166話 出オチの訳アリ物件
「築5年、駅から7分の1ルームマンションですが、防音も良い感じで何人か配信者の人も入ってます」
「これで13万円か…さっき見たのと比べると高く感じるけど、防音もしっかりしてるし駅から近いから少し安い家賃かも」
「私はパスだよ~、ペットがダメみたいだしね~」
「ちょっと浮遊霊が通りやすい立地だけど、お祓いすれば問題ないな。でもちょっと治安が心配だな」
1件目はワンルームだが悪くない造りで、多少の欠点に目をつぶれば問題は無さそうだ。しかし立地的に女の子の一人暮らしには少し不安が残る場所だった。
「2件目は1DKの物件で、駅から5分でペットも可です。家賃は18万円です」
「う~ん…悪くないけど、隣の部屋も配信者さんっぽいよ。隣には音は漏れないけど廊下には声が漏れてたし」
「私は止めとくね~、廊下に声が漏れるのやだよ~」
結局は2人ともパスする。配信者向けとしては少し防音が甘い気がするし、歌なども披露するVtuberは避けた方が良さそうだ。
3件目もそのまま周り、悪くは無かった。桜にとっては良い感じだったが、朋絵にはどうにも決定打に欠ける物件のようで悩んでる。
配信者向けとは銘打ってても完璧ではない物件だってあったりするし、場所が良いからワンルームでも高めの値段だし、間取りが広い物件はかなり高い。
「どうしよう…早く決めなきゃいけないのにっ…」
「私も簡単に決められないな~、もっと楽に決められるかと思ってた~」
「桜の場合はもう少し慎重に決めた方が良いだろうな、これから忙しくなるけど、目にハンディキャップがある以上はしっかり選んだ方が良いって」
さっさと決めなきゃいけない朋絵はともかく、桜の場合は簡単には選べない。周囲の利便性や建物のバリアフリーもしっかり確認した上で、両親とも相談してといった段階は必要になるだろう。
灰川は視覚障碍者介助を学んでる最中だが、自身は視覚障碍者ではないし勉強は浅い。やはり本人と長年を共にしてきた家族にしか分からない部分があるし、目にハンディキャップを持つ人に適した環境かは、家族などにも見定めてもらった方が良い。
「まぁ、どの道に桜は一回は家に持ち帰って両親と相談だな」
「そうだね~、住むんだったら3件目が良いかも~」
「あ、それとさっき電話があってよ、CMの日程が決まったぞ、それと出版社と作者さんから新作絵本と児童文学の朗読の案件の相談も~~……」
「朗読だね~、まだ色についての声での表現が勉強中だから、頑張らないとね~」
「あと、ナツハの受ける予定だった案件も桜が出来そうなのが回ってきそうだな、香水の案件とかも引っ張れそうだし」
「…………」
この話を傍から聞いて滝織キオンこと朋絵が静かになる。
ライクスペースは最近は評判の下降で企業からの宣伝案件が入って来づらい状況で、滝織にもそういった良い感じの仕事は話が来ない状況が続いてる。
それと並行して視聴者数とメンバーシップ収入の低下などもあり、先行きは雲が差してる。炎上で取り止めになった案件もあった。
「やっぱシャイゲとライスペじゃ全然違うか……はぁ…」
そんな言葉が出て来るが灰川と桜には聞こえない、シャイニングゲートに舞い込む案件や、企業として進む先は他社と比べて別格の地位だ。
ライクスペースは大企業からの仕事依頼は基本的に来ないし、地上波CMなんかも来たりしない。むしろ最近は配信者として好ましくない案件が来たりしてる。
「店主さん、この際だから少しくらい訳アリでも良いんで、安い物件ってありませんか?」
「あるにはありますけど、お客さんは訳アリは止めておいた方が良いと思いますが」
その会話は灰川と桜にも聞こえて来て、少し話をすることにした。
「訳アリは止めといた方が良いって、朋絵さんは普通の物件の方が良いよ」
「っ…! でも家賃は痛いし、収益も少なくなってるし…」
「収益が下がったって言っても80万人近く登録あるんでしょ? それなら大丈夫でしょ」
「大丈夫じゃないですよ…ソシャゲ配信とかだとお金を使うし、会社に支払う動画編集費もバカになんないし…。収益だって会社が持ってく分もあるんですよ…」
何をするにしても活動というのは金が掛かるもので、目立とうとすれば自動的に金は出てくだろう。
動画編集は自分でやれば良いと言う人も居るが、大勢に見てもらう事が前提の動画は素人が作った物だと今時は見てもらいにくいクオリティになる事が多い。登録者が多くてもクオリティの低い動画が続けば求心力は下がる。
動画編集は労力だけでなくセンスも重要であり、どうしても思い通りの動画を作れない人だって大勢いる。
配信にだってお金が掛かる場合も多々あり、その例の一つがソシャゲのガチャ配信だろう。【新キャラ完凸配信】みたいな形式だと新規の視聴者の取り込みも期待できるが、下手したら20万円くらい掛かる事だってある。
特にガチャ配信は視聴者も盛り上がり、配信者としては簡単に見所が作れる内容だから繰り返す人も割と居たりする。
しかし何度もやれば今度は視聴者から多額の課金をする場面を求められるようになり、視聴者を繋ぎ止めるために何度も多額の課金をする羽目になる。結果としてそれが元になり破産した配信者も居る程だ。
最近はそこそこの視聴者登録を持つ配信者などに重課金ゲーの案件が来て、視聴者参加型配信にさせて視聴者にも重課金を煽る配信案件なんかもあったりする。それを繰り返したら視聴者は離れてくだろう。
ライクスペースは基本的に動画や配信に掛かる費用は自費だそうで、最近はその費用が財布を圧迫してると朋絵は語った。ライクスペースは多数のソシャゲ会社に強い伝手があり、ソシャゲ配信は楽に許可が降りると聞いてる。
ハッピーリレーやシャイニングゲートも基本自費だが、会社の風土的に多額の費用が掛かる動画や配信はそんなに割合は多くない。やる場合は慎重に考えてスタッフに相談の上でやるそうだ。
「なるほど…Vtuberも大変だ」
「私…最近はそういう案件を会社から振られるの多いんです…。課金も自費だし動画編集は自分じゃ出来ないし…他にも色々あってさ…」
「そうか、ちょっと問題だね」
配信しなきゃ収入が無くなり、案件を受けなければ会社からの評価は下がり、動画を出さなければ新規視聴者を呼び込めない。
こうなると金ばかりが出て行き、いくら収入があっても足りなくなるだろう。
配信者などにとって一度増えたフォロワーが減るのは想像以上の精神的ダメージがあり、中には一気にフォロワーが減って精神を病む人も居る。滝織キオンは現在そんな苦境に立たされてるのだ。
どんな業界や界隈にも裏や事情はあるもので、これはそのほんの一部でしかない。考え過ぎかも知れないが、最近のライクスペースの噂を聞くと少し裏が濃い疑いの気持ちが湧いて来る。
しかし何かライクスペースの動きは他にも原因や裏がありそうだと灰川は思った。
「それなら場所は離れてしまうんですが、月2万円で入れる物件があります。訳アリですが防音などもしっかりしてますよ」
「2万円!? ど、何処なんですかっ!?」
「朋絵さんも短絡的だなぁ、人の事は言えないけどさ」
「じゃあそこに行ってみよう~? 良い所かもしれないよ~」
貧すれば鈍する、訳アリ物件は止めておけと言われたのに朋絵は食いついた。しかし金銭面や様々な事情があるのだから仕方ない、取りあえずはそこに向かう事にした。
渋谷から車で30分ほどの場所にその物件はあった。築40年くらい?薄っぺらいコンクリートの壁のボロいアパート、その建物の名前は。
「馬路矢場アパートじゃねぇか!」
「「「うわっ!」」」
その物件は灰川が住むアパートだ、現在はこのアパートは灰川ともう一人の住人しか住んでおらず、10ある部屋の内の8つは開いてるという状態だ。
灰川が入居する際に頼んだ不動産屋は別の所だが、大家はワケアリー不動産にも仲介依頼を出してるのだろう。
「灰川さん、ここに住んでるの~? どんなお部屋なのか気になるな~」
「防音なんざ期待できねぇぞ…俺の部屋は両隣に人が居ないから良いけどよ」
灰川は1階の右から2番目の部屋に住んでおり、ここを選んだ理由はパワースポットになってたからだ。しかし他の部屋はパワースポットではない。
もう一人の住人も1階の左端に住んでおり、たまに会話したりするくらいの仲である。
「2階の部屋はロックミュージックが流行ってた頃に凄い防音の部屋に改築してまして、その時に耐震性なんかも上げて今も住めるアパートになってるんですよ」
「そうだったんですか!? 知らなかったぜ…」
建物とは長くあれば時代を映す物になり、かつての時代の特色を吸収している物件も少なくない。
昭和から平成にかけて様々な音楽が流行り、多くの若者が新時代のスターを目指してギターや歌唱に打ち込んだ時代があった。馬路矢場アパートの2階は、その時代の流れを映す物件だった。
「でも訳アリなんですよねっ…? ど、どんな訳が…っ」
「実はですね、以前に流れた怖いアパートの噂……ここの事なんですよぉ…!」
仰々しく店主は語り始めた。
アパートの怪談
10年ほど前にミュージシャン希望だったGERNさんは、とあるアパートの2階に家賃が安くて防音完備という理由で入居した。
しかし入居してから1か月も経たないうちに誰かの視線を部屋の中で感じるようになり、音楽活動に使うスピーカーから電源も入れてないのに呻き声が流れたり、誰も居ないのにドアをノックされたりするようになった。
ある日に家に帰ってきたら部屋のドアの前に誰かが居て、何か用なのか話し掛けようとしたら通路の奥の方に歩いて行って曲がって見えなくなった。
「……え? 奥に曲がる所なんて無いだろ…?」
通路の奥に行って確かめるが曲がれる所など無く、それから怪奇現象が非常に多くなる。
土地の過去を調べても曰くなんて何も無く、部屋で誰かが亡くなった事もない。幽霊とか祟りが起きそうな事は何も無かったが、遂にGERNにとって決定的な事が発生した。
ライブハウスでのライブが終わり、部屋の小さなバスルームでシャワーを浴びてた時だった。シャワーカーテンの向こうに誰か居る……洗面台の鏡の前に誰かが立ってる。
見間違いとは思えない、カーテンに影が映ってる……それを見て余りの怖さに動けなくなってしまい、気が付いたらシャワーを出しっぱなしでユニットバスの中で倒れてた。
その後は仲間から金を借りて引っ越したそうで、テレビに出るようになって名が売れてから再現ドラマで話が有名になった。その場所がここである。
「このアパートだと特定はされなかったんですが、古いアパートというのもあって入居者は少なくて」
「ぅぅ…怖いけど…、どうしよ…」
一時期にアパート怪談が流行った時期があり、有名な都市伝説の再現ドラマなどで古いアパートが使われる事も多かった。そのため気味が悪いイメージが付いてしまい、ここもその煽りを受けたそうだ。
そうでなくとも実際に何人も心霊現象に遭遇しており、その噂も巷で広がってるらしく馬路矢場アパートは今も2人しか入居してない。立地もそんなに良くないのも大きいだろう。
朋絵は値段に釣られて迷っており、口ではオカルトは信じてないと言ってるが、かなり怖がってるように見える。
「その霊なら101号室のファントム老師が浄霊したそうですよ」
「ファントム老師!? 誰それ!? そんな名前の人が住んでるんですか!?」
「そうなんですか、流石はファントム老師ですね」
「ここって俺の住んでる部屋は今はパワースポットになってるけど、曰くが無くても他の部屋は幽霊が出やすいんですよね。老師もそう言ってましたし」
「灰川さん以外の住んでる人も霊能者さんなんだね~」
他に住んでる一人も霊能力者だが、本業は漫画家兼イラストレーターと聞いてる。ファントム老師というのはペンネームで、ここは東京の仕事場として借りてて普段は他の地方で仕事をしてるそうだ。
「ここにするならお札とか少し割引きで売ってあげるけど、でも駅から少しあるし電車だと渋谷まで1時間くらい掛かるよ?」
「バスだと乗り換えがありますが、最短で40分くらいですね」
「渋谷までは少し遠いけど、会社にそんなに何度も行く訳じゃないし…家賃も安いし、どうしようっ…? マジ悩むんだけど…!」
訳アリ物件だが曰く付き物件ではなく、霊能者も居るから怪奇現象については安心、しかも家賃がべらぼうに安く、買い物とかもスーパーが近くにあるから不便ではない。
朋絵の高校から少し離れてるが、通学時間は今の住居と変わらないくらいで行けるらしい。だが渋谷のような繁華街からは離れてるし、渋谷区ではないから東京都居住区カーストは少し下がりそうだ。
それでも値段が魅力的過ぎるし、全くの文句の付けようがない住居なんて殆ど無い。都心の高層タワーマンションなんかへの憧れもあるだろうが、今の朋絵の経済状況では難があるだろう。
「お…お札って、どのくらいの値段なんですか…?」
「知り合い割引きで20%引きにして400円かな、効果は1枚で1年持つよ」
「安っ! 儲け度外視だコレ!」
「灰川さんのお札~、凄く効果あるってハッピーリレーの人達から聞いてるよ~」
ハッピーリレーの社屋は色々あって怪現象が発生してたが、今は灰川のお祓いやお札の効果で収まっており、配信者達がホラー配信をする時のためにも持たせてある。
「俺が作ったのが嫌だったら、親戚に友達とかの霊能力者を紹介してもらうけど」
「か、買いますって! 灰川さんが悪い人とか変な人じゃないっての分かりましたし! 家賃が凄く良いし!」
「私も前向きに考えてみよ~かな~、ゲキヤバアパート~」
「馬路矢場アパートな、ここはバリアフリーがちょっとアレだから、桜はよく考えてからにしといた方が良いぞ」
訳アリ物件であってもお祓いが済んでて何も怪奇現象が発生しなくなってる場所もあるし、灰川のような除霊が出来る霊能者が住んでて安全という場所もあったりする。
要は環境や住人によっても訳アリ物件の危険度は違うのだ。霊耐性が強い人や場所との相性が良い人だったら大丈夫という事もあったりするから、やはり運が重要なのかも知れない。
「お札は在り合わせのがあるから予備を含めて渡しとくよ、何かあった時のために名刺も渡しとくから連絡して」
「朋絵先輩おめでとう~、引っ越し先が決まって良かったね~」
「治安は良いけど防犯がちょっと甘い物件だから、そこはしっかり考えた方が良いと思う」
「灰川さん、桜ちゃん、ありがとうございました。桜ちゃんも良い物件が見つかると良いね」
こうして滝織キオンこと朋絵は灰川のご近所さんになったが、仕事とか学校とか配信があるから、あまり会う事は無いだろう。腰掛け物件程度にして、少ししたら再度引っ越しする可能性もある。
桜も自宅以外の物件を色々と見て学び、改めて生活や人生において大きなことを決める難しさも感じたはずだ。
決して無意味な時間ではなかっただろうし、実は桜のマンションはペット可になる可能性が出てるという話も両親から聞いた。まだ分からないが、もしそうなったらマフ子は家で一緒になれる可能性もあるだろう。
だがライクスペースの問題が解消したわけでは無く、もしかしたら灰川にも関係して来るのかもしれない。その事も踏まえて灰川は朋絵に話をする事にした。
「朋絵さん、オカルト以外でも困った事があったら相談してもらって良いからね。秘密厳守で話を聞くからさ」
「えっ…? でもコンサルタントやってる人に相談とか、結構なお金とられるんじゃ…」
「ちょっとした相談くらいでお金なんて取らないって、案件の斡旋とかは出来ないけど」
「はい、ありがとうございます」
灰川にも立場という物があるため下手な物言いは出来ない、これでは会話の真意は掴めてないと判断した。
「今日は桜の事を気にして動いてくれてありがとう、凄く感謝してる。だから本当に、どんな事でも相談に乗るから、どんな事でもだよ」
「えっ、あ、ありがとうございます」
これは『会社からの待遇が耐えられなくなったら言いに来て』という意味合いの言葉なのだが、それが朋絵に伝わったかどうかは怪しい感じがする。
Vtuberというのは多くは正体は人間であり、配信企業は人間が運営する会社組織だ。そこには様々な人間模様や会社の思惑、相互関係が存在しており、一筋縄では行かないというのを灰川は朋絵から改めて感じ取ったのだった。
その後は渋谷に車で戻って朋絵は部屋の契約で、灰川と桜は不動産屋を後にするという形になった。
16時頃に渋谷に帰って来て、昼食を摂ってなかった事もあり腹が空いたので灰川と桜は軽く食事をした。
桜は灰川の部屋に入ってみたかったが、今は散らかってて足下が危ないから無理と言って諦めさせた。マジで桜には危ない散らかりようで、掃除しなきゃなぁと思う。
後は桜がタクシーに乗って帰宅する所を見届けてから事務所に行こうと思ったが。
「ちょっと行ってみたいお店があるんだ~、灰川さん付き合って~?」
「おう、行こうぜ。何の店?」
「紅茶葉のお店だよ~、最初にOKしてくれてありがと~」
駅からも近いらしく歩いて行くことになり、桜が手を伸ばし灰川は介助のために腕を差し出して掴んでもらう。
今は夏で灰川はYシャツを着ており、桜の手の温度が薄いシャツの生地越しに伝わってきた。
その感覚をしっかりと意識し、離れてしまった場合は即座に気付き、手に力の変化があったら何かがあったのか気に掛けるという事も気を付けようと思う。
ここからは少し桜と雑談でもしながら、夏の夕方のショッピングの時間になった。灰川にとってはこれも大事な仕事だ。
一方で桜は灰川とは思惑が違い、これを機にもっと仲良くなりたいな~、という考えがあったりする。
ちょっと上手く書けませんでした。




