287話 戦闘開始
4人は警戒を強めつつ階段を降りて3層に行き、離れた場所にある4層への階段も降りて更に下へ行く。
「ここが4層の能舞台ですね、凄い悪念と酷い霊状態ですね…灰川さんの陽呪術が無ければ、私は耐えられなかったかも知れません」
「霊耐性は全員を俺が上げられる最大にまで高めてあります、まず大丈夫だとは思うんですが」
ここに居る全員はアリエルも含めて、灰川の陽呪術・運能渾身や霊攻鎧装などによって、霊的な耐性や防御力が格段に上がっている。
もちろん霊的な攻撃についても火器は銃弾に灰川の祓いの力を籠めて攻撃力を上げ、アリエルにはスポーツ陽呪術である心身一致を掛けて動きの精度の底上げをしている。ファースは元から強いため特に何も掛けていない。
「4層は能舞台がある階層ですね、それと図面に記載のない部屋がありますが、客人手記を見る限りでは阿芙蓉の部屋があったと予想します」
「3層までは悪霊気は強くなかったが…4層からは強いな」
タナカとサイトウが調べた限りでは3層の茶室や奥座敷には何もなかったらしく、見つかったのは手記だけだった、しかし手記には手掛かりになりそうな重要な記述が多くあったのだ。
五角屋敷城の主だった大蜂屋 為助は芥子薬、アヘンのような物の中毒になっていったそうだ。
日本にはアヘンの原料である芥子の実が1200年代には入って来ていたとされる資料が見つかっており、鎮痛薬として一部地域で使われていたらしい。
だが接種のし過ぎでアルカロイド中毒を発症する者も居たようで、中毒症状から得られる幻覚効果や快楽効果を求めるようになってしまった人も居たのだろう。日本では所によって阿芙蓉という名で呼ばれていたようだ。
サイトウの話では危険グループの麻薬被害に遭った人達からは、麻薬成分が検出されはしたが、それは『アルカロイドのような自己分泌物』だったそうなのだ。
しかし症状は完全にアヘンアルカロイド中毒のソレで、アヘンやコカインといった麻薬の中毒の症状が出ていたらしい。こんなのは見た事が無いと四楓院系列の病院で騒ぎになりかけた。
被害者の話では、注射を打たれる時は何故か必ずイヤホンやヘッドホンを着けさせられ、VRゴーグルも着けられて変な映像と、音楽とも不協和音とも取れない何かを見聞きさせられたらしい。
この事からサイトウは大蜂 祐介は電子ドラッグを使って犯罪をしていたのだと思われ、注射器に入っていたのは水とかだったのだろうとの事だ。
効果は中毒物質を体内で生成させて分泌させるという物と睨んでいる。
電子ドラッグ技術は何処から手に入れたのか、もしくは自分で作ったのかとかの疑問はある。
だが、そんな物を有しているなら、祐介を伝ってこの悪念が電子霊能力を手に入れていてもおかしくはない。むしろそれを前提として動くべきだと話が纏まったのだ。
「能舞台があるっすね、詳しく知らないけど立派な物な気がするっすよ」
「確かに一見すると立派だが、能楽堂の造りとしては良くは無いな。屋根が低いし、これだと道成寺の演目をやると目立ちが足りんぞ」
「釣鐘を使う伝統の演目ですね、天井も4mない程で低いし、これだと音が響き過ぎて乱拍子がうるさくなってしまいますよ」
「昔に地下に作ったのはスゴイと思うけど、これだったら舞踊舞台にした方が良かったとボクは思うな」
江戸時代に地下にこれだけの能楽堂を作った事は確かに凄い、しかし建築技術的な問題でこれ以上の物は作れなかったのだろう。
為助としてはもっと大きく作りたかっただろうが、出来ない以上は妥協するしかなかったと思われる。そして能楽堂はきっと外す事は出来なかったのだ。
江戸城には能舞台が複数あったとされ、江戸初期にも同じように幾つかの能楽堂があったという説がある。為助はその事をどこかで聞いて参考にしたのだろう。
為助は豪商とはいえ平民であり、間違っても城内に立ち入る事は出来なかった筈だ。だから人づてに聞いた不確かな江戸城内部を再現しようとして、今のような奇妙な地下城郭となったのだと思われる。
能は室町時代から武家社会に守られ発展してきた芸能で、江戸時代には幕府の公的な儀式で演じられる式楽として定着した。だからこそ為助は能楽堂の存在だけは外せなかった。
「芸能とは時に権威の象徴ともなりますからね、今だって有名芸能人に会ったら凄いとか言われる事がありますから」
「ナツハとコラボしたいっていう人も多いけど、それも一種の権威を求めてるって事なんすかね」
警戒を強めて4人で見回り、能楽堂には非常に強い何らかの念が籠っている事が確認できた。
広間になっている観覧席、演者が出入りする通路である橋掛かり、鏡の間という演者が舞台の最終的な身支度をする舞台袖、白洲や本舞台、後座などの舞台上なども調べて行く。
どこを調べても酷い霊状態だ、ここまで来るとジャミングを受けているに等しいレベルである。
それでも陽呪術の効果もあるから全員の霊能力は向上しており、どうにか調べられるくらいにはやれている。もし陽呪術が無かったら調べる事は不可能だっただろう。
そんな中でアリエルの動きが止まり、最大限に注意と警戒を払って舞台を見始めた。4人の位置は今は広間の観覧床である。
「アリエル、どうした? なにか見つけた?」
灰川がアリエルの雰囲気の変化に気づいて声を掛ける、能楽堂を調べてから表情の真剣さが上がったような気がしたのだ。
「…ハイカワ、隊長さん、富川プロデューサー、先に行って下さい…。ここはボクが引き受けます…」
「なに言って…、…っ!? タナカさん!サイトウさん! 舞台に誰か居ます!」
能舞台の上にいつの間にか誰かが立っていた。警戒していたのにタナカですら気付けなかったところを見ると、一瞬で現れたのだと思われる。
着物を着て髷を結い、腰には大小の日本刀、体格は大きく筋肉質なのが着物の上からでも見て取れる。
霊力とか悪念を抜きにしても明らかに人間じゃない、それは4人の誰が見ても即座に分かった。
彼の顔は真っ黒な闇だったからだ。
「アレは強いですね…私では正面からは太刀打ちできそうにないです…っ」
「霊状態が酷過ぎて出現時の霊力の乱れが即座に察知できなかったかっ…ここは俺とサイトウにはキツイフィールドだな…」
そう言った直後にタナカとサイトウが自動小銃を一瞬で構え、迷わず舞台上の怪存在に発砲した。恐らくはタナカとサイトウの間で見えないやり取りがあったのだろう。
ズガガガガガッ!!という轟音が響き、灰川の霊力が込められた銃弾が舞台上に撃ち込まれる。
「誠治!アリエル!! すぐに退避しろ!!」
「フルオートだ! 避けられまい!!」
問答無用で発砲、それを決断させるだけの悪念が、今のアイツからは感じられる。タナカは銃を撃ちながら銃声に負けない程の声で後ろの2人に退避を言い付ける。
灰川はアリエルを寄せて後ろに下がり、銃撃を邪魔しない位置でサポートをしようと思ったのだが。
「っっ!! 来るぞ! 弾は当たった筈だ!効果が薄いのかっ!?」
タナカとサイトウがアサルトライフルはどちらも30発装填の物だが銃や使用弾の種類は違い、タナカが込めていた銃弾は破壊殺傷力重視の12,7㎜国際規格弾、サイトウは一般的な自動小銃弾の7,62㎜国際規格弾だ。
どちらの弾丸も命中した、しかし効果を与えられなかった。
これ程に悪念や負の霊気が満ちている状況では悪霊体の回復が早く、銃のような火器だと負傷させる面積が狭く効果が薄いのだ。
ならばグレネードかとタナカは一瞬だけ思うが、こちらを補足されている状況では使えない。こちらが爆風回避のために退避したら追って来るのは目に見えている。
「っ……!」
「サイトウっ!!」
弾切れを起こしても装填の時間など与えてもらえない、闇顔の武士は瞬時に間合いを詰められサイトウに向かって刀を抜く。
斬られる、防ぎようが無い、霊耐性を上げたボディアーマーを装備しているが、生身部分を狙われたら、サイトウの霊力では最高まで陽呪術で耐性を上げても斬られる。
そもそも実体存在怪異だ、霊耐性を貫通して生身に殺傷能力を発揮する、アサルトライフルで防御を、間に合わない……そんな思考のような物がサイトウに流れた時だった。
ガキィィンっっ!!
地下能楽堂に金属音が響き、サイトウに向かい来る刀が止められた。
「逃げて! ダーク・ナイト! ボクが相手だ!!」
「アリエルさんっ!?」
サイトウに向かった刀を止めたのはアリエルだった、白く美しい聖剣を抜き放ち、怪存在の禍々しい妖気を発するかのような刀を正面から受け止めていた。
灰川はアリエルを能楽堂から連れ出そうとしたのだが、聖剣の加護を発動したアリエルは目にも止まらぬ速さでサイトウの前に躍り出て守ったのだ。
その速さは恐るべきもので灰川の身体能力では追い付けるはずもなく、気が付いたらアリエルが消えていたという認識しか持てなかった。
だが問題は一気にやって来る、次はタナカが叫んだ。
「階段付近上方! 忍者!! 手裏剣、吹き矢などの飛び道具に注意!!」
「っ!! 灰川さん! 伏せて!」
弾切れ状態のアサルトライフルを引っ込めて瞬時にハンドガンを抜き、階段口の天井から顔だけ出している忍者と思われる者に2人が発砲した。
さっきは忍者の姿を見れなかったが、今回は認識できた。やはり顔が真っ黒な闇だ。
今回は攻撃される前に先制して銃撃を加えたため手裏剣は飛んで来なかった、しかし即座に引っ込まれて姿を見失う。
「誠治!サイトウ! 俺は忍者を追う! ここはサイトウとお前たちでどうにか~…!」
「サイトウさんも行って下さい! ここは俺とアリエルが受け持ちます! タナカさん達の武器だと近接戦は不利です!」
「しかし灰川さん! アリエルさんと灰川さんだけではっ!」
「忍者は1人じゃありません! 最低でも2人居ます!さっきの奴の気配とは違いがありました!! タナカさん達も気付いてるでしょう!」
灰川は感知能力は低いが、最大限に集中した状態ならそれなりの感知力は発揮する。しかも今は陽呪術を自身にも掛けて集中力は上がっているのだ。
忍者は1人ではなく、最低でも2人である事が分かった。そこにタナカ1人で向かわせたら勝率は格段に下がる、人数のアドバンテージは簡単には埋まらない。
今は無線も通じない程に屋敷城内の霊気も乱れている、上に置いてきたサイトウの浄霊ライトも破壊されている可能性が高い。
「能楽堂には結界を張りました! 忍者は入って来れないでしょうが、あの武士は即席結界じゃ留められないっす! 俺とアリエルでどうにかします!」
「分かった! 任せるぞ誠治!アリエル! 俺達は必ず忍者を倒してくる!」
「武士を倒しても先には進まないで下さい!援軍にも来ないで下さい、相手は暗殺者です! 灰川さんとアリエルさんでは分が悪いかもしれません!」
結界を張ったなら先に進んでも大丈夫か?、それはない。図面に記されていない道から追って来られるかも知れない。
アリエルの加護や灰川の霊力があれば大丈夫?、それもない。人を殺すなど直接的な危害の他にも方法などあり、罠や毒の使用、事故の誘発、その他にも様々に存在する。
灰川とアリエルに全てを防げる保証はなく、しかも2度の補足によってアリエルと灰川は『普通じゃない』と分かられている可能性が高い。
普通じゃない奴にはそれなりの対処法がある、精神的に追い詰めて行動や戦闘力を乱したり、認識や思考のミスを誘発して自分から落ちるように仕向けたりなどだ。
そういった事をしてくる怪存在は日本に多く、それこそが『陰湿、粘着質、暗い』というような特徴である。
現実でもイジメなどは被害者を孤立させて精神的に追い詰めたり、根も葉もない悪い噂を流して被害者の評判を下げたり、そういった日本的な負のイメージの嫌な精神がオカルトにも反映されているのかも知れない。
タナカとサイトウは階段を上がって忍者を追い、灰川はすぐにアリエルの方に向き直る。今のアリエルは武士と距離を取り、間合いが開いている。
「アリエル!2人でやるぞ! あのサムライ怪異は強い! 俺が前に出る!」
「ダメだ! ハイカワだと術を使っても当てられない! ボクが引き受ける!」
勝てる保証が無いだろう!と灰川が言おうとしたが、その言葉は言えなかった。武士が間合いを詰めようとしたのだ。
アリエルはそれを見逃さず、武士が間合いを詰めようとした時に自分もほんの少しだけ前に出て動きを牽制する。
確かに灰川だと術を当てられない、灰川の術の展開は早いのだが、あの存在は必ず見切るだろう。
そうなればアリエルに前衛をやらせて敵の隙を作らせ、灰川がそこに祓いの術や念縛を行うのが良いように見える。今の状態だと広範囲念縛は効果が薄そうだ、奴はヴァンパイアのような油断が無い。
だが、その策はアリエルが敵の剣を捌けるという前提の上で成り立つ策であり、下手を打てばアリエルが斬られるという可能性だってあるのだ。
もちろんアリエルが無傷で聖剣の一撃を与えて勝利する可能性もある、しかし……アリエルの剣の技量が敵より高いかは未知数だ。
防御の陽呪術だって最高度に掛けているが、やはり実体存在型であり、刀を体に受けたらケガは免れないし、死亡する可能性だってある。
聖剣の加護は絶対じゃない、敵の攻撃が外れるとも限らないし、戦闘時のような力の消耗が激しい場合は戦闘が長引くにつれて、加護の力が薄れる可能性が高いと灰川は睨んだ。
その証拠にファースには100%の充填をしていたのに、抜いてから30秒もしない内にエネルギーが数%も消耗している。
アリエルから相手の強さによっても模造聖剣の消耗度は変わると聞いており、あの武士は凄まじい強さを持っているという事だ。
「ハイカワっ!ボクのことは心配しないで! 1人でも勝つのが聖剣の担い手なんだ!」
「バカ言うな! そいつが強いのは見て取れる!」
アリエルは返答をしなかった、既に戦いの緊張感は最高度に高まり、灰川の言葉が耳に入っていない。
アリエルは腹を決めてしまっており、何が何でも勝とうと集中している。放って置けば1万人を超える水害の犠牲が出るかもしれないのだ、負ける訳にはいかない。
もはやアリエルは退かない、その様子を見て灰川がアリエルに考えを合わせる事にした。
この状況では冷静に考えている暇はない、まずは勝って切り抜ける事が先決だ。それに最も適した行動はアリエルのサポートだと判断したのだ。
灰川では聖剣の加護を発動したアリエルのフィジカルには合わせられない、だが体や動きを合わせる以外にも出来る事はある。
陽呪術・霊攻鎧装を最大で自分とアリエルに重ね掛けし、その上で灰川も普段は使わない術を発動する。




