256話 配信、仕事、化猫のイタズラ遊び
「さて、配信するかぁ」
市乃たちが帰宅した後の夜、配信をしたい気分になったので灰川は実行する。
最近は伝手を使った2社へのサポートや、自分の事務所が実質的な芸能Vtuber事務所になって忙しく、配信に手があまり回って無かった。
今週には所属者となった朋絵がプレデビューする事が決まっており、SNSなどで軽めの宣伝をしてる。
灰川事務所は最初はそこまで宣伝や人気取りに執着せず、所属者の活動が出揃ったタイミングで本格始動という形になる。
まず最初に活動開始するのは朋絵であり、砂遊のVtuberデビュー準備が整ったら後追いでデビュー、佳那美とアリエルもレッスンをしつつ仕事の話の調整に入ってるという感じだ。
「今日はフリーゲームでも実況配信するかぁ! こんにちはぁ!灰川メビウスでっす!」
いつものような感じで配信を始めるが、やっぱり視聴者は誰も来ない。
「今日は超難易度ブロック崩しやってくぜ! オラオラァ!」
前置きもそこそこに異常に難しいブロック崩しのフリーゲームをやっていく、3回連続で球を当てないと消えないブロックとか、見えないステルスブロックとかがいっぱいある。
「うげぇ! このゲーム難しいなぁ! ここをこうやって…! ああっ!ダメだった!」
実況トークから得られる情報が圧倒的に少ないまま配信は進む。
最初に一人だけ一見の視聴者が来たが、コメントも書かれなかったので灰川は気付きもせずにゲームを続けてる。
やはりと言うか全く成長してない、配信という活動に対してはまるで向いてない男なのは相変わらずだった。
『牛丼ちゃん:さっきあんな話してたのに配信してるの!?』
「お、牛丼ちゃんだ。こんばんはだぜ、どんな話されても気分が乗ったら配信する! それが俺って男だ!」
『牛丼ちゃん:灰川さんらしいっちゃ、らしいけどねー』
先程は皆から好意を示されたが、だからと言って配信を止める理由にはならない。素人の配信なんて気分が乗ったらやれば良いというような物だろう。
それに恋バナがあったからって大きく精神を揺らされるような事はない、その程度には灰川は大人だ。
「ってか嬉しい気持ちになったから配信したくもなるって! あ!またミスった!」
『牛丼ちゃん:そういうもんかー、でもその気持ち分かるかも』
「そうだろ? ってか見に来てくれてありがとなっ、忙しいってのによ」
個人勢の配信では配信者が視聴者の忙しさとかを把握してる事も多く、こういった会話程度では身バレ問題にはならない。忙しい人なんて星の数ほど居るのだ。
市乃は今日の配信は既に終えており、今はナツハやミナミが配信中だ。
『牛丼ちゃん:そのゲーム面白そーだね、なんか私もやってみたいかも!』
「お、良いセンスしてるじゃん! こういうゲーム良いよな! フリゲだから許可とか取らずに使えるって書いてあったぞ」
『牛丼ちゃん:私も配信でやってみよーかなー』
今やってるゲームはシンプルながらも難易度が高く、失敗時のキレ芸とか成功時の喜び芸とかに強いメリハリを付けられそうな作品だった。
世の中には配信に適したゲームや題材がまだまだ隠れてる、やろうと思えば何だって配信に使って活かせるのだろう。
「やっぱ誰も来ないなぁ、俺の配信の何が悪いんだろな」
『牛丼ちゃん:声で感情は読み取れても、喋りから心情が伝わってこないから面白さが半減しちゃってるよー。あとプレイが雑だったり見所が少ないかな、手堅いプレイばっかで意外性とか驚きが少ないかも』
「ボロボロじゃねぇか! まあ見てろって、ここから面白くなっからよ! うわっ、またボールが落ちた!」
『牛丼ちゃん:ダメだこりゃ』
こんな風にして夜も過ぎて行き、今夜もまた視聴者は増える事無く灰川配信は終わったのだった。
個人勢が視聴者を集めるのは難しいとはいえ、ここまで才能が無くて配信分野で成長を見せない奴は珍しいだろう。
「ああ、うん、そこは自由にやってもらって良いからさ。うん、配信に関しては前やってたような感じで良いと思うよ」
「はい、灰川コンサルティング事務所です。その件に関しましてはハッピーリレーさんの方で~~……」
その日の灰川事務所は忙しく、灰川と前園でアレコレと仕事をしながら電話の応対などもしていた。
今日は事務所の所属者である朋絵の仮デビューの日でもあり、灰川は朋絵からの確認電話なども受けてる。もっとも朋絵に関しては経験者だから心配はしておらず、配信に関しては自由にやって欲しいという感じで丸投げ状態だ。
丸投げではあるが本人もその方が気楽と言ってるし、何か問題があったら遠慮なく相談してくれとも言ってある。
企業案件も取っていく方向性だし、利益を上げるために仕事面での色々な口出しや制約はあるだろう。それでも自由度は高くしようと灰川は考えてた。
前園の存在も大きい、朋絵はライクスペース時代に前園と知り合っており、マネジメントなんかは上手い事やってくれてる。来てから日にちも経ってないのに、流石は敏腕総合職なだけあるという感じだ。
「午後からはOBTテレビのディレクターさん達と、シャイゲさんとハピレさんの打ち合わせがあるみたいですけど、所長は出席しないんですか?」
「俺は出ませんね、そういう打ち合わせとか会議って業界用語とか多くて分かんないすもん。それに番組制作とかも詳しく分かんないですし」
「そういった場に出て行って、少しづつ勉強していくのも大事だと思いますけど」
「うっ、確かにそれを言われると痛いですね…」
前園は割と普通に厳しい事を言う人であり、こういった事も遠慮なく言う人物だ。
灰川としても業界の勉強やエンターテインメントビジネスの勉強もしていかなければと感じてる、既に所属者や職員を抱える身なのだから、そういった方面の知識も必要になって来るだろう。
「でも今日はどっちみち出席は無理ですね、手風 クーチェのプレデビューの日でもあるし、他の仕事も詰まってますから」
「そうですか、そういえばアルバイトの藤枝さんも3時から出勤でしたね」
「そうなんですよ、今日は夜まで掛かるし、入力作業なんかも任せたいですしね」
朋絵のVtuberネームは本人の希望により手風クーチェと決まった。この名前は手風琴という楽器と、琴の中国語での読みであるグーチェを崩した感じから名付けたそうだ。
クーチェはドイツ語だとキッチンという意味になるそうだが、そこは気にしない事にする。
「そうだ、前園さん。佳那美ちゃんとアリエルの事なんですけど、ドラマ出演の打診と動物番組の話が来てました」
「えっ!? いきなりそんな話が来たんですかっ?」
「はい、実は前にテレビ局で2人の売り込みをしましてね~~……」
そんな色々な話をしつつ仕事も進めていく、前園も驚いたり灰川にアドバイスや意見を言いながらも仕事を順調に進めて行った。
「番組が始まって反響も出てるし、2社の注目度はまだ上がりそうですよ。特にハピレはシャイゲにキャリーされる形で話題性が上がってますしね」
「そうですか、そういえば最近の2社の配信だと、互いの会社のVtuberの名前を出したりする事も多くなったそうですね」
2社の距離感が良い意味で縮まっており、ファンも悪しざまな反応をする人は少ない。
最初は男性配信者も所属するハッピーリレーと、頑なに女性所属者のみのスタイルを守るシャイニングゲートでは組み合わせは悪いかと思われた。
しかし、慎重に事を進めた結果として過剰反応を示すファンは少なく、今の所はファン離脱などの問題は特に発生してない。
「妹さんも砂遊さんのVモデルも用意は進んでるんですよね? それとそろそろ芸能事務所としての名前も考えた方が良いかもしれませんよ」
「そうなんですよねぇ……やらなきゃいけない事も決めなきゃいけない事も多いなぁ」
アレコレとやるべき事は多いが、仕事に押し潰されそうなほどという訳ではない。前園も居るし藤枝も居るから余裕は割とある。
その日はデスクワークを中心に片づけて行き、その後も藤枝が出勤してきて仕事を教えたりなどして過ごしてったのだった。
一方、その頃の馬路矢場アパートには人は誰も居ないが、猫たちはいっぱい居るという状況だった。そんな中で。
「今日の配信は終わりにゃん♪ みんなニャン子のことあっちこっちで宣伝するにゃん♪ あと超高級キャットフードとか送るにゃん♪」
灰川家の猫叉のにゃー子、実は耳可愛ニャン子という名前でVtuberをやってる。
猫叉なのにパソコンとかカメラとかマイク、何より声とかどうしてるんだという問題がある。
その辺については、誠治が実家で使ってたノートパソコンとかに霊力が宿ってしまい、猫叉の声を人間の言葉に自動変換するオカルト機能が付いてしまった物を使用してる。ライブカメラは既存の機能で十分だった。
「視聴者登録も600人を超えたにゃ! このまま行けば収益化も出来そうだにゃ!」
かなり不定期配信になってるが登録者は少しづつ伸びてる、宣伝しまくりの自己顕示欲強めでガメついVみたいな感じだが、独特な世界観と言うか面白さがあってファンは居る。
にゃー子は誠治の実家のノートPCをコッソリと砂遊の荷物に紛れさせて持って来ており、東京でも配信が出来るようにしたのだ。
この事は秘密で、配信機材セットは猫部屋に隠してあり、誠治や砂遊に見つかる心配は無い。
ちなみにVtuberモデルは無料作成したものを使っており、お金は一切掛かってないためモデルのクオリティはお世辞にも高いとは言えない。それでもピンクの髪の猫耳美少女のモデルは人目を引く部分がある。
「にゃ! そろそろ庭で体を動かす時間にゃ! みんな着いて来いにゃ」
「にゃ~…にゃにゃ…」
「なゃ~」
「にゃ、にゃ、にゃ」
「きゅ~」「ゆんっ!」
馬路矢場アパートの猫部屋はにゃー子が開けられる鍵が付いており、セキュリティも割とちゃんとしてる。猫叉が居るからこそのセキュリティだろう。
もちろん誠治や砂遊は鍵を持ってるから出入りは自由だし、エサや水などの心配もない。
にゃー子が鍵を開けて猫たちをアパートの庭に出し、ここから出ないように体を動かして遊んでヨシと指示を出した。
「良い感じに遊びまわってるにゃ、東京も意外と捨てたもんじゃないかもだにゃー」
オモチ、マフ子、ギドラ、テブクロ、福ポンが思い思いに庭を駆け回って体を動かす。
大人しいイメージがある猫たちではあるが、動こうと思えば割と俊敏に動けるのだ。渋谷で発生した7人ミサキ事件の時は地下空間を皆で疾走してた。
そうこうしてると、にゃー子が何かの視線を感じる。この視線は……
「……! こっち見たっ…! ネコちゃんこっち見たよ…!」
「理癒ちゃん…! ネコちゃんたちかわいいねっ…! すんごい大きいネコちゃんもいるよっ…!」
アパートの庭には塀があるのだが、穴とかも開いてるから簡単に覗けてしまうようになってる。
その穴から学校帰りと思われる小学校低学年くらいの女の子2人が覗き込んでおり、興味津々でにゃー子達の事を観察してる。
「なんかネコちゃんっぽくない子もいるねっ…! ワンちゃんなのかなっ…?」
「図鑑で見たことあるよっ…! キツネとタヌキだよっ、首輪もつけてるからペットなんだねっ…!」
珍しい光景に子供2人が見入っており、にゃー子は何だか昔の誠治や砂遊を見てるようで微笑ましい気分になった。
そんなにゃー子は『ちょっとサービスしてやるかにゃ』なんて思い、塀の方に近付いていく。
「ネコちゃん来たよっ…! 三毛ネコちゃんだ…!」
「ふわぁ~…! さわってみた~い…! ふわふわだぁ~…!」
塀の傍まで寄って行ってジっと目を合わせてあげたり、人間が好む可愛い仕草をして見せたりする。にゃー子は割とあざとくこういう事をする猫叉だ。
「にゃぁ~~、にゃんっ♪」
「「!!」」
ここでにゃー子お得意の『ネコ流し目』『超ネコナデ声』を披露する、こういうのに人間が弱いのは知ってるにゃ!とか思いながら、アパートの近所の子供に魅力をアピールしておいた。
「か…かわいぃっ…! お庭に入っていっしょに遊びたいよぉ…!」
「かってに入ったら、おこられちゃうよっ…! 昔に飛車原さんのお家の由奈ちゃんが、かってに入っておこられたって言ってたっ…!」
入りたいけど勝手に入ったら怒られる、そんなジレンマが2人の子を襲う。
このネコちゃん達はお触りさせてくれそう、狐さんと狸さんも一緒に遊んでくれそう、入ったらきっとモフモフでフワフワ、大きい猫さんのお腹はきっとモッチリの天国だ!
入りたい、可愛い、3匹仲良しの猫ちゃんと触れ合いたい、尻尾が凄くフワッフワな猫ちゃんの尻尾を触ってみたい!そんな気持ちになり。
「理癒ちゃんっ…! 入っちゃおうっ…! ママに言わなきゃバレないよっ…!」
「ぅぅ…でも由里ちゃん…! かってに入っちゃうのはっ…でも、でも…ネコちゃんナデナデしたいよぉ…!」
もう我慢の限界だ!入ってしまおう!、そんな決断をしようとした時だった。
「こらっ、勝手に入ろうとしちゃダメでしょ理癒!」
「由里! 人様のお家を覗くなんて何考えてるのっ! 帰るわよっ」
「「!!」」
買い物に行ってた2人の母親と帰り道で鉢合わせ、まさかのダブル怒られだ。
「で、でもでもっ! ネコちゃんがっ!」
「あわわっ、ごめんなさいママ! ネコちゃんとキツネさんとタヌキさんがっ! それにすごい大っきいネコさんもっ!」
娘たちの言葉に少し興味を持った母親たちも、塀の穴から少しだけ覗いてみたが。
「猫も狐も狸も居ないじゃないの、何言ってるのよ」
「何か見間違えたのかしらね、もう5時だから帰るわよ。まったく」
「「!!?」」
にゃー子達は2人が怒られてる間にアパートに戻ってしまった、正しく猫騙し、狐や狸に化かされたという感じだ。
「いたもんっ! ほんとに猫ちゃんいたもん!」
「キツネさんとタヌキさんも居たもん! ウソついてないもん! ふぇ~~ん!」
そんな子供の様子をにゃー子は2回の部屋から見て、ちょっとやりすぎちゃったかにゃ、なんて思ってる。
一応はにゃー子も化け猫だ、たまには人をからかって遊びたい気持ちになったりもするのだ。
もしあの2人がまた覗きに来たら、からかったお詫びの意味も込めて今度は『ローリング・肉球スペシャル』でも見せてやるにゃ、と心の中で思うのであった。
灰川の事務所の形態が変わり、肝煎りの新番組が放映され、夏休みが開けてから一気に状況が動いてる。砂遊や猫たちも東京に来てしまったのだ。
灰川を取り巻く環境も変わってるし、忙しかったり、そうでなかったりする日々が続くが、灰川家の動物たちは今日も元気です。
変わってないのは灰川メビウスの配信が相変わらずつまらないという事だけかもしれない。




