196話 ある神社での出来事
灰川と空羽が訪れた神社は大きくは無いが狭くもないくらいの規模で、近くに商店街や住宅地があるが駅から遠いという、正に穴場という風情の神社だ。
境内には樹木や社、賽銭箱とかがあるが神主などは常駐してないタイプの神社である。
「こういう神社って久しぶりに来たかも、なんか懐かしい感じがするね」
「あんまり大きくないし有名でもないけどよ、良い気が集まる立地でパワースポットなんだよ」
「そうなんだね、言われてみると肩が軽くなった気がするかも」
「そんなに早くパワースポットの効果は出ないって、でも良い感じの場所だからそういう気持ちになるんだよな」
夕方も近い閑静な住宅街の一角、裏路地にある神社には灰川達以外には誰も居ない。過ごしやすい気温に当てられ、灰川は1日の疲れが少し出て来た。
割と長い時間を運転したし、コンセプトカフェや都市公園、ハウススタジオなんかを回って情報を集めて流石に体に疲れが来てる。
「お疲れ様です、灰川さん。キャンディ食べる?」
「おっ、もらうわ、甘酸っぱくて良いなコレ」
「小さい頃からよく食べてるの、美味しいよね。柚子アップルキャンディ」
空羽からもらったアメを食べつつ、軽く境内の写真を撮って保存しておく。ロケハン作業はすぐに終わり、車に戻る前に少し休んで行こうと空羽に提案されて境内のベンチに座った。
「悪いな空羽、俺ちょっと疲れた顔してたろ? 気を使わせちまったよな」
「そんなことないよ、灰川さんこそ公園で私のこと気遣って休もうって言ってくれたんだよね? ありがとう、灰川さん」
「あちゃ~、気付かれてたかぁ、もっとさり気なく出来りゃあ良いのにな」
「ふふっ、私はあのくらいの方が灰川さんらしくて好きかな。私のこと気遣ってくれる灰川さん、カッコよかったよ」
カッコイイなんて言われて灰川の心に何とも言えない気持ち良さが広がる。褒められたりして気分が悪くなる奴なんて居ない。
最近は特に疲れる出来事もあったから、自分の存在を肯定してくれるこういう言葉は身に染みて心地よく響く。
夕方前の涼しくなり始める時間の空気が体に透き通る、都会の中の静かな神社の中での一息つく時間は普段とは違った癒しがあった。
「そういえばこの神社って、どんなご利益がある所なのかな?」
「ここはとある木があった場所に建てられた神社でさ、その木に纏わる話が元で恋愛にご利益があるって言われるようになったんだよ」
灰川が案内したこの小さな神社は、昔に起こった出来事が元で恋愛成就に強いご利益があると言われるようになった場所だった。
愛の白樺
この場所にはかつて一本の大きな白樺の木が立っており、大正時代あたりから恋人同士の待ち合わせ場所として使われる事があったそうだ。
場所は有名でなくとも、漫画やドラマなんかで見るような「お待たせしましたか?」「いや、俺も今来た所だ」みたいな微笑ましいやり取りがされてた場所である。
この場所で告白して成就した人は多く、この場所でプロポーズした人も多く居て、幸せな逸話が沢山ある場所なのだ。
決して奇跡的な何かがあった場所ではない、時代を超えるような大恋愛の舞台になった訳でもない、素朴な人達の何処にでもある大切な思い出が詰まった場所だ。
そういう場所は良い気が立つものだ。きっとここにあった白樺も良い木で、好い気が立ってたのだろう。
「良いお話だね、灰川さんが好きそうな感じがするかも」
「だろ? 白樺の木は無くなっちゃったけど、今でもその話を伝える看板なんかも立ってるぞ」
心霊スポットもパワースポットも有名な所以外にも沢山あり、ここもそんな場所の一つだ。
オカルトとは決して怖いばかりではなく、誰かを幸せにしたり、迷ってる背中を前向きに少しだけ後押ししてくれたりする話もいっぱいあるのだ。
「天下一のVtuberとシャイニングゲートにはショボイ話かもだけどよ、でもこの神社、悪くないだろ?」
「Vtuberとか知名度とか関係無いよ、すごく良い所だね。すごく…落ち着くな……」
灰川の邪気のなさや、本当に良い場所に連れて行こうという優しさが空羽の身に染みた。
その温かみのある心に触れて、何か毒気を抜かれるような気分だ。退屈だとか、そういう気持ちからではなく、なんだか空羽は眠くなる。
疲れてない筈なのに心地よい雰囲気が体を包み、なんだか毒気を抜かれていくようだ。
「……ん……、すぅ~~……すぅ~~…」
「寝ちまったか、やっぱ疲れてたんだな」
ベンチに座りながら空羽は灰川に寄り掛かるようにして寝息を立てる。
空羽は疲れて無い訳ではなかった、疲れに対して感覚がマヒしてただけなのだ。
業界ナンバーワンVtuber、その忙しさや精神負担は少なからずあり、今週末には芸能界への再挑戦が待ってる。
いかに才覚が有ろうと人間であり、疲れ知らずではあっても『疲れナシ』ではない。時に疲労とは自分でも気付かない内に人を蝕む事があるものだ。
「しっかり休めよな、皆と視聴者のためにいっぱい頑張ってくれてありがとな、お疲れさまだぞ」
「……ぅん……すぅ~…すぅ~…」
灰川は労いの言葉を掛けつつ肩を貸し、空羽が一休みできるよう動かず居たのだった。
「…んぅ……あれ…? ここ…どこだっけ…?」
「おはよう空羽、ここは神社だぞ」
「…灰川さん……? え…? あっ…!」
あれからしばらくして空羽が目を覚まし、少しお寝ぼけしてたのか状況に驚く。どうやら割と深く寝てしまってたらしい。
「ご、ごめんなさい灰川さんっ、私…っ」
「良いんだ良いんだ、休める時に休む、忙しい奴の鉄則だって」
休みたいと体が感じた時が最もよく休めるタイミングであり、一番体を回復させられる時なんだと灰川はブラック企業経験から思った。
あの辛い日々の中でも学べる事はあり、空羽にはしっかり休んで欲しいという思いから動かず居たのだ。
「もうお仕事の時間過ぎちゃってるね…ごめんなさい」
空羽は灰川が時間外労働が嫌いなのは知ってるし、今日だってそこまで時間をかけるつもりは無かった。これは事故である。
「気にしてないって、それに自由鷹ナツハが寝てる所なんてレアだからな。良いもん見れた、はははっ」
「ぅぅ…寝顔見られたの恥ずかしいかも…」
灰川がこういう事で嫌な気持ちにならない事も知ってるし、寛容で優しい事も知ってる。だからこそ好きになった。
その事を強く感じ、自分の気持ちの奥行きを理解し、さっきまで考えてたような少し毒があるような考えは完全に抜けていた。
しかし感情が変わった訳ではないし、むしろ気持ちは更に大きくなったような感じがする。自覚出来てなかった疲れが抜けて、考えと気持ちを持ち直す。
「休ませてくれてありがとう、やっぱりこういうとこが灰川さんって感じがするね」
「おうよ、こういう所が俺って感じするだろ? こんな事態を見越してタオルケットとか持って来てない気の利かねぇ奴って所がよ」
優しく感謝の微笑みを浮かべながら空羽は礼を言い、灰川はネタ的な自虐を交えながら笑う。
場の雰囲気は柔らかく、夕日に照らされてる神社の境内はさっきまでとは少し雰囲気が違った。
「肩を貸してくれたお礼しないとね、灰川さん何かして欲しいこととかない?」
「え? いや、別に良いぞ、気にすんなって」
「ううん、ちゃんとお礼したいな、澄風空羽にでも自由鷹ナツハにでも、どっちでも頼みたい事を言って良いんだよ? ふふっ」
空羽は灰川にこんな事を言っても変な頼みをしたりしない事を知ってる、だから安心してこんな事が言えるのだ。そう自分が感じてる事にも空羽は気付いた。
安心して傍に居れる、安心して頼れる、安心してちょっぴりからかえる、そんな安心をくれるからこそ自分はさっきみたいな少し黒い気持ちになるんだろうか?なんて思ったりする。
もし少しくらい変な事を頼まれたって、灰川さんになら……そんな気持ちすら芽生えるが、灰川は変わらず。
「じゃあさっきの飴もらえるか? アレ美味しかったしな」
「ふふっ、そんな感じのこと頼まれると思ったよ。はい、どうぞ」
何でも聞いてあげると言ったのに要求はキャンディを一個、人によっては安く見られてるなんて思う人も居るかもしれないが、そんな気は灰川に無い事は知ってるから空羽は本心からの笑顔のままだ。
それに要求されたのがキャンディが一個であっても、その価値を決めるのは要求した者だ。しかし、空羽には要求されたキャンディを思い出の品にする算段は付いていた。
この神社の場所にかつてあった白樺の木、本来なら大した価値など無かった筈の一本の木が今も伝承として誰かの心に残ってる。
そのことは空羽に、価値とは人が作る物であり、誰かの記憶に残る物というのは必ずしも派手だったり凄く面白かったり、多額の品や大きな曰くのある物だけではないのだと強く実感させた。
そんな事は前から知ってたが、それは半ば忘れかけてた感情だった。その事を改めて教えてくれた灰川への感謝を込めて、そして本来の今日の目的を果たすため、空羽は行動に移る。
「このキャンディ美味しいよね? 甘くて少し酸っぱくて、私いつも食べてるの。この話をしたの灰川さんが初めてなんだ」
「柚子アップルキャンディだろ、初めて食べたけど良いよなコレ。俺も今度から買おうかな~」
「じゃあ、はい。灰川さん、あ~ん」
「え? おいおい、まぁ良いか。うん、美味いっ」
空羽はイタズラっぽくカップルがやるような『あ~んして口に入れる』なんて事をするが、やはり灰川は大きな反応は見せなかった。
「さっきも言ったけどね、私いつもこのキャンディ食べてるの。もうこの味が普通になっちゃって、無いと落ち着かないって感じかな」
「そうなのか、でもそういうのって割と人によってあるんだよな」
「灰川さんはそういうのあるのかな? キャンディとかガムとか」
「俺はフルーツタブレットのグレープ味だな、割と好きで長く買ってるぞ」
コンビニやドラッグストアで簡単に買えるタブレットのお菓子、灰川はなんとなく好きで割と長く愛用してる。
「そうなんだ、覚えておくね。灰川さんはフルタブのグレープ味。うん、覚えたよ」
「別に忘れても良いけどな~、こういうのの好みなんて人それぞれだし」
口の中のキャンディのせいで少し喋りづらいが、特に問題なく喋れてる。ここからが空羽の『匂わせ』の本番だった。
「私もさっき柚子アップルキャンディ食べたから、いま私とキスすると同じ味しちゃうかもだねっ…? ふふっ」
「え?」
イタズラっぽくも少しだけ何かの熱が籠った視線が灰川を射貫く、空羽の笑顔は少し普段と違ってる。
「灰川さん、今度から柚子アップルキャンディ食べたら~…このこと思い出しちゃうかもねっ…? 澄風空羽と自由鷹ナツハのキスの味っ…♪」
「お…おいおい、ははは…」
そう聞いた途端に灰川の中で今まで単に美味しかっただけのキャンディの味が、少し変わったような気がする。
目の前に居る美しい女の子を想像させる味に変わってしまう、ネット配信や動画で綺麗な金髪のモデルで笑う自由鷹ナツハを想像させる味に変わる。
柚子とリンゴの甘さと心地よい酸味が、今現在もジッと目を合わせてる女の子との……。
落ち着いた服装の魅力的な子が、あの空羽が……綺麗な顔立ちや絵になるような容姿の澄風空羽という女の子が、今まで以上に近く見える。それは史菜や由奈から向けられてる気持ちと同じモノのような気がしてならない。
夕暮れの神社に2人、もし顔を近づけたら目を瞑ってくれそうな距離、そんな位置に空羽は寄せてきていた。
空羽は少女漫画などからこういうシチュエーションを学んでおり、それを自分なりに応用して灰川の心に強力な一撃を与えたが。
「それ言ったらフルーツタブレットのグレープ味食ったら、俺とのキスの味になっちまうぞ? 気持ち悪いだろっての」
「あははっ、そうだねっ。でも私は気持ち悪くは無いかな、ちょっと興味あるかも」
「お世辞ありがとよ、そろそろ行くかぁ」
空羽は灰川の最後の発言には流石にちょっとムっとした、お世辞でこんな事を異性に言う訳がないからだ。
その後は車に戻って渋谷に帰ることになり、今日の業務は終了したのだった。
その帰り道、空羽に頼まれてドラッグストアに立ち寄った。
「お待たせ灰川さん、寄ってくれてありがとう」
「いや別に良いって、車だから荷物あっても全然OKだしな」
灰川は駐車場に停めたら電話が来てしまい、空羽はその間に買い物を済ませて来た。
特に気にする事もなく出発しようと思ったら。
「灰川さん、これ私からのプレゼントだよっ、喜んでくれたら嬉しいかな」
「お、なんだ? 柚子アップルキャンディ? おお、ありがとな!しかも10袋!?」
空羽は先程にあんな話をしたというのに、ドラッグストアの棚で売ってた同商品を買い占めて灰川にプレゼントしてくれたのだ。
「それと私はね、コレ買ってみたんだ。フルーツタブレットのグレープ味」
「!」
さっきあんな話をしたというのに空羽はフルーツタブレットを購入してた、しかもそれを見せつけてくる。
こうなると流石の灰川でも「まさかな……」くらいには思ってしまう。
「このグレープ味のフルーツタブレット、味わって食べてみるね? 灰川さんも遠慮なくキャンディ食べて欲しいかな」
「お、おう」
屈託なくそう言う空羽に灰川は少し気圧されるが、やはり心の何処かが『勘違いすんじゃねぇぞ』と睨みを効かせる。
「柚子アップルキャンディだけど、自由鷹ナツハの配信か実写チャンネルを見ながら食べると~…美味しさアップしちゃうかもねっ? ふふっ…」
「あ、あはは…そ、そうかもな」
そんな話をされ、正直言うと灰川の緊張は上がる。しかしその後は空羽に変わった様子はなく、会社がどうとか、これからの動きがどうとかの普段通りの話をして帰宅となったのだった。
空羽の目的は灰川に年下の女の子や自分に強く特別な意味での好感を向けさせる事であり、その足掛かりを深く完全に灰川の心に刻み付けた。
ここからどうなるのかは分からないが、この情報は市乃たち仲間内で伝わるだろう。そこから何が起きるかは分からない。
この一日で関係性が大きく変わる事はなかった、しかし心持ちは変える事が出来たと空羽は満足し、その日はゆっくりと眠って自分でも気付いて無かった疲れが取れたのであった。
アメ食べて会話してるだけなので、センシティブ描写に引っ掛かってないと信じたいです。




