289話 戦いの後
「大丈夫かアリエル? ちょっと横になって休むんだ、俺が警戒しておくから」
「うん…っ、ちょっと…スタミナが切れちゃった…」
狭い範囲に陽呪術の結界を張ってアリエルを休ませる、相当に消耗したのが見て取れる状態だ。
ファースのエネルギーも半分を大きく下回っており、今の戦いが心身ともに強い負担となった。
アリエルは聖剣の担い手だが、剣術の加護を受けれていない。そのため危険オカルト存在との剣を使った戦いにおいては、フィジカルと純粋な修練により得た剣術の力で押さなければいけない。
身体能力は加護を受けれているのだが、霊力の加護は低く、やはり聖剣の担い手としては戦いにおいての不安要素が大きい。
それでも霊力は一般的な霊能者と比べれば遥かに大きい、この五角屋敷城の内部で活動で来ている事が何よりの証拠だ。
「スーツを丸めといたから枕にして良いぞ、防刃繊維だからゴワゴワだけどな」
「ありがとうハイカワ…、ぅぅ…ぐすっ…」
今になってアリエルの目に涙が浮かぶ、それを隠すように横になりながら灰川に背を向けた。
負けると思った、焦ってしまった、聖剣の担い手なのに…負けることは許されないのにっ……怖いとすら思ってしまった…!
そんな気持ちがアリエルの心に広がったのだ。
今までの任務経験で実戦の力は付いてると思っていた、ファースがあればオカルト存在に負けないと思っていた、それらは違った。
MID7の任務では他の隊員が敵を固めた上で斬っていただけだ、それでは単独での実戦力なんて簡単に上がらない。今にしてそれが分かる。
強いのは自分ではなくファースだ、自分が強くなければ宝の持ち腐れだ、そんな今まで認めたくなかった思いが去来する。
アリエルは戦闘中に目の端に映っていた灰川の動きを思い出す、行動に移る前から灰川は見えない形で敵を乱してくれていた。
今にも行くぞ!行くぞ!という雰囲気を発しながら、霊力だけを動かして敵の集中を乱した。
実はアリエルは武士と向かい合っていた際に隙が幾度か出来ており、武士が攻撃に出ようとしたのを灰川は敏感に感じ取って間合いを少し詰め、攻撃の判断を止めさせた。
灰川は守りの陽呪術の高い技能を使い、聖剣も凄いが俺も凄いぞ!と見せつけ、無視できない存在として自己をこの場に確立して敵の集中力を分散させた。
「こんなのっ…情けないにもほどがあるっ…! ぐすっ…!」
灰川としては今は『勝てたのはアリエルのおかげだ』とか『立派に戦っていた』とか、良い感じの声を掛けるべきなのだろう場面である事は理解している。しかし……。
「や…やばいっ…、俺も今更になって震えが出て来た……っ」
先程の戦いを思い出して灰川も震え出す、間違いなく戦闘力は今までで最も強い怪異存在だった。少なくとも油断しているヴァンパイアよりは強い存在だった筈だ。
1人で相対していたなら確実に負けていた、1対1勝負だったなら今頃は首と胴体が切り離されていただろう。防刃繊維も普通に貫通していたと思う。
以前にも命の危険があった時はあったし、戦闘後には怖さを思い出して震える事があった。
今回だって怖かったし、霊力では勝っていたが戦闘能力で負けているのが強く分かり、死の実感が非常に濃かったと今更に感じている。
「アリエルっ…流石は聖剣の担い手なんだなっ…、俺がアリエルの立場だったら逃げ出してたかもしれねぇ…っ! 戦ってくれてありがとうっ…!」
「ハイカワ……」
灰川の目には様々な感情が籠っていた。
刀を持った剣豪を相手に逃げなかった事に対する尊敬の念、怖かったけど逃げる訳にいかないから精一杯に頑張ったという心、一緒に戦ってくれたアリエルへの感謝の思い。
戦うのが怖いなんて当たり前だ、それが負ければ死ぬなんて状況であれば尚更だ。
そんな当たり前の『怖い』という感情を正直に言い、震えを隠そうともしない灰川の姿にアリエルは思う所があった
アリエルの通っていたスクールの同級生の子たちは自身の有能さや功績や賞歴を語り、家の名を誇って『自分は優れている』とアピールする者が多かった。
MID7では臆しているだなんてミッションの前だろうが後だろうが口にする者はおらず、ただ人の世に仇なす怪存在と戦う者たちだけだった。
アリエルが育った環境だと『弱さとは克服すべきもの』という考えが強く、それはある意味では『弱いというのは嫌悪すべきこと』というような考えに繋がってしまう部分がある。
弱さを克服してない者は未熟者であり、未熟者とは弱者であり、弱者に人の上たる事は許されない、というような考え方に繋がっているのだ。
「それにしても凄かったなっ、アリエルがあんなに強いとは思わなかったぜ。悪念も薄れて来たし、アリエルのおかげだぞ、へへっ…」
「……ぅぅ……ぐすっ…!」
強いのが当たり前であり、ちゃんとした形で強さを誰かに褒められた事など無かった。
むしろ聖剣の担い手なのに加護が偏って、剣術の腕や霊力が低い事を残念に思われているのは分かっていた。誰も口にしないが、そういう感情は子供は敏感に感じ取る。
家族は大好きだけど、やっぱり凄く心配されているのを感じるのだ。心配されるというのは弱いと見られている事であり、どんな形であれ恥なのだ。
それなのに灰川はアリエルを強いと言った、それは聖剣の力という意味もあるし、剣術が達者だという意味もあるだろう。アリエルは剣術の加護は受けていないが、努力によって9才としては相当に強い剣術家である。
だが灰川の言葉と視線には『逃げ出さなかった事への賞賛、恐ろしい敵に立ち向かう勇気への尊敬』が籠っている。まるで勇者を見る一般人のような眼差しだ。
「うっ、うわぁぁ~~んっ! ハイカワっ、ありがとぉ~! わぁぁ~~んっ!」
「うおっ」
アリエルは居ても立ってもいられず飛び起きて灰川に抱き着いた。
今までアリエルはスクールで優秀な成績を出せば褒められもしたし、MID7で任務達成に貢献すれば仲間たちから凄いと言われた。
しかしそこに『聖剣の担い手としての承認』はなく、MID7においても聖剣って凄いという認識を持たれていると感じ取っている。
それがコンプレックスに繋がり、自分は聖剣に選ばれたという部分がアイデンティティとして強くなっていた。
つまり『アリエル・アーヴァスは聖剣が本体』みたいに思われていると、心の何処かで感じていたのだ。
それが灰川の『アリエルを尊敬する』という心が伝わる言葉と表情によって、自分でも知らない内に積もっていた何かが一気に飛び去った。
1人じゃない、認めてくれる人が居る、欲しかった形の何かを灰川がくれた。負けそうな時や不安な時は助けてくれる人が居る、その人が困った時はボクが助ける。
もう感情がぐちゃぐちゃだ、確かに言える事は、こんな状況なのに嬉しいと感じている事だ。
嬉しい、良かった、頑張った甲斐があった、そういった報われるという気持ちが今までに無い程の波になってどんどん押し寄せて来るが。
「誰か来る! 警戒だ!!」
「っ!! 来るなら来い! ボクとハイカワが相手だ!」
階段の方面から誰かが走ってくる音が聞こえ、2人は態勢を整えて向き直る。
その際にアリエルが剣を抜いて階段の方面に構えたため、灰川は何も言わずにアリエルの背後に回って前方以外の警戒を担当する。
なんだか今なら、どんな敵にだって勝てそうな気がする。何も言わずに後ろを守ってくれる、こんなに頼もしい人が一緒なんだから怖くないとアリエルは感じる。
ファースのエネルギー充填量は半分を大きく下回っている、それでも負ける気がしない。例えさっきの武士が出て来ても、今なら気後れするような事は無いと言い切れるテンションだった。
「誠治!!アリエル!! 無事か!?」
「忍者は排除しました! 2人は負傷はないですか!?」
階段から走って降りて来たのはタナカとサイトウで、向こうも危険な敵を排除したと聞いて灰川は安心する。
アリエルも剣を下ろして安心し、4人で集まって小会議が始まった。
「悪念が薄まったな、これなら実態を持った霊体は出て来ないだろう。それより武士は本当に倒したのか?」
「倒しましたよ、アリエルが聖剣を使って浄化しました。凄い戦いだったっすよ」
「倒せたのはハイカワのおかげだよっ! ボクが勝てたのは偶然さっ!」
「2人で倒したという訳ですね、あれ程の強さの存在を倒すとは凄い事ですよ」
銃弾の効かなかった怪異武士はタナカとサイトウからすれば最悪の敵だった、もしあのまま戦っていたのなら散弾を装填する暇もなく2人とも斬られていただろう。
灰川はアリエルの勝利だと言うが、アリエルは決して自分だけで勝利した訳じゃない事は分かっている。
この戦いで1人で戦う強さも大事だが、怪存在に対しては勝つために力を合わせる大事さを再認識させられた。
「とりあえずは5層に行って祓いを完了しましょう、ここまで悪念が弱まればダムに到達する可能性も低いとは思いますが」
「危険の可能性があるなら取り除く、この際は一気に祓って地脈が多少乱れても仕方ない。1万人の命に代える事など出来んからな」
「そうっすね、俺も少し確かめたい事があるっすから」
「ボクもまだ行けるよっ、最後までミッションをやり遂げるさっ」
4人は能楽堂を後にして廊下に出て、奥にある階段を降りて5層に向かう。その道中にサイトウがハイカワに他に聞こえないよう話し掛けて来た。
「灰川さん、アリエルさんのサポートは、ここから出た後もしっかりとお願いします」
「人の形をした存在を斬ったという事に対する精神的なサポートですよね? もちろん分かっています」
危険な霊的存在とはいえ人の形をしたモノを攻撃するというのは、どんな事であれ精神に影響を及ぼす。
それは大概は良い影響ではなく、心に負荷が掛かるタイプの影響だ。
アリエルは悪い事は一切していない、大きな被害を及ぼそうとしている危険な存在、しかも非常に強い戦力を用いて自分たちを殺害しようとしていた存在を倒したのだ。
それは決して悪意から来る行動では無いし、罪に問われる行為でもない。
だがこういう事は理屈じゃないのだ、後から精神にジワジワと広まるような何かがある。それ程に人の形をしたモノを倒すというのは負担があるもので、見えない形で心を蝕む。
「まずはアリエルさんとしっかり会話をして、きちんと互いの事や考え方、気持ちや感情を疎通してコミュニケーションを取って下さい」
「分かりました、確かにコミュニケーションはともかく、互いの情報が欠けていたから動きに難がありましたしね…」
「互いを知る事、これは仕事の上でも重要です。特に灰川さんのユニティブ興行は人員が少ないので、信頼関係の構築は必須です」
霊能活動であれ芸能活動であれ、能を活かす場では仲間の理解度を深める事は重要だと説明される。
サイトウから見た灰川とアリエルは、どちらの活動を行っていくにしても、現状では理解度が全然低いという事なのだろうと灰川は考えた。
「お金や成果がどうとかの前に、まずはしっかりサポートです。私はそれを怠って一度はプロデューサーをクビになりそうになった事がありますから」
「えっ、そうなんですか?」
「もっと言うなら、忙しさから家族とのコミュニケーションを怠って、離婚されそうになった事があります。どうです? これだけでも私への理解度が高まったでしょう?」
「そ、そうっすね……はは…」
何と言ったら良いか分からず灰川は少し硬くなるが、こういった話し合いをする事で理解度を深めなさいと言っているのだ。
それは信頼してるという意思表示になるし、もちろん相手が考えている事や、ムっとした時や嬉しいと感じた時の仕草などを知り、どのように相対したり組んだりすれば良いのかを分かれというメッセージだ。
自分の駄目な所や嫌な所も見せて、相手の駄目な所も見つつ分かり合う。それが最良なのだろう。
分かり合うというのは誤解や齟齬を防ぐ最良の手段であり、相手を理解して心を汲むというのが大事なのだとサイトウは言った。
現にサイトウこと富川Pは、今まで他者への理解不足により最悪な道を辿った芸能人や、コミュニケーション不足によるぶつかり合いなどで最悪の結末を迎えた芸人やミュージシャンを見て来た。
高度霊能対処の世界も芸能の世界も厳しい場所であり、そういった場所でこそ理解者の存在が大きな助けになる。
人型の怪存在を祓うということ以外にも精神の負担になる事など沢山あり、その影響は純粋な心であればあるほど大きくなる。
その負担を少しでも軽減するのもサポートの大事な役目であり、そのために相互の理解が必要だとの事だ。
「もちろん中には理解しようとしても拒む人も居ますし、他者に求めるハードルが高すぎて着いて行けない人なんかも~…」
「よし着いたぞ、ここが5層だな」
そんな話をしていたら最下層である5層に辿り着き、ライトで照らして中を見ていった。
もう危険な怪異が出現するほどの悪念は無く、武士と忍者の顕現のために相当なエネルギーを消費したのだと分かる霊状態になっている。
5層目は20m四方くらいであり、部屋は一つである。どうやら大蜂屋 為助が天守閣に見立てて暮らしていた部屋のようであり、書机や段違い棚のような和風の造りの部屋だった。
「あれって……」
「……位牌だな」
アリエルが部屋の中央に無造作に捨てられていた物に気が付き、灰川が近付いて確認した。
「位牌は為助が生きていた頃に普及が始まったようです、どうやら位牌を作ってはもらえたようですね…」
「そのようだな…自意識に狂う前は、世の中や地域に貢献した人物だったのは確かなんだからな…」
大蜂屋 為助の人生は決して悪事だけのものではなかった、彼は多数の人を傷つけたが、元は多数の人を助けもした人だったのだ。
その証拠に当時は差別されていたという土堀り職人を集めて地下に城を作り、土堀り職人と大工の仲を取り持って差別意識を無くそうとした人物であった事も客人の手記に書かれていた。
しかし晩年は裏切りや詐欺まがいの被害といった酷い経験の連続や、芥子毒によって完全におかしくなってしまったのだ。
善人が善人のままで居られなかった本当の理由、善人だからこそ心の中に大きな悪が住んでいた、それは分からない。
客観的に物事を検証した『事実』と、主観的な認識における『真実』は違うものだ。
この部屋は、分かり合う事を誤ってしまった1人の男の部屋だった。
現実の世界で穴掘り職人という人達が差別されていたという事実はありません、この記述は現実における数々の差別問題とは一切の関りが無いことを明記しておきます。
そもそも穴掘り職人という職業は存在しなかったようです。




