180話 ある吸血鬼映画と絵画の心の繋がり
後半はオカルト関係無しの話です。
映画・ヴァンパイアの解けない呪いの内容
イギリスに一人の探偵が居て、そんな彼の元に一件の殺人事件の犯人を捜して欲しいという依頼が来た。
依頼を受けて事件の被害者や現場の状況の情報を集めると、被害者は全身の血が抜かれて死亡しており、首筋に牙で噛まれたような2つの傷跡があった事から「これはヴァンパイアを模倣した犯罪」だと断定する。
この世に吸血鬼なんて存在しないし、悪質な者がヴァンパイアを模って起こした異常犯罪だという線で捜査を進めていく。
しかし捜査をしていくごとにヴァンパイアの存在を確証づけるような物品や証言、さらには第2、第3の事件も発生し、そこからも犯人はヴァンパイアとしか思えない証拠や状況が見つかっていく。
1人目の被害者はたったの10秒で全身の血を抜かれた痕跡があり、2人目の被害者は蝙蝠くらいしか入れない密室で血を抜かれた、3人目は人の力では壊せないドアを手で壊して入って殺害された形跡がある。
しかし探偵はそれでもヴァンパイアは存在しないと自分に言い聞かせ、遂に犯人の居場所に関する決定的な情報を得て現地に1人で向かわなければならなくなった。その場所は1件の古びた廃屋だった。
中に入ると古い誰も住んでない家屋だというのに、何故か血の匂いがする……その匂いはあの扉の向こうからしてる気がする。
探偵の額に汗が流れる、ヴァンパイアなんて存在しない……その言葉が今は頼りなく響く。
あの扉の向こうに居るのは異常な殺人者?誰も居ない?……それとも本当に……。
「これで映画が終わってな、この閉じた壁って絵はラストシーンに映された扉なんだよ。扉のデザインが完全にソレだから絶対にそうだぞ」
「そうなんすねっ、でも証拠がないっすからね」
「証拠は今はないわな~、何せ昔の16mmフィルム映画でビデオにもDVDにもなってねぇし、今もネットに情報は出てないみたいだな」
この映画は誰が撮影したのかも分からないし、主人公の役者も大根で、しかも肝心の吸血鬼が出て来ずに終わる作品なのだ。イギリスで作られたということ以外は謎である。
話も大筋は分かりやすいのだが粗さが目立ち、決して名作という訳でもない。恐らくは素人が撮影した作品で、映画館上映もされてないだろう。そういう作品は数多く存在してるのだ。
しかしバブル期に物好きな日本人が購入し、丁寧に字幕まで付けて日本で保管されてる。
「この映画のフィルムが発見された街で、小学校の1クラスの子供が全員が吸血鬼恐怖症を発症したらしい。その原因は学校で上映されたこの作品だったって話だ」
ヴァンパイアとかドラキュラという単語を聞くだけで体が震えるとか、犬歯を見ると泣き出す子供も出たそうだ。
灰川はこの作品をバブル期に購入した人の友達の友達の息子とかの関係性の人とネットで知り合って借りて見ており、子供が見たら吸血鬼恐怖症になるという効果を見抜いた。
灰川はオカルトマニアであるため意外な物を知ってたり、普通なら知らないようなオカルト映画なども数多く見たりしていて、その中の一つだ。
「この映画ははっきり言って当時の価値観に照らしてもクソ映画の部類なんだけど、ラストシーンだけは滅茶苦茶によく撮れてるんだよ」
ラストの扉の前で探偵が汗を流すシーンは非常に迫力があり、まるで本当に扉の向こうに恐ろしいヴァンパイアが居るかのような雰囲気が出てる。それを灰川もよく覚えてた。
「じゃあ灰川さん、その映画のお祓いとかしたの? そんなの迷惑なだけじゃん」
「勝手にお祓いする訳にもイカンからやってないよ、その効果込みで買ったのかもしれないしな」
もう上映される事もないし、恐怖症も不可逆的な物ではなく克服が充分に可能だ。そこまで大きな影響はないものだし、何より他人の物なのだから勝手にやる訳にはいかない。
「この絵の作者のラフォードさんは小さい頃にヴァンパイアの解けない呪いを見て、ラストシーンだけうっすら覚えてたんだろうな」
扉の向こうにヴァンパイアは居たのか、何も居なかったのか、本当のラストはどんな話だったのか興味はある。しかし確かめようが無いのだから仕方ない。
なぜこの映画が子供に吸血鬼恐怖症を起こさせたのかも『オカルトだから』分からないし、灰川としても曰くを聞いて霊視したら、何かの念が憑いてたというくらいしか分からない。
オカルトが無くても映画や映像作品は時に人の脳裏に強く残り、作品を忘れてしまっても1シーンだけは鮮明に思い出せるという事が割とあって、それがトラウマになって恐怖症に繋がったりする。
ピエロの殺人鬼の映画を見てピエロ恐怖症になったとか、エクソシストが悪魔を祓う映画を見て悪魔の存在を過剰に恐れるようになったとか、そういう話は多々あるものだ。
「でもさー、良く描けてる絵だよね? 何だか大事な思い出を描いたみたいな感じがするかもっ」
「そうっすね、不気味な感じもするのに不思議な感じっす」
「ラフォードさんにとっては思い出せないけど大事な記憶だったのかもな、トラウマの有無とかって芸術センスにも関わるって話だし」
この記憶が無ければもしかしたらラフォードは画家になって無かったかもしれないし、彼の原点とも言える記憶だったのかもしれない。もう本人は亡くなっており、真相は分からないままだ。
しかし、その話を終えた時に絵に宿っていた念が何かに満足したように、優しくふわりと何処かへ昇っていった。
やがて『無駄に絵の扉の向こうが気になる』という効果も無くなり、これによって絵画“閉じた壁”は芸術作品として完成したのだった。きっと今頃は何処か遠い所でラフォードさんも「アレって、そうだったんだ!」なんて思ってるだろう。
「でもさっ、ドラキュラって本当に居るの? 灰川さんは会った事ある?」
「ドラキュラなぁ、俺は会った事ないけどどうなんだろうな」
「日本では漫画とかアニメでよく見るっすけど、馴染み深いって訳じゃないっすもんね」
灰川は分からないと答えたが、実際には居るとタナカから聞かされてる。
海外では昔から一定数のヴァンパイア事件が発生してたらしく、今も教会などの裏に『魔に属する者たちの討伐部門』があるらしい。
しかしヴァンパイアは伝承も多く対策事例も多くて、事件が発生した場合は即座に対応してたが……近年は絶滅の危機に瀕してるそうだ。
国家超常対処局が入手した情報の中に、外国の教会にヴァンパイアからの手紙が届いたという情報があったそうなのだが、それにはこのような事が書かれてたそうだ。
ヴァンパイアの手紙
教会魔属討伐部門の者達ごきげんよう。私は諸君らが長年追っているヴァンパイア、○○○○だ。
私は500年を生きる上位ヴァンパイアだ、君たち教会の400年は生きてるという予測は的中はしてないが外れてもないな。
何故今になって君たちに手紙を書いたのかというと、私の命はもう長くない。不死者と言われ、私自身もそう思ってたが、どうやら思い上がりだったようだ。
君たちは500年を生きた純血のエルダーヴァンパイアの命が何故尽きるのか興味があるだろう、その気になれば何人でも血を吸える強者が何故に死ぬのか記しておく。
私が死ぬ理由、それはお前たち人間が変質してしまったからに他ならない。私と同じ理由で同胞たちも命は今や風前の灯火だ。
ヴァンパイアにとって酷い毒性のある血や、あまりに不味く二度と血を飲めない程に人間の血に恐怖を抱く味。そういった血を持つ人間が増えて、我々ヴァンパイアは上位の者も下位の者も毒にやられるか、血を飲めなくなって飢えて魔力が無くなり餓死する者が出るようになったのだ。
ある者はその辺を歩いてた男の血を飲んだら即座に太陽に焼かれたかのように崩れて消え、ある者は少女の血を飲んだら10年もの間を苦しんでから死んだ。
昔からそういった血を持つヴァンパイアキラー・ブラッドは居たが、今は数が増えすぎてる。お前たち人間の心が荒み切ってるという事なのだろうか。
私もキラーブラッドを飲んでしまった。今の人間の血は危険なものでも匂いでは分からず、飲むまで危険な血かどうか分からない。それが今の人間たちの血の怖さだ。
私は誰の血が原因なのか分からぬが、遅効性の毒のような血に当たってしまったらしい。体が弱まり衰弱していくのが分かる。
もはやこの世界は大概のヴァンパイアが生きていくには適さぬ環境となってしまった。私もこの手紙が届く頃には存在は消えてるだろう。
今は悪人の血や悪性の人間の血を好むゲテモノ好きのヴァンパイアや、特殊な血を飲める者しか生き残れない時代なのかも知れんな。
これまで君たち教会とは様々に立ち回り合ったが、思えば楽しかったと感じる。
私もこれまでだ、もしあの世があるとするなら、お前たちが信じる神とやらに挑んでみるのも一興かもしれんな。さらばだ諸君
こんな手紙が送られて来たそうで、かなり信憑性が高い情報なのだそうだ。
人間の血がヴァンパイアにとっての毒性を帯びるようになってきたそうで、匂いや検査では分からず飲むまで分からない。
現代のヴァンパイアは食事がデスゲームじみた行為になってしまってるそうであり、放って置いたら絶滅するそうだ。
教会は裏で長くヴァンパイアと戦ってきたそうだが、時には密約を交わして協力関係になったり、ヴァンパイアの中には必要最低限の血を頂いて決して人を殺さない者や、人助けをする者も居るそうなのだ。
そういうヴァンパイアだけでも助けられないか、教会で話し合いもされてるようだが、ヴァンパイアにとって危機的状況は変わらない。もっとも海外の話だし日本には関係ない話だろう。
食事という行為でどれ程の苦痛を味わうことになるのか、命を失うかもしれない恐怖が付きまとう怖さ、ヴァンパイアからしたらたまったものじゃない。
しかし人間を苦しめ、時には命を奪ってきた存在なのだから仕方ないだろう。これは人間という種族からの反撃のようなものだ。
もし人間がヴァンパイアと同じ状況に置かれたらどうなるだろう?肉や野菜のように普通に食べてる全ての食糧が検出不能な毒性を帯びる。
そうなったら人間はどう対処するのか…そんな事を考えても仕方ないし、こんな話は市乃や来苑には出来ないので黙っておく。
「お客様、少々よろしいでしょうか?」
「えっ、騒がしかったですか? 周りには聞こえないよう話してたつもりでしたが、すいません」
話が終わった後に少し絵を見てたら、ギャラリーの販売員らしき人が灰川に話し掛けてきた。
3人は周囲に聞こえない声で話してたし、ギャラリーの中にはBGMも流れてるので大丈夫だと思ってたのだが、高級デパートの販売員は耳も特別に良いらしい。
「もしよろしければ、御名刺などは頂けませんでしょうか? 私は銀座アストーラのギャラリー主任でして~~……」
「もちろん良いですよ、自分はこういう者でして~~……」
主任販売員は灰川の話を横耳でこっそり聞いており、そこから得た情報を支配人に報告して名刺を頂いておけと言われたという事情がある。もちろんそんな事は灰川には言わない。
主任は市乃と来苑が『灰川さん』と呼んだ事も報告しており、主任も灰川という名前に聞き覚えがあったのだ。このデパートは四楓院がお得意様で、そこからも情報が回って来てる。
しかし流石は1流のデパートと販売員であり、灰川に無理に顔を通そうとは考えない。今の3人は買い物を楽しむ客であり、行き過ぎた事は失礼に当たる。
主任は灰川の話を聞いて絵の作者についての情報がどうとかの理由を付け、名刺をもらった理由がナマグサな話やキナ臭い話にならないよう気を使ってくれた。
「ありがとうございます、お客様。もし美術品のご入用でしたら、当銀座アストーラデパートギャラリー・セリアンにご相談ください」
「こちらこそこんな立派な名刺もらっちゃって、何かあったら連絡もらえたら来ますよ」
こうしてデパートとの繋がりも出来たが、灰川としては自分は金も無いから用事が出来ることは無いだろうなと考えてる。
その後はギャラリーから出てエレベーターに向かった。
「せっかくだし屋上のガーデンに行ってみたいなー、夜の銀座とか上から見てみたいかもっ」
「良いね市乃ちゃん、自分も行ってみたいっす!」
「じゃあ行くか、まだ閉店まで1時間以上あるしな」
エレベーターに到着した時に2人から言われて行き先を変更し、R階と表示されてるルーフフロアに向かってみた。
13階からすぐに到着してエレベーターを出ると、これまたラグジュアリー感がある屋内スペースを抜けて屋上スペースに出た。
銀座アストーラの屋上は開放スペースになっており、客は自由にルーフに出て休んだり眺めを楽しんだり出来る場所になっている。
「うわぁー、なんかSNS映えしそうっ! 明かりも良い感じだし!」
「緑が多いっすねっ、もう一個上にも行けるみたいっすよ」
銀座地域では屋上緑地プロジェクトというものがあり、デパートなどは屋上に樹木や芝のスペースなどを作ってる所も多い。
銀座のデパートの中には創業当初から屋上に不動尊の社がある有名店もあり、ファッションにご利益があると伝えられてるデパートなんかもある。
「ベンチも結構あるんだな、でも人は居ないっぽいぞ。貸し切りみたいなものだな」
「時間も遅いしねー、軽食のお店も閉まっちゃってるし」
今の時間は屋上庭園は空いてるようで、灰川達以外に人は居なかった。普段は夜景を見に来るカップルとか居るのかも知れないが、運が良かったのだろう。
「俺はちょっと座って休んでるからよ、2人で気兼ねなく見て来いよ」
「えー、灰川さん来ないのー? でも確かにちょっと休みたいかも、せっかくだし眺めが良いベンチにしよーよ」
「そうっすね、自分も少し休んでから見に行きます」
市乃と来苑に連れられるようにして屋上ガーデンを進み、入り口から離れた場所の眺めの良いベンチに座ることにする。
「俺が真ん中で良いのか? 市乃と来苑が隣り合った方が話しやすいだろ?」
「これで良いよー、灰川さん挟んでても来苑先輩とお喋りできるしさー」
「自分もこの方が落ち着くっす、灰川さんとも喋りたいですしね」
灰川を中心にして3人でベンチに座り、一息つきながら屋上からの夜景を見る。
綺麗な照明のデパートや大企業のビルの光、大人の街である銀座の夜景は渋谷とかとは少し違った趣があり、より落ち着いた景色が広がった。
「灰川さん、荷物持ちごくろーさまっ、すっごい助かってるよー」
「自分の分も持ってくれてありがとうございますっ」
「気にしなさんなって、軽いから別に疲れないしよ」
腕はそこまで疲れないが足が疲れてしまい、こうして休んでる。それに腹も減った。
「そういえば灰川さんってさー、Vtuberにガチ恋とかしないの?」
「なんだそれ? Vtuberにガチ恋?」
「私たちVtuberやってるから、身近な人のそういうの気になったりするんだよねー」
突然の言葉に灰川は疑問符を浮かべるが、特に気にする事もなく会話を続ける。
「俺はしないなぁ、まず会った事もない人を好きになるってのが俺に向いてないし、Vtuberやってる時と普段の顔は違うっての分かるしな」
「裏表のない人も居るし、配信と普段とであんまり変わらない人も居るっすよ? そういう人はどうなんすかっ?」
「裏表が無くても配信と普段が変わらないって見えても、やっぱり違うんだよ。悪いって意味じゃないぞ、どうあっても違いは出るって意味だからな」
配信者でもVtuberでも普段と配信時はどうあっても違いが出る。配信の時は明るくて楽しい事しか言わないが、裏では普通にネガティブな事も言うし機嫌が悪い事だってあるだろう。
「そもそもVtuberと本人とでは見た目に違いがあるだろ? 三ツ橋エリスは金髪だけど神坂市乃は黒髪…ちょっと栗色っぽい黒髪だし」
「まぁ、そうだけどさー」
竜胆れもんは黒髪のショートカットで来見野来苑もショートカットの黒髪だが、本人よりは竜胆れもんの髪の毛は長いデザインだ。
顔立ちで比べれば市乃とエリスは全く違うし、れもんと来苑は可愛さの向きが何か違う印象を受けるのだ。それが悪いという事ではなく、やはり本人とは違うという意味だ。
「Vtuberってある意味では人間的プラス側面を抽出した人格的な肖像イメージの視覚化だろ? つまり実体的質量を持たない存在に質量があると視聴者に勘違いさせるツールなんだって思ってるからな」
「??? なんかちょっと分かんないかも」
「まあ、神坂市乃と三ツ橋エリスは違うってことだな」
三ツ橋エリスはアンチが湧いてもブッ殺してぇ!とか本気では言えないし、言えたとしてもギャグの配信芸としてしか言えない。本気で言う場合であれば自身の人気を下げない何かしらの策が必要になる。
ネットに心無い事を書かれて泣きそうになっても、配信ではそれを出せない。出す場合はやはり視聴者に嫌われない方法や、これからの活動のためになる方法を取らなければならないだろう。
それをしなかった場合は視聴者は不快感やイメージとの乖離による失望感を持って離れていくし、直接的な収入も減ってしまう。人気は水物であり、気を抜いたらどんどん漏れ出してしまうものだ。
自分を出さなければならないが、出し過ぎても駄目という非常に難しいものだと思う。もちろん100%自分を出して成功する人も居るかもしれないが、恐らく少数派だ。
「つまり行動や言葉の全てが人から好かれるため、もしくは話題性を掴むためにやってる事だって思っちまうから、俺は配信者とかVtuberの配信とか活動だけを見てガチ恋は出来ないって」
「自分らってそういう感じで見られてるんすか…でも当たってる部分もあるかもっすね…」
「何度も言うけど悪い事って訳じゃないんだぞ、そもそもそんな事はVtuberとかに限らず世の中の皆がやってる事なんだからよ」
人から好かれるために計算して動く、自身の実質的と精神的利益のために努力する、外行きの顔と普段の顔を使い分ける、どれも人類の全てがやってる事だ。誰だって得したいと思うし、人から好かれたいと思う気持ちは何かしらあるだろう。
彼女たちはその計算力や努力や使い分けの技量が非常に高く、それぞれ方向性や考え方は違えど立派に結果を出してる。
「Vtuberにガチ恋する人も居るみたいだけど、そりゃ良い部分しか見えない相手だったらそうなる人も居るわな。ってか昔からアイドルとか役者のガチ恋ファンはいっぱい居たしな」
「そうだよねー、ファンの人達がガチ恋にならないように気を付けてるんだけどさ、それでもガチっぽい人が居たりするし」
ハッピーリレーとシャイニングゲートはガチ恋ファンに悩まされた事が何度もあり、会社から正式に『過剰な思い入れは危険です、応援活動は節度を持ってお願いします』とガチ恋勢に対して注意喚起をした事がある。
特にシャイニングゲートはそういったファンが多かった時期があって、所属者のプライベートを守る方策を手厚くしてる。そのノウハウはハッピーリレーにも渡されて、今は所属者達のプライベートは強く守られてるという状況だ。
「でも、なんちゃってガチ恋の人も居るっすからね、自分の配信にガチ恋ですってスパチャコメントしてくれる人が居るんすけど、その人ショートカットヘアのVtuberさんに何人も同じ事言ってたっす!」
「けっこう居るらしいよな! お前は何人にガチ恋してるんだって人」
笑いながら灰川が話すと来苑も笑う。視聴者がVtuberに騙されるようにその逆もあるもので、単推しです!と言ってた人が100人くらいに同じ事を言ってたなんて話もある。
そもそもサブアカウントで他のVtuber推してるんだろとか、私の配信はサブアカで見てるだろ!って思ったりもするらしい。
Vtuberにも配信者にも視聴者にも私生活があり、互いの隠れた部分は見ない方が身のためだ。そもそも配信なんて元々は暇人が暇潰しでやってたもので、ガチ恋だスパチャだなんて世界では無かった。
今は配信の界隈も変わってきており、視聴者にガチ恋させて金銭を根こそぎ貢がせるなんて魂胆の者も居るらしい。まるでドラキュラみたいな配信者だ。
シャイニングゲートやハッピーリレーはスーパーチャットは有難いけど程々にと周知しており、ファンをより長く持続してもらう方向性を取ってる。
「でもやっぱ生き残るのは市乃とか来苑みたいな変わった奴とか、配信自体が好きでたまらないって奴なんだろうなぁ」
「えっ? 私って変わってるのっ?」
「そりゃ変わってるだろ、じゃなきゃ100万人登録とかになれねぇって」
「自分じゃ分かんないすけど、やっぱ変な部分ってあるもんなんですかね」
灰川がVtuberにガチ恋しないのは他にも理由はあり、呼び水スパチャとか自演質問とか色々と裏事情を聞かされたというのもある。
三ツ橋エリスや竜胆れもんはどうかは知らないが、たぶん自演くらいはした事あるだろうとは思ってる。
灰川自身も自演配信した事があり、以前の来苑がショートレモンのアカウント名で来てた『ギガンティック・ハイ』の時は、ショートレモン以外は実は全部が灰川の自演コメントだったのだ。
今さらそんな事は言えないし、格好が悪すぎる。ネットの世界は騙し騙され、言えない事がいっぱいあって当然なのだ。その部分を分かってないと痛い目を見る。
「じゃあ私とか来苑先輩、空羽先輩たちとかにガチ恋はしないの? 気になるなー」
「っ…! じ、自分も…気になるっす…!」
「え? いや、どうだろうな」
両隣に座る市乃と来苑が心なしか近づく、ここまでの話も2人は楽しんでたが、実はここからが2人にとっての本番だった。
夜の銀座の灯りが見える屋上、美しくライトアップされた街並みからは都会の喧騒が程良く響く。
そんな環境だからなのか灰川の目には市乃が普段と少し違って見えるし、来苑のボーイッシュさが鳴りを潜めてる。
制服姿というのも普段とは違った見え方で、いつもとは違う可愛さがあって何だか妙な気持ちを誘う雰囲気だ。
放課後というには遅い時間だ、2人の声が近く響く。Vtuber配信で聞いてる声なのに、やはり隣から聞こえる声は違く感じる……とか灰川は思ってない。というか実はそれ所ではない。
…めっちゃトイレ行きたいんだが…!
灰川は急にトイレに行きたくなり、タイミングを伺ってたのだが逃がしてしまった。
普通にトイレ行ってくると言えば良いようなものだが、何となく憚られる気がしており、今トイレに行ったら凄い空気読めてない気がして言い出せない。
「皆の中だったらさ、付き合うなら誰がイイって思う? あははっ」
「じ、自分も気になるっすねっ! え…えへへっ」
市乃と来苑がイタズラっぽく聞いてくる。普段なら「誰って言っても年の差でドン引きされるだけじゃねぇか!」とか言って濁す所だが、今はそんな感じの言葉が出て来ない。
今の灰川は2人の質問に「トイレ行かせてくれる奴」とか答えたいくらい切羽詰まってた。
2人は今までの事もあって灰川に対して強い好感を抱いており、幻滅されずに乗り切れるかは未知数である。
今年最後の投稿になるかも知れないので、少し長めに書いてみました。
読んでくれてる皆さん、残る今年も健やかにお過ごしください。
良いお年を!




