155話 ナツハの目標
「まずはOBTテレビで打ち合わせだな、なんか`new Age stardom`の撮影の事みたいだけど、色々と同意してもらわなきゃならん事があるらしい」
「うん、前もって聞いてるけど、他にも港区で撮影するための下見もして欲しいらしいよね」
モノレールの中で事前の話し合いをしておく、車内はかなり空いてて灰川とナツハくらいしか乗客は居なかった。
今はナツハに少し変装させており メガネと帽子などで目立たないようにしてる。まだそこまで顔は知られてないが時間の問題だ、ナツハこと空羽は高校生だが美人過ぎて目立つため、これからは変装が必要になるだろう。
落ち着いた雰囲気の魅力的な子だと灰川は思う、声以外も容姿も良いし雰囲気も華がある。現に何度も芸能や怪しいスカウトに声を掛けられており、その現場に灰川も居合わせた事があった。こんな子が歩いてたら声を掛けたくなる気持ちも分かる気がする。
「やっぱレインボーブリッジは凄いな、景色も良いしよ」
「そうだよね、私もこの眺めは好きって思うな」
レインボーブリッジは一般道、首都高、モノレール線路、遊歩道が揃った大きな橋で、展望が良い事でも有名だ。橋の上から見える大都市の風景は多くの人を魅了し、巨大な橋としても全国的に人気がある。
「私はお台場には前に友達と遊びに来たんだけど、灰川さんは何か用があって来たの?」
「俺は仕事で荷物の搬入に来て、ちょっと時間が空いたから散歩したって感じだな」
「そうなんだね、あんまり良い思い出じゃなかったかな。ごめんね」
「いや、そんなに悪い思い出でもないぞ、あの職場から逃げようって思えたのも~~……」
そんな話をしてたら駅に到着して下車する。別に重要な話でもないから中断して、そのまま駅を通ってお台場の地に降り立った。
「思ってたよりは混んでないね、歩きやすくて良いかも」
「お台場って平日は割と空いてるんだよな、夏休み期間だからこれでも人は多い方だぞ」
テレビなどの影響で混雑してるイメージがあるが、観光地のような場所でもあるから平日は意外と歩きやすい。
それにお台場はピーク時の年間来訪者数5500万人から、現在は3000万人に下がっており前ほどの活気はない。
借地の契約期間切れでの大型施設の廃業や、建造物の老朽化による取り壊しが相次いだ事が原因とされ、お台場を含む臨海副都心は再開発の最中なのである。
しかし観光地としての魅力は健在で、大きなショッピングモールや屋内型遊興施設、レインボーブリッジが見れる砂浜や各種のグルメなど、ここにしかない独特な楽しさが溢れてる街だ。
それに、こんな狭い島に年間3000万人も来るというのは凄い事だ。
「そういえば最近って港区女子なんて言葉もあるけど、ここにも居るのか?」
「お台場には居ないんじゃないかな、そういう人たちって大体は赤坂とか六本木が居場所だと思うよ。そういう人たちとお近づきになりたいのかな?」
「俺には無理だって、そういう連中って金持ちの良い所の奴しか相手にしないっしょ」
灰川が何となく口に出すと、空羽は内心で少しムっとしながら答えたが灰川の返答に安心して機嫌は直る。
港区女子とは本来は高収入の女性を意味する言葉だったそうだが、今は高収入者が集う港区でハイスペックな男をあの手この手で狙う様々な女性みたいな意味になってるらしい。
港区に住む男は7人に一人は会社社長なんてデータもあり、夜には日本中から金持ちが集まる。そこを狙って自身を売り込んで、更なる勝ち組のステージに行くのが彼女たちの目的だそうだ。
残念ながら灰川はそういう人達からの眼鏡にかなう属性の男ではなく、ボロアパートに住んで底辺配信してる灰川など視界にも入れたくないと思われるかもしれない。
そんな話をしてたら目的地の付近に到着する、OBTテレビの建物は横にも縦にも大きくて迫力があった。よく晴れた青空に建物が映えてる。
「前にも見たけどOBTテレビって大きいなぁ! 空羽はこんな所で仕事するようになるんだな!」
「ふふっ、灰川さんのおかげだよ」
全国ネットのテレビに出るなんて凄い事だ、しかもエキストラや賑やかし要員ではなくメインに据えての出演である。
打ち合わせの番組のnew Age stardomは、若い芸能人やインフルエンサーなどの有名どころを集めてディベートとかバラエティー企画をやったりする内容らしい。
そこにVtuberも含まれ、企業勢や個人勢の有名な者を呼びこんでいる。そこに主に灰川を知る所からの圧力があったそうで、番組をレギュラー化して参入の枠を増やす事となったのだ。
元からシャイニングゲートの参加枠もあったが、ハッピーリレーに声は掛かって無かった。そこは灰川の名前が水面下で動かされたのだろう。
「ナツハなら参入は時間の問題だったと思うけどな、何なら俳優としてもやってけるだろ」
「参入できたとしても一回じゃ意味ないよ灰川さん、何回も話題にしてもらって名前を外に広げて行かないといけないんだから」
Vtuberのテレビ出演は過去にもあったが大きな話題は掴めなかった。ナツハはローカル局で出演した事があったのだが、その時も周囲のテレビ慣れしてる人達に埋もれて目立てなかったのだ。
最初から大きなテレビ局の番組に出れるとは思ってなかったが、その時の悔しさは今でも覚えており、不甲斐ない気持ちは今も感じてると語る。才覚があっても何でも一回で成功する訳じゃない。
「なんで空羽はそんなに真面目に活動してるんだ? 普通に青春してても充分に楽しかっただろうによ」
普通なら高校生とかは友達と遊んだり、何かに熱中して夢中になったり、恋だのイベントだのに興味を持って過ごす人が大半だ。それをネット活動者の一形態であるVtuberに澄風空羽は捧げてる。
一応は以前にVtuberの配信を見て面白そうだと思ったからという理由は聞いたが、表面しか聞いておらず詳しい事は知らない。灰川としてはこういった事を聞けるくらいには親密になってると判断して聞いた。
答えたく無ければ別に良いと思ってたが、空羽は話してくれた。
「実はね、小さい時に見た映画で凄い女優さんが居たの」
空羽は幼い頃に外国のファンタジー映画を見て、非常に大きな衝撃を受けたそうだ。
物語の内容は邪悪な魔王を倒しに行く戦士たちの話という、普遍的かつ子供でも内容が分かりやすい物で、アクションシーンも派手で映像も幻想的で子供心に非常に印象に残った。
その中の登場人物にエルフが居て、その美しさに目を奪われた。後にその女優を調べたら、自分もこんな風になりたい!と思って役者になりたいと本気で親に相談した。
しかし様々な事情で反対され、中学生に上がったが夢は捨てきれてなかった。
中学2年生の時に配信界隈でVtuberが話題になり始め、自分があの人のようになるにはコレしかないと思って親に相談すると、以前に子供の夢を突っぱねた負い目があったのか了承してくれたらしい。
「じゃあ空羽にとってVtuberは通過点ってことなのか?」
「そうじゃないよ、Vtuberになって有名になれば私は幸せになれるって思ったけど、今は更に上に行きたいって思っちゃってる感じかな」
目標だった場所が理由あって通過点に変ってしまうのはよくある事だ。ゲームや漫画ですらよくある展開だし、仕事や学業でも普通に起こり得る。空羽はそれを『行きたいから』という理由で目標だった場所を通過点に変えたのだ。
少し矛盾してる気もするが、Vtuberとして上に行きたいと思う気持ちは本物なのだろう。
自分の才覚を信じ、優れてる部分を更に研ぎ澄まし、彼女を信じた周囲の大人たちを巻き込んで先に進む。それは紛れもなくカリスマと呼ばれる存在だ。
空羽はこう見えて向上心が人一倍強い子だ、それは誰かに勝ちたいというよりは自分が満足できる景色を見たいからという感情に見える。
そのためなら努力するし工夫も凝らす、並外れた思考力でどのように立ち回れば良いのか判断して結果を出す。配信ではそういった部分を隠して『明るく面白い自由鷹ナツハ』を見せている。
では自由鷹ナツハという人格は嘘なのかというと、決して嘘ではない澄風空羽の一面なのだ。
「そうか、最初は単なる子供の夢が始まりだったけど、今もそれは変わってないって感じか」
「そんな感じだと思うな、注目を浴びて大勢の人を楽しませるのって、すごく楽しいって分かっちゃったしね」
最初は女優に憧れ、自分にも出来そうなVtuberを始め、今はその業界のトップに立っている。
そこから更に歩みを止めずに進み、今は全国テレビ局の番組という新たなステージに挑もうとしていた。
この動きに反感を持つファンも居るかもしれない、しかしコンテンツを長続きさせるためにはネットの市民権だけでは不十分だ。だからこそ空羽は自分の居場所を長く存続させられるよう、芸能界に進出する尖兵になることを決めた。
今のVtuber界隈は個人の参入者も非常に多く、以前より裾野は広がってる。しかしそれは玉石混交であり、本業としてやってる人は少なく、配信企業の所属であっても多くは芸能人などよりフォロワー数が少ない。
「でもよ、視聴者登録で見れば並みの芸人くらいより多いだろ、それで満足しなかったのか?」
「うん、でも灰川さんはこう思った事ってないかな? 400万人が登録してるのに、何で同時視聴者400万人じゃないんだ?って」
「あ……」
その一言で灰川は気付いた、ネットの有名人のファンの多くはお金を落とさない。しかもファンで居てくれる期間が短いのだ。
特にファンで居てくれる期間が短いのが痛い、もちろん出戻りファンや新規ファンが来るが、とにかくファンの寿命が短くて入れ替わりが激しい。どんなに良い配信をしようと、見る見ないは視聴者の自由だ。
確かに登録者400万越えとなれば凄い事だが、そんなナツハでさえファンを繋ぎ止めるのが以前より難しいと感じてる。それが意味する事はコンテンツ全体が停滞気味になり始めてるということで、ネットで気軽に見れる弊害というものがここに詰まってる。
ライブを開いてチケットは即完売、自社刊行の雑誌も売れてる、ネットでは毎日誰かしら話題になるシャイニングゲートだが……。
「そんな人達は芸能界にはゴロゴロ居るよ、しかも皆が毎日のようにお客さんを楽しませよう、魅了しようとして頑張ってる」
玉石混交の配信界隈、誰でも参入できる自由な世界、それは同時に視聴者が『つまらない配信』『不快な配信』に出会う確率も芸能界やテレビ業界より高い事を意味してる。
それらの自分に合わない配信を見てしまった人はどうなるか、ビッグになりたいと口では言って何も努力しない配信者に応援のスパチャをした人はどう思うか。もう配信なんかコリゴリだと思ってしまうかもしれない。
誰でも参加できるというのは決して良い事ばかりではない、90%以上のストリーマーはプロ達が作る最低限の面白さや学びを担保された物には敵わないのだ。しかも今は娯楽が無料でネットに溢れてるから、わざわざ配信視聴で時間を使う必然性が無い。
「業界全体の本気度が違うって訳か……確かにそうかもな」
テレビはオワコンなんて言われたりするが、動画サイトでもプロか、それに準拠する腕を持った人たちの動画が伸びるのが現状だ。長くメディアの頂点に立ち、今も頂点に君臨するテレビ業界には配信界は今は勝てない。スタッフも演者もプロの数と個々の努力や経験が違い過ぎる。
もちろん芸能人だからって必ずネットで伸びる訳じゃない、ネット動画や配信に向いてる向いてないはあるだろう。しかしそんな『動画サイトで伸びてない芸能人』ですら、大半の配信者や動画投稿者よりは上の数字を持っている。
「ある芸人さんが言ってたよ、漫才もコントも面白く無い物が増えたら誰も見なくなる。だから面白い物を見せ続けなきゃいけないって」
「今の配信界隈がそうだって言うのか? 耳が痛ぇな…」
「灰川さんの配信は私は大好きだから続けて欲しいな、でもそういう事になっちゃうね」
元々は配信というスタイルは個人が自由に自己責任でやるものだったが、今は事情が異なってる。とにかく参入する人が増えすぎてファンの奪い合いのような事になってるのだ。
裾野が広がり、玉石の中の石が多くなりすぎて業界全体の面白さへの信頼度が落ちる。そうなった時に動いたのでは遅い、その時には既に信用が落ちてしまってるからだ。信用の無い所には利益は生まれない。
「だから業界の人気を外に広げないと、コンテンツが長続きしなくなっちゃうと思ったの」
「なるほどな、そうすりゃ外から入って来る金が増えるしな」
「うん、その導線が確保出来たらVtuberは長いコンテンツになると思うんだ」
あらゆる業界において資本力は重要で、その補給をどう確保するかは難問だ。弾が無ければ銃が撃てない、弾を補給してくれる人が居ないと弾切れになる、弾を作る工場が一か所だと不十分、そんな資本主義的な悩みに近い内に晒される事になるかもしれない。
そうならないために、そうなった時に生き残るために今から動く、空羽は先を見通しての行動だった。芸能界は長く存続してるのは何故か?それは金を稼ぐための幾つもの導線がしっかり取れてるからだ。
限られたプラットフォームに頼ったビジネスモデルの危険性の払拭、それを成すための資本導線のモデル確保がひとまずの目標だと言う。
シャイニングゲートはそれを率先して行い、確固たる地位を業界内外に築こうとしてる。それにナツハの『視たい景色』が合致したという事なのだろう。恐らくシャイニングゲートはこの方法以外にも何かしらの方法で裾野を広げようとしてる筈だ。
将来の展望のない世界で覇権を握っても自分たちの未来は育たない、ならば先駆者となって確固たる地位を築くメリットはあまりにも大きいだろう。もちろん失敗した時のリスクも大きい。
「上手く行くと良いな、もちろん俺も協力するぞ」
「うん、灰川さんの力も必ず必要になるよ」
灰川には四楓院家の金名刺があるが、それは全てを許される神の杖じゃない。道理が通らない事などしたくないし、空羽も渡辺社長もそういう事をさせる性格ではない。
ここぞという時、もしくは使わないと誰かが傷つくと思った時には使う。灰川はそう心に決めた。
「まあ、空羽なら芸能界も楽勝だろ、超可愛くて美人だし、配信もスゲェしな」
「ふふっ、ありがとう灰川さん。今の凄く心の栄養になったよ」
美人と言われて気を悪くする女性は超少数派だろう、空羽もそこは同じなんだなと思って灰川は少し心の中で笑顔になった。
これから澄風空羽という類稀な才覚を持った少女が芸能界に挑む。過去の失敗で学び、今度は更に才覚を磨いて意識を高めて準備は万端だ。
こうやって才覚を持った者が一歩ずつ先を見据えて進めば『何者か』になれる可能性は上がるだろう。もちろん全てが上手く行く訳ないし、上に行こうとすれば失敗する確率は上がる。
だが決して一個だけの方法で成り上がろうとしてる訳じゃない、この方法もシャイニングゲートが考えた生き残りと躍進の手段の一つに過ぎないのだ。道を歩く方法も、上に行く方法も一つではない。
それでも『これなら成功する!』と灰川は思い、テレビ局の来場者ゲートで受付や本人確認を済ませようと向かったのだった。
灰川と空羽は局内に仕事で来たため、受付で聞いた案内に従って局内を進む。
中は綺麗で時折にテレビで見た芸能人とすれ違う事もあり、テレビ局に来たんだなと少し感激する2人だったが……。
「そんな状態でテレビに出れねぇよぉ! 顔も青いし熱も40℃あるじゃねぇか! またチャンスはあるって!」
「バカヤロォ! ぜぇぜぇ…顔色悪けりゃ顔面にペンキ塗ってでも出るんだよっ…! チャンスなんかっ、もう来ねぇ…! がはぁっ…ゴホゴホッ!!」
若いコンビ歌手と思われる2人が、廊下で今にも倒れそうな体を引きずりながら、ギターを杖代わりにしてスタジオに向かおうとしてる。
かと思えば廊下を歩いてる時に何かの部屋を横切った時、テレビで可愛く歌とダンスを披露してるアイドルの名前の札が掛かった部屋から。
「あの女ぁぁァァっッ!! 絶対に許さねぇェェッッ!! 良い気になってられんのも今の内だぞドチクショォォッ!!」
なんて咆哮が聞こえて来たり。
「誰も…誰も笑ってくれなかったっ……ははっ…、ディレクターに見捨てられる……お終いだ…、俺はお終いだ…っ…」
休憩所の椅子に座ってるピン芸人と思われる人が、粉雪のようにパラパラと抜け落ちる髪の毛を気にもせず顔を青くしてる。
「………」
「…………」
灰川と空羽は何も見てない!と心に念じながら廊下を進むが、もちろん2人して血の気が引くような心持になっていた。才能や覚悟があっても空羽は17歳の少女だし、灰川だってこんな世界に踏み入った事はないのだ。
イケメン俳優、売れっ子女優、国民的アイドルグループ、女子アナ、お笑い芸人、各種タレント……群雄割拠の世界は甘くない、誰かが脚光を浴びる裏には幾つものドラマが隠されてる。
ここは日本メディア業界最前線、全国放送テレビ局。如何に才覚があろうとナツハは高校生の小娘、灰川はマネージャー兼コンサルタントとは名ばかりの若造、この世界ではVtuberなぞぽっと出のケチな集金業界に見られてる気すらして来る。
自分の可能性に命を懸けてる連中が、勝つか負けるかではなく、生きるか死ぬかの苛烈な勝負をしてる世界。スキャンダルと陰謀が渦巻く魔物たちの世界だ。
そんな場所にシャイニングゲートは選手として踏み入った。




