157話 四楓院家の盟友の依頼
「あ~…くそ、昨日は赤っ恥かいた…」
あの後に灰川は空羽と一緒に、テレビ局からもらったディナーチケットを使って高級なレストランに行った。
だが灰川は高級料理の知識はなく、それどころか高級店に初めて行った緊張や頭の疲れから、一般的な料理知識も出て来ない状況になったのだ。
その状態から発せられる言葉は散々なもので、灰川の言葉が聞こえた周囲の客やコック、ウエイターや通りかかったソムリエ等を笑わせた。
「この煎餅の上に乗っかってるの美味いなぁ、あの、何だっけ? 牛乳が腐ったやつの名前は…~」
「煎餅じゃなくてクラッカーとクリームチーズだよ、あとチーズは発酵させたものだからね」
「この謎の汁は美味いなっ、もろこし使ったやつ」
「コーンスープだよ? 謎のって言葉はいらないんじゃないかな、ふふっ…!」
この辺りで空羽も噴き出していたが、灰川の暴走はまだ続く。
「うおっ、この魚を煮たのも良い味だなぁ」
「ムニエルは焼き魚だと思うな」
「これは美味い! 焼いた肉に謎の液体を掛けたの、凄い味だ!」
「ステーキだよっ…ふふっ…! 謎の液体はソースだよっ…、謎の液体ってっ…! 笑いがっ…抑えられないかもっ…!」
こんな事を口にしてたら空羽は笑いを堪えて顔を下に向け、ウエイターは顔を横に向けて震えながら客を笑わないよう努め、隣の席の客も笑いそうになり、近くに居たソムリエはワインを零してしまった。
そんな事があった翌日、もう学生組の夏休みも残り数日となった日、今日は灰川の重要な仕事の日だった。
「やっぱデッケェなぁ~…」
午前の10時、灰川は渋谷から少し離れた場所にある高級住宅街に来ていた。そこは以前に怪現象を解決した場所、神坂市乃の本家筋の四楓院の屋敷だ。
四楓院は古くからある大物の実業家と投資家、その他の事にも厚く通じる有力者の家で、様々な所にパイプを持つ家である。
今日は四楓院家の当主の陣伍と、次期当主の英明に頼みたい事があると前から呼ばれており来訪した。本当は陣伍と英明から灰川の方に出向きたいと言われてたのだが、ボロアパートに招待する訳にもいかないし、事務所も狭いから自分から出向くと言ったのだ。
門には呼び鈴などが見当たらず閉じており、何処から入れば良いか分からなかったが、少しすると門の横の小さな扉が開いて中から人が出てきた。
「ようこそお越しくださいました灰川先生、どうぞ中へ」
「ありがとうございます、お邪魔させてもらいます」
スーツを着た体格の良い使用人の男性らしき人に案内されて敷地内に入ると、中では庭師が庭園の整備をしていたり、屋敷の中では女中さんと思われる人が掃除をしてたりする。
その人達に頭を下げて挨拶しつつ応接室に通された。
「灰川先生、わざわざお呼び立てして申し訳ありません。八重香の一件では大変お世話に」
「ようこそお出で下さいましたな灰川先生、どうぞお席へ」
「こんにちは、お邪魔させて頂いてます。陣伍総会長、英明会長」
広い応接室の中には一目で高級と分かるソファーとテーブル、窓の外には庭園が広がり夏の日差しを受けて輝いてる。
埃など一つすら落ちてない、スリッパ越しでも手触りが伝わって来るかのような高級絨毯には汚れなど1mmも見当たらない、それどころか以前と応接室のレイアウトが違うことに気が付いた。
四楓院家は客を迎える時は、客によって応接室の内装を変えてるのだと気付く。そもそも応接室が一つとは思えないし、こういう部屋は客に自分たちの力を見せた上で、歓迎してるという意思を見せる部屋なんだと灰川は感じた。
恐らくは本当に歓迎されてる、でなければこんな部屋には通されないだろうし、多忙な陣伍や英明が2人揃って迎えてくれる事など無いだろう。そう思うと少しは安心できた。
「では空気だけでも堅苦しいのは止めましょうかの、仕事の塩梅はどうですかな?」
「おかげさまで順調です。これからは新たな業界に挑戦するので、一層に力を尽くしたいと思っています」
「それは良かった、四楓院グループも全力で応援しますので、何かあればいつでもご相談ください」
四楓院家は灰川の動きなど全て知ってるのは承知だ、雲竜コバコと飛鳥馬 桔梗のデビューやシャイニングゲートの芸能界進出も四楓院家の後押しがあってのものだし、ジャパンドリンクの案件も実質は四楓院家への忖度があったから成立したものだ。
メディアも政治家もこの人達に逆らえる者は非常に少ない、有力者なら誰もがお近づきになりたい家なのだ。しかし一般的にはそこまで名前は知られておらずビジネス界の大物、いわゆるフィクサーと言える立場の家だ。
「庭にあった祠を少し見させてもらいましたが、邪念も治まってますね。あれなら大丈夫な筈です、流石は流信和尚です」
「灰川さんのお墨付きが出たとは心強いです、八重香もあれ以来はとても元気でして」
「うむ、今日は八重香は幼稚園に行っておりましてな、灰川先生が来られると聞いて一緒に遊びたいと駄々をこねてましたぞ。ほっほっほ」
「そうでしたか、自分も八重香ちゃんに会えなくて残念です。今度に一緒に遊ぼうねって伝えてくれるとありがたいです」
そんな最近の事情や孫子の話を交わしつつ応接室に和やかな雰囲気が漂う。
「ところで灰川先生、今日は是非にお頼みしたい事がありましてな」
「何でしょうか? 自分に出来る事なら良いんですが」
「むしろ灰川先生の分野の話でしてな、少し待っていて下され。今しがた頼み事がある人をお呼びしますでな」
どうやら四楓院家の直接の頼みではなく、関わりのある人の頼みのようだ。陣伍が使用人を呼んで依頼者を別室から連れてきた。
「初めまして、鈴湯亭 黒治です」
「初めまして、灰川誠治と言いま……え? 超大物噺家の8代目鈴湯亭黒治さん…? え…本物…?」
その人は灰川も知ってる大物落語家だ。落語には怪談話も多くあるため、にわか知識の灰川も知ってる程の人だったのだ。
鈴湯亭黒治は60歳の現役落語家で、近い内に人間国宝に手が届くと言われる程の腕前の噺家だ。以前にはドラマに出演した事もあり、落語を題材にしたドラマで主人公の師匠役として出演して高い演技力も見せつけた。
一門の人数は非常に多く、弟子、孫弟子、ひ孫弟子も居るほどで、鈴湯亭一門の世話になった人や盟友と言える芸人や歌手は多い。
「本物ですよ灰川先生、気軽に黒治とでも呼んで下さい」
「よ、よして下さい、呼び捨てなんて出来ませんよっ。黒治師匠、俺の方こそ呼び捨てで良いですって!」
「では灰川さんとお呼びさせてもらいますよ、改めてよろしくお願いします、灰川さん」
聞くと鈴湯亭黒治は昔から四楓院家が深く懇意にしてるそうで、黒治は陣伍の幼馴染の古い仲の間柄だという。
英明も幼い頃から知っており、小さな頃から可愛がってもらったそうなのだ。
四楓院家は以前から相談を受けてたそうなのだが、どちらも多忙な身なので後回しになってたらしい。どうやら今すぐ誰かがどうにかなる案件ではないらしく、灰川は少し安心する。
それと同時に四楓院家は灰川に芸能界への伝手を持たせるために、今に依頼を当てたという判断もする。伝手というのは持つ時期だって大事になるし、その相手が古典芸能の大家で様々な芸人に関わりの有る大御所の落語家ならこの上ない人選だ。
恐らくここからは順次に折を見て四楓院家が著名人からのオカルト仕事を斡旋して、伝手を作る助けをしてくれるのだろう。踊らされてる気がしないでもないが、むしろ今は業界への足掛かりを何としても掴みたい所だから助かる。
日本の芸能とは突き詰めれば伝統芸能に行き当たる。能や狂言、歌舞伎など幅が広く古くから大衆に親しまれ、漫才とは万才という人を楽しませるための日本の芸能の総称から来てるという話もある。
「あの、どんな依頼なんでしょうか? もちろん出来る事と出来ない事がありますので、そこはご了承ください」
「はい、実は自分は何十年も前から失伝してた演目の噺に関する物を探してましてね」
「失伝演目ですか? 人間国宝寸前の落語家が知らない話を自分が知ってるとは……あ、いや、まさか…?」
プロ中のプロが知らない落語の演目内容を自分が知ってるとは思えなかったが、霊能者に聞きに来たという事で思い当たる節があった。
「もしかして、江戸落語・鬼ヶ倉ですか?」
「知ってるのですかい? これは驚いた」
「でも鬼ヶ倉は失伝してましたが、今は天家の一門の方が復刻されたと聞いたんですが」
この演目は以前は『噺すと呪われる』という噂が元になって誰も演らなくなったそうだが、最近になって天家一門の倉庫から伝書が見つかったと霊能者の間で噂になってたのをオカルト展示会で聞いた。
「鬼ヶ倉の噺の内容は自分も聞きましたが、天家一門の落語家さんに聞いた方が良いと思いますよ。その方がちゃんとした落語として聞けるでしょうし」
これは灰川の言い分が正しいが、鈴湯亭黒治の話には続きがあった。
「噺は天家7代目の冬椿に聞いたんですがね、それから少しして奴がおかしくなっちまいまして…」
黒治は7代目天家冬椿とは昔馴染みの落語家らしく、彼から鬼ヶ倉の落語を聞かせてもらったそうなのだ。
落語・鬼ヶ倉
江戸の町人の十郎はある日、大工仕事を終えて酒を買って帰る途中に見知らぬ場所に迷い込んでしまう。
そこで立派な倉を見つけて中に入り、蓋の開かない重箱を見つけて持ち去ると次の日から面白いほどに幸運に恵まれ始め、貧乏長屋から大きな屋敷に住むようにまでなった。
そのまま豪華な暮らしを半年ほど続けてると病を患い、酷い悪夢を見るようになった。夜道で何者かに追い回され、あの時に入った倉の中に追い込まれてしまう夢だ。最後は重箱の中に閉じ込められ、身動きできなくなって目が覚める。
十郎はこの病と悪夢を治すにはもう一度、あの倉に行ってお祓いをしないといけないと直感し、霊媒師や拝み屋を雇って奮闘するという話である。
「オチは無事に倉を見つけてお祓いして解決という話でしたよね」
「はい、ですがオチは文書に書かれてなくて、冬椿が作ったんですよ」
落語は流派や噺家によってオチが変わったりするが、鬼ヶ倉のオチは見つけた文書に書かれておらず、冬椿が作った内容だったらしい。
「噺の内容だけ聞くと、あんまり面白くないというか落語としては凡庸な内容ですよね。なんでこんな話を今更に掘り上げようと思ったのか分からないんですが」
「私もそう思いますがね、とにかく冬椿の奴は一時期はこの噺に惚れ込んで練習してたんですが、ある時から落語の中の十郎と同じ夢を見るようになったと言い始めたんですわ」
そうなって7代目天家冬椿は十郎と同じように倉をお祓いしてくれと言うようになり、今は外に出られる状態ではなくなってしまってるらしい。
そこでやはり信頼できる伝手を頼って霊媒師などを呼んでお祓いしてもらったり、方々に手を尽くして件の倉を探したりしてるそうだが成果は上がってない。
雇われた霊媒師の中には灰川の知る信頼できる人も居るが、祓っても祓ってもすぐに呪いが掛かるとお手上げ状態だと聞かされた。
「そこで灰川さんには、倉を見つけてお祓いをしてもらいたいんです。冬椿は落語界でも一番の馴染みなんですよ、お願いできねぇでしょうか?」
「灰川先生、ワシも7代目冬椿は知らん仲じゃないのです。頼まれては下さらんか?」
陣伍も黒治と一緒になって頼んで来たが、灰川は頭を縦には振らなかった。理由は今の話を霊能力を使って聞いて考え込んでたからだ。
「鬼ヶ倉ってもしかして、落語じゃなくて誰かが本当に体験した話じゃありませんか? たぶんですが天家に連なる落語家の誰かです」
「え? それはどういうこって…」
「実は同じような話が幾つか伝えられてるんですが、どれも実話として語られてるんです」
このタイプの伝承は各地に存在しており、岩手県遠野の迷い家伝承もその一つだ。凄い場所に迷い込み何かを持ち帰ると幸せになるというもので、家が栄えるとかそんな内容だ。
しかし中には何かを持ち帰ったが故に不幸になるという話もあり、そのタイプに多いのが。
「そのタイプが多いのが現代怪談です。心霊スポットから何かを持ち帰ったら不幸になるパターンですね」
「たしかに言われてみれば…」
「恐らくは鬼ヶ倉と言われてる場所は、昔は良いモノが在ったけど、ある時から心霊スポットみたいな何かになってしまったんでしょう」
その影響が出始めて持ち帰った何かが悪い気運を発し始め、それを封じるために噺も封印した。
「ご依頼お受けします、少し心当たりがありますので」
「おおっ、ありがとうございます。ぜひ解決の方お願いいたします」
こうして有名落語家からの依頼を受ける。実質的に四楓院家の頼みでは断れないし、どんな人であれ怪現象で困ってるのなら見捨てる事は出来ない。
以前の灰川なら怪現象の解決など金にもならないし、やっても意味がないから被害が過度に拡散する恐れが無ければ動かなかっただろう。
だが今は事情が違うし、皆との出会い、皆が努力する姿を見て精神が変わった。この依頼は絶対に得になるし、例えならずとも自らの精神性の向上のために依頼は受けたかもしれない。
鈴湯亭黒治は灰川に依頼して、自分たちや天家一門の連絡先を置いて帰って行った。多忙な身の上に同格の天家冬椿が高座に上がれないため、代替仕事が舞い込んで目を回すほど忙しいらしいのだ。
「灰川先生、重ねて頼みがあるのですが良いですかな?」
「え? はい、何でしょうか?」
応接室には陣伍と英明と灰川の3人が残ったが、陣伍が何かを頼んできた。英明も何を頼むのかは知ってるらしく、同じように灰川を見据えてきた。
「大変に手間をかける事になるかも知れませんが、今回の仕事に四楓院の護衛を連れ立ってもらえませんかな?」
「私からもお願いします灰川さん」
「ええっ!? いや…それは…」
なんでそんな事を言われるのか分からない灰川は狼狽えたが、これには理由があったようだ。
「実は四楓院家は専属の護衛を雇ってましてな、その者達の気を引き締め、本当の意味での守るという事をそれぞれに学んで欲しいのです」
「は、はあ…凄い事だと思いますが、何故に自分なんかの仕事に…」
四楓院家は戦国時代から仕えてくれてる家があり、護衛にビジネスに大いに助けられてるそうだ。
その家から最近に新たな護衛が入隊?したらしく、正規の護衛として安心して置けるように経験を積ませたいと語られた。
「お、俺なんか誰も襲いませんって! ただ暇させるだけですよっ」
「その暇な時間に気を張ってられるかが重要なんです、同行させて頂ければ彼らも学べる事があると思いますので」
陣伍が言うにはボディーガードには四楓院家以外の人を護衛する訓練も必要らしく、その一環と気の引き締めを定期的にしてるそうなのだ。
もちろん全員腕の立つ人達らしく、外国で軍人経験がある人物や格闘技の達人、それぞれが護衛のスペシャリストだそうだ。
「で、でも自分の仕事はいわゆるビジネスとかと違ってオカルトですし…」
「なればこそですな、知らない世界を見てどのようにするかを学ぶ事も大事なのです。どうか協力しては頂けんでしょうかな?」
灰川は困るが陣伍も英明も引き下がる気は無いように見える、これは恐らくは学びとか経験を積むとかではなく、四楓院の依頼で客人として迎える灰川に万が一があってはならないから守るという事なのは明白だ。
だが灰川は断りたい気持ちでいっぱいだ、何故なら。
「黙ってましたが、今回は大変に危険な怪異の可能性があります。四楓院家の大事な方々を巻き込む訳には……」
「危険なのですか? だったら尚更に補佐や守りが必要ですね」
「もちろん車や調査に掛かる費用も全てお出ししますぞ、何があっても八重香を助けて頂いた先生はお守りすると約束しましょう」
「ですが、本当に命の危険があるんです。精神の強さや、それ以上に霊能力が~…」
「精神の強さは折り紙付きです。危機的な状況になったら必ず助けになる筈ですから、同行させてやって頂けませんか?」
「……はい、分かりました。でも護衛の方に何かあった場合、オカルトの呪いや憑依なら無料で責任を持って執り行いますが、ケガなどは責任を持てません…」
「もちろんそれで構いません、もし護衛の者が呪い等を受けても灰川さんの言い値でお祓い料を支払いますので」
引く気が無いのがよく分かったし、仕方なく灰川が折れる。ここまで言われて断れば失礼に当たるし、危険がどうこう言うのはボディーガードの人達に『危険に対処できないお飾り連中』と言うような物だ。これ以上の侮辱はそうそう無いだろう。
本当に霊的に危険な場合は下がってもらえば良いし、陽呪術で対処は出来るだろう。
「では今から護衛を呼びますので、少しお待ちくだされ」
陣伍が言うと少ししてから応接室にスーツを着た何名かの男女が「失礼します」と一言添えて入室して来る、先程に門で会って案内してくれた体格の良い男性も入ってきた。
「この者達が四楓院家の護衛で、要人警護シークレットセキュリティ派遣会社・SSPにも在籍するメンバー達です」
「「よろしくお願いします」」
四楓院家は警護の名目を立たせるためにセキュリティサービス会社も経営しており、警察や公安のSPにも通じてるらしく、それらに負けない腕の立つ人達らしいのだが…。
「多すぎますって! 要人じゃないんですから、こんなに護衛の人は付ける必要ないですって!」
「四楓院家からしたら灰川先生は要人なんですが…」
結局は何人かを選んで事に当たる事となった、しかし1日で終わらなかったらどうすれば良いんだとかも考えてしまう。




