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配信に誰も来ないんだが?  作者: 常夏野 雨内


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252話 弱い悪魔

 今夜は灰川が関わる皆が出演するテレビ番組の放映日だが、急遽にオカルト仕事で現場に行かなくてはならなくなり、リアルタイム視聴は出来ない可能性が高くなってしまった。


 残念ではあるが仕方ない、それに現代はリアルタイム視聴が絶対という時代ではない。サブスクもあるし録画もしてる、後からテレビ番組を見る方法は幾らでもあるのだ。


 ナツハとれもんと小路はリアルタイム同時視聴配信をするし、エリスとミナミとツバサは放送後に振り返り配信をする。そこくらいは配信を見たい気持ちもあるが、まずは仕事をしなければならないだろう。


「凄い立派な建物ですね、威厳があるっていうか」


「ありがとうございます、当ホテルは外観も拘って設計されてまして、伝統と近代が調和する形の見栄えになっております」


 ここは都内屈指の高級感のある町、赤坂にあるブリティッシュ・アールホテルだ。


 宿泊費は最も安い部屋でも一人当たり10万円くらいなのだが、旅行プランや旅行サイトを使う事によって安く泊まれる方法も存在してる。


 決して金持ちばかりが相手の商売はしておらず、庶民のたまの贅沢な旅行なんかも大いに歓迎してるホテルだ。


「内装も凄いなぁ、天井高いっ! ウッド材でシックな感じも異国情緒があるって言うか、綺麗だなぁ~」


「お褒め頂きありがとうございます、少しばかりお待ち下さい。ただいま応接室の確認をしてまいりますので」


 山脇は灰川をロビーラウンジに残してロビー内に行き、灰川は高級なホテルのオーセンティックなラウンジをキョロキョロと見回してる。


 ピッカピカに磨かれた床、高い天井、高級感がある木材が使われたカウンターなどのアレコレ、流れてる音楽も上品で美しさがある。何よりロビーが広い!


 ドラマや映画でよく見る高級な場所という感じ、なんだか居るだけで旅行のワクワク感が湧き出るような場所だった。


 少ししてから山脇が戻って来て奥に案内される、奥と言っても仕事場という雰囲気の場所ではなく、綺麗な廊下の先にある応接室のような場所だ。


 その道中で山脇から、何か手違いがあった事を告げられる。ここでは何だから応接室に着いたら説明すると言われ、灰川は分かりましたと頷いた。


 しかし、案内される途中で思ってもみなかった事態が発生する。


「えっ!? ハイカワっ!? どうしてここに居るのっ!? ここに泊るのっ?」


「アリエル?? お、おい、なんでここに?? 泊りに来たのか??」


 応接ルームに続く廊下で、まさかの人物と会ってしまった。2人とも驚いた顔で互いを見てる。


「えっ? お知り合いなのですか? そんな偶然があるんですね」


 まさかのブッキングであり、これは人によっては実に失礼だと見る事もあるだろう。山脇は事情を知らず、灰川もアリエルも予想外だったため驚いてる。


 経営会社の大きな資本元である投資ファンドのA・U・Kが寄越した霊能者であるアリエル、支配人と副支配人が個人的な交友がある四楓院に頼んで来てもらった灰川、ここがカチ合ってしまったのだ。


 アーヴァス家はホテルから『最近はオカルトっぽい事が発生してる』と噂程度の報告が上がって来てたのだが、支配人からしたらオバケが居るかもしれないなんて本社に真面目に報告など出来ない。そんなの笑われてお終いだと思ってた。


 A・U・Kファンドは裏ではアーヴァス家というゴリゴリのオカルト関連家系が実権を握ってるが、支配人たちはそれを知らなかったのだ。


 だがホテルの支配人として放っておくことも出来ず、かといって信用できる霊能者も知らなかったから、付き合いのある四楓院に頼んだという訳だ。


「あ~、えっと、実はこの子は私が所長を務める芸能事務所に所属してる子でして」


「ええっ!? 霊能者なのに芸能事務所をやってるんですか!?」


「はい、Vtuber兼総合芸能事務所とコンサルタント事務所を同時にやっております」


「そういえば看板にコンサルティング事務所って書いてあったような…」


 山脇は灰川の事務所に来てはいたが、芸能事務所とは書いて無いし、看板自体も小さいからコンサルティング事務所という部分も記憶に強く残らなかったようだ。


 一応は名刺も交換してるのだが、その場で自己紹介してるから名刺を改めて確認したりはしなかった。ちなみに今の灰川の名刺には霊能者という文言は載っておらず、コンサルタント名目の名刺である。


 肩書だけは立派な感じだが、やってる事は使い走りや流れに乗せられる形で発足した芸能事務所であり、どうにも恰好が付かない実情がある。


「なるほど…霊能者は副業のようなもので、本業は会社経営者という事なんですね」


「ま、まぁ、そんな感じです」


「確かに凄く可愛いですし、芸能人とか役者と言われても納得ですね」


 とりあえずは説明は済まして応接室に入る、中は当然のように立派な調度品と(しつら)えがされた綺麗な部屋だった。


「ようこそいらっしゃって下さいました、支配人の小平(こだいら)です」


「灰川といいます、よろしくお願いします」


「同じく霊能者のアリエルです、こんばんは」


 応接室の中には支配人が居り、わざわざ紅茶なども出してくれていた。


「実は先程、本社の方からアーヴァス様だけに依頼をしろと言われまして……、その…大変に失礼なのですが……」


「ええっ!? あ、いや…アリエルの実家ならそういう事もあるのかぁ…」


「ちょっと待っててハイカワ! ボクが連絡して事情を話してみるから」


 アーヴァス家は他の霊能者が介入する事は嫌ってるのは灰川でも分かる、昨日にやり取りした時に彼らはオカルト方面では秘密主義的な部分が強い事が感じられた。 


 なのに身内からは役者を出してたり、娘の芸能活動を許したり一見すると一貫性が無い。それは表の経済活動とオカルトでは切り離して考えてるという事だ、稼ぎたいけど秘密も多い家なのだと灰川は考える。


 聖剣の家系だということや、オカルトに強い関りがある家だという事は一般にはバレたくないが、聖剣の力は使わなければならない。そうしなければ加護の力も弱まり、家の力にも何かしらの影響は出る。他にも灰川には話してない事情なんかもあるだろう。


 担い手本人もオカルト以外での成果を出さなければならないし、アーヴァス家の聖剣は非常に強い力を持ってるのは分かるが、こんなの制約が多過ぎる気がした。


 なんだか凄くややこしい、資本家としても過剰に目立ってはいけないし、オカルトでも目立ってはいけない。けれども芸能活動とかは家の名を前面に押し出さない形でOKとなる、考えれば考えるほど灰川には基準が見えて来ないのだった。


 アリエルの芸能仕事はどこまでがOKなのかとか、呪いの解除と聖剣のエネルギー充填は灰川しか出来ないから便宜を図ってくれるかとか、色々と考えてしまう。しかし考えても仕方ない事でもある。


「ハイカワ、OKが出たよっ。こんな偶然があるんだって向こうは驚いてた。ボクが一番驚いたけどねっ」


「そうか、じゃあ一緒にやるとすっか」


「助かりました、陣ちゃんに今度謝んなきゃって思いましたよ。陣ちゃん怒ると怖いからなぁ~…」 


 支配人は陣伍と同級生らしく、会社的な繋がりは強くないが個人的な付き合いは昔からあるらしい。


 支配人は以前はホテル経営会社の社長だったが、景気の悪化の煽りを受けて会社を畳み、今は経験を買われて外資系ホテルの支配人として業務に当たってる。


 実は支配人はアーヴァス家の事はある程度は知ってるのだが、資本家の側面しか知らず、オカルトに強い家である事などは全く知らなかった。だから灰川にお鉢を回してきたのだが、こんな事になって内心ではかなり焦ってたらしい。


 ついでに灰川はアリエルからブリティッシュ・アールホテルはアーヴァス家が資本元をしてるとの事情も聞き、今回のブッキングに納得がいったのだった。


「まあ、とりあえずゴタゴタの話はこのくらいにして、仕事の話をしましょう」


「ハイカワ、なんだか複雑な話になっちゃってるね、後でもう少し話さないとな~」


 アーヴァス家のオカルトや資本業や芸能業に関しての話は考えたって仕方ない、素晴らしい才覚に恵まれる代わりに、無理難題みたいな様々な制約が掛かるのだろうと納得しておく。無理難題をクリアするためにこんな様々な活動をしてるのかもしれない。


 とにかく今は目の前の仕事だ、可能ならば早く終わらせて皆の出る新番組を見たいが、時刻は午後の6時を大きく過ぎてる。恐らくはリアルタイム視聴は出来ないだろう。


「大筋は先程にアーヴァス様と灰川様にお話した通りなのです、それ以上は私どもには分からないというのが現状でして…なにせ霊能力などは私にはない物ですから」


 何か酷く気味が悪い空気になってるという事しか分からず、その空気感は霊能力の無い従業員や支配人も感じるそうなのだ。


 実際に体調を崩す者も出ており、清掃で毎日35階に行かなければならない従業員などは退職すら考えてる始末だと言う。


 最上級ロイヤルスイート階層である35階は、高額な宿泊料もあって常に宿泊者が居る訳ではないらしく今も宿泊者は居ない。客に被害があった訳ではない。


「最初はデラックス・ロイヤルスイートルームの部屋だけで妙な雰囲気があったんですが、次第にロイヤルスイートルームの方まで雰囲気が広がってまして…」


 施設の不備で何かしらの不快な空気が出てるのかと思い、空調や水回りの検査などもしたそうだが異常は見つからず。他にも電気系統や調度品も検査したが全く問題が無かった。


 やがて従業員の一人が『あれは幽霊とかが居る時の雰囲気に似てるかも…』と言ってたのを聞き、詳しく聞いたらオカルト現象ではないかと感じて四楓院家に相談したようだ。


 しかしその件を何かで察知した資本元のアーヴァス家がアリエルを送ってしまい、急ぎの用だったので事前に詳しく話を詰める事も出来ず今に至ってると言う訳だ。


「まずはロイヤルスイート階層にご案内いたします、見て頂いた方が早いと思いますので」


「分かりました、お願いします」


 灰川もアリエルもまずは見なければ分からない、今の所は何も感じないから現場に行って調査しなければ解決は望めないだろう。


 ロイヤルスイート階層の案内は現場に詳しい山脇がやってくれる事になり、その前にロイヤルスイート宿泊者向けのパンフレットを渡された。


 部屋の紹介やアメニティの場所などを書いてるパンフで、部屋や階の紹介が非常に分かりやすく書かれてる。


 灰川とアリエルが仕事道具を持ってエレベーターに向かう道中、山脇はアリエルと灰川の事情などを聞く事は一切なかった。


 高級ホテルではどんな宿泊客が、どんな事をしても簡単には外には漏れない。だから有名人の不倫なんかの場所に選ばれたりするし、政治家の密会などの場所になったりする。


 芸能事務所の所長と、その所属者が霊能活動をやってるなんて普通の人だったら気になるだろう。山脇も内心では気になってるだろうが自分から聞く事はしない、無駄な質問などは自分からは絶対にしないのが徹底されてるのだろう。


「それにしても立派なホテルですね、床から天井まで高級感がいっぱいだし」


「ボクが思ってたよりスゴく立派だよハイカワ! ヨーロッパの星付きホテルと比べたって上位争いに行けるランクのホテルだと思う!」


「ありがとうございます、もしよろしければ次回はお客様としていらして下さい、精一杯にもてなさせて頂きますので」


 山脇の説明では15世紀後半から流行った木材を使ったチューダー様式建築と、ゴシック建築の流れを濃く継いだ19世紀のゴシック・リバイバル建築、広さや華麗さが特徴のエドワード式建築などを内装に取り入れてるそうだ。


 ヨーロッパの要人などの評価は非常に高く、昨今ではラグジュアリーホテル系your-tuberなんかも来て動画を撮影したらしい。もちろん許可を出してだ。


 今から行く事になるデラックス・ロイヤルスイートはアールホテルの中で最も豪華な部屋であり、宿泊料は一泊で100万を超える部屋である。何かを壊したりしたら嫌だが、資本元のアーヴァス家の娘が居るから大丈夫だろう。


「山脇さん、Vtuberとかって見たりしますか?」


「え? ブイチューバーですか? 一応は知ってはいるのですが、私はあまり詳しくありません。自由鷹ナツハさんは知ってるという程度です」


「あ~、ですよね、すいません変なこと聞いちゃって」


 ネットでは人気のあるVtuberではあるが、やはりリアルでは芸能人程に名が通ってる訳ではないのが分かる。ついでに新番組のnew Age stardomの事なんかも聞いてみたが、そっちは名前すら知らないようだった。


 山脇は50代くらいの女性であり、むしろ自由鷹ナツハを知ってるだけでも情報通の部類に入ると思う。


 なんだか現実を突きつけられたような気分だ、しかしテレビ進出で新たな境地に入るのだから、名前を本格的に上げるのはこれからだ。


 とりあえず今は目の前のオカルト仕事に集中だ、いくら強い霊能力を持ってても油断したら何が起こるか分からない。アリエルも集中モードに入って真面目な顔になってる。


「こちらのエレベーターに乗って向かいます、34階と35階のスイート階層には専用のエレベーターでしか行けませんので」


「流石は高級ホテルだなぁ、専用エレベーターとか正に金持ちのホテルって感じですね」


 専用エレベーターに宿泊者にしか渡されないカードキーを使わなければ入れず、セキュリティもプライバシーもバッチリである。もちろんエレベーターの中ですら高級そうな椅子があったり、壁はウッド材など高級感がある。


 これらを見てると灰川は前にジャパンドリンク本社で霊能仕事をした時に、事後接待の高級ホテルに泊まれなかったのを思い出す。


 あっちは丸の内で、こっちは赤坂、どっちも高級感がある街だが、灰川は相変わらず金持ちという雰囲気はない。最近は収入も上がって来てたが、事務所が新形態になったので先行きはまだ分からないままだ。


「ではエレベーターにどうぞ、35階に到着したらご案内……うわっ!」


「えっ? ど、どうしたんですか山脇さ……うっ!! なんだこの雰囲気っ…!?」


「これって…! ハイカワっ、すぐにエレベーターから出なきゃ…ドアがっ!」


 なんと灰川とアリエルが乗った後に山脇も乗ろうとしたら、突然に山脇が何かに引っ張られるかのようにエレベーターの中から出されてしまったのだ。しかもその瞬間に嫌な気配がエレベーターの中に充満した。


 ドアも閉まって勝手にエレベーターが動き出す、あまりに突然の事で灰川もアリエルも咄嗟に反応が出来なかった。霊視などもしてたし、油断はしてなかったが、それでも出し抜かれた格好だ。


「上に向かってるな、まあ良いさ、向こうから呼んでくれるって言うなら手間が省けるぜ」

 

「うん、このくらいの気配ならボクの敵じゃないよ、エレベーターもすぐに戻せるレベルだね」


 アリエルは霊力的には決して弱くないし、MID7での経験もある。灰川からしても充分に対処が可能なレベルの気配であった。2人にとってこの程度のポルターガイスト現象は恐れるくらいのものではない。


 しかし悪念や悪効果を隠すのは非常に上手いようだ、やはり油断して良いような状況ではない。油断はしないが過度に怖がることも駄目だ、それこそ状況を悪くする。


 ここは冷静かつ余裕も持ち、隙を見せずに祓いに当たるべきだ。


 すぐに35階に到着する、灰川もアリエルもボタンは押して無かったので、やはり呼ばれてるという事なのだろう。


「誰も居ないな…ちょっと山脇さんに電話して、このまま調査に入るって言っとくぞ…」


「うん…ボクもファースを出しておくよ…」


 エレベーターの前で用意を整え、灰川は山脇に電話で2人で調査とお祓いをする事を告げて許可を得る。どうやら山脇は先程の出来事に強い怖さを感じたようで、是非そうして下さいと言われた。


 ブリティッシュ・アールホテル35階、最上階ロイヤルスイート階層、この場所には明らかに妙な空気と気配が満ちていた。


 しかし尋常ではない霊力を宿し、灰川流陽呪術やその他の霊術を使用できる灰川誠治。若干9才にして聖剣を担うアリエルの2名をどうにか出来るほどの強さの気配はない。


 灰川は仕事道具の入ったバッグを持ち、アリエルはケースから聖剣ファースを取り出して手に持つ。剣は鞘に納めたままで抜剣はしてない。


「ファースの模造剣ってさ、アリエルの体格に合わせて(あつ)えられてるっぽいけど、ちゃんと使えるか?」


「うん、剣術は習ってきたから問題なく使えるよ、それよりハイカワ…この気配は悪魔のモノだ…! 気を付けてっ…悪魔は色んな方法で人間を…」


 アリエルがこの気配の主に関して説明をしようとした時だった、エレベータールームから続く廊下から誰かが出て来た。



「ハロー! 凄まじく強い霊能力者のお方と、聖剣の担い手のお嬢さん! 私は悪魔のルーザです!」


 「「!!」」

 


 廊下から普通の装い、スーツ姿の20代くらいの男が現れた。


 一見すると少しイケメンな感じの日本人男性、明るい声と笑顔で灰川とアリエルの前に出て来たのだ。しかし自分の事を悪魔などと語ってる。


「……悪魔…? アンタがか…?」


「はい!私は悪魔です! 名前はルーザ、現在はアーヴァス家の資本が入ってるブリティッシュ・アールホテルに住居を置いております。是非ともお見知り置きを」


「な、なんでっ! 悪魔は名前を知られてはいけない存在だろっ! なんで自分から進んで名乗るんだ!」 


 悪魔祓いでは悪魔の名前を知る事が重要となり、自分から進んで名前を言う悪魔なんて居ない。それがアリエルの中での常識だった。


 他にも聖水を掛けたり、悪魔祓いの呪文を唱えたりなど、様々な方法があるが、少なくとも自分から名乗るなんて事は無い。恐らくは偽名だとアリエルは考える。


「いえいえ、私ごとき新参者の弱小悪魔など、聖剣に対抗する力など持ちません。そちらの霊能力者の男性にもほんの少しの力で吹き飛ばされてしまうでしょう。名前を隠しても意味が無いのですよ」


「その体は誰だ…? お前の体じゃないんだろう…?」 


「はい、こちらの体はブリティッシュ・アールホテルの専務の体を貸させて頂いております」


「だったらすぐにその体から出て行けっ! さもなくば聖剣で斬ってしまうぞっ!」


 アリエルは剣を抜いて構える、しかし悪魔を名乗る男は動じない。


「はい、お好きな時にどうぞ、私では聖剣に太刀打ちできるような力はございませんので」


「だったらなぜ逃げない! 罠があるのか! お前の目的は何なんだ!」


 アリエルの額には汗が浮かんでる、今までに経験してきた存在の中には彼のようなモノは居なかった。


 MID7の攻撃に抵抗するモノ、逃げようとするモノ、誰かを盾にして手出しできない状況を作るモノ、意思などは無く機械的に呪いなどを振り撒くモノ、目の前に居る存在はそういったモノとは違っていた。


「体はこのホテルの専務とか言ったよな、それは本当か? 関係者に確かめるぞ」 


「確認するまでもありませんよ、そのパンフレットに専務の顔も載ってますから」


 気を抜かずにパンフレットを確認すると、確かに彼の顔は専務だった。電話をかけて山脇に専務はどうしてるか聞くと、今は業務を終えて帰宅してる筈と返って来た。


 試しに山脇に専務に電話を掛けてもらうと、目の前の男の胸ポケットから着信が鳴る。そのまま悪魔を自称する専務が電話に応対し、山脇に再度の確認電話をすると変な所は無かったと言われた。


 目の前に専務が居て、しかも悪魔に憑りつかれてる可能性がある事は灰川は伝えなかった。流石にそれは荒唐無稽で信じてもらえないと感じたし、何より今の状況でそんな話を詳しくしてる余裕はない。


「立ち話も何ですからルームの中でゆっくり話しましょう、私も聖剣の露と消える前に話をしたい気分です。今から消される運命にある弱き悪魔の願いを聞いて下さいませんか?」


「っ! 悪魔と話すことなんてっ…!」


 会話の際中にも灰川は目の前の男、悪魔・ルーザを名乗る存在の霊視を欠かさなかった。


 やはり普通の人間のソレではなく悪念だとかマイナスの霊力のような物が感じられた。しかし悪魔という存在に馴染みの無い日本人の灰川では、それが本当に悪魔なのか?と疑問に思わざるを得ない。


 まず力が弱い、霊力も少し強い悪霊と同じくらいだ。悪魔を名乗るにしては随分と弱くて小さな存在で、力を隠してる気配も無い。精々が先程のポルターガイスト現象を起こせるくらいだろう。


 どこか卑屈、弱腰、最初から諦めてる、これが悪の象徴たる魔の存在か?と思ってしまう、そんな物腰なのだ。


「まあ、とりあえず祓ってから考えよう。この程度なら俺が霊法で簡単に祓えるしな」


「ボクがファースで斬るよ! センムさんの霊体を傷つけず斬る事くらい簡単だっ、例え斬ってしまっても治す方法ならあるっ」


 まずは祓ってしまえば良い、悪魔だと名乗ってるのだし悪念なども発してる。やはりコイツは超常存在とか怪異と呼ばれる類のモノだ、放っておく訳にはいかない。


「弱く哀れな悪魔に生まれ付いた不幸ですね…私も叶うのならば人間に生まれたかった…」


「な、なんだとっ…! 悪魔が人間になりたいって言うのかっ…!? 人間を見下して悪意を向ける存在の悪魔だろうっ…!」


 悪魔・ルーザが悲しそうな顔で諦めの言葉と願いを口にする、祓ってしまえば終わり、斬ってしまえば終わりの弱い悪魔のささやかな願いだった。


「はい、人間は素晴らしいっ…! 人生の中で多くの幸せを感じ、多くの出会いをして、どんな生まれであろうが幸せになる権利がある! 不幸や悪意の念を糧とする我々とは違うのです!」


 だからルーザは人間に憧れたと語る、人間が幸福を感じてる姿が好きだ、良くも悪くも沢山の出会いをして親交を深める姿に憧れる、自分もそのように生まれたかった。


 アリエルは困惑していた、悪魔が人間に憧れるなどあってはならない事だ。神への反逆者と言われる存在、善性の心など全く持たないモノ、関わる者を不幸にしかさせない悪魔。


 その存在の力は強く、本来なら気配を隠す事など出来ないのだ。


 しかし目の前の存在は弱い、悪魔である事は変わりないが、明らかに弱いのだ。聖剣に太刀打ちなど出来ない存在だ。


 それはつまるところ、アリエルにとってルーザは『弱者』という位置付けになっていた。しかも明確な被害も出さず、誰かを傷つけてる訳でもないと本心から言ってるようにしか見えない。


 そして……ルーザには明確な人格がある。斬られるのも祓われるのも死を意味する事であり、今まで戦って来た明確な悪だったり、人格を有してない存在だったりとは訳が違かった。


「どうでしょうか、これから斬られる運命にある者の願いです、少しばかり話に付き合って頂けませんか?」


「っ…!」


 人格を有し、何かしらの罪もないと感じる存在を消し去る事は非常に精神に負担が掛かる。場合によっては一生を懸けても拭えないトラウマとなる場合だってある。



 罪を犯してない悪魔は悪魔と呼べるのか?


 相手が悪魔と知ってたとして、命乞いなどをされて何の呵責も無く殺せるか?


 そういった存在であろうと、人格を持った存在を平気で殺してしまうような奴こそ悪魔なのでは?


 自分は出来ると思ってる者でも、いざ現実にこういった場面に当たってしまったらどんな精神になる?



 何かを殺す、それがどういう事を意味するのかは簡単には答えられない。しかし普通ならば大きな抵抗感や嫌悪感を催す行為であり、極限状態でもなければ忌避すべき行為である。


 感情はあっても人格は有さない動物を殺す事ですら、特殊な精神を持たない者や、そういった職業に付いてる者以外にとっては強い抵抗感があるだろう。


 アリエルもそうだ、自己意識と感情と人格を有し、悪事を働いた確証がない存在は超常存在であっても消すのに強い抵抗感があるのだ。


 それに拍車を掛けるのが目の前の存在から感じられる弱さであり、死にたくない、消えたくないという感情を言葉の端で発する弱者を一方的に消す事は、9才の精神にはあまりに負担が掛かる。


 人間に生まれたかった、人間が羨ましい、不幸や悪意など本来なら糧としたくない、そういった感情も滲ませてくる。


 一方で灰川は押し黙る、その理由はルーザから感じる異質さが妙だと感じたからだ。


 なぜこのホテルに居る?駆逐艦アロナックでの悪魔騒ぎは偶然なのか?、悪魔は人間と契約して魂などを奪うんじゃないのか?、そして何故……前に佳那美から感じた『ゆびもらい先生』らしき気配を感じる…?


 灰川は目の前の存在、悪魔・ルーザを『特殊な怪異』ではないかと予測する。そうだとしたら迂闊には祓えない。


 オカルト存在の中には除霊やお祓いをする事によって被害が出る存在があり、この自称悪魔はそれに該当する存在である可能性があるからだ。

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