165話 心理的瑕疵の本質
今回は少し暗めの内容です、ご注意下さい。
心理的瑕疵についての様々な見解があると思われますが、その一例程度の気持ちで読んで下さるとありがたいです。
「あの、鏡を持ち込んじゃいけない部屋と、洗面所の明かりを消しちゃいけない部屋ってのは何ですか?」
「たまに鏡に変なモノが映るそうなんですよ、洗面所の部屋は明かりを消すと子供の声が聞こえるらしいですね」
「「「………」」」
普通な感じで言われたが、明らかに訳アリ物件だ。
「鏡の部屋は前の建物の時に事件があったのが原因らしいとかで、洗面所の部屋は子供が何かあったとかは過去を含めて何も無いんですけどね」
「あの…幽霊物件って事ですか…?」
そう聞いたのは朋絵で、顔が青くなりかけのような表情だ。
「そうですね、お客さんの希望地域では大なり小なり訳アリの物件が多いですよ。ウチは正直交渉がモットーですんで、隠さず言いますよ」
「潔い不動産屋だ…でも油断は出来ねぇ理由も分かった気がする…」
訳アリ物件は包み隠さず説明して、納得してもらえたら契約という方針のようだ。だからワケアリー不動産なんだろうか?
「灰川さんならどうにか出来るよね~? どうにかならないかな~?」
「あ~…うん、お祓いとかなら出来るよ、でも訳アリ物件って幽霊とか悪念が無くなったら大丈夫ってならない事も多いんだよ」
「お客さんは霊能者なんですか? 前も霊能者系Your-tuberのお客さんが開けちゃいけない仏壇がある部屋を借りて行きましたよ、3日後に引っ越してチャンネルも削除してましたけどね」
サラリと怖い事を言う不動産屋だ、本当に包み隠す気はゼロらしい。
「でもお客さんの言う通りで、物件ってのは曰くが無ければ良い物件って訳じゃないんですよ」
「そうなんですよね…曰くが発生するような造りや環境になってる物件とかも問題なんだよ、お祓いすれば大丈夫って物件も沢山あるけどさ」
「そ、それってどういうことなんですかっ?」
意外にも食いついてきたのは朋絵の方だった、実際に店を出してる不動産屋が言うと信憑性が高いと感じたのだろうか。そこから灰川と不動産屋の店主による説明が始まる。
「幽霊が居る物件とか怪現象が発生する物件はあるけど、それと同時に事故物件じゃないのに入居した人が必ず体調を崩す物件なんかもあるんだよな」
「そうなんです、建物の造り的に事故物件じゃなくても、良くない感じがする物件なんかも取り揃えてます!」
「そこ自慢しちゃうんだ…」
日当たりが悪い部屋、風通しが悪くて空気が悪い造り、湿気が籠る、部屋割りが不自然で落ち着かない間取り、こんな具合で霊能力ではどうしようもない物件が割とあったりする。
こういった部屋に共通するのは『落ち着かない』だったり『ストレスが溜まりやすい』といったマイナスの事象で、住んでる人の精神を知らず知らずの内に削って行く。
たまに誰が入居しても喧嘩別れになる部屋とか、明るい性格の人だったのに引っ越したら暗い性格になったという話があるが、オカルト以外にもこういった事情がある場合もあったりする。
人間も生き物であり、生き物は良くも悪くも環境に影響されるもので、職場環境や学校生活以外にも居住環境にだって大きな影響を受ける。住宅選びを間違えると、時によっては取り返しの付かない影響を受ける事になりかねない。
「とりあえず事故物件とか環境が悪い物件とかは除外してもらえますか? 厄介な住人が居る物件なんかも除外して下さい」
「じゃあ3件になっちゃいますね」
「灰川さんはお祓いしてくれないの~? 幽霊が出る部屋だったら、お祓いしてもらえれば大丈夫だと思うよ~」
「桜ちゃんって幽霊とか大丈夫なのっ? 私は信じて無いけどさ…やっぱちょっと気味悪いっていうか…」
「あ~、それなんだけどな、お祓いしても事故物件っていう事実が消える訳じゃないし、気味悪い現象が起こるって聞いた場所だと、どんな小さな事でも気になって落ち着かない事があったりするんだよ」
お祓いをすれば大丈夫だという話があるが、実際には幽霊よりも居住者の精神の問題が大きい。Vtuberなどのメンタルが重要な職ならば、そういう所も気を付けた方が良い気がする。
誰かが亡くなった物件だと聞いてれば、幽霊が居なくても幽霊が居るような気がする人は多い。怪現象が起こる場所だと聞いてれば、風呂場で水滴が落ちた音だけで気味悪く感じる神経過敏になったりする。
実際に何も瑕疵の無い場所を幽霊が出ると伝えて誰かを泊まらせる心理実験があったりしたが、実験参加者の多くは気味が悪かったとか、幽霊を見たなどの報告が上がった結果が出た事がある。
環境要因による暗示、これは決してバカに出来ない事象だ。時によっては集団ですらヒステリーやパニックといった、収拾不可能の事態に陥る事さえある。
「霊能者の仕事はお祓いとか浄霊とかもあるけど、こういう環境を見極めて助言する事とかもあったりするんだよ」
幽霊が出る部屋ではなく、幽霊が出やすい部屋、悪い気が溜まりやすい部屋、もっと言うなら『入居者が幽霊になってしまうような部屋』などを避けるよう助言するのも役目なのだと灰川は考えてる。
大抵の環境が悪い部屋というのは幽霊が出やすい場所だというのも間違ってはいないし、もちろん場合によってはお祓いだってする。
「けっこう色々考えてるんですね…ちょっと思ってたのと違うかも…」
「オカルト関連には手を抜かないって、そもそもオカルト関係無しに新居を決めるとかって重要だしさ」
灰川だってオカルト以外は何も考えず生きて来た訳じゃないし、オカルトかそうでないかの見極めの眼こそ霊能者には大切になる。
何でもかんでも幽霊や呪いのせいにして、霊能力や陽呪術にばかり頼って生きたら社会性が破綻する。父の功だって農業エンジニアとして生きてるんだし、誠治だってオカルトばかりに偏ってる訳じゃない。
お祓いしたからOKとはならないのが人の心という物なのだ。
「でも~、せっかくだから良くない部屋ってとこも見てみたいな~、そうしなきゃ雰囲気の違いとかも分かんないよ~」
「確かにそうだなぁ…じゃあそういうとこ含めて回ってみるかっ、でも湿気とかの環境悪い物件は除こうな」
桜の言う事ももっともで、どちらも知らなければ違いが分からない。本来なら灰川は桜の言うような意見には賛成派だが、時間も限られてるから今回はパスしようかと思ったのだ。
灰川としてはオカルト方面で何かあったらサポート出来るから、勉強も兼ねて瑕疵のある場所も回ろうという事になった。
「じゃあ内見に行きましょうか、車は出しますんで皆さん乗って下さい」
「はい、お願いします」
こうして目当ての物件の内見に行く事になり、不動産屋の車に乗り込んで現地へ向かう。
「ここが1件目の物件、渋谷市街地から程良く近い築8年のマンション、ル・ラーン渋谷メゾンです」
「けっこう良い感じのマンション! 立地も良いし買い物とかもしやすそう!」
駅からもそこそこ近い20階建てのマンション、防音やネット環境もしっかりしてて配信者が入居しても問題ない物件だそうだ。
マンションの入り口周辺も点字ブロックもあるし、交通事故防止などの部分も抜かりなさそうだ。
部屋に向かいながら桜が視覚障碍者でも住めそうなバリアフリー具合か確認しながら進み、朋絵は見た目の良さとかオシャレ感を見てる。
灰川も桜が住んでも大丈夫か安全性を確認して行くべきなのだろうが、ここはそういった面を確認する気にもなれない。灰川としては既にアウトである。
結果としては入り口から部屋までは桜も朋絵も合格を押し、部屋に案内された。
「こちらが空き物件になってます、14階の1407号室です」
「わぁ!良い部屋じゃん! 広いし日当たりも良いし、風呂トイレ別だし!」
「こちら2LDK風呂トイレ別、家賃は月に8万円です」
鍵を開けて中に入ると、一人暮らしとしては結構な広さの良い部屋に見える。立地や間取り的にも普通なら30万以上は取られてもおかしくない物件に見えた。
2LDKとは10畳以上のリビング・ダイニングキッチンがある上で、6畳以上の居室が2つある物件の事だ。金銭に余裕のある2人暮らしの人が選ぶことが多い部屋である。
この物件は収納なども充実しててベランダもあり、Vtuber活動にも適した凄く良い物件に見える。セキュリティもしっかりしてた。
「8万円!? ここにします!絶対ここにします! 早く契約を~~……」
「朋絵さん、待った!」
「うわっ! いきなり大きな声出さないで下さいよ灰川さん! なんで止めるんですかっ!?」
朋絵は素晴らしい掘り出し物件に出会ったと思って、はしゃぎながら契約しようとしてたが灰川が止める。こんな良い物件なんだから気持ちは分かるが、ちょっと急ぎ過ぎだ。
「灰川さん~、ここって何かあるの~? 私は分かんないな~」
「何も無いじゃないですか、部屋も綺麗だし日当たり良いしっ!」
「ここは桜には……いや、ちゃんと話そう。店主さん、ここは駄目でしょうよ…」
「やっぱバレちゃいますよね、もちろん家賃が安い事情は話すつもりでしたがね」
灰川が待ったをかけ、朋絵は何が悪いというのか反論する。だが明らかにその部屋はマズかった。
桜が居る手前、言おうかどうか迷ったが、言わなければ納得はしてくれないだろう。そういうった事を聞く覚悟は持ってここに来たはずだと灰川は判断した。
「ここって住んだ人が全員、死亡してませんか?」
「よく分かりましたね、その通りですよ」
「「!!」」
「しかもそっちの洋室の窓の傍で自ら命を…8人ですね」
「そこまで分かるんですね、当たってます」
霊的な感知能力は悪めの灰川でも、ここはマンションに入る前から分かった。それほど悪い気を感じてたのだ。
「設計段階からマンションのオーナーか誰かの悪い運気とか恨み、向けられるマイナス思念をこの部屋の住人が受け取るようにされてるぞ…」
「そうなんですか? それは知りませんでした」
「窓の所に8体の霊が居る痕跡があるけど、問題はそこじゃないです。部屋自体がヤバい、こういう部屋は押し付け部屋とか言ったりします」
自分の不幸を他人に押し付けるために作られた部屋、そういった悪意しかない部屋は実際にあると昔から言われてる。
「ちょ…嘘ですよね…?」
「いえ、本当ですね。じゃなきゃこの立地と間取りで8万円なんてあり得ませんから」
店主が言うにはオーナーが誰でも良いから早く入居させろとせっついてるらしく、採算度外視の月8万円という家賃になったそうだ。
しかしここがヤバい部屋というのは業界内で知れ渡ってるそうで、普通の不動産屋は理由を付けて扱わないようにしてると店主が裏事情を語った。
オーナーも業界では傍若無人な奴として嫌がられてるそうで、詐欺同然の物件を高額で掴まされたとか、土地の転売を非合法スレスレでやってるとか相当な奴だそうだ。かくいう店主も嫌な目に遭わされたらしい。
しかし今まで明確に非合法だとされた事は起こしてないらしく、それにはこの部屋に押し付けられた悪い気も関係してると灰川は踏む。
「一応は陽呪術で押し付けはどうにかなるけど、今度は悪い気を受け取らない住人の物理的な追い出しが始まると思う。そうなったらトラブルの嵐になるだろうな」
「しかも8人が亡くなってますからね、そんな危険な部屋だったとは…」
「一見すると普通の部屋に見えるけど、壁紙の下は呪詛文字でいっぱいだなコレ。気色悪ぃな…少し居たくらいじゃ影響は受けないけどさ」
金銭の流動がある場所には必ず人の意思が介在し、それは事故物件でも同様だ。
時には『事故物件かどうか』より『なぜ事故物件になったか』の方が重要になる場合があり、ここはその一例と言えるだろう。
オーナーとしては早く誰かに不幸を押し付けなければ自分が危うい、だから壁も防音でネット環境も良くてペットも可という良い条件を出して、獲物が罠に掛かるのを待ってる。
確かに灰川は霊能力でこの部屋の効果を無効化する事は可能だ、しかしそれに付随して発生する事象は抑えられないし、追い詰められた人間は何をするか分からないから一番怖い。
「ではお客様、ご契約は如何されますか?」
「し…しません……っ、早く出ましょう!」
「オーナーさんが危ない人なのはイヤだね~、私もパスで~」
とりあえずはこの部屋を後にするが、灰川は店主に『もし誰かが入居する時は呼んでくれ』と言っておいた。この部屋の祓いは道具が必要になるから今は出来ない。
だが店主が言うには、この部屋に誰かが入居する事は無いだろうとのことだ。理由はオーナーの身の上に関する事なので言えないらしいが……恐らくオーナーは報いを受けかけてる状態だというのは、3人とも何となく感じた。
「次はこちらの物件です、駅からそこそこ近い1LDKで一人で住まわれる方には良い物件だと思います」
「さっきと比べると狭いけど良いかもしんない!」
「でも~…ここは嫌かな~…」
その物件は駅から歩いて8分程の良い感じの場所にあり、7階建ての小ぢんまりした物件だった。家賃は15万円と1LDKにしては安く、さっきほどではないが驚きの値段だ。
桜は既に何かを感じ取っており、辞退の意思を示してる。
「店主さん、ここって誰か亡くなってる部屋なんですか? そうじゃなかったら、私ここにしても良いかなーって思うんですけど」
「ここでは誰も亡くなってませんね、なので事故物件ではありません」
「じゃあここに決め~~……」
「朋絵さん、ここでは人が亡くなってないけど、ここに住んでた人が誰かを亡くならせてる…つまり殺人事件の犯人が住んでた物件だよ」
「っ!!」
訳アリ物件にはこういう形の物もあり、誰かが亡くなった部屋ではないが事件の犯人が住んでたという曰くだ。
「殺害された人達の怨念がここに籠ってる、お祓いすれば何も問題は無いけどさ」
「…………」
何年か前に連続通り魔事件があり、その犯人が住んでた部屋だった。被害者は6名で2名が亡くなっており、その念が恨みを伴ってここに来ていた。
その念は今も強いが灰川ならどうにか出来る、しかし問題はそこではないのだと既に桜も朋絵も理解していた。訳アリ物件の一番の問題は『精神的なプレッシャーになりうる事が発生してしまった』という事実なのだ。
病死や寿命なら仕方ない、天寿を全うするか病気と闘った上で亡くなったなら、それは自然の摂理の中の出来事だ。しかし人の悪意や悔恨が関わって何かがある場所では、どうしても精神的な気味の悪さが拭えない。
事故物件にもランクという物があり、病死や事故死はランクが低く、自決は中間、殺人事件は最上位という話があったりする。心理的瑕疵物件を含めるなら近所に墓があるとか、反社会的勢力の事務所があるとかも含まれてくる。
「そういう事を気にしない人も居るんだけどさ、少しでも気になるなら止めといた方が良い。家っていうのは帰って来る所なんだから」
「不動産屋として言わせてもらいますが、お二方は訳アリ物件には住まない方が良いです。色々なお客を見てきましたが、訳アリでも大丈夫な人とそうでない人はキッチリ分かれる感じがしますから」
「「………」」
こういう物件には感受性の高い思春期の子が住むべきではない、ある程度の精神が出来上がった大人が自己責任で住むか決めるのが普通だ。
お祓いをすれば解決とはいかない、それが心理的瑕疵というものであり、除霊したって発生してしまった事件や事故が消える訳ではない。
人の心は複雑だ、霊が居なくても霊が居るような気になれば精神に影響がある。事件があった場所では事件を想起してしまうし、人によっては被害者や加害者に感情が向かって均衡を崩す。
そういった物事を含めて心理的瑕疵物件であり事故物件だ。これらは決して簡単な問題ではなく、霊能者の間でも近年は特に議論や対策が過熱してる分野でもあるのだ。
住んでれば慣れるとか、住んでる内に霊耐性が強くなって影響を受けなくなると言う人も居るが、それだって人それぞれだ。上手く理解と適合ができなければ痛い目を見る事になる。
「灰川さん~……ここ、あんまり居たくない~…」
「そうだよな、もう行こう。朋絵さんはどうする? 依頼されればお祓いしに来るけど」
「やめときます、私も…話聞いてたらちょっと…」
結局は訳アリ物件には2件を回った時点で2人からNGを出され、次からは普通かそれに近い物件を紹介してもらう事になった。
他には『入ったら魂を腐らせる物件』『藁人形の部屋』とかがあるらしいが、今度に機会があれば灰川に視てもらいたいと店主が言ってきた。
灰川としても霊能者として興味あるし、祓えるなら祓っておきたい気持ちもある。それに少しはお金になりそうだし!
「では訳アリ物件はここまでにして、今度は当店自慢の裏メニュー! 訳そんなにナシ物件をご紹介しますよ」
「訳なしが裏メニューなんだ…でもちょっとは訳あるんですね、早く決めちゃいたい!」
「さすがワケアリー不動産だね~、ちゃんとしたお部屋、楽しみ~」
「よっしゃ!そう来なくっちゃ! 霊道になってるとか、霊が集まりやすい場所とかだったらお祓いは任せとけ!」
女の子の一人暮らしには適さない、ふざけた訳アリ物件はここまでにして次に移る。今度はマトモなものが出て来そうだ。
一行の雰囲気は一変して明るくなり、3件の訳ナシ物件を見て行った。




