力がある、灰川君をハッピーリレーでマネージャーとして雇用したいんだ」
「勘違いじゃないすかね…」
その電話は灰川のこれからを左右するかもしれない電話だった。その内容に灰川は驚いてしまう。
「でもハッピーリレーって正式なマネージャーさん居ませんよね? なんで今さら俺なんかを…」
「マネジメントは前から必要だと考えてたんだが、マネージャーとして雇用したいと言う以上は、知っていて欲しい内情があるんだ、聞いて欲しい」
ハッピーリレーは実は何度も様々な失敗をしてる企業だとの事だった、それは人気の配信者や優秀なスタッフが次々と抜けて行った原因でもある。
事務所による長時間配信の強要染みた指示、伸びない配信者や登録者数が落ちたVtuberへの苛烈な叱責、無茶なスケジュール組み立てによるスタッフの労働時間の長時間化。
それらが何をもたらしたかは簡単であった、視聴者や他企業へのリーク、内部告発だ。ハッピーリレーの内情は今の時代はすぐに漏れ出し、それに激怒した運営幹部は犯人探しを始め、その動きは社長にも止められず事務所の空気は最悪な物になってたらしい。
元から運営幹部には配信者やVtuberを「有名にしてやったのは俺達だ」という雰囲気が蔓延しており、実の所は社長にもその意識があったそうだ。
そこからは異常だった、配信者やVtuberの報酬を不当に減らしたり、少しマイナスな事があっただけで事務所に呼び出して配信者を長時間に渡って罵倒したり、まだ視聴者がそんなに付いてない新人配信者に過剰なノルマを設定して達成できなかったら即座にクビにしたり、まさに腐った企業になり果てた。
行政機関に訴え出た者が居たかは定かではない、労働基準監督署などから注意が入る事は無かったそうだ。恐らくは会社バレが怖くて言えなかったか、幹部が上手く誤魔化したかのどちらかなのだろう。
「そんな時に異常だと気が付いて我々に物言いをしてくれたのが、事業部の中本さんだったんだ」
中本部長は厳しい人で、彼のせいで何人かの配信者やスタッフが辞めてったと話を聞いたが、そんな中本部長が見ても異常すぎる事態になっていた。当時の中本部長は外回りが多くて会社の変化を一早くは感じ取れなかったらしい。
しかし当時の社長は中本部長が指摘する異常さは、すぐには理解出来なかったそうだ。それほどに地位と会社内権力という物に溺れてたのだ。
やがて異常さに気が付いた社長は会社の風土を是正し、運営幹部にも方針の変更を無理やりにでも納得させたが……もう遅かった。
ほとんどの配信者とVtuberは事務所を強く、とても強く憎むようになり。人気があり稼いでくれてた者達からハッピーリレーを去って行った。スタッフも運営幹部の被害者が多く、体調を崩して退職、引き抜きによる退職が後を絶たなかった。
一番応えたのは『2週間退職』という物だったらしい、労働者は退職を宣言して最短で2週間で退職する事が出来る。それを会社の都合などお構いなしに実行する者が多数出たのだ。後任も引き継ぎも無しに職員が仕事のノウハウごと消えて無くなる……考えただけでゾっとする。配信者達も契約が切れると同時に即座に消えて行った。
「会社が職員の誰にも愛されない、そんな会社の社長の気持ちが分かるかね?」
「いや、自業自得でしょう。俺だって流石に辞めますよそんな会社、まあ似たような会社に居たんですけどね」
「ハッキリ言ってくれるね、その方が気が楽だ」
ハッピーリレーの本当の地獄はここからだった、会社内での配信者やスタッフの奴隷的使役が多くの証拠付きで表沙汰にされ、被害職員が集団訴訟を起こし今も係争中、しかもその経過は元ハッピーリレーの配信者たちが面白おかしく動画や配信で喋り建てる。
しかも誰も止めようとはしない、動画を出すのを止めてくれと頼もうとしたが電話は切られる、もう電話してくるなと言われる、自分の裁判の進捗を報告してるだけだしハッピーリレーの名前は出してない(分かるようになってる)と言われ、嘲笑と共に動画は出され続けてる。
今残ってる配信者も多くは他会社への足掛かり程度にしか思っておらず、現に今も100名ほど集めた配信者、Vtuber達も半数は個人勢への転向か他企業への鞍替えが決まってるらしい。
「ハッキリ言ってハッピーリレーは風前の灯火だ、エリス君とミナミ君でなんとか保ってる状態なんだ。そんな彼女たちを繋ぎとめるという身勝手な打算は多々ある、それでも…頼めないだろうか?」
エリスとミナミは灰川に大きな信頼を寄せている、彼女たちは今まで事務所を退所するなんて言った事が無かったが、少し前に灰川を雇わなかったら退所すると言ったのだ。
その時は社長は本当に恐れおののいたそうだ、下手をすれば会社は畳まなければならなくなる。いや、そうなる可能性が大きいだろう。
今もし灰川が居なくなったらエリス達はどうなるだろう?事務所を去る?残ったとして配信の面白みが薄れる可能性は?様々に考えられるが、何も変わらない可能性の方が高いと灰川は思う。。
しかし……社長から見ると、その可能性は非常に低いと出たのだろう。だから灰川を繋ぎとめようとしてるのだ。
「…エリス達に会って間もない俺に頼むなんて、相当に切羽詰まった状態なんですね」
社長の声は切実だ、自分の会社をブラック企業にしてしまった奴の反省の声だった。
ハッピーリレーは今は経営と労働環境を改善したが、スタッフや配信者達からの信頼はゼロと言って良い。失った信頼はそう簡単には戻らない。
灰川も短期バイトとして雇われる時の契約書を見た時に啞然とした、滅茶苦茶な内容が書かれてあったからだ。まだ会社風土は完全には戻ってないのだろう。
「社長、知ってますか? ハッピーリレーのファンが一時期ネットで何て呼ばれてたか」
「ああ…ファンの人達にも本当に申し訳ない事をした…」
「本当ですよ…ハッピーリレーファンはブラック企業崇拝者って呼ばれてバカにされてたんすよ」
この事は灰川はネットの掲示板で知っていた、あまり詳しくなかったし当時は興味も薄かったから関心は無かったが、今なら納得の呼び名だ。
ハッピーリレーの配信者たちの視聴者登録が伸びない理由は会社に寄る所も大きい、悪評が広まり過ぎて良い印象が持たれないから登録が伸びない。
「社長は…ハッピーリレーは配信者もスタッフもファンも裏切った、そんな所の言う事を信じると思いますか?」
「……………」
「エリスもミナミも恩義を感じてるから残ってる、ファンの人達も配信者やVtuberを心から応援したいという人だけが残ったんですよ」
「そうだな……分かってる…」
「少し考えさせてください、自分も前職がブラック企業で酷い目に遭ったんで…ハッピーリレーはちょっと怖いんですよ」
「分かった、良い返事を期待させてもらうよ」
社長の声は真剣だった、だからこそさっきのような話を真摯に真面目に灰川にしたのだ。嘘や不実の代償がどのような物なのかを知ってるからこそ出来ることだ。ただの傲慢な自己陶酔野郎ではこれは出来ない。
人は反省して変わる事は出来るが、やった事は消えて無くならない。代償は必ず払わなければならない、時にはそれが何十倍にもなって返ってくる。
それでもハッピーリレーの労働環境が酷かったのは以前の話だ、今は企業案件が来るくらいには名前は回復してる。
電話を切り今の話をどう考えるべきか灰川は考える、社長が反省したとはいえ今後ブラックにならないとは限らない。一回でもブラックだった所など信用に値しない……そうも考える。
一方でエリスやミナミといった才能あふれる配信者をマネジメントし、誰かの影からの支えになりたい……そんな気持ちもあった。
一人きりの部屋で下を向いて考える、ここが人生の岐路なのだ。
自分がこのまま配信をやって収益化して食っていける可能性はどのくらいだろう、1%あるかないかだ。
ハッピーリレーのマネージャーになれば安定した収入が得られる、でも夢は実質諦めなければならない。
他の職業はどうだろう、何かの才能がある訳でもなく、やりたい事もない。学も無い自分では普通以下の道になる。
人生の道を選ぶのはどんな時でも大きな決断になる、後悔しないようにと思ってもきっと後から後悔するだろう。
「…………」
灰川は机の引き出しを開けて、自身の配信者名の由来でもある、ずっと前に買った呪術に使うための煙草を取り出し、窓際に腰掛けて窓を開ける。
シケり切った煙草を咥えて火を点け、自虐的に吸い込む……喉と肺にズキンとした痛みが今は心地いい。
「ふぅ~~……」
自分の中の不甲斐なさや、やるせなさ、そんな負の念を煙にして吐き出すように、煙草の煙を窓の外に吐き出す。
同時に夢も覚めて消えていくような気がした……灰川の配信者として成功するという夢が煙草になって彼を置いて空に登った、そんな感じがした。
「潮時か……」
自然とそんな声が漏れた、もう身振りを決める時だ。夢は諦める物、自分には才能が無い、硬い生き方が性に合ってる。そう言い聞かせる。
そんな時にスマートフォンにまた着信が入った。社長が何かを言い忘れたのかと思ったが、画面には知らない番号が表示されていた。
普段だったら知らない番号からの電話は取らないのだが、今日はなんだか取る気になり電話に出る。
「はい、もしもし」
「こんばんは、灰川さん。自由鷹ナツハです」
「え? ナツハ? どうしたん?」
「うん、えっとね、灰川さんってあとちょっとでアルバイト契約が切れるんだよね?」
「ああ、そうだけど…何で知って…」
「シャイニングゲートからヘッドハンティングのお誘いだよ」
「!?」
その言葉を聞いた時に衝撃を受けた、人生の岐路が増えたのだ。
「実はさ、シャイニングゲートは人手不足な上に怪奇現象も起こってて~~……」
その後のナツハの話はよく聞いたつもりだったが、あまり耳に入って来なかった。
結局は明日に社長と一緒に灰川の馬路矢場アパートを訪れて、先日の礼と共に説明する事になった。
どうするべきか、どうなるのか灰川は考える。今は結論は出ないが明日になれば…とか考えてると、またスマホに着信が入った。
「こんばんは、配信企業のライクスペースという会社なのですが、灰川さんの携帯電話でしょうか?」
「え? え?」
「実は当社で灰川さんのような人材を探しておりまして~~……」
まさか3件目のお誘いだ、迷うとか言うより混乱してしまう。何でこんなしがない男に誘いが何件も来るのか…。
ライクスペースも明日に自宅に伺うと言っており、どこで電話番号と住所を知ったのか聞く気にもなれなかった。
「おえぇっ! 久しぶりにタバコ吸ったら気持ち悪くなった!」
かなり前のシケたタバコを吸ったのだ、気持ち悪くなって当然だ。灰川は呪術に使うために煙草を常備してるが、体質には合ってないのだろう。
呪術と煙草は大きな関連がある、古来から煙草は縁起の良い物とされ魔除けにも使われて来たのだ。
煙草の逸話
江戸時代、とある大名が深夜に目を覚ますと部屋の中で女が舞っていた、とても禍々しい踊りで恐怖を感じたそう。
大名は起き上がり刀を手に斬りかかるが、斬れども振れどもすり抜ける。人を呼べども誰も来ず、廊下に出ようと走った先には女が居る。
いよいよ観念した大名はキセル煙草に火を点けた、すると女は途端に苦しみだし消え去った。
後日に屋敷を訪れた托鉢僧に事の顛末を話すと「魔性の者は煙草の煙を嫌う」と聞き納得したのであった。
冷蔵庫からお茶を取り出して一気飲みして気を紛らわせる。よく冷えたお茶が体に染みる。
人生の道を決めようと思った矢先に選択肢が一気に増えたが、全てが配信関係の選択肢。しかも灰川の霊能力に関連した雇用である事は知らされなくても分かる。
灰川はこれまで霊能力に頼った生き方はしてこなかった、この力は無い物として生きてきたのだ。目に見えない力に頼るなど社会的に危険な生き方だと口酸っぱく教えられてきた。しかし今はその力を求められてる、どうするべきか……。
「まあ、条件とか聞いてからでも遅くはないだろ……たぶん…」
仕事選びというのは慎重にしないと痛い目を見る、ブラック企業に入ってしまったり、事前に知らされてた内容と労働条件が違ったり、ザラにある事だ。
そもそも灰川は金があって仕事をしなくて良いなら、それが一番と考えてるタイプの男だ。労働とは何にせよ辛く苦しい物なのだ。
とりあえず今日はゆっくり寝て明日に備える、すぐに身の振り方を決める訳じゃないが、明日は大事な日になるだろう。




