159話 緊急事態
灰川は警護を伴って中央区と周辺地域で心当たりのある場所を探るが、成果は上がらない状況だった。
江戸時代に神社だったが悲恋の末に心中した人の念が居ると言われる場所、江戸時代に井戸を掘ったら遺体が出て来て周辺に祟りが発生するようになった場所など、落語の内容から推察した場所を探したが成果はない。
これらの場所は今も霊能者の人が定期的に鎮魂とお祓いをしてる場所で、浄霊に長い期間が掛かってる場所でもある。
「灰川さーん、お腹減ったんすけど、ランチ行きません?」
「おい早奈美! 先生と呼べっての! 会長と総会長がそう呼ばれてるんだから!」
「あ、いや、好きに呼んでもらって良いですよ。先生なんて身分じゃないですし」
早奈美がフランクな感じで話し掛けて来るが、灰川は気にしないし気楽で良い。しかし他の護衛の先輩たちは早奈美を注意して、自分たちはそのまま呼ぶと宣言されてしまった。
「すいません灰川先生っ! コイツは良い奴なんですが、どうにも若さゆえか礼儀がなっておらず」
「いえいえ、自分も礼儀作法は不躾です。それに普段から三梅さんくらいの年代の子達とこんな感じで話してますしね」
「Vtuberってヤツっすよね!? やっぱ大人気になってステージの上とかで歌って踊ったりするんすか!?」
「ちょっと前にVフェスってイベントがあってさ、そこではVtuberの皆が3Dモデルで歌って踊ったけど、普段はネット配信で視聴者を楽しませるって感じだね」
「私もやってみたいなー! アイドルとか普通に憧れるしさ!」
早奈美は護衛という職にしては活発な感じがする子で、イメージとしては灰川の中で先日にシャイニングゲートから選出した雲竜コバコに近いかもしれないと感じる。
薄い金髪に見える髪の毛を後ろで結んでるヘアスタイルも、どこかそれを感じさせて、より活発な印象を与える。
「そういえばランチだったよね、もうそんな時間かぁ」
「昼食に致しますか? この周辺だと四楓院系列のチェーン店レストランがありますが」
「じゃあそこに行きましょうか」
代金は陣伍さんが持ってくれるらしく、車を出してもらって店に向かった。
運転手の人達も一緒に店に入ったので8人という人数になってしまったが、どうにか昼で込み合う前に滑り込んで昼食を摂る。その時に灰川は手掛かりに繋がる何かがないか考えた。
既に天家一門に電話を掛けて話は聞いており、落語・鬼ヶ倉の生まれた時代はいつ頃かとか、問題の場所が何処か掴んでないか等は聞いたのだが、何も手掛かりはなかったのだ。
しかも天家冬椿が鬼ヶ倉の文書を見つけて読んだ後に、その文書を紛失してしまったらしく師匠である冬椿しか読んでないらしい。今は冬椿師匠は病院に居て、特定の人以外と会う事は出来ない状態だそうだ。
「四楓院の力で冬椿師匠に会わせてもらうのはどうですか? 少しくらいならお会いしても大丈夫だと思うのですが」
「いえ、冬椿師匠のお祓いをしてる霊能者に聞いたんですが、とても人と話せる状態じゃないそうです。呪いの出所の感知も出来なかったそうですし」
「じゃあ八方塞がりじゃん灰川せんせー、どうするん?」
「だからな早奈美! 失礼な口を利くんじゃない!」
「良いんですよ、こんな感じの方が落ち着きますし」
「だってよ柴道先輩、私の勝ちー、にししっ!」
警護の先輩の柴道は『ぐぬぬ!』みたいな顔をするが、灰川がそう言ってるのだから、これ以上は突っ込まないようにした。
正直に言うと早奈美の言う通りで、江戸時代の町人地域で心当たりのある場所は探ってしまった。元からそんなに候補も多くなかったから、3か所くらい回って終わってしまったのだ。
どうしようか灰川が考えようとするが、お喋りが好きなのか空気が読めないのか早奈美が話す。
「そういや英明会長と陣伍総会長は灰川せんせーに、芸能界で名前を挙げさせたいんすよね? なんで手っ取り早く政治家とか紹介しないんすか?」
早奈美の灰川への敬称が軽い感じの『せんせー』に決まった所で話が続く、今の言葉は灰川というより警備主任の三檜に向けた感じがする。
芸能界に進出するのに政治家というのは変な感じがするかもしれないが、大きな企業やメディアは政治家と強く繋がってる事も多く、選挙の際には会社から『○○候補』に票を入れて欲しいと社員に通達があったりする。
そこから献金を受けて政治費用にしたりして、企業が様々な便宜を図ってもらうという訳だ。つまり政治家が『この人を芸能界で上げろ』と言われたら、裏でそうしたりする事がある……という噂が昔からある。
もちろん噂でしかないし、それをやろうと思ったらある程度以上の有力な政治家じゃないと無理だろう。とにかく横にも縦にも裏にも繋がりが凄い人達ということだ。
「失礼ですが灰川先生、勉強不足の早奈美にこの機会に少し教えてもよろしいですか? もちろん灰川先生が知ってる内容ですので」
「え、はい、どうぞ」
灰川はよく分からなかったが、とりあえずOKを出してしまった。
「早奈美、政治家に関わるのは、まだ灰川先生では危険なんだ。アイツらは人の皮を被った妖怪、それも魅力という名の妖怪だ」
「なんですか、それ? 良いじゃないですか?」
「正確には魅力というものを操る化け物なんだよ、特に1対1で甘く見て話してたら簡単に取り込まれるぞ」
政治家の魅力と恐ろしさ
三檜は何度か護衛が必要なくらい有名な政治家を守る仕事を陣伍の命令で請け負ったそうだが、その誰もが面と向かって話したら凄い魅力的な人物だったらしい。
テレビではバカ政治家だとか無能政治家だとか言われてる奴ですら、話せば凄まじく魅力的で、政治についても『この人が言うのだから間違いない』と確信するレベルだった。
会ってしまえば無条件で投票して宣伝したくなる人間的魅力、それを武器として使う人間の恐ろしさを感じたそうだ。
かつて日本でクーデターを起こされて銃で撃たれた首相が、「まず話し合おうや」と実行犯に言ったという話がある。もし相手が話し合いに応じていたら、説得されてクーデターは失敗してたのではないかと推論する人も居る程だ。
傍から見れば単なるオッサンにしか見えない政治家に若い愛人が居たりするが、あれも半分くらいは金目当てとかじゃなく、女性の方が本気で惚れてるから愛人になってるなんて噂もあったりする。
そんな凄い魅力を持った人間に絆される人は後を絶たない。腹の内がどんなに黒かろうが支援者が必ず居るのは、そういう部分も関係ありそうだと語った。
迂闊に近づけば魅力という沼に沈められる……彼らの本当の武器は金でも権力でもない、その事を分かってないと……。
「そしてな、詳しくは知らないが政界のオカルトや怪奇現象は想像を超えるものが普通だそうだ。灰川先生が後れを取るとは思いませんが、念のためまだ関わらない方が良いかと」
「へぇ~、そうなんすね! 勉強になったっすよー!」
「もちろん人にもよるから、全部の政治家がそうだと考えるなよ? 灰川先生、部下への教育のご助力ありがとうございます」
「あ、いえ…」
三檜は恐らく自分を立ててくれたと灰川は感じる、自分はそんな事は知らなかったし考えた事もなかった。
これで前から何となく感じてた『なんで金名刺を持ってるのに政治家は近づいて来ないのか?』という疑問が払拭された。四楓院家から灰川をシンパに引き込まないよう、通達が出てたのだろう。
少しはお近づきの電話をもらったりしたが、何かに強く誘われたりとか、食い下がられたりはしなかった謎が解けた。
ついでにシャイニングゲートの配信邸宅の一件で有力ではない政治家に関わったのを思い出す、あの時も1対1で話した政治家はどこか人間的な魅力があったなと思った。
「あ、すいません。ちょっと電話が来ちゃいました、史菜からかぁ」
「では外に出ましょうか、会計は雨膳が済ませておいてくれ」
「おやおや~? 史菜ちゃんって誰ですか~? 教えて下さいよ、このスケベ~」
「早奈美ちゃん何言ってんの!? 史菜は取引先の会社の子だっての!」
もう灰川も慣れてきて接し方も段々と分かってきた、早奈美は市乃たちと同じような感じで接するのが良さそうだ。
護衛部門の先輩達も諦めがついたのか、もう注意はしなかった。この仕事が終わったら早奈美は怒られそうな感じがするけど、灰川からそれとなく叱り過ぎないよう三檜に頼もうと思ったのだった。
レストランの外に出て駐車場で電話を取って通話する。
「もしもし、どうしたんだ史菜?」
『お忙しい所すいません灰川さん、OBTテレビのnew Age stardomの事についてなのですが、大体で良いのでいつから始まるのかを~~……』
「ああ、えっとな、まだちゃんと決まってないから本当に大体なんだけどな~~……」
灰川はハッピーリレーではマネージャーとして半人前だが一定の信頼を得ており、市乃、史菜、由奈を始めとして所属配信者から結構な割合で頼られてる。
佳那美だけは小学生育成組のマネージャーをしてる木島さんが面倒を見てるので、仕事では実はそこまで関りが無いが佳那美は灰川事務所によく遊びに来たりしてる。
史菜は仕事は割と時間や日程をきちんと設定して教えておかないと落ち着かない性格で、気を付けてはいるのだが、たまにこうして伝え忘れしてしまう事があるのだ。しかしこの話は気が早いように思う。
逆に市乃はその辺はアバウトで、仕事はきっちりこなすが時間はともかく、日程は1週間後以上後のことは気にしない傾向があるのを把握していた。
『灰川さん、声が少し元気が無いようですが、何かありましたか?』
「え、ああ、いや」
史菜は声の抑揚とか空気感を敏感に感じ取る洞察力がある子で、少しの変化も見逃さない。その洞察力は配信にも生かされ、視聴者から好感を持ってもらう配信を成功させてる。
今はオカルト系の仕事中であり内容を話すべきではないのだが、完全に行き詰ってる状態だ。それに史菜はこういう場面で話を隠されたりすると、それも感じ取ってナイーブになったりする一面もあったりする子だ。
「実は今、オカルト関係の仕事で中央区に来ててな」
『そ、そうだったんですねっ、解決は出来そうでしょうか? 灰川さんなら簡単に解決できちゃうと信じてますが…っ』
ここで灰川が変な空気を感じ取る、史菜の声色がなんだか落ち着きがない。電話の向こうから少しの息の乱れと緊張感が漂ってる。
今日は灰川が仕事だというのは聞いてた筈だ、それなのに後からでも良いはずの予定を聞いてきた。何かがおかしい。
「史菜、今どこだ…? 迎えに行く…歩きのペースを崩すな、電話はそのまま、コンビニを見つけたら入って事情を話して居させてもらうこと、大きな建物はダメだぞ、人の目が散らばるからな…」
『っ……! はい……っ 場所は……』
灰川の声を聞いて何事かがあったのを察知した四楓院護衛チームの目つきが変わる。
運転手が即座に車の準備をして、主任の三檜がドアを開けて灰川に早く乗るよう無言で促し、灰川が乗る車の助手席に早奈美ではない熟練の警護者が乗り込む。
もう一台の車の方にも素早く護衛が乗り込み、早奈美もそちらに乗り込んで発車の準備は整った。
「ああ、今は千代田区に居たのか美術館とかいっぱいあるもんな。へ~、国立美術館の近くかぁ、10分くらいで行ける距離だなぁ」
会話を装って運転手に行き先を伝え、早めに運転してもらいながら急いで向かう。
三檜は無線で小さな声で後続の護衛車両に指示や行き先を飛ばし、緊急事態に備えるよう伝えてる。
史菜は何らかの理由で身の危険を感じてた、近くに交番や警察署が見当たらなかった、警察を呼ぼうにも確証が持てない、警察を呼んだことを知られたら何をされるか分からない。
そんな恐怖感からどうする事も出来ず、灰川に電話を掛けて来たのだと感じた。
「大丈夫か史菜? もう安心だからな」
「は…はいっ…、うぅ…怖かったです…っ」
コンビニに到着して即座に史菜を保護し、車に乗せて発車した。
護衛グループはコンビニの前に到着すると迷うことなく路上駐車し、即座に周辺に展開して警戒してくれたのだ。
史菜を心配する気持ちから真っ先に飛び出してしまった灰川にも即フォローが入り、三檜が着いて全体指揮は即座に副主任の八代田という人に移ってたようだった。
「灰川先生、ここからどうされますか? 恐らく史菜さんを追い回してたのは悪質なファンか何かでしょう。本人に尾行を気付かれるなんて素人のやる事です」
「史菜ちゃん災難だったね、私は三梅早奈美、よろしくっ」
「あ、えっと…白百合史菜です、ありがとうございました」
史菜に事情を聞くと、外でSNSの更新をしたら誰かに気付かれてしまったのか、4人組くらいの若い連中にスマホを向けられながら後を着けられたらしい。
注意不足だったことは反省してるようなので強く言ったりはしないが、それでも外でSNS活動をする時は細心の注意を払うよう言っておいた。周囲に人が居ないか確認を怠ってはいけない。
名前が広がってる人は時にこういう災難に遭遇したりするもので、Vtuberだろうが芸能人だろうが尾行被害は昔から存在する。今はインフルエンサーなどでも注意が必要な時代かもしれない。
今の時代はスマホを向けて人の姿を撮影して勝手にネットに流したりする輩も居るし、スマホを向けてれば相手は何も出来ないと考える者も多い。有名人に限らず気の抜けない世の中になってしまった。
「今日の配信は休んだ方が良さそうだな、会社に連絡しておくぞ。SNSとかの対応は運営の宗谷さんに事情を話して頼んでおくから~~……」
「はい…灰川さん、ありがとうございます…っ」
灰川の見立てでは明らかに史菜は精神の均衡が揺らいでおり、このままで配信をしたら普段のような空気感は出せないだろう。マイナスな事を言ってしまったり、話してはいけない事を話してしまう可能性もある。
荒んだ心や安定を欠いた心に配信は危険であり、それが元で炎上したりした例は非常に多いと実例を含めて灰川は聞いている。ハッピーリレーは過去に何度もそういった事があったらしい。
「とりあえず安全な所に送ってから~…」
「あ、あのっ、灰川さんっ! この方たちはどなたなんでしょうっ? それと…一人だと不安なので、しばらく一緒に居て頂けると…」
「あ~…そうだよな、色々と話さなきゃなぁ」
警護を連れ立っている姿なんて見られたら、何かしら説明はしなきゃならないだろう。
それに怖い思いをして不安感が大きく、一緒に居て欲しいと言われるが今はオカルトの仕事中だ。どうするべきか…。




