200話 ヤバい奴を遠ざけるために
今回は人間性ホラーです、あまり気持ちの良い話ではないので、読み飛ばしてもらっても構いません。
誰しも一度は憧れる体験、可愛さや格好良さで周囲の視線を集めて羨望や嫉妬の目を向けられ、無茶苦茶にチヤホヤされて最高に気持ち良くなれる、こんな夢や想像は一度くらいはするだろう。
人間生きてれば一回は最高と言える日はある、彼女たちの今日はそんな憧れを叶える幸運な日なのかもしれない。
OBTテレビの地下駐車場に車を停めてから入構手続きを済ませ、局内の軽食が出来る飲食店に皆で行ったのだが明らかに注目を集めてた。ランチタイムで人がそこそこ居る中で。
『あの子達って何処の事務所のアイドル?』
『なんかっ、メチャクチャ可愛い!』
『これから売り出すのかな? 絶対に成功するっしょ』
そんな声、彼女たちの容姿を褒める声がヒソヒソと聞こえたのだ。テレビ関係者から見ても今の皆のルックス、スタイル、コーディネートは最高レベルに見えてる証拠みたいなものだ。
それらの声は皆にも聞こえており、改めて今の自分たちの容姿の完成度や調和の高さを自覚し、自分に自信が持てた。
そこからOBTテレビの入構手続きを済ませ、皆はそれぞれ身バレしないタイプの入構証を首から下げて局内に入る。
中に入って収録スタジオ付近にある楽屋に案内されるのだが、その道中でも5人は注目を集めた。
「おい長峰…あの子たちに網はってリサーチしとけ、名前が上がる前に俺たちの番組に呼ぶぞ」
「ヤバい可愛さっすね…どこの事務所のアイドルだろ…? あんなん売れるの間違いなしっすよ…!」
「モデルじゃないですか? 俳優か美少女ダンサーユニットとかの可能性もありますけど」
どこかの番組のディレクターとスタッフと見られる人達が『逸材を見つけた!』という目で5人を見てる。
そのヒソヒソ言葉を聞いた市乃が背筋をゾクゾクさせながら、Vtuber配信では得られないタイプの嬉しさや気持ち良さを感じてる。
「何あの子達っ…! 私たちよりカワイイ気がするんだけど…!」
「どこのサロン行ってるのか聞きたいっ…! 肌が綺麗すぎ…!」
「スキンケアどうなってんのっ…!? あんなんメイク必要ないじゃん…!」
テレビで見たことのあるアイドルが5人を見て危機感や羨望の眼差しを向ける、その視線に今まで自分は可愛くないと思ってた来苑が震えそうになるくらい心が揺さぶられる。
他にも美人を見慣れてる筈の局内スタッフや番組制作者から、奴らは何者だ!?という眼差しを向けられ、中には歩いてる最中に我慢できずに番組にスカウトしようとする局関係者まで居た。
歩くだけで花が咲くかのような可愛さ、笑顔を見せるだけで陰鬱さを吹き飛ばす綺麗さ、目が合うだけで一目惚れしそうになる美しさ、今の5人はそれらを兼ね備えた美少女だ。
Vtuber活動で『可愛い』などの言葉を言われ慣れてる彼女たちであるが、それは実体を伴わないVtuberモデルを通して言われてるものであり、今現在に周囲から言われてる体験とは実感の質が違う。
実写チャンネルをやってる空羽ですらここまで露骨な体験はした事がないようで、浮足立つような感覚を持ってしまってる。
これなら舐めて掛かられる事など無い、これなら準備は足りてる、改めてそう感じた。
「ここが皆さんの楽屋です、今回は緊張もあるでしょうから皆さんで一緒に居られるよう大部屋です」
「ありがとうございます」
楽屋に到着して中に入ると、広々とした部屋の中には鏡が並んだ席やお茶が用意されており、打ち合わせや段取り確認などもしやすそうに整えられてる。
「社長達も局に入ってるらしいから、すぐに来るそうだぞ」
「うん、それまで少し台本と流れの確認しとくねー」
5人は悪い緊張や不安のストレスは取り除かれ万全のコンディションだ、しかし緊張感が無い訳ではない。
しっかりと番組台本や段取りの確認をして、5人で集まって両社のスタッフを交えて練習した流れなんかをおさらいする。
その後は花田社長と渡辺社長も来て5人の容姿の完成度に驚きつつ、ここまでやる必要あった?なんて言われて笑ったりもした。
そのまま演者が揃った報告と最初の挨拶に行く事になり、楽屋を出てプロデューサーやディレクターが居るスタジオに行く事になった。
「こんにちは、今日からよろしくお願いします」
スタジオに入ってスタッフや関係者に集まってもらって一同が挨拶をする。
今日は撮影初日という事もあってスタッフは勢ぞろいしており、プロデューサーを始めとしてそれぞれが自己紹介して、役職の説明などをしていった。
もちろん市乃たちはVtuber名での紹介で、スタッフ達はエリス達の容姿や年齢の事などは一切を外に漏らさないよう言われており、その約束を守れると太鼓判を押された者達が揃ってる。
スタッフは女性が多く、そこも安心できる環境だ。ディレクターや力仕事関係は男のスタッフが担当するが、その数は少ないように思える。
「エリスちゃんとミナミちゃん可愛い~…!」
「シャイニングゲートの2人もレベル高いな~…羨ましいんだけど…!」
「ツバサちゃんカワイイっ…! お姉ちゃんがドハマりしてる理由が分かるかも…!」
ADの人や音声や照明スタッフの女性陣が5人を見て驚き、エンジニアスタッフの男性たちも皆の容姿レベルの高さに驚いてる。やはり舐められずに済んだようで、サロンに行って良かったと思う。
皆も今は容姿を褒められる嬉しさより収録への気合が勝ってる。スタジオに入って一気に自分たちが全国テレビに出るんだという実感が湧いてきたのだろう。
グリーンバックのある場所やセットが組まれてる場所、司会進行のタレントの立ち位置などがあり、かなり本格的な収録なのだという事が分かる。
「こちらは初回の司会進行兼ゲストタレントのドラグンガールズの2人です」
「よろしくお願いします」
「緊張せず楽しくやりましょうねっ」
Vtuberに詳しくて明るいイメージのある若い女性タレントの2人が挨拶し、もちろんエリス達も挨拶を交わす。
この2人は地方局番組ではあるが司会を務めてるらしく、司会回しが上手くて慣れてるそうだ。脚本も守るしキャラも立てるから、全国区にデビューするのも時間の問題と言われてた子達のようである。
「まずはリハーサルからやって行きますよ、俺らは副調整室から指示だしするんで、まずは緊張しないでやりましょ!」
「放送禁止用語とかも気にしないで良いですよ、カットも出来るしミスしたって編集でどうにでも出来ますから」
この日のために全員が忙しい中でスケジュールを調整し、脚本や段取りを組んで、Vtuber達も練習や打ち合わせとイメージトレーニングなどを経て集まってる。
だが最初の放映は出演者に空気を掴んでもらう事を重要視しており、VTRなどでの説明などを交えつつ進行するから楽と言えば楽だ。
「灰川さん、少し良いですか?」
「富川プロデューサー? どうしました?」
この場所では灰川が出来る事など無く、ただ突っ立ってるくらいしか出来ない。皆も気力は充実してるし、何かの声掛けとかハッピーリレー所属者のスケジュール管理とかの仕事も今は無い。
挨拶はしたし後は邪魔にならない場所で待機してるつもりで居て、0番スタジオの浄霊の続きでも頼まれるのかと思ったが。
「すいません、花田社長と渡辺社長もよろしいですか?」
「何でしょう?」
「はい」
2社から来た男性陣が呼ばれて話し合いの場が持たれる。出演者たちやスタッフからは見えない場所だ。
「単刀直入に言います、ハッピーリレーさんとシャイニングゲートさんの女性出演者の方達に、他事務所の男を近づけないようお願いします」
「え、はあ…まあ、イメージとかもありますから、必要以上に近寄らないよう言い含めていますよ」
「ハッピーリレーも同じ対応ですが…やはり甘かったか…」
富川Pからそう言われ、渡辺社長と花田社長の反応には違いがある。芸能界の内情を知ってる花田社長は割と深刻な表情を見せた。
「花田社長、そこまで深刻に考える必要ってありますか? 俺だってイメージとかは大事だと思いますけど、あんまり締め付け過ぎるのも~~……」
確かに芸能界にもヤバい奴が居るのは分かる、しかし仕事で話す事だってあるかも知れないし、挨拶くらいは交わす可能性は大いにあるだろう。
「灰川君、Vtuber界隈でユニコーン視聴者と呼ばれてる人達の事を知ってるかね?」
「そりゃ知ってますよ、女性Vtuberと男が絡むのを嫌うタイプの視聴者でしょう? 流石に仕事で何かしら絡むのを嫌がる人は少ないと思いますよ」
Vtuber界隈は段々とアイドル業務的な側面が出てきており、女性が男性と絡むのを嫌う視聴者が出て来て、その逆も多い。もちろん活動内容や性格の違いもあるし、全てのファンがそうではない。
だがある女性Vtuberが一回だけ男性Vtuberとコラボしたら、それ以降の同時視聴者が90%減ったとか、荒らしが大量発生するようになって活動不可になったとかの話もある。
女性が男性と絡むのが嫌な男性はユニコーンと呼ばれたりするが、男性が女性と絡むのを嫌う女性は何と言うのだろう?バンシィだろうか?
「では灰川君、何故彼らがそれを嫌うのか考えた事はあるかね?」
「え…まあ、推しが異性と絡むのって何か嫌って気持ちは分かるっすよ、たまにVtuberがファンとか視聴者の事を、ユニコーンって呼んでバカにするのも俺は良い気持ちしないですね」
この心理は普通にあると思う、だからこそユニコーンファンは居るし、そもそも昔からアイドルや女優には付き物だ。
そういった人達を馬鹿にしたりするのも配信者の勝手だが、それが元になって収益や視聴者が減る危険性もあるのは確かだ。
だが何故、そのような『異性と絡む』のを嫌がる人が居るのか、その人達は異性スタッフと話す事などは叩いたりしない、その心理は何なのか。
「ここに来る途中…男にしか気付けないタイプの下衆な目で皆を見てたグループが居ましたね…。そういう奴らが狙うって事ですか…」
「そういう奴らが多い世界だからユニコーンやバンシィと呼ばれる人達が多くなってるような気がする、あくまで私の個人的な意見でしかないが」
男にしか分からない嫌な男のオーラ、女性にしか気付けない嫌な女性の雰囲気、そういう物がある。
『良い女あるじゃん!喰っちまおう!』とか『こいつ立場も弱そうだし、少し優しくしたら何でも俺の言う事聞くな』とか、そんな事を思ってる感じの男のオーラみたいな物が男には見える時がある。
『このオスちょろい!財布にしちゃおう!』とか『コイツのこと私の言いなりにさせよっと』みたいな男性には感じ取れないヤバい女性の雰囲気、そういう性質がある女性を女性は見抜く事がある。
「相手からそういう気配を感じてしまったら終わりだ、ファンは離れるし収益も落ちる。だからハッピーリレーでは男女コラボは基本的にしてないんだ」
「あ~、確かにそういう人達って居ますもんね」
その感じ方もファンによって違いがあるだろうが、どの道に良い結果は生まない事が多い。
実際のアイドルなんかはテレビで異性と絡む事はあるが、互いの精神的な距離を示す物理的間合いの範囲、パーソナルスペースがしっかりしてるから多くの視聴者に嫌な感じは持たせない。だがネットのVtuberとなると判断の材料が少ないのだ。
特に今をときめくイケメンアイドルや若手売れっ子俳優、そういう人達と絡んでるとなったらファン達の『まさか…』という疑念は強くなるだろう。
有名人の異性スキャンダルは昔から枚挙に暇がなく、浮気や不倫は当たり前、2股どころか5股6股なんて話も珍しくない。
ある歌手グループのメンバーたちが産んだ子供の顔が、みんなどことなく似てる。何故だ?
ある年代に活躍した女優たちを少し調べると、子供が居る人が極端に少ない。それが何を意味するのか。
ある男性アイドルグループのコンサートの退場客の人数が、いつも必ず入場客よりメンバー人数分だけ足りない。客の女の子達は何処に行った?
「表に出る話なんか一握りの中の一握りだ、輝く魅力的な業界である分、歪みも濁りも強すぎる世界なんだ」
「なるほど…何かしらの力を示さないと危険って事なんですね…」
嫌な事に巻き込まれない人たちは後ろ盾が強い、危険な奴が寄って来ない子は守ってくれてる人が居るからなのだと説明される。
そういった何かが無い状態で危ない奴に目を付けられた人は悲惨な目に遭う、その例も花田社長はメディア業界で見て来たらしい。
危険な事を本気で考える奴は本性を隠すのが上手い、利用してポイ捨てするつもりだなんて感じさせない、ありもしない『愛』を標的に実感させるのが上手い。
そういった奴に引っ掛かっても平気な人が居る半面、二度と立ち直れない程に精神的ダメージを受ける人も居る。
コンプライアンスや業界モラルが叫ばれるようになった昨今、闇は消えるのではなく不可視化が進んでる。
表にならない悪質な問題が増えてるという事で、甘い言葉や水面下の誘惑により被害者は依然として減ってないのだ。人間の欲望など簡単には無くならない。
業界人を信じて掛かるなと花田社長は言う、危険から皆を遠ざけて欲しいと頼まれる。少なくとも業界の事を知らない状態で誰かが近づいてきたら、皆にはソイツがどんな奴なのか判断が付かない。
もちろんハッピーリレーでもシャイニングゲートでも、テレビ局での仕事に当たっての注意事項や危険の告知はしてる。しかしその程度で出演者達が実感を伴って実践しきれるかは分からない。
有名人だけど中身はヤバイ奴に騙されて、コロリと操り人形にされてしまう例だって昔からよくある事だそうだ。
「灰川君、彼女たちの安全を君の名前で担保して欲しい、そうでなければ狙われる可能性がある」
「そうですね…感情を操って視界を狭めさせる化け物たちの巣窟みたいなもんなんですね、分かりました…」
灰川としてはそういった連中に関わって嫌な目に遭ったりするのも、所詮は自己責任だと思う気持ちもある。しかし自分を慕ってくれてる身近な人達がそんな目に遭うのは許容できない。
誰が良い奴で誰がヤバい奴か、見ただけどころか深く話し込んだって簡単には分からない、本性など隠すし嘘もお手の物だろう。
人心掌握に長けて人に好かれる者が上に行く世界、配信者なんかもそうだし、実際に配信者とかの欲望が元になったスキャンダルも多い。ここは更にその上の世界、気を抜けば何が起こるか分からない場所だ。
「もし皆がそれでも誰かを好きになったなら、俺はそれを応援しようと思います……それに関しては俺が何か言う権利はありませんから」
「企業的にはリスクになるから止めて欲しい所だが、仕方ない事だろう……だが危険な奴に引っ掛かる可能性が非常に高い世界なんだ、それは忘れないで欲しい」
「もしそういう奴が市乃や空羽に何かしたら……絶呪・樹海人形影傀儡か疫呪・イドゾコノサマを使って~~……」
最後の言葉だけは社長2人にしか聞こえないように言うが、2人は何の事だか分からない。しかし富川Pことサイトウには聞こえており「その呪術を使う事が出来るのか!!?」と驚いてたが表面には出さなかった。
「呪いは最後の手段と考えてもらって良いかな灰川さん、何も起こらない事が重要なんだ。そのためには守りと示威が必要だよ」
「もちろんですよ、何も起こらないよう必ず手を尽くします。それが絶対条件っすから」
「スキャンダルの種は摘んでおくのが正解だろう、new Age stardomにも男性を出演させるときは強く慎重にしなければならないな」
会社や所属者を守るためには余計な者を近寄らせない、少なくとも出演者の人を見る目が養われるまでは業界人との大きな接触は避けるべきだと結論された。
一度上がった悪質性なんて簡単には下がらない、今は昔より悪質さが増してると花田社長は強く感じてる。
「灰川さん、この業界の男どもを舐めないで下さい。股間で物を考えてるような奴とか当たり前です、ナツハさんはもちろん、ツバサさんだって標的圏内と考えてください」
「っ! そんな…マジですか富川プロデューサー」
「マジです、男性アイドルグループのBB,crossMENのメンバーの一人は、ツバサさんぐらいの年代の子に手を出してるって有名です」
「……………」
「自己責任なんて言葉を軽々しく使わないで下さい、危険な連中は被害者に“自己責任だから仕方ない”と思わせて問題を表に出させないプロなんですよ」
富川Pの言葉は灰川に強く響く、知識不足や人間心理への考えの甘さに付け込んで食い物にする連中が確かに居る世界、そういった連中を見抜く目が自分たちには必要になって来る。
思えばブラック企業も自己責任だから仕方ないと思わせる手口で無茶な事をさせてきたと今は思う、手口は似たようなものなのかもしれない。
灰川や社長達はそういった怪しい連中が所属者に近寄らないよう気を付けなければならない、所属者がそういう危険に晒されないよう立ち回るのも大事な動きになる。
世の中には普通人が想像も付かない程にヤバい人が居るし、異性を遊び道具くらいにしか思ってない奴も沢山いる。それが現実であり、そういう奴は自分を魅力的に見せる術を知り尽くしてる。
実際には市乃たちは既に強く慕う人が近くに居るため、そういった手合いにたぶらかされる事はない。だが不安は尽きないというのがこの業界の怖い所だ。
もし彼女たちに灰川が『変な奴に騙されて惚れるなよ』と注意したら、結構なマジギレされて泣かれてた可能性すらある。
「でもどうすれば良いですかね…金名刺でもぶら下げて歩けば良いんですか?」
「その事に関して提案があるんですが~~……」
そこから富川プロデューサーやディレクターがアイデアを持ち掛けてくれて、それが実現されれば変なのは絶対に寄って来ないと思えるアイデアだった。
しかし灰川としてはかなり抵抗感がある。
「みんなリハーサル頑張ってな、俺はちょっと別の仕事が入ったから席を外すからよ」
「えっ、そーなの? 灰川さん、何かあった?」
「灰川事務所の方の仕事でよ、まぁマネジメント報告とかいうのがあるみたいでさ、ちょっとやってくっから」
「うん、私たちは調子も良いし、少しづつ感覚も掴めてきたから心配しなくて良いよ」
「灰川さんもお仕事、頑張って下さいね」
「ここでツバサちゃんが登場して、自分が話を振って~~……」
「話を振られたら私が視聴者さんに向かって自己紹介ねっ! その後で~~……」
皆にスタジオを離れる事を言ってから、Vtuberたちの事は社長達に任せて灰川は富川Pとスタジオを出た。
ここからは後手に回っていたテレビ局内での身辺安全管理を直接に頼み込みに行く仕事となる。
「でも上層部がいきなり行って会ってくれますかね…? 金名刺を持ってるって言っても、向こうだって忙しいでしょうし」
「この業界に限らず大きな業界では権力に逆らえない構図が出来上がってるんです、心配しなくて良いですよ」
そうは言うが物には限度だってあるだろう、四楓院家の名前がどこまで通用するかは未知数だが、悪しざまにはされないとは思う。
不安な気持ちを抱えつつ灰川は富川Pと歩いて行き、上の階に向かう事になった。
相談内容は端的に言ってしまうと『2社の所属者を特別扱いしてくれ』という物であり、現状で芸能界での力がない2社の所属者をテレビ局自体が守ってくれるよう直接に頼むという事だった。
「さて、ちょっとゆっくり歩いて行きましょうか、30分くらい掛けて」
「いや、早く行った方が良いんじゃないですかね」
「いえいえ、こちらが負ける事はないと分かってますが、交渉には武器が必要でしょう? 自分たちを大きく見せる武器がね」
「どういう事ですか? 金名刺だけじゃ不足って事ですか?」
「金名刺だけでも充分ですが、それだけだと向こうに精神的な圧力が不足します。もし所属者に誰かが手を出したら、徹底的に潰すという行動を自分たちから進んでやるよう仕向けるのが最適な勝利なんですよ」
保証が権力によるものだけである場合、権力に従うという気持ちから示威行動や報復行動に本身を入れないという可能性が高いと語る。
それでは『名目上のやっつけ仕事』になるという意味であり、効果も薄れて名ばかり特別扱いみたいになる可能性もある。四楓院には上手く言い訳すれば良いと考える奴だって居るかもしれない。
目的は『何事もなく安全に仕事が出来る環境の提供』であるのだから、何かが起こった後で報復などをしても実際には手遅れなのだ。
手遅れにならない環境を作る事が目的なのだから、名ばかり仕事をされたらたまったものではない。
「でも交渉の武器って何ですか? 俺はちょっと思いつかないんですけど」
交渉の手段に用いる武器となるものは様々あり、金銭、情報、契約内容、リーク、その他様々だ。富川Pはその中の一つである手段を提示した。
「今からOBTテレビの上層部連中の裏情報をお教えします。あと証拠もスマホに送っておきましたから」
「へっ!?」
交渉の際に用いる武器の一つ、脅し……約束を守らなかったらお前の決して人に話せない情報をバラ撒くぞという精神的かつ社会的圧力だ。汚い手段ではあるが、汚い世界で生きるためにはこういう事も必要だと諭される。
「交渉に使える演技や効果的な切り出し方も少し教えます」
「上層部の弱みって、なんでそんなの知ってるんですか…?」
「灰川さん、忘れましたか? 私は国家超常対処局にも所属してるんですよ、情報収集や諜報工作も必要な場合は行うんです」
サイトウはそういった分野に強い人材で、0番スタジオの件の時に上層部の情報は隅々まで調べ尽くしたそうだ。それを今回は使うようで、国家超常対処局からも灰川協力員のためならと納得してる。
連続児童殺人鬼怪異・怪人Nの始末、地獄顕現型空間・0番スタジオの短期間浄化の確約、上位ヴァンパイア・免罪符の捕縛など灰川は功績を上げている。
更には局がずっと危険視してたが太刀打ち不能と判断してた7人ミサキの浄霊もしてたという、大きすぎる利を灰川は国家超常対処局にもたらしてるのだ。
金銭には変えられない利益であり、国民を人知れず怪異から守るためにこれからも力を貸して欲しいというのが本音だ。そのために国家超常対処局は灰川に多少の特別扱いは許容する方針となったのだ。
もし所属者に何かあったら灰川は精神ダメージを受けて腑抜けになってしまうかもしれない、そうなってもらっては非常に困るのだ。
危険度や厄介さが上がり続けてる現代の怪現象、国家超常対処局でも対処不能の存在を祓える力、失う訳にはいかない。スカウトしても無駄なのは分かってるし、対人戦闘が出来る精神じゃないから勧誘は見送られてる。
「これらの情報を使って上手く交渉して、絶対に何事も起らない環境を作りましょう」
「分かりました…腹を括ります…!」
時には清濁を併せて吞む事も大人は許容しなければならない、人は決して綺麗なだけの存在ではないのだ。それは灰川だって同じである。
灰川は覚悟を決めてOBTテレビ上層部の個人、集団問わない裏情報を聞いて交渉の武器にする事を決めた。
200話行きました!読んで下さってる方々、ありがとうございます!
せっかくの200話目なのに、こんな嫌な話になってすいません。




