277話 仕事話を長々と
作中で出て来る各種の数字は現実と違うものがほとんどです。
作中冒頭では世界のVtuber人口は18万人となっていますが、現実だと6万人くらいだそうです。
作中に出て来る様々な数字はフィクションです。
現在の全世界のVtuber人数は18万人とまで言われ、多くの者たちがネットの世界で自分の存在を示している。
一方で芸能人は日本国内でタレントバンクに3万名を超える人達が登録され、灰川事務所に所属する者達も近々に芸名が載る可能性が高い。
「じゃあ前園さん、会議に行って来ますんでお願いします」
「はい、明美原さんからの連絡が来たら仕事の要望を聞いておきます」
灰川が休んでる間に状況は動いており、佳那美とアリエルの仕事や、朋絵の案件依頼、砂遊の準備の話などが花田社長の手によって一気に進めてもらえていた。
状況は他にも動いており、テレビ番組の影響によって2社の出演者たちの視聴者登録が伸び、話題性が色々な形で上がっていたりもしてる。
「では3社による合同会議を始めます、最初は報告からしていきましょう」
この会議はシャイニングゲートとハッピーリレーの社長と幹部社員が出席し、そこに灰川も加わるという形だ。
場所はシャイニングゲート事務所の会議室で、開始は午後2時からである。
会議参加者は8名で、シャイニングゲートからは渡辺社長と役員3名、ハッピーリレーは花田社長と運営社員2名、そして灰川である。
社員数が400名近いシャイニングゲートはもっと参加者を増やすべきなのかもしれないが、実際に会社を大きく動かしてるのは会議参加者である4人だそうで、この人数である。
ハッピーリレーの現在の社員数は50名ほどで、配信部門を運営する人数は20名も居ないので3人で充分だそうだ。
「そろそろ上半期も終わりに近づいて来ましたので、各社で中間決算の予測も付き始めてる頃かと~~……」
シャイニングゲートは上場企業のため利益算出やキャッシュフロー計算は厳密に行っており、それらは経営戦略などを練る方面にも大きく活かされてる。
シャイニングゲートの幹部社員が会議資料を読み上げ、今日の会議における空気感や方向性を固めていく。
「すみませんが、ハッピーリレーは中間決算などはそれほど厳密ではなく~~……」
ハッピーリレーは上場企業ではないので中間決算は法律的には必要なく、シャイニングゲート程には厳密に行っていない。
しかし経営状況を正しく把握するのに大事で、融資先の銀行から提出を求められる場合もあるので、的確な経営数字を出せるくらいには算出している。
負債などもあるのだが、花田社長は負債を上手く活用して節税したりもしており、経営上の数字は事実ではあれど裏を持たせる老獪な資金戦略も行っている。
「ユニティブ興行さんは中間決算はどのようになっているでしょうか? 立ち上げから時間は経過してないと思われますが、教えて頂けるとありがたいです」
「えっ…? そ、それはぁ…そのですね」
シャイニングゲートの役員から問われるが、灰川は中間決算とか利益や損益の正式な計算とかもよく分かっておらず、ただ出た金と入った金を言われるがままに付けてるだけの状態だった。
「えっと…2社からもらってる金が経費含まず合わせて月に30万くらいで、そこから税金を引いて…あと薔薇咲さんから8000円もらって~~……」
頭の中で大体の計算をしていくが、まるで正確ではない計算だ。オカルト依頼の収入は低く、後は2社の雑用仕事で定額を受け取ってたような形で、自営業の収入としては高いとは言えない数字だ。
「栗同事業部長、ユニティブ興行さんは新興事務所なので、そういった事は後々にお聞きするという方向でお願いします」
「すいません、分かりました。というか初めまして灰川さん、シャイニングゲート・オンライン事業部長の栗同です。お噂はかねがね聞いております」
「えっ、前にお会いしましたよ。Vフェスの時に購買部門のヘルプに行った時です」
「そうでしたか!? これはすいませんっ」
シャイニングゲートには技術部や営業部、配信企画部など様々な部署があるが、それらを束ねる人物が栗同オンライン事業部長だ。これは本部長に当たる役職で、幹部と職員を繋ぐ役目がある役職でもある。
全ての部門に指示を出して仕事をチェックし、マネージャーや配信動画ディレクターなどにも運営の意向を細かに伝える役目もあり、所属者への風当たりなども栗同が左右してる部分も大きい。
栗同は30代中頃くらいの人物でビジネスマンとしては若い部類、しかしネット関係の技術から各所への伝手も強く、会社からも所属者からも頼りにされている人物である。
どうやらVフェスの辺りは灰川の事をよく知らなかったらしく、以前に会った事を忘れていたらしい。あの時はバタバタしてたから仕方ない。
「シャイニングゲートの中間決算での総売上の数値は当初の予想より上回る見込みが高いです、前年比で16%増の数値が予想され、業績は好調です」
「中間で総売上が120億、営業利益が13億、イベント費用やグッズ展開費用が少し掛かりすぎだな…技術開発と手回し費用も少し抑えたい所だけど」
「アカデミーの運営費用は予想より抑えられてるので、今後のデビュー者の収益によっては~~……」
売上高とか営業利益とか純利益とかは、それぞれ違った意味のある利益計算方式で、最終的には純利益というものが会社が1年間の一会計期間において生み出した最終的な利益という事になる。
シャイニングゲートは全ての費用や税金を加味した純利益はかなり低くなるが、それは技術開発や運営費用を守りではなく攻めに使っているからだ。
もちろん税金対策なども込みであるが、税金対策はやり過ぎれば株価などにも影響してしまうし、税務署から目を付けられる。
だが現在は灰川の後ろ盾の大口株主の存在のおかげで株価下落の可能性が低くなり、税務署にも目を付けられにくい立場になれたため、節税も去年より強気にやれている。
やはり凄い利益だし、配信企業ナンバーワンの強さは伊達じゃない。
「マーチャンダイジングも上手く行ってます、営業売り上げを見るに市場のニーズにしっかり応えられてる証拠ですよ」
「でも中位から下位の所属者の収益の底上げは必要ですね」
マーチャンダイジングとは、適切な商品を、適切な数量で、適切な価格で、適切な時期に、適切な場所に出すという商業戦略の事で、商売の基本とも言えるものだ。
だが、これこそが難しく、これが簡単に出来たら商売は苦労しない。これが上手く行かないから会社は苦しむし、これが上手く行かず廃業した企業なんて幾らでもある。
「ハッピーリレーさんは2年前は赤字だったようですが、今は利益が上がってるようで」
「まだ予断を許さない状況ではありますが、今年度に入ってからは順調に事が運んでいます。純利益は2億円を超える見込みも出て来ました」
「当社は最近は良い条件の動画制作仕事が舞い込んでますので、そちらの方の利益が高い状態です」
ハッピーリレーは以前は業界5位という位置付けだったが、今は利益だけを見た企業順位では更に落ちてるという見方が強い。それでも業界内では強い看板である事には変わりない。
「三ツ橋エリスや北川ミナミといった所属者以外にも伸びてるVが出始めていますし、破幡木ツバサの登録者も伸びています」
「ですが会社の立て直しに時間が掛かってしまったので、中途予想よりは伸びていない現状もあります」
今はVtuber事務所や配信者事務所が増えており、登録者や利益の牌の奪い合いが過熱している状況だ。
もはやVtuber業界の戦いは過熱を極め、短期で倒産や撤退する事務所や、運営資金がショートしてしまう企業、人間関係で崩壊する事務所なども後を絶たない状態になっている。
その中で高水準の利益を上げ続けるのは簡単な事ではなく、今後はどうしていくかとか、番組にもっと力を入れるべきとか、他のネット動画サービスにも更に打って出るべきとか、様々な案がやり取りされる。
Vtuberでドラマを作って動画サブプライムサイトに載せる、イベントを増やして話題性を上げる、他社コラボ、企画配信を増やす、所属者の活動への自由度を上げる。
そういったアイデアを、どのような形で行い、どのように利益に結び付けるか、どのようなデメリットがあるかとか、様々に話し合われていた。
人気商売とは水物だ、看板に胡坐をかいていたら簡単に抜かれてしまう。そういう危機感も経営陣は現実的な物として感じている雰囲気が伝わって来る。
その中で灰川は話に付いて行けず黙ったままで、とてもじゃないが自分の手に負えないと感じ始めていた。どの人も灰川よりよっぽど優秀だ。
「マイナスの事にも対処を考えないとですね、ちょっとバカに出来ない損失も出て来そうな感じがするので」
「your-tubeのメンバーシップ限定配信とかを無料で見れてしまうアプリですよね、あとデマの拡散でのイメージダウンなども」
「所属者の引き抜き問題もありますし、卒業したいと言う人も増える可能性があるし、どうするべきか…」
商売というものは様々な壁もあり、その中には売上や利益に直結する問題も少なくない。
最近ではメンバーシップ配信や限定壁紙イラストなどを、メンバーシップに加入しないで見れたりダウンロード出来てしまうアプリケーションが出て来た。
動画サイトやメンバーシップサイト側も対策には乗り出しているが、ハッカーや裏プログラマーなどの技術力は高く、対策しても次から次へ対策返しされてしまってる。
しかもそのアプリはご丁寧にログ消去VPN機能が付いており、海外サーバーを経由してるため視聴者の特定は事実上不可能だ。しかもログが残らないから追う事すら出来ない。
見せしめのための開示請求が通ったとしても相手不明と返って来るだけだし、一件につき数十万円の費用と長い時間が無駄になるだけだ。
しかも企業が開示請求とかをするのはイメージダウンに繋がる可能性も高く、リスクは高いが利益は出ないので会社にとっては無駄しかない。
所属者を引き抜こうという動きも過熱しており、特にシャイニングゲートは狙われる傾向にある。過去には何名か引き抜かれた事もあり、会社としては契約内容や給与条件などの更なる見直しを検討している。
卒業して個人勢に転向する事を考えてる者も居るし、抱えている問題は割と多いのだ。
他にもサイバー攻撃や情報漏洩、個人特定の危険、暴露系や突撃系your-tuberに狙われる者が居るとか、ライバル企業の工作など、数えたらキリがない。
「灰川さんは何か意見などはありますか? もしくは何か言っておきたい事とかがあれば」
「えっ、自分ですか?」
ここまで黙りっぱなしだった灰川に渡辺社長が矛先を向ける、あまりに黙ってるものだから指名しないと何も喋らないと思ったのだろう。
渡辺社長は普段は優秀なビジネスマンの好青年という感じだが、仕事に対しては人一倍に真面目であり、会議などで黙ってる人には指名して案を引き出すなんて事も嫌味なくやれる人だ。
「あ、そういえば俺……私の事務所に幾つかの仕事の相談が舞い込んでまして」
あまりに喋らない物だから会議参加者には白い目で見られ始めていたが、こうなると話さない訳にはいかない。
会議で喋るとか緊張するし、そもそも内容に着いて行けてないから後で社長達に話そうと思ってた事を口に出す。
「広告代理店のルーツKIYさんから費用は向こう持ちで、京都に新規オープンする大きいイベント会場で、話題作りのためにVtuberイベントを開きたいという相談が来ました。利益配分については相談したいと言われてます」
「えっ?」
「あと映画配給会社の寛映ピクチャーから、Vtuberの映画を作れないか検討して欲しいと、ここに来る前に電話が来ました」
「ほ、本当かい?」
「それとユニティブ興行からは実原エイミと織音リエルのドラマの出演、キッズモデルの仕事などが多数取れました。CM仕事は収入が良いみたいなので全て受けるつもりです」
「おおっ、おめでとう灰川所長!」
「立ち上げてすぐにそんな仕事が来るんだ…」
「他にも報告はあるんですが、全部は覚えてないので後で送っておきます」
「かなり好条件の仕事か大きな仕事ばっかりだな……先に言って欲しかった」
灰川の事務所に来る依頼は後ろ盾の強さもあり、足元を見るような案件や安く使い捨てようという依頼は来ていない。
そもそも事務所の存在が四楓院を通した一部にしか広まっておらず、その一部が大きな看板の企業という感じである。だから2社は灰川事務所から回って来る仕事を優先的に取りたいという事情があるのだ。
だが事務所を明かさず活動を開始してる朋絵には、DMなどで出会い目的の配信者やVからコラボ配信の打診が来たり、怪しい会社から『案件をやるから言いなりになれ』などのメッセージが来たりしている。
もちろん全て無視して何も返事しないでくれと言ってあり、朋絵もこういう事には慣れてるから無視している状態だ。
流石は最盛期は登録者80万人超えを誇ったVで、朋絵こと手風クーチェはデビューから間もないのに登録者が今は7000人を超えている。
その後も会議で色々な事を話し合い、シャイニングゲートの事務所移転の話や、ハッピーリレーの男性配信者などの今後の方針などを話し合っていった。
海外展開の話、国内での更なる存在感のアピール、今後の有力ファンの獲得方針、ハッピーリレーの看板の上げ方、今まで灰川が聞いて来なかった話ばかりだ。
会議内容の中には生々しい金の話や、ファンには聞かせたくない裏の話なども多く含まれ、灰川は前より深い形で2社に関わるようになっている。
会議が終わり、灰川はシャイニングゲートの廊下で花田社長と渡辺社長を呼び止め、先日に発生した危険グループ事件の内容を話せる範囲で伝えた。
「…なるほど、そういう事があったのか……、灰川君が無事で何よりだ」
「麻薬を使ったり、脅迫して言いなりにさせたりか……殺人の隠蔽まで……」
「聞いた話だとシャイニングゲートを狙っていたとも言ったそうです、職員を脅したり家族に拷問したりとかして情報を抜こうとしてたとか」
警察内部にも内通者が入り込んでおり、今は水面下で各方面に解決の手を伸ばしている状態だ。
既に半数以上の構成員が精神病院に措置入院という名目で拘束され尋問を受けているが、何処からかその動きを止めさせるような横槍が入ったりしており、なんだかキナ臭さが増している。
幹部なども捕まっており、解決は時間の問題である可能性が高い事も伝えておく。しかし黒幕は今も判明しないままだ。
「そんな奴らに所属者が拉致されたなら、何されるか分かったものじゃない…怖すぎる連中だっ…」
「実際に配信事務所が狙われて行方不明になってる人も居ます、自分たちも危なかったかもしれません」
強制的に麻薬を打たれても有罪になる事はあるし、もしそうなったら被害者になってしまった者の人生は終わりだ。どれだけ人気があろうと失墜は免れない。
連中は殺人をする際の多くは、財産も尊厳も全てを奪って奴隷にした者に殺人のトドメを刺させ、その場面も映像に撮り、自分たちは『殺しはやってない』という名目も立たせていた。
デスゲーム染みた事をさせる際も自分たちは殺してないから無罪、勝手に着いてきた奴らが勝手に殺し合いを始めたという名目を立たせてる。
普通ならそれで不起訴とかになったりしないが、弁護士の手腕によっては暴行罪で済まされる可能性もあるし、犯罪を強制された被害者の方が死刑になる事もあり得る。
罪は証拠が無ければ裁かれないが、逆に言えば証拠さえあるならどんな事情があっても罪は裁かれる。
今は各所で危険グループ構成員の処分を考えてる最中であり、連中の捕縛劇は続いている状態だ。
「職員の皆さんや所属者の人達に危険への対処と、一層の人間関係への注意を払うようアナウンスしてくれると助かります」
「分かったよ灰川さん…名前が売れれば危ない奴らも近寄って来るからね、前にも暴力団が脅しをかけて来た事があったんだ」
「ハッピーリレーの方でも注意しておこう、変に近寄って来る奴には注意しろとも言っておく」
これからという時に恐ろしいトラブルに見舞われるのはゴメンだ、有名になれば狙われる可能性も上がって来るし、手口は巧妙かつ表に出しにくい手段になるのだろう。
金や権力がある場所には黒い話が付き物だ、その中には想像を絶する話が幾らでもあり、表になってないだけで恐ろしい話は多くある。
社長達も過去にそういった事に巻き込まれたり、怪しい奴らが近寄って来たりした事があったらしい。
こういう奴らは法の抜け道を縫うように人に危害を与え、黒幕や幹部には罪が及ばないよう対策してる事が多い。
蛇のように狡猾で、悪魔のように残忍で、自分たちさえ良ければ誰を地獄に落とそうが笑って居られるし、悪事で稼いだ金や他者から搾り取った金で高級ステーキを喰いながら高級な酒を楽しむ。
こういった連中を利用する者達も問題だ、人に言えない様々な頼みをこういう連中にやらせ、金を与えて肥え太らせる。
「この件では色んな所が動いて完全解決するつもりだと聞きました、麻薬漬けにされて海外に売り飛ばされた配信者や児童なんかも、生きていれば手を回すそうです」
「もう滅茶苦茶だ…まさしく無法者じゃないか…!」
今回の事を非常に強く問題視している者も四楓院や国の関係者に多く、場合によっては民主主義と法治すら揺るがしかねない案件だと見ている者も居た。
極論を言ってしまえば、暴力や犯罪が許される存在が出来てしまうと『殺されたくなかったら銀座の一等地を100円で売れ』『お前の金は今日から俺の物だ』なんて事がまかり通ってしまうようになる。
そうなれば法律は意味を成さず、稼いだ財産は暴力を平気で振るえる者に奪われ、富裕層だけが腹を肥やせる環境になってしまう。
そういった国は世界にも歴史にも実際にあり、結果としてギャングに政治の実権を握られた国、軍隊が市民の財産を平気で奪うようになった国などがある。
これらの構図と似たものが仏教における『賽の河原』で、弱者が積み上げた物を鬼が崩して笑うというものだ。
国が賽の河原にならないよう政治家は勤め、そんな国にしようとする者が現れたら排除する、その義務を果たそうとしてる者達が水面下で動き始めている。
良い行いは長続きしない者が多いのに、悪い行いは多くの人がクセになる。
良い行いだけでは精神がストレスでいっぱいになるが、悪い行いだけだと精神が破綻する。やはり中庸の心が大事なのだろうが、人間とはままならないものだ。
会議の帰りは灰川がハッピーリレーの車を運転して幹部職員も載せて事務所方面に向かっていく。
「シャイニングゲートのマーケティングはやはり凄いな、ターゲット層を深く分析して、興味が薄い層へのアプローチもしっかり考えている」
「我々も今は正確なマーケティングもやっていますが、なかなか思うようには行きませんね」
「数字を持ってるエリスさんやミナミさんは別だけど、全体の所属者の数字はVフェスの後は微増に留まってますし」
車の中での話題は先程の会議で話し合った事や、シャイニングゲートの商業戦略の高さについての事だった。やはり業界ナンバーワン企業と今のハッピーリレーでは、経済面以外でも大きな差がある事が以前より浮き彫りになった。
ハッピーリレーは今は社風が緩く、所属者の自主性に任せた配信や動画投稿をしている配信企業だ。
しかしそのやり方では今は通用しなくなってきており、動画や映像制作業は順調なのだが配信業においては数字が伸び悩んでいた。
番組にレギュラー出演しているエリスとミナミ、準レギュラーのツバサは数字が伸びて来ているが、その他の所属者は軒並み苦戦しているのが現状だ。
「動画制作業と配信管理業を分業して別会社にするという案も、本当に考えなきゃかもですね」
「そうだな、現状では灰川君の伝手も完全には活かし辛いからな」
ハッピーリレーが伸び悩む大きな要因の一つに、スタッフの不足がある。
今は外部からの仕事をこなす映像制作スタッフが多く、配信部門の運営スタッフは15名前後、しかも動画製作スタッフを兼任している者も居る。
それなのに所属配信者やVtuberは100名を超える人数であり、Vtuberは60名を超えている。
所属してるだけで、そこまで本気で活動していない者も多く、運営のハッピーリレーも各自の活動にはあまり関与しないので、この体制でやって来れていた。
つまりハッピーリレーは『良くも悪くも放任主義』という感じで、この構図は多数の芸能人を抱える大手の芸能事務所をモデルにした形である。ビジネスモデルの事務所は所属者数は7000人で、社員は900人という割合である。
宣伝依頼が来た時などはハッピーリレーが話を付け、所属者に安全に仕事を請け負わせたり。何処で何時、何をすれば良い等の話も事務所が付けてサポートするというものだ。
しかし最近は灰川の影響もあって依頼が増えて来ており、配信運営のスタッフが明らかに足りない状況になって来た。
「我々の今後も本気で考えて行かんとな、ただスタッフ募集も簡単には行かんのが悩みどころだな…」
「頑張って下さい花田社長、今なら募集すれば良い感じの人が来ますって」
「灰川君、そう言うのは良いが君の事務所も他人事ではないぞ? 今より所属者を増やすのなら、スタッフの拡充は絶対に必要になるのだからな」
「そ、そうっすよねっ、へへへ…」
灰川のユニティブ興行も名が上がれば所属希望者とかが来るかも知れない。それを考えるのは早いかもしれないが、事業環境がこの上ない程に良いから考えておく必要はあるだろう。
今は流行もビジネストレンドも移り変わりが激しい時代、そこに置いて行かれないよう各種の業界は必死である。
灰川は自分の事務所に戻って業務に戻ろうとしたが、ハッピーリレーに立ち寄った際に佳那美とアリエルに遭遇した。
「あっ、ハイカワだっ!」
「こんにちは灰川さんっ! 明日はよろしくおねがいしますっ、えへへっ」
「お疲れさま、佳那美ちゃん、アリエル。明日はフォトモデルの仕事、頑張って成功させようなっ」
2人は学校が終わった後にハッピーリレーに来て芸能レッスンをしており、今日も良い汗をかいて芸能修練に励んでいるようだ。
しかもアリエルに至ってはアパートに帰った時には剣術の修練もするし、霊能学や日本のオカルトについても灰川から学んでいるという、毎日が努力でいっぱいの日々を過ごしている。
だが佳那美もアリエルも日々を楽しんでおり、疲れるけれども笑顔もいっぱいの生活を送れていた。
遂に明日は2人の初仕事の日であり、子供向けブランド衣服の紹介もあるカルチャー雑誌『アグリット』の、表紙&巻頭ファッション特集のキッズモデルとしての仕事が入っている。
この雑誌はそこまで有名ではないのだが、長らく刊行してる歴史ある雑誌で若者から中年代にかけての購読者が多い。
内容はファッションや音楽、映画やドラマや各種の趣味など多彩で、特定のカルチャーに拘らないスタイルの雑誌だ。
「仕事内容はアグリットの表紙モデルと巻頭ファッションモデル、他のモデルさんとも会うかもしれないから失礼の無いようにね」
「うんっ! スタッフさん全員に挨拶して、共演者さんとかにも挨拶だよねっ、楽しみだねアーちゃん!」
「ボクも楽しみだよカナミっ、どんな風に撮影してもらえるんだろうねっ? くふふっ」
明日の初仕事への気力も2人は充分だ、この調子なら多少の撮り直しとかがあってもメンタルに影響は無さそうに思える。
佳那美とアリエルにはOBTテレビでの一件が大きな効果があったようで、まだ名前が売れてないのに仕事の依頼がどんどん入って来ている。
OBTテレビで2人は有力プロデューサーやディレクター、芸能関係者の前で非常に素晴らしい演技やダンスを披露する機会に恵まれた。あれが無かったらこれ程の仕事など来なかったかもしれない。
社長の2人から芸能関係の仕事の請負は素早く明確にと教えられ、チャンスは逃さず活かすという動きが大事だと教えられた。
未熟だろうが何だろうが良い仕事は受けて名前を広げ、演者には場数を踏ませて慣れさせるのが一番だと聞いた。それもあって、とにかく佳那美とアリエルの仕事は率先して受ける方針となったのだ。
普通は新興の芸能事務所や新人役者なんて、必死でオーディションに行ったり頭を下げたりして仕事を取ると花田社長から聞かされた。それをしなくて済むのは有難い事だと灰川は強く感じる。
「明日の仕事は富川Pが紹介してくれた仕事だから、今度に会ったらお礼を言いに行こうな」
「うん!」
「分かったよハイカワっ」
明日の仕事はいわば慣らし仕事であり、2人に芸能関係の仕事を体験させて雰囲気に慣れてもらうという意味合いがある仕事だ。
それにしては15万部発行のカルチャー雑誌の表紙モデルという、最初から優遇が凄い仕事であり、業界有力者のパワーというのは強いのだと灰川は実感させられている。
世の中に溢れる各種の雑誌や番組や動画、それらは多くの人が関わって仕事として成立している。
雑誌という媒体一つ取っても、週刊、月間、季刊、その他、全てを含めれば3000冊くらいが発行されており、その一つ一つに違った表紙や内容があるのだ。
芸能や娯楽といったサブカルチャーは深く広く、とても一言や二言では語る事が出来ない世界だと灰川は最近になって思い知らされた。
「あ、そうだハイカワ、今度にボクの実家のファミリーが話したいって言ってたから、時間を作ってくれたら嬉しいなっ」
「私は明日はお母さんが着いて来れるか分かんなくなっちゃったって言ってたから、行けなかったら連絡するって言ってたよ」
「アリエルの家族と話?、前みたいな感じか。佳那美ちゃんのお母さんからは連絡が来たよ、初仕事だから一緒に来れると良いんだけどね」
未成年者や子役などの所属者を有する事務所は、両親とのやり取りも密接にしろと社長達から教わっている。それに倣って灰川も佳那美の両親とは密にやり取りをするようになっていた。
事務所の仕事は灰川が思っていたより多く、所属者の名称の商標登録を本人にさせたり、仕事契約に関する事を教えてもらったり、税務書類や契約書類などを作ったり、大変さが上昇している。
灰川は佳那美とアリエルにレッスンを頑張るよう伝え、自分の事務所に戻る。既に夕方に差し掛かってるが、まだ仕事が残ってる状態だ。
「ただいまです、前園さん、藤枝さん」
「おかえりなさい所長」
「……ぇっと…、おかえり……です…」
事務所では前園と藤枝が業務に当たってくれており、事務作業や計算作業、打ち込み作業をやってくれていた。
まだ発足して日も経ってないし、依頼収入なども現在はないため作業仕事は少ない。それでも1人では手が回らない状況になってるため凄く助かる。
「会議ではどういった話をしたんですか?」
「詳しい内容は言えないんですけど、現在の3社の利益や損益の話、今後の活動方針とかって感じです。攻めの姿勢を崩さないようにって方針でしたよ」
何かが大きく決まった訳ではなく、経営状況や各社の方針確認みたいな会議内容だった。
だが必要のない無駄会議だった訳ではなく、各社の現状の見直しなどを図るために必要な詳しい情報を得る場でもあったのだ。
今は3社の中で圧倒的にシャイニングゲートが先んじており、本格的に配信業務での提携をするにはハッピーリレーはともかく、ユニティブ興行では看板力が足りな過ぎる。
「あと幾つかの事務所が株式上場するかもという話が出てました。サワヤカ男子とかタレント配信者事務所のプルームスとか」
「そうですか、このユニティブ興行もそんな事務所になれると良いですね」
「そこまで考えて無いですって、今ですらヒーヒー言ってるのに」
灰川は慣れない業務で頭をいっぱいに回す日々だが、いつしか花田社長に言われたように本人の気質はサポート向きのようで、意外と現状をこなしている。
前園は優秀で頼りになるし、窓口業務から事務作業をそつなくこなしてくれる。仕事依頼が来た時も文書を整理した上で、灰川に分かりやすく伝えてくれるので凄く助かる。
藤枝もアルバイトで何回か事務所に来て業務をしており、打ち込み作業などは素早くミスも少なく出来る事が分かった。
「…やること……いっぱい、ですね…」
「だよね~藤枝さん、頼りにさせてね本当に。打ち込み作業やってくれるのってマジで助かるんだから」
「……えっと……うん…」
珍しく藤枝が口を開くが、やはり会話が続かない。藤枝のコミュニケーション能力の向上は時間が掛かりそうだ。
「何からやっていけば良いのか迷いますけど、とりあえずは明日のフォト撮影を成功させて下さいね所長」
「そうですね、最初の仕事から転んでられませんもんねっ、明日はしっかり佳那美ちゃんとアリエルをサポートして来ますよ」
事業なんてイザ始めたら問題や想像して無かった事態や忙しさに見舞われるもので、灰川も例外なくその洗礼を受けている。
佳那美の母からは出来る限り大きな仕事が希望で、仕事によっては学校を休ませる考えもあると示された。
渋谷東南小学校は土地柄か芸能活動をしている児童も多いようで、そういった子達は学校を普通に休んで仕事に行ったりするそうなのだ。
佳那美は歌も演技もダンスもしっかりしており、当初は役者活動を強く視野に入れていたそうなのだが、今は母も本人もどう進めば良いのか悩んでいる。
初対面の時は佳那美の母にボロクソに言われたが、今は灰川を認めてくれていて頼りにされていた。
佳那美の父は娘の芸能活動においては本人の意思を第一にしたいと言っており、灰川とは芸能活動面で何かを話す事は少ない。
アリエルは両親や家族からは日本での芸能活動に対する口出しはされないが、本人に利と学びのある仕事をさせてくれと言われている。
もちろん受けた仕事は両親の元にメールで送り、これをアリエルに受けさせて良いかという確認は取る。それは最低限の誠意と、子供を預かる者としての役目だ。
しかし芸能活動とは別に、霊能活動に関しては『どのような困難な事象が舞い込もうが必ず受けること』を言い付けられており、どうしようか灰川としては困る。
アリエルは聖剣の担い手であり、魔のモノから逃げる事も負けることも許されないとアーヴァス家から言われてしまったのだ。
霊力が強いのは分かるし、大抵の危険な霊的現象からは自動で守られるが、悪魔ルーザに良いようにやられてしまった事もあるから心配でしょうがない。
朋絵は既にVtuber配信を始めており、転生デビューによる視聴者増加ボーナス現象もあって順調だ。
だが朋絵は良くも悪くも自立心や我が強く、この前にも『男に使われる女になりたくない』といった感じのニュアンスの言葉を口にしていた。
過去に何かあったのかも知れないし、実は男嫌いなのかもしれない。そういった事は本人に聞けないが、こういった部分はメンタルの上がり下がりの大きさの裏返しだ。
滝織キオン時代から配信は上手いし、今だって多くのファンを得ている。しかしキオンの時からたまに黒い部分が出る事があり、ライクスペース末期には特に多かったと前園は灰川に言った。
朋絵にはしっかりコミュニケーションを取りつつ仕事をしてもらい、その上で『朋絵さんを金稼ぎの道具として見たりしない』という事を示しつつ、メンタルサポートをしていくのが良さそうだ。
砂遊は花田社長の尽力もあって近々にデビューする予定で、Vモデル製作などもしっかり進んでいる。
今はSNSで『丑獅子イオスだった』という事を匂わせつつ、デビュー前の視聴者集めを行っている最中だ。
灰川は知らなかったが砂遊はSNSの使い方が上手く、BOTなどに頼らず効率的にインプレッション数を稼いだり、人の興味を引くような短文章や同意を得やすい文章を書くのが得意らしい。
霊能力の方面でも灰川家の陽呪術の修練をしたりもするのだが、最近は陽呪術の才能がそんなにない事に本人は気付いており、霊能力修行には身が入ってない。
陽呪術が思うように上達しないのは、砂遊は灰川家の子ではなく、かなり遠い親戚である『阿井翠家』という家の子だというのも理由だろう。
砂遊は赤ん坊の時に両親を亡くしており、その事を本人は知らない。
灰川誠治は兎にも角にもやる事が多く、何から手を付ければ良いのか分からないくらいになっている。
花田社長やハッピーリレースタッフ、前園や藤枝に支えられて今の所は立っていられる状態だ。
四楓院家との関係や相互の信頼も高まり、これから躍進だとか思いたいが……本人のビジネス手腕が全く追い付いていないし、取り巻く環境や業界の先行きも不安は残る。
ハッピーリレーはスタッフ不足だし、シャイニングゲートにも内部には派閥問題とかもあるし、灰川のユニティブ興行は小さい。
灰川を取り巻く状況は恵まれてはいるが、レールは安定してるか分からない。
ついでに猫どものエサ代とかもバカにならないし、車が欲しいと思い始めたため金が欲しい気持ちも出て来た。
渡辺社長からは自営業者は痴漢冤罪ビジネスなどの標的にもなりやすいから、1人で電車やバスに乗る事も控えた方が良い等も聞かされている。
とにかく明日の初仕事に向けて今日の業務を終わらせるため、パソコンに向かう事にするのだった。
外に出て息をするだけで汗が出ます、今年の夏はどうなってるんですかね……




