168話 灰川事務所の一日
その日は灰川は自分の事務所でハッピーリレーの花田社長と仕事の話と、近況の話なんかをしていた。
「そう言えば花田社長、ハッピーリレーってシャイゲとかとコラボ配信とかしないんですか?」
「他社とコラボか、確かにファンの人達からもそういう物を求められる事もあるんだが、今はちょっとな……」
ハッピーリレーはシャイニングゲートと最近は仲が良いが、コラボなどは非常に限定的かつ慎重に動こうと2社で決めたらしい。
最初の時は渡辺社長も花田社長も乗り気だったが、シャイニングゲートは女性Vtuberだけの配信企業で、ハッピーリレーは男女混合でVtuber以外の配信形態の人も多々いる会社だ。
そのため社長同士の仲は灰川を通じて良くなったが、配信企業としては毛色が違うし、様々な兼ね合いだってある。
ファンが一方に流れてしまう可能性もあるし、コラボした時に炎上でもしようものなら確実に飛び火する。そうなった場合の配信者の感情は、取り返しの付かないほど悪化するだろう。
それに、エリスやミナミなら視聴者数は多いが、2人が仲の良いシャイニングゲートのVtuberは上位の3人だけだ。
この3人だと正直に言えば視聴者数の釣り合いが取れてないし、もし並んで配信したら確実にファンが向こうに流れてしまうと花田社長は語った。
「じゃあ他の配信企業とかってどうなんですか? ファンを奪ったり奪われたりしないような形でとか」
「それが簡単に出来れば良いんだが現実的じゃないな、どう足掻いたって何かしらの流動は発生してしまう」
例え視聴者やその他の経済的、もしくは話題性的な流動が発生しなくても、関わった人達は何かしらの数字の動きがあれば勘ぐってしまう。
そうなれば『コラボした奴に潜在的ファンを取られたと思う』『アイツは話題になってるのに自分は~…』とかの感情論になるだろう。
それを完全に操作できるなら良いが、出来る訳が無いので慎重に事を運ばなければならないと語る。もちろんメリットだっていっぱいあるが、そっちもギャンブル的な要素が拭えず今も試行錯誤を繰り返してるらしい。
「それに最近は個人でも企業勢でも問題のある動画投稿者や配信者も多くてな…ウチも他の会社の事は言えんが、相当に気を付けなければならんのだよ」
「ボルボル君と枝豆ボンバー君は個人勢のVtuberとコラボしましたけど、あれは良かったんですか?」
「八木イチト君だろう? 彼はハッピーリレーに動画編集の依頼をしてる得意客でもあるからね、義理立てするべきと思ったのだよ。それに八木イチト君の方が登録者は多いから、視聴者を引っ張れるかもという下心も当然あったさ」
「そうだったんですか!? 知らなかった…どこで誰が繋がってるか分からん世界ですねぇ」
「だからこそ怖いんだ、どこの誰が誰に何を漏らすか分からない、信用できない人も大勢居る業界なんだ」
花田社長は最近はネット活動者は信用できない人間が増えてるという事情も語る。ちょっとした事を大袈裟に吹聴して動画を出して話題になろうとする者や、前にコラボしたアイツはこんな奴だったと裏で触れ回る人なども居るから、用心しないとならないと言う。
しかも、ネットは何が嘘で何が本当か分かりにくい。
配信者だって人間だから嫌な部分もあるし、視聴者には見せない側面もある。そういった部分を触れ回られたら、小さな被害では済まない可能性だってあるのだ。
配信者やVtuberでもデマを拡散してる人は居るし、デマだとバレたら動画やSNS投稿を削除するだけという手軽さだ。人によっては自分の発言に信憑性を持たせるためのデマ拡散用のアカウントなどを、海外サーバーなどを使って開いてる疑いがある人も居るそうだ。
裏社会と繋がってる怪しい業界人や、詐欺師と変わらないような業界関係者も居るらしく、その他にも用心しなければならない人は多いらしい。
ネット動画や配信界隈、ひいてはメディア業界すら最近は少し前と事情が異なっており、少しの隙も見せられない状況になりつつあると語られた。
「そういえば前に顔出ししてない配信者に成りすまして、その配信者のファンに色々したとかって事件もあったそうっすね」
「それは昔からあるぞ? 代表的なのは有名アイドルのマネージャーだとか、ダンス講師だとか言って持ち帰るとかだな」
「うへぇ~、あれって古典的な方法だったんですか、聞いた時はビックリしたんですけどね」
「配信者同士でも業界人も油断は出来ないな、会社から注意喚起もするが、結局は自分次第な時代だ」
そんな今の状況下で迂闊にコラボとかをしたら何が起こるか分からず、よほど信用できる者でなければコラボは不可能だと語られた。
八木イチトは性格は悪いが口は堅いと評判があるらしく、誰かを槍玉に挙げて非難する活動などはしてないらしい。彼がそういう精神性を持ってる事は灰川は知らなかったし、誰がどんな精神性なのか少し話した程度では分からないものなんだなと感じた。
「灰川さん!! 助けて下さい! 炎上しちゃいましたぁ!」
「噂をすれば枝豆ボンバー君だ、ええ!? 炎上!?」
「何をしでかしたんだね? 君は炎上するような性格や生活とは思えないんだが」
枝豆ボンバー!はハッピーリレーの男性配信者で視聴者登録は7万人という、業界5位の会社の中でもそこまで抜きん出た存在ではない。
農業大学に通いながら配信者として活動しており、配信活動の目的は枝豆の素晴らしさを世に広める事だ。ゆくゆくは品種改良によって今以上の枝豆専用品種の物を作りたいらしい。
大学の彼の評価は『枝豆だけに関しては知識も情熱も1流』で、学生ながらに枝豆や関連する知識は植物博士を越えるとまで言われてる。だがあくまで枝豆に限った話だ。
「居酒屋で一人でソラ豆食べてる所を動画に撮られて、SNSに流されちゃったんです!」
「「ギャハハハ!」」
灰川と花田社長は笑ってしまったが、枝豆ボンバーは規模はどうあれ炎上は初めての経験らしく、かなり焦ってる。
「よっしゃ! 枝豆ボンバー君の炎上、見てみましょうよ社長!」
「ソラ豆を食べて炎上する人は地球上を探しても君だけだろうな。ふははっ!」
「笑い事じゃないんですって! 本当に炎上してるんですから!」
さっそく灰川と花田社長が枝豆ボンバーの提示した小さなネットニュースサイトを見てみると、そこには小さな記事で。
衝撃!大人気配信者の枝豆ボンバー!
居酒屋でソラ豆を貪り食う!
ハッピーリレーの枝豆ボンバー!さんがソラ豆を食べる事件が発生!
記事を見た人のコメントは以下になります。
枝豆の殻が山盛りじゃねぇかwww
ソラ豆もっと食え!
ずんだシェイク飲みながら豆食ってるwww
誰だよコイツ
ソラ豆ボンバー!に改名待ったなし!
「ほら! 炎上してるじゃないですか!?」
「大人気配信者って書かれてるぞ、良かったじゃん! 枝豆ボンバー君も遂に炎上ボンバーしちゃったかぁ!」
「これは炎上とは言わんよ、小さな波だが、せっかくだからネタ系の謝罪動画でも出したらどうかね?」
こんな風に何が何処で触れ回られるか分からない、これが今のネットの怖さだ。
「この日は枝豆を食べ過ぎてたから、他の栄養素も取らなきゃと思って食べただけなのに! あんまりだぁ!」
「他の栄養素って、ソラ豆も豆じゃねぇか! もっと枝豆以外の物も食いなって!」
「大豆ミートとかモヤシとか味噌豆腐とか食べてますよ! 湯葉のきな粉和えだって好きですし!」
「枝豆含めて全部が大豆じゃないか…ソラ豆だけは大豆じゃないが…。 ん?よく見ると着てる服まで大豆レーヨンで作った服じゃないか!」
そんなこんなで枝豆ボンバー!のプチ炎上騒動はギャグを含めた軽い謝罪と、枝豆以外も少しは食べると言う釈明の動画を出して終わった。
世の中何が起こるか分からない、言葉も行動も気を付けなきゃいけない時代の一幕である。この後、枝豆ボンバーは少し登録者が増えたらしい。
そんな事があった日の午後、灰川はちょっと疲れたから少し手抜きしながら仕事してた時に、佳那美がドタバタしながら事務所に入って来た。
「灰川さんっ! 大変だよ~!」
「あ~佳那美ちゃん、こっち来てね。はい、祓っといたよ、誰だか知らないけどホラーの舞台を演じる時はお参りに行きなさいって言っといてね」
「また言う前に分かっちゃったの!? 灰川さんすごい!」
佳那美はハッピーリレー事務所に来た時は灰川事務所に遊びに来る率が高く、今日も顔を出したのだが少し嫌な気配がまとわり憑いてたから祓ってあげた。
友達か誰かが演じると呪われたり祟られたりする『祟り劇』というものに関わってしまった気配がしてたのだ。
「うわっ! 佳那美ちゃん汗だくじゃん! 何してきたの!?」
「走りながら下校してきたよっ! 灰川さんに相談したかったもんっ!」
どうやらまだまだ暑い中で走りながら学校から直接来たらしく、ランドセルを背負ったまま汗だくになっていた。
祟り劇に関しては佳那美の学校の友達の友達だか、友達の親戚だかが演劇をしたら変な現象が起こるようになったとかで、灰川に言いに来たようだった。
「う~ん、お参りに行けば大丈夫だと思うよ? 佳那美ちゃんに憑いてたのも弱いモノだったし、何もしなくてもそのうち消えてたと思う」
「ありがとう灰川さんっ! 伝えておくねっ!」
「ハッピーリレーでレッスンする前にシャワー浴びて着替えた方が良いよ、湯気でも出そうなくらい汗まみれじゃん」
「うんっ! ありがとう灰川さんっ、レッスンがんばるねっ」
佳那美は元気いっぱいのまま灰川事務所を後にしてレッスンに行ったようだ。
しかし灰川は佳那美が具体的に何のレッスンをしてるか知らないし、配信以外の事は詳しく知らない。佳那美と話す時は学校であった事とか、最近あった面白い話とかが主で仕事の話はあまりしてないのだ。
佳那美を含む育成組は木島がマネージャーを務めており、レッスンやエンタメ講習などの管理は灰川は関わってないのだ。
そんなこんなで祟り劇の説明などはしなかったが、問題も無さそうだし放って置く事にする。なんでもかんでも首を突っ込んだら、佳那美はともかく、その周囲から気味悪がられるだろう。
基本的に灰川は頼まれなければ余程の事が無い限り、見ず知らずの人のお祓いなどはしないタイプだ。余程の事があった時は話し掛けて教えたりする事もある。
「さーてと、仕事時間も終わったし、そろそろ行くかな」
明日は休みで今夜は用事があり、国家超常対処局のタナカと情報交換のために会う約束になってた。待ち合わせ場所は灰川に合わせてくれて渋谷にしてくれてる。
タナカも仕事で結構なストレスが溜まってるらしく、今日は飲もうと言っていた。最近は忙しくて出ずっぱりだそうで、霊力や精神エネルギーの回復のためにも、局の実働部隊は持ち回りで連休を取ってる際中らしい。
事務所の戸締りなどもして警報装置なんかもONにして街に出ると、休日前の夜の始まり時間という事もあって町は賑やかさを増していた。
「こんちはタナカさん、調子はどうっすか?」
「おう誠治、あっちこっち飛び回って嫌になってるぞ。行く場所が全部とも陰気な場所だしな」
「そりゃそうっすよね、怪異とかがある場所って陰気な場所が多いイメージですしね」
渋谷センター街近くのコンビニ前で待ち合わせて合流し、そのまま何となしに歩き出す。会話しながら近況の仕事とか疲れたとか話したりしつつ、前と会った時と変わって無い事を互いに喜んだ。
夏も終わりが見えてきたとはいえ、まだまだ暑く街も活発だ。夜の渋谷は光り輝く看板が目白押しになり、どこかの店先から鳴り響く音楽なんかも道行く人の気分を賑わせてる。
若者の街に男が二人、喧騒の中に歩いてく。今夜は疲れた体と心を癒すため、週末の活気に盛り上がる繁華街に繰り出した。
「腹も減ったし店に入るか、誠治のお勧めの店とかってあるか?」
「何を食べたいかによりますね、肉が良いとか野菜が食べたいとか」
「バランス良く食べたい気分だな、というか体がバランスの良い食事が最適になっちまってるからな」
タナカはかなり体格が良い30代後半の男で、その体はトレーニングや日々の任務によって作られてる。食事も体格を保ちつつ鍛えるため、バランス良い食事を心掛けてるようだが酒は割と好きなタイプらしい。
「じゃあ食事も酒もある居酒屋を回りますか、話もあんま人に聞かれるのもマズイから個室居酒屋を探すっすよ」
「土地勘があまり無いから任せるぞ、どんな店でも文句は言わんさ。俺の奢りだから高い店でも良いぞ」
「お、言ったっすねぇ、ご馳走になりますよ。でも時間もピーク直前だろうし、開いてるかなぁ」
その後は何件か個室居酒屋を回り、開いてる店を見つけて入店する。
今夜は何かしら良い情報が聞けるかもしれないし、危険な怪奇現象などの情報をタナカに提供できるかもしれない。




