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配信に誰も来ないんだが?  作者: 常夏野 雨内


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184話 悪霊キックボクサー、魂の闘い

 チャン・ヨシカワ、本名はチャロンラット・ヨシカワでチャンは日本でのニックネーム兼リングネームだ。


 日系のアジア人でキックボクサーとして日本で活動する格闘家にして、『悪霊キックボクサー』という肩書で活動をする霊能者。


 格闘に恵まれた身体を鍛え抜き、パンチとキックは強さも速さも強烈無比、何人もの対戦相手を倒してきた才能ある若者だ。


 性根も真っ直ぐで困ってる人が居たら助けるし、危険なモノを察知したら自分から祓いに行く、そんな前向きな青年である。


 彼は母国で格闘技に打ち込み、格闘技で稼ぐなら日本だと言われて来日。有名ではないが身体能力も技量も高く、キックボクシングを主体として他の格闘技のリングに上がる事もある。


 そんなチャンは霊能力で怪異に相対する時は『サイコブロー』という念拳で応戦し、その威力はキックボクサーとしての技量も相まって達人の域に達してる攻撃力だ。


「オ前ッ! 何人の人ヲコロシテマスカッ! トンデモナイ邪気を感ジマース!」


「Ha ha, I don't know what you're talking about. Well, good, it's a sideshow.」

〔ははは、何を言ってるのか分からんな。まあ良い、余興だ〕


 チャンは問答無用で構えを取る。その構えに相手は逃げ出そうともせず、むしろ面白そうにニヤニヤと笑う。邪気も凄まじくなり、もはや勘違いとかではなくヴァンパイアだという事が裏付けられた。


 腕で顔面などのガードを固め、利き足を下げキックをいつでも出せるよう対応、フットワークや視界の取り方もプロ格闘家のそれだ。


 ここは路地裏だがフットワークが効く程度のスペースはあり、キックを出すための空間も取れてる。脇を締めて拳は視界を邪魔しない程度に前に、準備は万端だ。


 チャンは人に危害を加えたりするような人物ではない。子供が迷子になってたりしたら、大きな声で「○○クンノオ母サーン!」と呼んで一緒に探してあげるような善人である。


 幽霊などに対しても問答無用で無理矢理に除霊する事は少なく、それをやる場合は余程の危険がある存在や、誰かを犠牲にしようとする怪異に対してだけだ。


 しかし今、己の目の前に居る存在は話が違う…恐ろしい力を持ち、恐ろしいほど悪質な精神を持ち、誰かを破滅の不幸に陥れる事を享楽とするような存在……その事が霊力のような何かで伝わってくる。


 放っておけば誰かが犠牲になる、誰がどんな不幸に遭わされるか分かったもんじゃない、人間にどれだけの悲しみと憎しみを振りまいたのか……ゼッタイニ倒スッッ!!


「…ッ………ッ…」 


 チャンは構えながら敵の動きや呼吸を見て、攻撃のタイミングを見る。格闘技において最も大事なのはタイミング、祖国の師匠にも日本のトレーナーにもそう言われ、それを何よりも試合と祓いで実感してきた。 


 彼のメイン格闘技であるキックボクシングとは、タイ国の国技であるムエタイに端を発し、日本でプロ格闘技種目として認定されたものだ。


 パンチ、キックの他に肘打ちや膝蹴りも許可されており、ムエタイルールと細かな違いはあるし、競技団体などによっても微細なルールの違いがある。選べる戦術も多彩で、パンチに重きを置くかキックに重きを置くかなどでも見応えがある格闘技である。


 だが何より特筆すべきなのは『一撃性の高さ』だろう。顔面への膝蹴りすらルール違反ではない競技は危険性が高く、鍛え抜かれた肉体を持つキックボクサーですら一撃で倒れる事は少なくない。 


 そんな攻撃力を持ち、若く才能に溢れ、油断も隙も無く技量だってあるキックボクサー、チャン・ヨシカワがヴァンパイアに相対する。


 夜の東京の路地裏、夏の終りの空気が淀む、若き勇士が伝説の存在である吸血鬼に向かう、多くの人間を不幸に誘った存在に間合いを詰める。


「……!!……!」


 チャンは喋る事なく戦術を組み立てる。素早いキックを相手の足に当てて動きを止め、間合いを詰めてパンチの連打、相手の体勢を崩した所にハイキックでフィニッシュ、更に追撃で飛び膝蹴りという筋書きを実行しようとする。


 もちろんいい加減に選んだ戦術ではなく、相手の呼吸や立ち位置、自分との距離、対角線における成功率などをキックボクサーとして見切った上での実戦的戦術だ。


 この動きや戦術は試合でも何度も使ってきたから動きに対する慣れも良く、相手が回避しても即座に次の行動に移れるという事を加味した戦術だった。


 試合と怪異との決闘は違いがあるし間合いも試合より遠い、それは分かってる。だがこの流れこそがチャンが最も得意とする所であり、最も成功率が高いと判断した。


「ッ…!! ッッ…!! ……!!! デエァァァッッ!」


 鍛えたフットワークで地面に横たわる不良を避けて一気に距離を詰め、ローキック、ボディブロー、フック、レバーブロー、アッパーカット、そして渾身のハイキック!


 キック!!拳!拳!拳を叩きつけろ!!意識を刈り取れ!!


 倒れない!攻撃が足りない!モットダ!サイコブローッ、全開デ行ク!!


「ーー!! デェァ!! ダァッ!! イィァァァッッ!!!」


 鉄拳ッ!鉄拳ッ!鉄拳ッ鉄拳ッ!! 膝ッ!膝ッ!ミドル!回転蹴リ!


「ドゥアッッ!!」


 相手の顔面を掴み、渾身かつ全力の飛び膝蹴り!!タイミングも申し分ない、威力は充分だ。


 常人だったら目で追う事すら出来ない速さの拳と脚、プロですら防御の上からでもダメージを受ける強靭なキック、もしリングでの試合だったらとっくに勝ってる。相手はとうにリングに伏し、起き上がって来れないだろう。


 これほどの猛攻、たとえ鍛え抜かれた格闘家であっても死を意識するようなダメージを負いかねない。


「Psychoblow user, fast, strong, good attack. But not enough for me.」

〔サイコブローの使い手か、速く強い良い攻撃だ。だが私には物足りないな〕


 ヴァンパイアの体は強靭かつ回復も早く、優れたキックボクサーであるチャンの攻撃でも大きなダメージは与えられなかった。


 チャンとしても、まるで丸太を蹴ってるような感覚があり、相手は崩れるどころかニヤけ面すら見せる。まるでダメージが無い。


「You've shown your strength, it's time to end this. Lose your blood and die!」

〔底が知れたな、そろそろ終わらせるとしよう。血を失って死ぬがいい!!〕


 遂に超常の力を持つヴァンパイアが牙を剥く、見た目だけなら若い男にしか見えないが、先程までは無かった明らかに人間ではない長さの牙があった。


 吸血鬼は牙で直接に血を吸わなくても人間の血を奪える者が居て、奴はその性質を持っている。だが血を吸う時は直接に吸うのが奴の嗜好だった。……しかし。


「掛カッタナ! コレガ本命アタックダァッ!」


 チャンは隠し玉を持っていた。パンチとキックなどのサイコブローは『肉体頼りのキックボクサーだという印象を与えるための罠』で、コイツに大したダメージを与えられない事は知っていた!


 チャンの祖国の格闘技、立ち技世界最強とまで言われるその格闘技には、試合の前に家族や友、祖国に祈りを捧げる踊りをするという風習がある。


 これは過去にその国の戦士が敵軍に捕らえられ、敵国の王に「我が国の10人の戦士を倒したら解放しよう」と言われ、その試合の前に行った彼の祈りの踊りが起源である。


 戦士は10人の戦士を相対する前に踊り、祈り、家族や師匠や母国への感謝を時間をかけて捧げながら……地形などを観察し、じっくりと10人を倒すプランを練り上げたという逸話がある。そして戦士は見事に10人を打倒し、解放されたのだ。


 この逸話に子供の頃のチャンは『戦いにおける騙しの重要さ』を教えられたがいつの間にか初心を忘れ、過去の手痛い敗北から改めてそれの重要さを学んだ。


(前ニ助ケラレナカッタ女ノ子ガ居タ! アノ時ミタイナ思イはコリゴリダッ!) 




 チャンは四楓院家の娘が怨念に取り憑かれた時に誰かの紹介の紹介みたいな形で呼ばれ、その際に母国の呪術的意味合いを持つ舞踊で八重香の体の外に出した怨念にサイコブローを打ち込むという策を取った。


 怨念は八重香の体から出て来て打ち込んだが、サイコブローは空を切った……怨念は出て来たフリの騙しを使っており体に戻られ、チャンは怨念の反撃に遭い敗北したのだ。


 その後は八重香は今まで以上に激痛と苦しみが増す事となり、もしあの子が死んだのなら己も死のうと考えていた。父と母、そして自分に格闘技や祓いを教えてくれた人たちに合わせる顔など無いと感じたのだ。


 しかしその後にチャンより少し年上くらいの男が祓ったと聞き、名も知らぬ男に深い感謝を感じると共に己の未熟さを恥じ、そこから基礎からの鍛え直しの特訓の日々が始まった。


 キックに偏重していた格闘家としての自分を見直し、サイコブロー頼りになっていた霊能者としての自分を見直し、基礎から鍛えて学び直す日々を送る。


 フットワークに無駄は無いのか?パンチのタイミングはそれで良いのか?キックの命中精度と体の安定力は?サイコブローの気の送りは?祓いの時に邪念は抱いてないか?そんな疑問を解消できるくらい修練を積んだ。 




 そしてある時、キックボクシングのトレーニング合宿で『怪異・虚ろ家』に出くわす。呪いが最大状態となっており、かろうじて家族から逃げさせられた少年が家の外で泣いていた。


『待ッテテ! 僕ガブッ飛バシマース!』


 チャンは迷うことなく虚ろ家が発現してる家屋に飛び込み、悪霊の集合体と相対した。


 その悪霊集合体は強く、苦戦して『モウダメダ!』というくらいにまで追い込まれた。逃げたい、死にたくない、勝てない……そんな気持ちが湧いて心を侵食されそうになった。


 しかし最後によぎったのは今まさに家族を失おうとしてる少年の顔……。



 あの子を悲しませるくらいなら己が死ね!1度ならず2度までも幼き子を苦しませるのか!恥を知れチャン・ヨシカワ!

 ここはお前の父の祖国!お前の父を育んだ大地なのだぞ!己と父と母と師と祖国の全てに恥じるマネをするのか!

 誰かを見捨てて命を繋ぐくらいなら、お前が真っ先に戦って死ね!それが武術を志す者の宿命だ!



 心の中の誰かがそう言った、そう叫んだ。きっと以前までの自分だったら逃げ出してた、見捨ててた。


 鍛えた体と祓いの技は父と母に今より良い暮らしをさせるためにある。だがそれ以前に父と母だったら泣いてる子供を見捨てない!


 そう心を強く持った瞬間、チャンはある事に気が付いた。右膝のサポーターに霊気が溜まってる? 


 そのサポーターは父からもらった物で念が籠っており、チャンの霊力を貯蓄する性質があったのだ。それを使うためには充分な気力と確かな信念が必要で、使うまでは本人すら性質に気付けない程の微弱な霊力しか発しない。極限状態に追い込まれた精神だからこそ気付けた。


 虚ろ家、住んだ者を確実に不幸にさせ死という名の破滅をもたらす怪異、そんな物を放っておく訳にはいかない!ならばやる!


 チャンが右膝のサポーターのロックを解除する、貯蓄された正しく強い霊力に虚ろ家の悪霊集合体が焦って掛かってくる。その瞬間をキックボクサーの目は見逃さない。


 そして彼が選んだ技はもちろん。


『真空!飛ビ膝蹴リィッッ!!』 


『グァァァッ!!!』


 リングネーム、チャン・ヨシカワ。彼の最も得意とする技は真空飛び膝蹴り、相手が向かってきた所に空中に飛び上がり、弱点に向けて強烈なカウンター膝蹴りを喰らわすという技だ。


 かつて日本人で最も有名だったキックボクシング選手が得意とした技で、多くの対戦者をKOした技である。難易度が非常に高いがタイミングさえ合えば非常に強力な一撃技なのだ。


 この時のチャンは、この悪霊集合体の弱点は人間で言う首の部分だと見抜き、そこに向けて一閃!そうして怪異・虚ろ家は効果を失った。


 その後は男子児童の家族の無事を確認し、その子から「おれ!チャンみたいなキックボクシング選手になるよ!!」と言われ、その子はジムに通い出した事を聞いた。


 それが何より嬉しかった、それはきっとチャンピオンベルトにも匹敵する栄誉だ。チャンはそう感じ、今まで以上に修練を積もうと誓いを立てたのだった。



 

「掛カッタナ! コレガ本命アタックダァッ!」


 チャンは右膝のサポーターのロックを解除し、その瞬間に強い霊力が発せられる。


 血を吸って殺そうと向かって来るヴァンパイアの顎に向け飛び上がり、カウンター膝蹴りを放つ。それは威力、タイミング、霊力、全て申し分ない一撃だった。


 修練によって以前よりも更に磨きが掛かり、芸術とすら呼べる一撃だ。これを受けて立ち上がってくる者なんて居やしない。そう言い切れる会心の一撃だったが……。


「Oh! It's quite a feat to do a bit of damage to me!」

〔おおっ! 私に少しながらダメージを与えるとは大したものだ!〕


「ッッ!! クッ!放セ!」


 そんな筈が無い!ノーダメージ!?チャンはそう思うが声には出ない、首元を掴まれ動きを封じられてしまった。


 現在はとっくに夜であり、ヴァンパイアが本領を発揮できる時間だ。この時間に挑んだ時点で勝機は薄かったが、逃がす訳にはいかなかったのだ。


 ヴァンパイアの弱点も膝蹴りでは突けず、顎を狙ってしまったのも判断ミスだったかもしれない。最後の攻撃まではダメージとすら認識されなかった。


「Now, it is time for the execution. Die in ignominy!」 

〔さて、処刑の時間としよう。無様に死ぬがいい!〕


「ナニ言ッテルカ分カンネーヨ…! 地獄ニ落チロッ…腐レ血飲ミ鬼ガッ…! テメーニ命乞イスルクライナラッ、死ンダ方ガマシデスネ…ッ!」


 ヴァンパイアの牙が迫る、その牙が首筋に深く突き立てられたら終わりだ。


「I don't know what you're talking about, but I know you've insulted me.」

〔何を言ってるかは分からんが、侮辱した事は分かるぞ〕


「グァァッ!」


 チャンは意識を失わない程度に血を吸われて動けなくされ、殴られ締められ痛めつけられる。


 まるでボウリングの球を当てられるかのようなパンチ、自動車にぶつかられたかのような衝撃のキック、一見すると普通の男に見える奴の何処にこんな力があるのか。


「Regret that you challenged a elder vampire, and expose your corpse for nothing!」

〔上位ヴァンパイアに挑んだ事を悔やみ、無意味に屍を晒せ!〕


「グゥッ! ガハァッ!」


 善に味方する異国の勇士が蹂躙される、助けられた少年の中では今もヒーローであるキックボクサーが殴られ蹴られ、もはやこれまでというダメージが屈強な体を襲う。


 チャンは覚悟を決め、心の中で父や母や兄弟に別れを告げた。


 父よ、母よ、師よ、兄弟たちよ、先立つ不孝をお許しください! 偉大なる自然の精霊よ、チャロンラットは立派に戦ったと伝えてくれ!


 トドメの一撃が迫る、長い一瞬……その時に誰かが来る気配をヴァンパイアは感じ取った。


「………!」


 ヴァンパイアは誰かが来た事に気が付き、致死量の血を吸わず、トドメを刺さずに退散した。


 ヴァンパイアは闇に紛れて人の生き血を啜る存在、姿を晒すのは悪手だ。この国で楽しむためにも無用な面倒事は避けたい。


 そう考えて現場から即座に離れ、東京の街に消えて行った。


「おい! 何人も倒れてるぞ! 救急車だ!救急車を呼べ!」


 すぐに何人かの者達が救急車を呼び、どうにか事は済んだのだった。


(修行ガ足リマセンデシタカ…! マタ鍛エ直シデスネッ…クソォッ…!)


 薄れゆく意識の中で更に鍛える事を心の中で誓い、この敗北を受け入れ先に進む事を決めたのだった。


 チャンと転がってたチンピラは通行人が救急車を呼び入院となり、何があったかなどは表に出る事はなく、ガス漏れ事故として片付けられた。




「という訳で誠治、ヴァンパイアが日本に入ったという情報が来た」


「ヴァンパイア? そんなもん晴れの日に天日干しにしちまえば良いじゃないすか?」


 日曜日、灰川の自宅アパートにタナカが来て話をしていた。緊急事態だと聞かされてる。

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